NHKスペシャル「米価騒乱 揺れる“主食の未来”」 ― 2025-10-15
2025年10月15日 當山日出夫
NHKスペシャル 米価騒乱 揺れる“主食の未来”
お米の値段が上がっているのだが、しかし、である、今の日本で、食事ができなくなって飢え死にした、という話しは聞かない。食料としては、十分に足りているということであり、価格が倍以上になったからといって、それで、まったく手に入らなくなったということでもない。
お米の価格の問題と、適正な需給の問題は、関連するがちょっと分けて考えた方がいいかと思える。
何よりも知りたいのは、日本における、エンゲル係数の変化、さらにその中で、お米の占める割合の変化、である。できれば、地域別、社会階層別に、分かるといいのだが、はたしてこういうデータは存在するのだろうか。こういうデータなしで、お米の生産量や需給や価格を議論しても、どうなのだろうかと思う。
かなり昔のことになるが、食管法がなくなるころ、お米の売買が自由になるというころ、NHKでは、農家の人たちと、消費者の人たちを、集めて、スタジオで討論会のような番組を、作っていたことがある。こういう番組があったということを記憶している人は、もうNHKの中にも少ないかもしれない。(私は、お米の通帳、と言われて体験的に知っている世代になる。)
食料安全保障ということであるならば、国内で需要を満たす生産が必要である。ここにおいて、どの程度の規模の生産者、農家が、どれぐらいの数(就業の人口)があって、それぞれが、どのぐらいの量を生産しているのか、その、今後の推移はどうなると予想されるのか。これがまず重要だろう。そして、この推移の予想のパラメータの重要な位置をしめるのが、お米の値段ということになる。だが、番組のなかで、はっきりとこういう観点から論じるということはなかった。
お米の生産は、量が確保できればいいというものだけではない。中山間地の農村が、日本の国土において、自然環境の保全にどのように役立っているのか、という観点も必要になる。治山治水の視点で、水田のある中山間地は、どのようにとらえることができるのだろうか。
さらには、棚田などは、生産コストから考えれば、ほとんど淘汰されてもいいようなものかもしれないが、しかし、観光資源としては価値がある。
では、そのような、中山間地の保全、棚田の保全のコストなどは、お米の値段として、どのようにふくまれることになるのが、妥当なのだろうか。これは、単なる需給関係のマーケットの論理では、決まらないことだろう。
昔、食管法があった時代、消費者の側から言っていたことは、古くて美味しくないお米は要らない、ということだった。今では、新しくて美味しいお米なら、少々高くても買うという時代になっている。その一方で、やはり、より安ければその方がいいということもある。
気候条件に左右される農作物であるから、安定供給と価格の安定のためには、ある程度のストックが必要である。つまり、保存してあった古いお米でも十分である、こういう価値観が広まる必要がある。これは、保存の方法と、ご飯の炊き方(炊飯器の改良)ということで、どうにかなる可能性はある。
もし、今後、お米を作りすぎて価格が暴落しそうになったとき、政府が、どのように介入して、流通と価格を安定化させることができるのか、こういうことの議論を、初めておく必要があるだろう。(農水省では、すでに始めていることなのかとも思うが。)
2025年10月13日記
NHKスペシャル 米価騒乱 揺れる“主食の未来”
お米の値段が上がっているのだが、しかし、である、今の日本で、食事ができなくなって飢え死にした、という話しは聞かない。食料としては、十分に足りているということであり、価格が倍以上になったからといって、それで、まったく手に入らなくなったということでもない。
お米の価格の問題と、適正な需給の問題は、関連するがちょっと分けて考えた方がいいかと思える。
何よりも知りたいのは、日本における、エンゲル係数の変化、さらにその中で、お米の占める割合の変化、である。できれば、地域別、社会階層別に、分かるといいのだが、はたしてこういうデータは存在するのだろうか。こういうデータなしで、お米の生産量や需給や価格を議論しても、どうなのだろうかと思う。
かなり昔のことになるが、食管法がなくなるころ、お米の売買が自由になるというころ、NHKでは、農家の人たちと、消費者の人たちを、集めて、スタジオで討論会のような番組を、作っていたことがある。こういう番組があったということを記憶している人は、もうNHKの中にも少ないかもしれない。(私は、お米の通帳、と言われて体験的に知っている世代になる。)
食料安全保障ということであるならば、国内で需要を満たす生産が必要である。ここにおいて、どの程度の規模の生産者、農家が、どれぐらいの数(就業の人口)があって、それぞれが、どのぐらいの量を生産しているのか、その、今後の推移はどうなると予想されるのか。これがまず重要だろう。そして、この推移の予想のパラメータの重要な位置をしめるのが、お米の値段ということになる。だが、番組のなかで、はっきりとこういう観点から論じるということはなかった。
お米の生産は、量が確保できればいいというものだけではない。中山間地の農村が、日本の国土において、自然環境の保全にどのように役立っているのか、という観点も必要になる。治山治水の視点で、水田のある中山間地は、どのようにとらえることができるのだろうか。
さらには、棚田などは、生産コストから考えれば、ほとんど淘汰されてもいいようなものかもしれないが、しかし、観光資源としては価値がある。
では、そのような、中山間地の保全、棚田の保全のコストなどは、お米の値段として、どのようにふくまれることになるのが、妥当なのだろうか。これは、単なる需給関係のマーケットの論理では、決まらないことだろう。
昔、食管法があった時代、消費者の側から言っていたことは、古くて美味しくないお米は要らない、ということだった。今では、新しくて美味しいお米なら、少々高くても買うという時代になっている。その一方で、やはり、より安ければその方がいいということもある。
気候条件に左右される農作物であるから、安定供給と価格の安定のためには、ある程度のストックが必要である。つまり、保存してあった古いお米でも十分である、こういう価値観が広まる必要がある。これは、保存の方法と、ご飯の炊き方(炊飯器の改良)ということで、どうにかなる可能性はある。
もし、今後、お米を作りすぎて価格が暴落しそうになったとき、政府が、どのように介入して、流通と価格を安定化させることができるのか、こういうことの議論を、初めておく必要があるだろう。(農水省では、すでに始めていることなのかとも思うが。)
2025年10月13日記
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