「厳冬 黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦〜」2024-05-01

2024年5月1日 當山日出夫

新プロジェクトX 厳冬 黒四ダムに挑む〜断崖絶壁の輸送作戦〜

何年前になるか、「プロジェクトX」の再放送があったとき、これを見た。最初の放送は、二〇〇〇年であるが、これは見ていない。

一七一名の犠牲のうえに出来たダムであることは、記憶されるべきことである。

もし、今、このようなプロジェクトをすすめるとしたら、はたしてどうだろうか。参加する企業や人はいるだろうか。強いていうならば、今日の感覚では、人権無視の企画ということになるだろう。

だが、黒四ダム建設に象徴されるいくつかのプロジェクトがあって、日本の戦後の高度経済成長があったことも確かである。これもまた忘れてはいけないことである。

それにしても、黒部峡谷の断崖の木道を強力の人たちが資材を運ぶ場面が、記録映像として残っていることも驚きである。これは撮影する方も命がけである。

この番組については、賛否両論あるにちがいない。だが、このように仕事一筋に生きた人びとのおかげで今の日本があることは、知っておくべきことであると、私は思う。

2024年4月29日記

「あと数か月の日々を〜物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜」2024-05-01

2024年5月1日 當山日出夫

時をかけるテレビ あと数か月の日々を〜物理学者・戸塚洋二 がんを見つめる〜

戸塚洋二のブログは、残っているといえるのだろうか。

Wikipediaからのリンクは、

http://fewmonths.exblog.jp/

であるのだが、直接、このURLにアクセスすると、別のものが表示される。

この番組は見ていないが、しかし、戸塚洋二をあつかった他の番組を見たかという記憶がある。このあたりどうもはっきりしない。

思うことはいろいろとある。

まず、科学者という生き方である。科学者であるからこそ、自分の最期のときまで記録を残そうとしてきたことは理解できる。だが、それが、他の人びとにとっても同じようにできることなのかどうか、これは難しい問題である。

癌治療の闘病記は、現在ネット上に多数ある。それらのなかで、本当に人の役に立つというものは、どういうものなのだろうか。番組でも紹介されていたが、国立がん研究センターのホームページが、もっとも信頼できるものということになろうか。

資料室 患者さんの手記
https://ganjoho.jp/public/qa_links/note/index.html

ただ、癌治療については、あやしげな情報も氾濫している。いかに信頼できる情報を得ることができるか、課題であるにはちがいない。

死んだらどうなるのか……いや、この問いは、あまり正確ではない。どうなると思うことが、人間にとって幸福なことなのか、というべきかもしれない。この番組は、このような問いかけのあり方について、深く考えることにつながると私は思う。

2024年4月30日記

「コンテナ全部開けちゃいました! ~名古屋港編~」2024-05-02

2024年5月2日 當山日出夫

コンテナ全部開けちゃいました! ~名古屋港編~

番組表を見ていて気がついたら録画しておく。今回は、名古屋港編。

エビフライが大量に輸入されているのは、さもありなんとは思う。種類はバナメイエビ。昔、ブラックタイガーの養殖のために、自然環境が破壊されていくことが問題になったということは記憶している。そのころ、エビフライを食べることになんとなく罪悪感を感じたものである。といって、そんなに食べたという記憶はないのであるが。

タイで養殖し、エビフライに加工して、冷凍する。その衣の分量が法的に定められていることは知らなかった。

一方、タイに和牛が輸出されている。日本でも高級食材であるが、タイでも食べられるようになったのは、それだけタイの富裕層が増えたということである。それに比べると、相対的に日本の暮らしは貧しくなっているかとも思う。

名古屋港から、陶磁器、なかんずくタイルが多く輸出されていることは、始めて知った。たしかに、名古屋港の近くには、陶磁器の産地が多い。

ブラジルに日本のお菓子が輸出されているのは、おどろきでもある。また、ブラジルの日本人街に多くの人があつまっている。日本における中華街とか東京の大久保界隈という感じなのだろうか。

ここ一〇年、二〇年ぐらいの、変化ということが感じられる。日本のものが多く輸出されるようになったというのは、いいことなのだろうが、しかし、肝心の日本の暮らしが豊かになってきたという実感はない。

それから、港の清掃。こんな仕事を専門にしている人がいることを、この番組で知った。港のゴミの大部分は、川から流れてくるものだという。環境保全はまず身近な生活から、ということになる。

2024年4月26日記

「昭和が終わった日」2024-05-02

2024年5月2日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 昭和が終わった日

再放送である。最初は、二〇二二年一〇月二一日。この時の放送を確か見たと憶えている。昭和天皇の病理診断を担当した医師が、自らも癌でありほどなくして(昭和天皇より先に)亡くなったことは、非常に強く印象に残っている。

