西田幾多郎記念哲学館に行ってきた2023-06-01

2023年6月1日 當山日出夫

西田幾多郎記念哲学館

先日、金沢にある西田幾多郎記念哲学館に行ってきた。一泊の旅行である。

西田幾多郎記念哲学館
http://www.nishidatetsugakukan.org/index.html

西田幾多郎記念哲学館は、その存在はかなり以前から知っていたが、行く機会がなかった。金沢には、これまで何回か行ってはいるのだが、行きそびれてしまっていた。今回は、ここをメインの目的地ということで行ってみることにした。

非常に貴重なコレクションがあるということでもないようだ。が、原稿、書簡などの資料が、かなり残っているだろうか。たしかにこれらは、西田幾多郎の思想形成、その人生、あるいは、いわゆる京都学派を考える上では、重要になるものかとも思う。

そもそも哲学をテーマに記念館を作るというのが、あるいは無理なことであったのかもしれない。だが、単なる資料館にとどまらず、施設がある種のメッセージを持つということはあり得る。

だいたい、高名な建築家の建てた建物というのは、あまり好きではない。中に入って道に迷うか、どこかで頭をぶつけるか、転びそうになるか……たいてい、ろくなことがないというのが、経験上の感覚である。

この西田幾多郎記念哲学館の場合、頭をぶつけるということはなかったが、ちょっと道に迷うようなところがある。この通路でどこに行けるのか、よくわからない。まあ、そのように作ってあるといえばそれまでであるのだが。

西田幾多郎の著作のいくつかは、若い時、手にした記憶はあるのだが、読んでどう思ったかということは、残っていない。はっきり言って、難解な書物であるという印象を持ったのだけは憶えている。私が、西田幾多郎に触れることになったのは、むしろ、その門下生であった唐木順三を読んで、間接的にその思想がどんなものかを知ることになった、と言った方がいいだろう。

しかしながら、日本の思想史という分野においては、やはり西田幾多郎は重要な位置を占めることになるにちがいない。その思想の形成、発展の後をたどることも必要である。たぶん、西田幾多郎記念哲学館というところは、西田幾多郎の思想に触れる入り口として、これからも、人びとに親しまれる場所としてあるにちがいない。

西田幾多郎記念哲学館を見た後は、金沢市内に移動。兼六園に入って、それから金沢城の跡を少し歩いて、それから宿にむかった。

兼六園では、池でカルガモを目にした。ちょうど子供が生まれて、数羽のあかちゃんカルガモが、親鳥の後をついて池を泳いでいた。カルガモはこれまでに目にしているが、あかちゃんと一緒に泳ぐ姿を実際に目にしたのは初めてかもしれない。テレビではよく見るシーンなのではあるが。

また、日本武尊の像が印象深い。ちょうど『「戦前」の正体』(辻田真佐憲、講談社現代新書)を読んだばかりである。明治の初め、西南戦争の後にこの像は造られたとあった。日本武尊の近代史として、貴重なものの一つということになる。

2023年5月30日記

中谷宇吉郎雪の科学館に行ってきた2023-06-02

2023年6月2日 當山日出夫

中谷宇吉郎雪の科学館

金沢の二日目は、中谷宇吉郎雪の科学館に行った。

中谷宇吉郎雪の科学館
https://yukinokagakukan.kagashi-ss.com/

中谷宇吉郎は、名前は知っている。雪の研究者ということで憶えている。その文章も若いころに読んだかとも思う。だが、特に、どういう研究をした人であるかは具体的に知らずにいた。

一人の科学者のための記念の施設というのも珍しいかもしれない。中谷宇吉郎の業績が分かりやすく展示されていた。なるほど、ただ雪の研究以外に、氷とか低温状態における物理現象を研究した科学者であることが分かる。

館内では、簡単な実験をして見せてくる。過冷却にした水が、刺激を与えられて氷る時の様子とか、ダイヤモンドダストの再現実験とか、見ていて分かりやすく面白い。これは、理科に興味のある子供にとっては、面白い施設であるだろうと思う。

