謎解きドキュメント ツイセキ「“消えた”西郷写真」 ― 2025-09-04
2025年9月4日 當山日出夫
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
歴史番組として見れば、穴だらけで粗雑なつくりとしかいいようがないが、いくつか面白いとこともあった。
まず、なぜ、西郷隆盛の写真が残っていないのか、この謎を提示したことである。たまたまそうなっているだけなのか、意図的ななにかがあったのか、かなり想像をふくむことにはなるが、考える価値はあるかもしれない。
鹿児島の小学校に残っていた、明治時代の記録文書。これは貴重である。はっきりいって、西郷隆盛の写真のことなんかよりも、この文書をきちんと分析して紹介してくれた方が、よっぽど歴史の番組としてはいいものになっただろう。(あるいは、すでに、この史料は、研究されているということなのだろうか。)
山形の庄内のある村落では、かなりの家に、西郷隆盛の肖像画が飾ってある。これは、日本の近代における、「西郷隆盛」の受容、という視点から、とても興味深い。
また、村の倉庫にあった明治のころの写真。これは、古写真の専門家には、知られている史料なのだろうか。そうであるならば、もうちょっときちんとした保存の手立てを考える必用のある史料だと思う。
2025年8月13日記
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
歴史番組として見れば、穴だらけで粗雑なつくりとしかいいようがないが、いくつか面白いとこともあった。
まず、なぜ、西郷隆盛の写真が残っていないのか、この謎を提示したことである。たまたまそうなっているだけなのか、意図的ななにかがあったのか、かなり想像をふくむことにはなるが、考える価値はあるかもしれない。
鹿児島の小学校に残っていた、明治時代の記録文書。これは貴重である。はっきりいって、西郷隆盛の写真のことなんかよりも、この文書をきちんと分析して紹介してくれた方が、よっぽど歴史の番組としてはいいものになっただろう。(あるいは、すでに、この史料は、研究されているということなのだろうか。)
山形の庄内のある村落では、かなりの家に、西郷隆盛の肖像画が飾ってある。これは、日本の近代における、「西郷隆盛」の受容、という視点から、とても興味深い。
また、村の倉庫にあった明治のころの写真。これは、古写真の専門家には、知られている史料なのだろうか。そうであるならば、もうちょっときちんとした保存の手立てを考える必用のある史料だと思う。
2025年8月13日記
映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ昭和百年(2) 敗戦国ニッポン 敗れざる者たち」 ― 2025-09-04
2025年9月4日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(2) 敗戦国ニッポン 敗れざる者たち
これは、面白かった。特に目新しい内容があるというわけではないが、まとめかたがきちんとしていて、見ていて、ああこういう時代だったなあ、としみじみと思うところがあった。
昭和30年(1955)生まれの私にとっては、金曜日の午後8時がプロレスだったことは記憶している。これは、テレビで見ていた。
また、テレビアニメの「鉄腕アトム」は見ていた。
ちょうど少年漫画雑誌の時代であったことになるが、貸本屋で借りて読んだという経験はない。ただ、貸本屋ということは知っていたことである。たまたま、私の生活圏の中に、手頃な貸本屋がなかった、というだけのことだったかと思う。
トランジスタラジオが、特に若者にとっては、自由な音楽の世界へのとびらであったということは、もう今では忘れられてしまったことかもしれない。あるいは、その後のWalkmanの衝撃の方が大きかった、ということもできようが。
ホンダのスーパーカブが世界を席巻した。スーパーカブ50は、今でも作られている。
SONYのラジオと、HONDAのバイクが、戦後の日本の復興のシンボルであるということは確かなことだろうし、多くの人びとの納得するところである。そして、この番組のこの回のいいところは、井深大と本田宗一郎の業績だけにしないで、その工場で働いていた労働者の人たちを、きちんと映していたことである。
古関裕而の曲は、かなり知っている。その「鐘の鳴る丘」を、戦災孤児問題との関連で描いたということは、当たり前のことだが、印象に残る。(どうでもいいことだが、この時代のラジオドラマでは、子どもの役は子どもが演じていた。そのしきたりを壊したのが、黒柳徹子だったと憶えている。)