皇室の報道はいかにあるべきか、という問題がある。さしあたっては、現在の皇室を維持するためにどうあるべきか、という議論となる。女性天皇、女系天皇、旧宮家の復活、などが議論されるところである。

ただ、個人的に思うの、昭和の最後の年は、一九八九年であり、この年は、ベルリンの壁の崩壊の年でもある。昭和が終わるのと同時に、世界の枠組みも大きく変わった。その後、ソ連の崩壊があり、湾岸戦争があった。そして、日本ではバブル景気の終焉となり、現在にいたるまで、失われた三〇年と言われることになる。

思い返してみて、昭和が終わったとき、テレビ各局は昭和の時代の回顧番組を放送した。しかし、そこで、日本にとって、昭和という時代がどんな時代であったのかを、本当につきつめて考えるということをしてきていなかった、そう思えてならない。それが、平成の時代を経て、今になって、失われた三〇年ということで、人びとの意識にのぼるようになったと認識している。

確かに昭和が終わったときは、大騒ぎであり、一方で自粛さわぎでもあった。しかし、このときに、本当に歴史を考えてみるべきではなかったかというのが、今になって強く思うことである。

2024年4月30日記

「千年の祭りが絶えるとき」2024-05-03

2024年5月3日 當山日出夫

ETV特集 千年の祭りが絶えるとき

見ながらいろいろと思うところがあった。今のところの結論のようなものとしては、この祭り(黒石寺の蘇民祭)が無くなってしまうのは、自然の流れであるように思える。

これまで、蘇民祭は、黒石寺という寺の行事として行われてきた。それの将来的な継承が難しくなってきたと判断して、終了を判断した寺の住職の判断は、正しいものだと私は支持したい。

過疎高齢の地域である。人口が減り、小学校もなくなる。行事をささえてきた、寺の檀家で、後継ぎのいる家は少ない。将来的に安定して継承できる状況にはない。

だが、その一方で、なんとかして祭りを残したいという、町の人びとの気持ちも理解できる。

一般化していうならばであるが、町の信仰の共同体に支えられてきた宗教行事なのであるあから、その共同体が維持できなくなれば、ほろんでいくのはしかたないことであると思わざるをえない。

ところで、蘇民祭はテレビのニュースなどで何度か目にしてきてはいるが、蘇民祭がどのように行われるのか、その裏側を含めて全体を紹介した番組になっていたことも確かである。それが、祭りが無くなるということを受けての取材の結果であるというのも、皮肉な感じがしてならない。

2024年5月1日記

「裁判所が少年事件記録を捨てた それは何を奪ったのか」2024-05-03

2024年5月3日 當山日出夫

BSスペシャル 裁判所が少年事件記録を捨てた それは何を奪ったのか

神戸の連続殺人事件の犯人の少年が捕まったとき、東京にいた。何かの学会のあとだったろうか、たしか池袋の居酒屋で馴染みの研究者の先生と一緒に酒を飲んでいた。店のテレビで、このことを報じたのを見たと記憶している。

この事件の裁判記録が廃棄されてしまっていたことも、ニュースで知った。正直言って、このことが報じられるまで、裁判記録とは保存されているものだと思っていた。それが、年限がたてば、保存する必要はない、ということで廃棄されることがあるということは、ある意味で驚きでもあった。

一方、近年の政府による公文書改竄とか、統計データの不正というようなニュースに接してきた感覚からすると、まあ、そういうこともあるのかな、という感じもしたのだが。しかし、裁判所までが事件の記録を廃棄処分にしてしまったということは、釈然としない思いがあった。

少年法の理念として、犯罪を犯した少年の更生が第一であるということは理解できる。だからといって、裁判記録を廃棄してしまっていいということにはならないだろう。裁判については、よく知らないのだが、残るのは判例ということになるのだろうか。では、後世の人びとは、事件や裁判から何を学び教訓とすることが出来るのだろうか。

保存のスペースがないというのなら、デジタル化することも一案である。原本を保存するといっても、紙の耐用年数には限りがあるから、ある意味でデジタル化の方がのぞましい。

少なくとも、更生のさまたげにならないと判断できるならば、保存して活用する方策を探るべきなのだろうと、私は思う。記録を残すということは、未来の人たちにたいする責任なのであるという意識が、社会的に広く共有されることが重要なのであると思っている。

この番組であつかっていたのは、少年事件のことだった。では、その他の一般の裁判の記録はどうなっているのだろうか。これについては触れるところがなかったが、気になることである。