中宇宇吉郎の研究は、謎に対する興味、好奇心、それから、それを開明する研究の美しさというところに、魅力があるように思った。雪や氷の研究が、その後の現代の地球環境の研究へとつながっていくことは、興味深い。

自然科学の研究の魅力というものが強く印象にのこる施設であった。

2023年5月30日記

『牧野富太郎自叙伝』牧野富太郎/講談社学術文庫2023-06-03

2023年6月3日 當山日出夫

牧野富太郎自叙伝

牧野富太郎.『牧野富太郎自叙伝』(講談社学術文庫).講談社.2004
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000151235

もとの本は、一九五六(昭和三一)年、長嶋書房。ただ、これ以上の書誌が書いていないのが残念である。読めば分かるが、それ以前に書いた文章を編集したものになる。読むと、内容的にかなり重複した事柄がある。初出の文章をそのまま掲載したものだろうか。

三部に分かれる。
第一部 牧野富太郎自叙伝
第二部 混混録
第三部 父の素顔 牧野鶴代

さて、この本は、先に『牧野富太郎の植物学』(田中伸幸、NHK新書)、『牧野富太郎の植物愛』(大庭秀章、朝日新書)を読んでから読むということにした。そのせいか、かなり批判的な目で読むということにはなった。

やまもも書斎記 2023年5月12日
『牧野富太郎の植物学』田中伸幸/NHK新書
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/05/12/9585310

やまもも書斎記 2023年5月13日
『牧野富太郎の植物愛』大庭秀章/朝日新書
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2023/05/13/9585612

牧野富太郎は、東京大学に職を得たとは言っても、基本的に在野の人であり、独学の人である。そのことが別に悪いことではないのだが、そのような経歴の人にあることだと思うが、かなりの自信家であり、場合によっては独善的でもある。特に、東京大学に職を得たときのこととか、それを離れることになったときのことなど、はたしてどこまで信用していいものなのか、判断に迷うところがある。このあたり、牧野富太郎についての史料としては、あつかいに非常に注意を要するところになるだろう。

とはいえ、全体として、非常に読みやすく、面白い。波瀾万丈の人生であり、なみはずれた植物への愛は、時として異常とも感じられるほどである。が、読んで、とにかく牧野富太郎は植物が好きで好きでたまらない人間であることが、よく伝わってくる。

これはこれとして、読み物として面白く、また、近代の大学の学問についての一つの歴史の証言になっていると感じるところがある。

2023年5月10日記

映像の世紀バタフライエフェクト「独ソ戦 地獄の戦場」2023-06-03

2023年6月3日 當山日出夫

※少し前に書いておいた文章なのだが、削除してしまうのはもったいない気がするので、掲載しておく。これまで、ブログは、一日に一つという原則できたのだが、無理にこれにこだわる必要もないかと思うようになった。

映像の世紀バタフライエフェクト 独ソ戦 地獄の戦場

これまでの「映像の世紀」シリーズは、ほとんど見ているはずだが、この回は、基本的に新しい映像資料で作ってあったようだ。(これまで使ったものの記憶はほとんどなかったと思う。)

かつての独ソ戦のことを、現在のウクライナのことに安易にあてはめるのは、私は、ためらわれるのだが、しかし、ロシアとしては、昔の独ソ戦、大祖国戦争を戦った記憶が、民族と国家の記憶の根底にあることは、理解しておく必要があるだろう。ただ、現代の価値観だけで、その意味を問うても説得力に欠けることになる。

ところで、独ソ戦のことが一般に知られるようになったのは、やはり、岩波新書の『独ソ戦』(大木毅)の存在が大きいと思う。この本は、私も読んだ。たぶん、軍事史の専門家にとっては、独ソ戦というのはきわめて馴染みのある研究課題であるのだろうと思う。