東京オリンピックの開会式の曲を作ったことは知っていた。古関裕而が、競技場にいて、カラーで入場式の撮影をしていた。このフィルムは初めて見た。
力道山が朝鮮出身であったことは、今では、周知のことになっている。しかし、私が子どものころ、テレビでプロレスを見ていたころは、そのようなことはまったく思わなかった。これも、プロレスをめぐる、戦後の言説史ということのなかで考えることになる。
2025年9月3日記
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(2) 敗戦国ニッポン 敗れざる者たち
これは、面白かった。特に目新しい内容があるというわけではないが、まとめかたがきちんとしていて、見ていて、ああこういう時代だったなあ、としみじみと思うところがあった。
昭和30年(1955)生まれの私にとっては、金曜日の午後8時がプロレスだったことは記憶している。これは、テレビで見ていた。
また、テレビアニメの「鉄腕アトム」は見ていた。
ちょうど少年漫画雑誌の時代であったことになるが、貸本屋で借りて読んだという経験はない。ただ、貸本屋ということは知っていたことである。たまたま、私の生活圏の中に、手頃な貸本屋がなかった、というだけのことだったかと思う。
トランジスタラジオが、特に若者にとっては、自由な音楽の世界へのとびらであったということは、もう今では忘れられてしまったことかもしれない。あるいは、その後のWalkmanの衝撃の方が大きかった、ということもできようが。
ホンダのスーパーカブが世界を席巻した。スーパーカブ50は、今でも作られている。
SONYのラジオと、HONDAのバイクが、戦後の日本の復興のシンボルであるということは確かなことだろうし、多くの人びとの納得するところである。そして、この番組のこの回のいいところは、井深大と本田宗一郎の業績だけにしないで、その工場で働いていた労働者の人たちを、きちんと映していたことである。
古関裕而の曲は、かなり知っている。その「鐘の鳴る丘」を、戦災孤児問題との関連で描いたということは、当たり前のことだが、印象に残る。(どうでもいいことだが、この時代のラジオドラマでは、子どもの役は子どもが演じていた。そのしきたりを壊したのが、黒柳徹子だったと憶えている。)
東京オリンピックの開会式の曲を作ったことは知っていた。古関裕而が、競技場にいて、カラーで入場式の撮影をしていた。このフィルムは初めて見た。
力道山が朝鮮出身であったことは、今では、周知のことになっている。しかし、私が子どものころ、テレビでプロレスを見ていたころは、そのようなことはまったく思わなかった。これも、プロレスをめぐる、戦後の言説史ということのなかで考えることになる。
2025年9月3日記
「海をこえたふすま絵」 ― 2025-09-04
2025年9月4日 當山日出夫
「海をこえたふすま絵」
テレビの番組表でたまたま目についたので、録画しておいた。BSP4Kの放送。
去年、青森の宮越家にあるふすま絵と、大英博物館にあるふすま絵が、一連のものであるということが、発見されて、ニュースで取りあげられたことは憶えている。このとき、宮越家とはどんな家なのか、気になって検索してみた。
このことは、たしかに一つのニュースになることではあるが、それを題材に番組を作るとなると、もうちょっと幅のある視点で考えた方がよかったかと思える。
まず、宮越家について、青森の豪農ということだったが、これは、少し説明があった方がいいと思う。江戸時代からつづく地主なのか、近代になってから財をなした家なのか、その家はどんなビジネスをやってきたのか、ということがあって、昭和になってから、ふすま絵を買うということになった(それだけの財力があった)、このことは、説明があった方がいい。(できれば、今は、どうなのか気にはなるが、これは、今の当主への配慮は必用だろう。)
ドイツ人のユダヤ人美術商によって、海外に持ち出された、ということである。この背景は、もっといろんな事情があるだろう。海外における日本美術ブーム、いわゆるジャポニズムということがあって、20世紀の初頭には、ヨーロッパにおける日本美術の評価とはどうであったか、概略でいいから知りたい。
東京美術倶楽部の目録には、当時の美術商の手になる図録が残っている。これは、この時代に、このふすま絵だけでなく、他にどんなものが、どのような経緯で、美術商の手によって売買されていたのか、誰がもっていたものを、誰が買ったのか、気になるところである。