2024年4月22日記

100カメ「ポケモン世界大会」2024-05-04

2024年5月4日 當山日出夫

100カメ ポケモン世界大会 子どもから大人まで!世界中の人々をつなぐ熱狂の舞台裏

ポケモンがNintendoのゲームボーイのゲームとして登場したとき、買った。これは、子どものためであった。たしか小学生だったろうか。そのときは、綠と赤のバージョンで、151匹だったのを記憶している。今ではどうなっているのか、まったく知らない。とんでもなく数が増えていることは確かである。だが、相変わらずピカチュウは人気があるみたいだ。

その世界大会があることは、知らなかった。放送したのは去年の日本での大会で、一八回目。そんなに世界大会が行われてきたことは、はっきりいって驚きである。世の中、いろんなことがあるものである。

ゲームのオンライン配信で、それで生計をたたている若者もいる。会社を辞めて、ゲームのプロになったということである。これで、生活していけるということになるのだが、今の世の中はどこがどうなっているのか、昔人間の私にはさっぱりわからないことだらけである。

世界中から人が集まってきている。これだけ、世界に広まっているというのも、すごいことだと感じる。

ゲームを通じて親子や友達仲間で、仲よくしている場面はいい。いつの時代にも、状況は違うかとも思うが、人と人との交流はあると感じる。

それにしても、ポケモンの市場規模とはどれぐらいあるのだろうか。私にとって、任天堂というのは、京都にあったトランプを作っている会社というイメージが、いまだに抜けないでいるのだが。

2024年5月2日記

ウチのどうぶつえん「春のイベント表×裏」2024-05-04

2024年5月4日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん 春のイベント表×裏

アザラシの引っ越し、アリクイの入浴、走るペンギン、コウモリの捕獲……どれも面白いものだった。この回は、動物園のバックヤード紹介という感じだった。

アザラシが地面の上をピョコピョコと動いて前に進んでいく様子は、とてもかわいい。アザラシというとゴロンところがっているか、水中を泳いでいる姿を思ってしまう。夏のプールは、自然の海の水とつながっている。自然に近い環境での飼育ということになる。

ペンギンを走らせるのも、自然に近い状態を再現したいということのあってのことになる。

動物園にいる動物たちが、どのように飼育されているか、その裏事情や工夫の一端が理解される。そして、その姿がとても面白い。

2024年5月1日記

『虎に翼』「朝雨は女の腕まくり?」2024-05-05

2024年5月5日 當山日出夫

『虎に翼』第5週「朝雨は女の腕まくり?」

結局、事件は冤罪、自白の強要ということで、決着をみることになった。

ただ、今の時代、いや昔からそうなのだと思うが、政界、財界のからんだ贈収賄事件というと、どうしても有罪に決まっている、政治家も資産家も悪いことをするものだ、という固定観念で見てしまいがちである。もし、法的に有罪が立証できないとしても、政治家としての道義的責任というのを、マスコミなどは追及することになる。まさに、現在の自民党のいわゆる裏金問題の報道は、この発想で固まっている。(個人的に思うことを書いてみるならば、現在の政治家には、「潔さ」というものが欠如していると感じることになる。)

記憶にあるところでは、ロッキード事件、リクルート事件、佐川急便事件など、いろいろと政治にかかわる事件があった。これらの事件において、多くの国民の印象は、政治家は悪いに決まっている、悪い政治家は責任をとって辞めるのが当然だ、という空気のなかにいるかと思う。(少なくともこのうち、ロッキード事件については、真山仁の『ロッキード』など読むと、はたして田中角栄は犯罪をおかしたのかどうか、疑問に思うところがある。)

ドラマとしては、冤罪事件ということで、父親は無罪ということになった。それでは、恰好がつかないので、本当の黒幕、事件をたくらんだ張本人は別にいるという筋書きになっていた。まあ、こうでもしないと、現在の多くの視聴者の納得はえられないのだろう。

そして、冤罪事件ということで、自白の強要、自白のみによる起訴ということの無理を、描き出したことになり、さらには、寅子の法というものに対する認識を確認するという流れになっていた。このあたりは、おそらく、ヒロインが、戦後になって裁判官になっていくことの伏線になるのかと思って見ていた。

戦前の法廷では、裁判官と検事が壇上に座り、弁護士と被告が下にいる。これは、明治村(朝ドラではよく登場するが)に行くと、戦前の法廷が移築されて公開されているので、実際の様子を見ることができる。

事件と裁判は、昭和一〇年から一一年にかけてであるが、二二六事件のことはまったく出てこなかった。このあたりは意図的なのだろうと思うが、これから世相をどう描いていくことになるのか気になるところでもある。

