世界遺産ワーカー「韓国 宗廟」 ― 2026-03-17
2026年3月17日 當山日出夫
世界遺産ワーカー「韓国 宗廟」
これは面白かった。
韓国の人びとにとって、どの氏族(といっていいのだろうか、祖先を共通するファミリー)に属することになるのか、ということがとても重要なことであるという認識はもっているのだが、それが、李氏朝鮮王朝の末裔となると、また別格の意識になるのだろう。
その前に、今の韓国の人びとは、李氏朝鮮王朝のことを、どう思っているのだろうか。日本でいえば、中世から近世にかけてのころのことになる。
前近代の封建社会と見るのだろうか。朝鮮文化の形成された時期と見るのだろうか。これは誇るべき歴史になる。そうではなく、否定すべき前近代、あまりに前近代的であったので、結果的には、西欧列強の侵略に抗しきれず、あげくのはてに日本の植民地になってしまった失敗の歴史ととらえることになるのだろうか。(このあたりの事情がよく分からないというのが、日本から見た韓国ということでもあるが。)
番組の中で、意図的なのか、無意識にそうなってしまったのか、皇帝ということばと、国王ということばを、つかっていたが、これは、やはり厳密に区別しておくべきだろう。いまだに、韓国では、日本の天皇を「日王」と言って、「天皇」であることを認めない。(私の認識ではであるが。最近は、変わってきたのだろうか。)このことばは、東アジアの歴史を語るときには、かなり注意してあつかうべきことばである。(日本の古代史を語る場合、日本の研究者でも、「天皇」ということばを避けて、意図的に「王」ということがある。)
それから、気になったことは、ここで出てきていた祭祀は、先祖祭祀であるらしい。これは分かるのだが、朝鮮という王国の王様としては、天、とのかかわりはどうだったのだろうか。これが、中国の皇帝だったら、天とのつながりが強固なものとしてあると思うが。ただ、魂魄の行き先として、天といっているだけのことなのだろうか。
李氏朝鮮で、もし、その王朝がずっと続くことを思っていたなら(実際にはそうならなかったのだが)、始めから、将来の増加分(?)を見こして、建物を造っておくべきだったように思える。時代がたつにしたがって、建て増ししてきたというのは、なんだか、計画性の無さのように思えてならない。
にもかかわらず、魂魄としてやってくる霊魂は、一つにまとまっているということでいいのだろうか。映っていたのは、小さな箱が一つだけだった。
どうもこのあたりが、ちぐはぐな感じがする。
まあ、先祖祭祀ということが、そもそも近代的な合理主義で設計されたものではないので、どうということはないとも思うが。
ところで、宗廟の維持管理は、国がかかわっているのだろうか。王族の末裔だけで、維持管理ができるとは思えない。国が文化財として維持管理することと、そこで宗教的な儀式をとりおこなうことは、日本だと、形式的にはかなり問題になったりすることなのだが、韓国では、まったく問題ないのだろうか。このあたりも気になるところである。番組で登場していた人は、ボランティアということが多かったようなのだが、舞踊と音楽もそうなのだろうか。
音楽で興味深かったのは、番組で出てきたヘグムよりも、どう見ても(日本の古代の遺跡から出てくる)銅鐸としか思えない楽器(?)。横にならべて棒からつるしてあって、それぞれに音階がちがうのだろうが、叩いて音を出していた。こういう楽器は、いつごろから使われているのだろうか。
音楽や舞踊は、古くからのものを残していることは分かるのだが、では、史料としては、どれぐらいさかのぼることができるものなのか、気になる。(逆に、現代的なアレンジが加わっているとすると、どういう部分があるのだろうか。)
宗廟の歴史として、秀吉の文禄慶長の役(日本での古くからの呼称としては)で焼けてしまって再建したことは言っていたが、近代になってからの、日本の植民地であった時代のことは、まったく言っていなかった。このことについて語り出すと、とめどがなくなるか、いろんな意見が出てきて収拾できなくなる、というので省略したと思えるのだが、どうなのだろうか。
2026年3月12日記