明治の初めの廃仏毀釈のころに、多くの仏教関係の美術品が、流出したということはあっただろうが、はたしてその実態はどうだったのだろうか。このことについて、専門の美術史研究の分野では、どれぐらいのことが分かっているのだろうか。
もとは、奈良の談山神社にあったということなのだが、ここも、廃仏毀釈で大きく変わっている。おそらく、ふすま絵以外にも、多くのものが持ち去られたかと思うが、どれぐらいのことが分かっているのだろうか。
それから、日本の美術品が海外に流出したのは、近代になってからこともあるが、なかでも、太平洋戦争後のGHQの支配下にあったとき、出ていったものがかなりあるはずである。美術品に限らず、古典籍の類でも、多くのものが、日本から持ち出された。その合法性を今になって批判してもはじまらないとは思うが、世界にちらばったこれらの文化遺産についての、総合的な調査が必要である、だが、これは、私の知る限りでは、本格的におこなわれているということではないと思っている。
このようなことを語るのに、はたして、ヤマザキマリが適任であったかどうかとは思うところがある。日本美術の魅力を語るならいいのだが、近代になってからの、国際政治の中での美術品の流れ、という大きなテーマがあることは、おさえておくべきことだったと思う。
この前の冬は奈良県でも雪が何回か降ったが、談山神社を取材したときは、ちょうど雪のふったときのことだったらしい。紅葉の談山神社の景色は有名であるが、雪景色がテレビに映ることは珍しいかと思う。
2025年9月1日記
「海をこえたふすま絵」
テレビの番組表でたまたま目についたので、録画しておいた。BSP4Kの放送。
去年、青森の宮越家にあるふすま絵と、大英博物館にあるふすま絵が、一連のものであるということが、発見されて、ニュースで取りあげられたことは憶えている。このとき、宮越家とはどんな家なのか、気になって検索してみた。
このことは、たしかに一つのニュースになることではあるが、それを題材に番組を作るとなると、もうちょっと幅のある視点で考えた方がよかったかと思える。
まず、宮越家について、青森の豪農ということだったが、これは、少し説明があった方がいいと思う。江戸時代からつづく地主なのか、近代になってから財をなした家なのか、その家はどんなビジネスをやってきたのか、ということがあって、昭和になってから、ふすま絵を買うということになった(それだけの財力があった)、このことは、説明があった方がいい。(できれば、今は、どうなのか気にはなるが、これは、今の当主への配慮は必用だろう。)
ドイツ人のユダヤ人美術商によって、海外に持ち出された、ということである。この背景は、もっといろんな事情があるだろう。海外における日本美術ブーム、いわゆるジャポニズムということがあって、20世紀の初頭には、ヨーロッパにおける日本美術の評価とはどうであったか、概略でいいから知りたい。
東京美術倶楽部の目録には、当時の美術商の手になる図録が残っている。これは、この時代に、このふすま絵だけでなく、他にどんなものが、どのような経緯で、美術商の手によって売買されていたのか、誰がもっていたものを、誰が買ったのか、気になるところである。
明治の初めの廃仏毀釈のころに、多くの仏教関係の美術品が、流出したということはあっただろうが、はたしてその実態はどうだったのだろうか。このことについて、専門の美術史研究の分野では、どれぐらいのことが分かっているのだろうか。
もとは、奈良の談山神社にあったということなのだが、ここも、廃仏毀釈で大きく変わっている。おそらく、ふすま絵以外にも、多くのものが持ち去られたかと思うが、どれぐらいのことが分かっているのだろうか。
それから、日本の美術品が海外に流出したのは、近代になってからこともあるが、なかでも、太平洋戦争後のGHQの支配下にあったとき、出ていったものがかなりあるはずである。美術品に限らず、古典籍の類でも、多くのものが、日本から持ち出された。その合法性を今になって批判してもはじまらないとは思うが、世界にちらばったこれらの文化遺産についての、総合的な調査が必要である、だが、これは、私の知る限りでは、本格的におこなわれているということではないと思っている。
このようなことを語るのに、はたして、ヤマザキマリが適任であったかどうかとは思うところがある。日本美術の魅力を語るならいいのだが、近代になってからの、国際政治の中での美術品の流れ、という大きなテーマがあることは、おさえておくべきことだったと思う。
この前の冬は奈良県でも雪が何回か降ったが、談山神社を取材したときは、ちょうど雪のふったときのことだったらしい。紅葉の談山神社の景色は有名であるが、雪景色がテレビに映ることは珍しいかと思う。
2025年9月1日記