ところで、ドラマを見ていて気になることがいくつかある。

女子学生たちの座る席である。自分たちを特別あつかいしないでほしいと、寅子は言っていたが、女子学生の五人は、最初にあてがわれた正面の前の席にかたまっている。もし男子学生と同じように振る舞うとするならば、五人がそれぞれに自由な席についてもいいはずである。

このあたりは演出の都合かとも思う。五人がならんで座っていていると、一つの画面で女子学生全員をおさめることができる。ばらばらに座っていると、個別に映さなければならない。

学生の座る席と、授業に臨む態度、成績……これらは、かなり微妙な関係がある。(昨年度まで、教壇から学生を教えてきた感覚からするならばであるが。)たぶん、よねは、一番前の正面に座るだろう。寅子は、2~3列目の少し横にそれた席かもしれない。梅子は一番後ろだろうか。

学生たちが字を書くとき、みな鉛筆を使っている。母親の日記も鉛筆書きである。この時代なら、鉛筆もあり得たとは思うが、より一般的には、ペンだろう。万年筆かもしれないし、あるいは、ペン軸に金属のペン先をつけたものかもしれない。これだと、インク壺にインクを入れて持ち歩くことになる。

ペンにインクをつけて書くのは、私の中学、高校生のころまで、普通に行われていたことである。昭和三〇年代、四〇年代のことになる。Gペンとか、スクールペンとか、いくつか種類があった。

ちょっと調べてみると、これらは今でも売っている。主に漫画を描くための用途のようである。コミックペンという言い方もするらしい。

それから、寅子たちが、事件の調書をめぐる話しを、おしるこ屋さんの店内で話しているのは、どうなのだろうか。となりの席には、他のお客さんもいる。これが、居酒屋などで、新聞記事について話題にするということなら、そういうこともあり得たかと思うが、事件の関係者しか知り得ないような情報について、おしるこ屋さんの店内で話し合うというのは、ちょっと無理があるように感じた。

次週は、試験のことになるようだ。何人合格できるだろうか。次週も楽しみに見ることにしよう。

2024年5月4日記

木村多江のいまさらですが「源氏物語-紫式部と摂関政治-」2024-05-05

2024年5月5日 當山日出夫

木村多江の、いまさらですが… 源氏物語-紫式部と摂関政治-

特に目新しい内容があったということではないのだが、どんなことをどんなふうに語るのかということに興味があったので録画しておいて見た。摂関政治、一条帝と定子、彰子、それから、紫式部のこと、まあ常識的なことである。

この番組はかなりへそ曲がりな番組である。『光る君へ』で、さだこ、あきこ、と言っているのを、ていし、しょうし、と言っている。まあ、これは読み方が分からないから、どう読んでもいいようなものなのであるが。

目新しかったこととしては、『源氏物語』を当時(平安時代中期)の発音で読んでみるということである。監修は、釘貫亨。これも、今の日本語学の研究としては、妥当な人選だろう。

しかし、テレビを見ながら聞いてみると……ちょっと、どうかなというところがないではない。無論、平安時代の発音(厳密には音価)は分からないことが多い。

『源氏物語』のころ、一〇世紀末から一一世紀の初めごろは、おおきな音韻変化のおこりはじめたころといっていいだろう。一般的な日本語史の知識としては、であるが。

ハ行転呼音、ワ行の音価、このあたりは妥当なところか。だが、サ行音とかはどうだったろうか。

アクセントについては、分からないことが多いとはいえ、平安時代末期の古辞書『類聚名義抄』などから、ある程度の推測はできる。

ところで、昔、学生のときのこと。慶應義塾大学の文学部の国文科で勉強したのだが、そのとき、国語学の講義で金田一春彦先生が来ておられた。その講義の特別ゲストで、関弘子さんが教室に来て、『源氏物語』の復元朗読を生で語ってくださったことがある。その記憶と比べるならば、NHKの番組での朗読は、はるかに現代語に近いイメージである。

関弘子の『源氏物語』は、レコードにもなったかと思う。その当時において、国語学の分野において批判的に見る人もいたのであるが、少なくとも、現代日本語と平安時代の日本語とでは、大きく違うことが理解される。

番組では、『源氏物語』の内容について紫上の死のところで終わりとしていた。しかし、『源氏物語』はその後「宇治十帖」へと続いていく。その作者については、諸説ある。また、『源氏物語』の成立についても、紫上系の物語と、玉鬘系の物語があることは、広く知られていることだろう。だが、このようなところまでは、この番組では踏み込んで解説するということはなかった。

2024年4月30日記