ブラタモリ「「長野・上高地」奇跡の山岳リゾートの謎」 ― 2025-10-16
2025年10月16日 當山日出夫
ブラタモリ 「長野・上高地」奇跡の山岳リゾートの謎
上高地の二回目である。
見ていて一番興味深かったのは、風穴。自然の冷蔵庫といっていいのだろうが、ここで、蚕の卵を冷蔵保存する。そのことによって、孵化の時期をコントロールして、年間を通じての養蚕ができるようになる。近代の日本の養蚕業にとって、蚕の卵の冷蔵保存というのは、非常に重要な施設であり、技術であった、ということになる。
そのための道として、松本から道路が整備され、トンネルも作った。それが、結果的に上高地の山岳リゾートにつながった。
では、このような、蚕の卵の冷蔵の設備は、全国にどれぐらいあったのだろうか。それらと、養蚕業と、製糸業と、輸出業と、どのように関連していたのか。今でいう、ロジスティックスは、どうだったのだろうか。こういう観点から、日本の近代の養蚕や製糸業の歴史は、どのように研究されているのだろうか。
また、上高地が、もともとは山岳信仰の霊地であったということは、そうだろうと思うことである。古くからの山岳信仰をけずって出来上がったのが、近代の日本の登山であったし、そこには、明治になってからやってきた外国人のはたらきがあったことになる。
どうでもいいことだが、私が中学生のときの担任の先生は、社会科の先生だったが、登山をする人でもあった。戦後の日本で、登山がブームだった時代がある。「いつかある日」の歌は中学生のときに憶えた歌である。もう今では、この歌を知っている人も少なくなったかもしれない。
2025年10月12日記
ブラタモリ 「長野・上高地」奇跡の山岳リゾートの謎
上高地の二回目である。
見ていて一番興味深かったのは、風穴。自然の冷蔵庫といっていいのだろうが、ここで、蚕の卵を冷蔵保存する。そのことによって、孵化の時期をコントロールして、年間を通じての養蚕ができるようになる。近代の日本の養蚕業にとって、蚕の卵の冷蔵保存というのは、非常に重要な施設であり、技術であった、ということになる。
そのための道として、松本から道路が整備され、トンネルも作った。それが、結果的に上高地の山岳リゾートにつながった。
では、このような、蚕の卵の冷蔵の設備は、全国にどれぐらいあったのだろうか。それらと、養蚕業と、製糸業と、輸出業と、どのように関連していたのか。今でいう、ロジスティックスは、どうだったのだろうか。こういう観点から、日本の近代の養蚕や製糸業の歴史は、どのように研究されているのだろうか。
また、上高地が、もともとは山岳信仰の霊地であったということは、そうだろうと思うことである。古くからの山岳信仰をけずって出来上がったのが、近代の日本の登山であったし、そこには、明治になってからやってきた外国人のはたらきがあったことになる。
どうでもいいことだが、私が中学生のときの担任の先生は、社会科の先生だったが、登山をする人でもあった。戦後の日本で、登山がブームだった時代がある。「いつかある日」の歌は中学生のときに憶えた歌である。もう今では、この歌を知っている人も少なくなったかもしれない。
2025年10月12日記
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