新日本風土記「葛飾 柴又 水の旅」2025-10-22

2025年10月22日 當山日出夫

新日本風土記 「葛飾 柴又 水の旅」

柴又帝釈天には、むか~し、一度行ったことはあるのだが、もう、どんなだったか忘れてしまっている。葛飾区には、ちょっと前まで、私の次女が住んでいた。会社のオフィスが五反田にあるので、通勤のことを考えてだったのだが、COVID-19パンデミックのせいで、仕事はほとんどリモートだったと言っていた。今も基本的にはそうらしい。プログラマの仕事なので、リモートでも十分に仕事はできる。

海抜ゼロメートルということばを久々に目にしたかと思う。これも、昔、言われていたころよりも、事情は悪化しているのかと思うが、どうなのだろうか。海抜ゼロメートルというと、実は詐欺的であって、本当はマイナスである。川が氾濫したり、大規模な高潮となったら、被害は甚大である。こういう災害を防ぐための堤防などの工事は、必須ということになる。

東京都内の河川の堤防工事だけではなく、さらには、川の上流の治山治水ということにも、ちからをいれなければならないことになるが、こういうことを、国家レベルの視点から、首都圏の生活と機能を守るということで、考えられなければならないことである。

地盤沈下は、工業用水として、大量に地下水を使ったのが原因ということだと思っているが、ともかく、この地域には、地下水が豊富にある。水(工業用水、農業用水、それから、生活のための飲料水)があったことで、葛飾というエリアの産業があったことになる。

都市部の農業というのは、まだ、十分にビジネスとしてやっていけるようである。とはいっても、葛飾で採れた野菜を、大田市場まで運ぶというのも、手間かなという気もするが、流通の合理化ということでは、こうなるのだろう。

小学生の女の子が相撲にはげんでいる姿はいい。中学以上だと続けるのは難しいかもしれないが、こういうことはあっていいことだと思う。

メッキ工場が、水の汚染の元凶のようにいわれた時代のことは、私は、なんとか記憶しているのだが、今の時代では、排水処理をきちんとしている。そのコストはかかることになっても、技術で勝負する、という時代になってきた。

川でニホンウナギが釣れるというのは、おどろいたことでもある。釣った魚をリリースせずに、食べてしまうというのは、これはこれでいいのだと思う。

江戸時代、郊外の農家が、都市の中心部に下肥を買いに来ていたということがあり、それを、船で運んでいたということは知っていることなのだが、これも、かなり近年までは行われていたことのはずである。都市の生活誌であり、農村の歴史であり、これは、今では忘れられてしまったことの一つにはちがいない。

一杯が260円のボールは、安い。店内のメニューには、ホッピーもあったが、はるかに安い。こういう地元密着の居酒屋は、残っていってもらいたいものである。

どうでもいいことかもしれないが、この番組の中で「葛飾」の「葛」の字は、徹底的に、葛飾区の公式の(?)字だった。この字は、ややこしい字の一つで、奈良県葛城市の場合は、市としては別の異体字の方を、正しい字として認定している。この二つの字は、現在のデジタル文字としては、基本的に、二者択一ということになっている。同一のコード系のフォント内では、共存できない。

2025年10月14日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/10/22/9811382/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。