世界遺産ワーカー「韓国 宗廟」
これは面白かった。
韓国の人びとにとって、どの氏族(といっていいのだろうか、祖先を共通するファミリー)に属することになるのか、ということがとても重要なことであるという認識はもっているのだが、それが、李氏朝鮮王朝の末裔となると、また別格の意識になるのだろう。
その前に、今の韓国の人びとは、李氏朝鮮王朝のことを、どう思っているのだろうか。日本でいえば、中世から近世にかけてのころのことになる。
前近代の封建社会と見るのだろうか。朝鮮文化の形成された時期と見るのだろうか。これは誇るべき歴史になる。そうではなく、否定すべき前近代、あまりに前近代的であったので、結果的には、西欧列強の侵略に抗しきれず、あげくのはてに日本の植民地になってしまった失敗の歴史ととらえることになるのだろうか。(このあたりの事情がよく分からないというのが、日本から見た韓国ということでもあるが。)
番組の中で、意図的なのか、無意識にそうなってしまったのか、皇帝ということばと、国王ということばを、つかっていたが、これは、やはり厳密に区別しておくべきだろう。いまだに、韓国では、日本の天皇を「日王」と言って、「天皇」であることを認めない。(私の認識ではであるが。最近は、変わってきたのだろうか。)このことばは、東アジアの歴史を語るときには、かなり注意してあつかうべきことばである。(日本の古代史を語る場合、日本の研究者でも、「天皇」ということばを避けて、意図的に「王」ということがある。)
それから、気になったことは、ここで出てきていた祭祀は、先祖祭祀であるらしい。これは分かるのだが、朝鮮という王国の王様としては、天、とのかかわりはどうだったのだろうか。これが、中国の皇帝だったら、天とのつながりが強固なものとしてあると思うが。ただ、魂魄の行き先として、天といっているだけのことなのだろうか。
李氏朝鮮で、もし、その王朝がずっと続くことを思っていたなら(実際にはそうならなかったのだが)、始めから、将来の増加分(?)を見こして、建物を造っておくべきだったように思える。時代がたつにしたがって、建て増ししてきたというのは、なんだか、計画性の無さのように思えてならない。
にもかかわらず、魂魄としてやってくる霊魂は、一つにまとまっているということでいいのだろうか。映っていたのは、小さな箱が一つだけだった。
どうもこのあたりが、ちぐはぐな感じがする。
まあ、先祖祭祀ということが、そもそも近代的な合理主義で設計されたものではないので、どうということはないとも思うが。
ところで、宗廟の維持管理は、国がかかわっているのだろうか。王族の末裔だけで、維持管理ができるとは思えない。国が文化財として維持管理することと、そこで宗教的な儀式をとりおこなうことは、日本だと、形式的にはかなり問題になったりすることなのだが、韓国では、まったく問題ないのだろうか。このあたりも気になるところである。番組で登場していた人は、ボランティアということが多かったようなのだが、舞踊と音楽もそうなのだろうか。
音楽で興味深かったのは、番組で出てきたヘグムよりも、どう見ても(日本の古代の遺跡から出てくる)銅鐸としか思えない楽器(?)。横にならべて棒からつるしてあって、それぞれに音階がちがうのだろうが、叩いて音を出していた。こういう楽器は、いつごろから使われているのだろうか。
音楽や舞踊は、古くからのものを残していることは分かるのだが、では、史料としては、どれぐらいさかのぼることができるものなのか、気になる。(逆に、現代的なアレンジが加わっているとすると、どういう部分があるのだろうか。)
宗廟の歴史として、秀吉の文禄慶長の役(日本での古くからの呼称としては)で焼けてしまって再建したことは言っていたが、近代になってからの、日本の植民地であった時代のことは、まったく言っていなかった。このことについて語り出すと、とめどがなくなるか、いろんな意見が出てきて収拾できなくなる、というので省略したと思えるのだが、どうなのだろうか。
2026年3月12日記
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