ドキュメント72時間「愛媛 真夏の10円プールで」 ― 2025-09-04
2025年9月4日 當山日出夫
ドキュメント72時間 愛媛 真夏の10円プールで
番組のこととは関係ないが、一番気になったのは、最後のクレジットのところで出てきた、日暮別邸記念館、のこと。これは知らなかったので、調べてみた。住友の別子銅山に関連して建てられたものである。ここは、できれば一度行ってみたい。(しかし、なんで、ここがこの番組の撮影の協力で名前があがっているのだろうか。)
さらに関係ないこととしては、登場した人のうち何人か、銅の精練の仕事にかかわっていると言っていた。これは、別子銅山があって、今も、銅関係の企業が、この新居浜にあるということなのだろう。
別子銅山には、かなり以前、行ったことがある。このときは、たしか子どもたちを連れていったはずである。(一時期、今の住まいの奈良県と愛媛の東予市(当時)をかなりの頻度で行き来していたことがある。)
見て一番印象に残るのは、高校のときに水泳の選手だった若い男性。取材を終えて去っていって、途中で振り返って礼をしていた。さりげないことなのだが、こういう場面というのは、この番組のなかであまり見ないような気がするのだが、どうなのだろうか。あったとしても、編集でカットしているということかもしれない。
そして、これは、意図的にそのように取材して編集したのにちがいないが、若い女性が基本的に映っていなかった。子ども(男の子)と、老人(男性)が主だった。このプールの利用者は、老若男女さまざまだと思うのだが、かなりかたよった取材と編集になっていると感じる。夏のプールなのだから、水着姿の若い女性がいても(別に若くなくても)、なんにもおかしなことはないと思うのだが、今の時代としては、NHKでは放送したくないということなのかと思う。実に窮屈な時代になってしまったものである。このプールは、水着姿の女性はご遠慮くださいというようなルールがあるとも思えない。女性は泳いではいけないというなら、これは、差別でしかない。
あるいは、今どき、女性が水着を着て野外の公営プールで泳いだりなんかしないということなら、そういうことを説明してあってもいい。
このように思って見るせいか、登場していた人たちのことばにも、今ひとつ共感できないで終わってしまった部分がある。
2025年8月30日記
ドキュメント72時間 愛媛 真夏の10円プールで
番組のこととは関係ないが、一番気になったのは、最後のクレジットのところで出てきた、日暮別邸記念館、のこと。これは知らなかったので、調べてみた。住友の別子銅山に関連して建てられたものである。ここは、できれば一度行ってみたい。(しかし、なんで、ここがこの番組の撮影の協力で名前があがっているのだろうか。)
さらに関係ないこととしては、登場した人のうち何人か、銅の精練の仕事にかかわっていると言っていた。これは、別子銅山があって、今も、銅関係の企業が、この新居浜にあるということなのだろう。
別子銅山には、かなり以前、行ったことがある。このときは、たしか子どもたちを連れていったはずである。(一時期、今の住まいの奈良県と愛媛の東予市(当時)をかなりの頻度で行き来していたことがある。)
見て一番印象に残るのは、高校のときに水泳の選手だった若い男性。取材を終えて去っていって、途中で振り返って礼をしていた。さりげないことなのだが、こういう場面というのは、この番組のなかであまり見ないような気がするのだが、どうなのだろうか。あったとしても、編集でカットしているということかもしれない。
そして、これは、意図的にそのように取材して編集したのにちがいないが、若い女性が基本的に映っていなかった。子ども(男の子)と、老人(男性)が主だった。このプールの利用者は、老若男女さまざまだと思うのだが、かなりかたよった取材と編集になっていると感じる。夏のプールなのだから、水着姿の若い女性がいても(別に若くなくても)、なんにもおかしなことはないと思うのだが、今の時代としては、NHKでは放送したくないということなのかと思う。実に窮屈な時代になってしまったものである。このプールは、水着姿の女性はご遠慮くださいというようなルールがあるとも思えない。女性は泳いではいけないというなら、これは、差別でしかない。
あるいは、今どき、女性が水着を着て野外の公営プールで泳いだりなんかしないということなら、そういうことを説明してあってもいい。
このように思って見るせいか、登場していた人たちのことばにも、今ひとつ共感できないで終わってしまった部分がある。
2025年8月30日記
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