時をかけるテレビ「老友へ〜83歳 彫刻家ふたり〜」 ― 2025-09-20
2025年9月20日 當山日出夫
時をかけるテレビ 老友へ〜83歳 彫刻家ふたり〜
佐藤忠良、舟越保武、美術に知識のある人なら知っていて当然なのだろうが、私としては、かろうじて名前を知っているぐらいである。
番組は、年をとった二人の彫刻家の友情ということで作ってあったのだが、私が見て興味深かったのは、芸術家が作品を作る場面をとらえた番組だな、ということである。
普通は芸術家のアトリエにこのようにカメラが入ることは希かと思うのだが、この二人の場合は、許してくれたということになる。しかも、面白いのは、結果的に失敗になる(できあがりかけたところで半分に折れてしまった)作品の制作過程とか、失敗だったときの表情とか、そこまで映していたことである。
それにしても、彫刻が床の上に立っているということは、重心がその床と接する底面の内側にあって、全体が、しっかりと作ってあるから、ということかと思うのだが、作る人は、このあたりをどう考えて作っているのだろうか。別に重心が外れていても、床からしっかりと支えていればいいのかとも思うが、その場合でも、その彫刻作品の材質とか、芯になる部分をどう作るとか、工夫はいろいろとあるのだろう。
長崎の二六聖人の像の場合ならば、背後の壁からおっこちないようにどうくっつけるか、ということになるかと思うが、実際は、どのように作ってあるのだろうか。
芸術的価値とは無関係なことだが、このようなことを、どうしても思ってしまう。
船越保武が書いた手紙は、文字としてもすばらしい。これも芸術である。
また、書き残したものの中に、友人として佐藤忠良の名前があったのは当然として、並んで、三好達治と井伏鱒二の名前があった。これらの文学者との交流とは、実際にはどんなものだったのだろうか。
見ていて、この番組を作ったスタッフは、芸術ということが分かる人が作った、という印象が強くのこる番組であったと私は感じる。
2025年9月16日記
時をかけるテレビ 老友へ〜83歳 彫刻家ふたり〜
佐藤忠良、舟越保武、美術に知識のある人なら知っていて当然なのだろうが、私としては、かろうじて名前を知っているぐらいである。
番組は、年をとった二人の彫刻家の友情ということで作ってあったのだが、私が見て興味深かったのは、芸術家が作品を作る場面をとらえた番組だな、ということである。
普通は芸術家のアトリエにこのようにカメラが入ることは希かと思うのだが、この二人の場合は、許してくれたということになる。しかも、面白いのは、結果的に失敗になる(できあがりかけたところで半分に折れてしまった)作品の制作過程とか、失敗だったときの表情とか、そこまで映していたことである。
それにしても、彫刻が床の上に立っているということは、重心がその床と接する底面の内側にあって、全体が、しっかりと作ってあるから、ということかと思うのだが、作る人は、このあたりをどう考えて作っているのだろうか。別に重心が外れていても、床からしっかりと支えていればいいのかとも思うが、その場合でも、その彫刻作品の材質とか、芯になる部分をどう作るとか、工夫はいろいろとあるのだろう。
長崎の二六聖人の像の場合ならば、背後の壁からおっこちないようにどうくっつけるか、ということになるかと思うが、実際は、どのように作ってあるのだろうか。
芸術的価値とは無関係なことだが、このようなことを、どうしても思ってしまう。
船越保武が書いた手紙は、文字としてもすばらしい。これも芸術である。
また、書き残したものの中に、友人として佐藤忠良の名前があったのは当然として、並んで、三好達治と井伏鱒二の名前があった。これらの文学者との交流とは、実際にはどんなものだったのだろうか。
見ていて、この番組を作ったスタッフは、芸術ということが分かる人が作った、という印象が強くのこる番組であったと私は感じる。
2025年9月16日記
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