それにしても、戦争を始めるのも終わらせるのも、政治的判断であると思う。軍としての軍事的合理性だけでは、あのような惨禍はありえなかったにちがいない。

また思うこととしては、歴史の「もし」であるが……日本が、あと半年、日米開戦を遅らせることができたら、独ソ戦におけるモスクワ攻防の結果が分かっていたら、はたして、歴史はどうだっただろうか。

2023年5月23日記

『らんまん』あれこれ「ヒルムシロ」2023-06-04

2023年6月4日 當山日出夫

『らんまん』第9週「ヒルムシロ」

植物学雑誌に向けて一歩を踏み出したことになった。史実としては、確かに牧野富太郎は雑誌の刊行にかかわている。また、そのために、石版印刷の技術も習得している。このあたりは、史実を踏まえた展開ということになるのだろう。

それにしてもおおらかな時代だったと感じる。小学校も出ていない地方の若者に対して、東京大学の植物学教室への出入りを許す。今では、ちょっと考えられないことではあるが、しかし、明治の文明開化の時代、日本における植物学を基礎から構築していくためには、万太郎のような人材の出現は、歓迎されたことだろう。

土佐の峰屋はどうなるだろうか。税金が上がったということならば、今の時代なら販売価格に転嫁してなんとかするということになるところである。明治の初めのころとしては、このあたりどうだったのだろうかと思う。(歴史学の方面からも、明治の初期の政府の財政がどうなっていたかというのは、とても興味深いテーマにちがいない。)

寿恵子は、ダンスのレッスンを始めることになる。進取の気性ということになるのだろう。ただ、男性にすがって生きていくという、(古い)タイプの女性ではない。

さて、万太郎と寿恵子とがこれからどうなっていくのかも、これからのこのドラマの見どころである。楽しみに見ることにしよう。

2023年6月3日記

『村上T』村上春樹/新潮文庫2023-06-04

2023年6月4日 當山日出夫

村上T

村上春樹.『村上T-僕の愛したTシャツたち-』(新潮文庫).新潮社.2023(マガジンハウス.2020)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100177/

私はTシャツを着ない。そうと決めているわけでもないし、特にそのようなポリシーがあるわけでもないのだが、何故か若いころから着ないままで今にいたっている。

何故だろうか。私が若いころ、Tシャツは、ある種のメッセージがあった。それがあまり好きになれなかったということもある。なるべく無色透明でいたいといえばいいだろうか。

さらに強いていえば、半袖のものは着ないことにしている。夏のよほど暑いときでないと着ない。いや、夏の暑いときこそ、半袖は着ない。今はさほどではなくなったが、夏の暑いとき、冷房が強くきいているところに行ったりするとき、調節のために、あえて長袖を着るようにしているということもある。これも、この頃では、電車に乗って冷房が効きすぎていると感じはあまりしなくなっている。社会全体の省エネの傾向の結果だろう。

この本は、村上春樹が、Tシャツにまつわる話題で書いたエッセイとインタビューを収めている。村上春樹には、Tシャツが似合うと思う。逆に言えば、あまりフォーマルな恰好は、イメージできないということもあるが。

読んで面白い。Tシャツに関係して、小説のこと、レコードのこと、旅のこと、ビールのこと、その他、いろんな話題に及んでいる。村上春樹のエッセイの世界である。

2023年6月3日記

ドキュメント72時間「大阪・郵便局 はじまりの季節に」2023-06-05

2023年6月5日 當山日出夫

ドキュメント72時間 大阪・郵便局 はじまりの季節に

やはりこれは、大阪のミナミの郵便局ならではの放送かもしれない。だが、郵便局という、日常にありふれた場所で、こうドラマチックな話しが展開するとは、驚きでもある。

このところ、郵便局にはとんと行かない。ポストに郵便を投函するのは、年賀状のときぐらいになってしまった。これも、近所のポストである。郵便局には行かない。たまに郵便を出す必要があるときは、家のものが出かけるときに、ついでにポストに投函してくれと頼むことにしている。

たしかに、刑務所に入っている人と連絡するにには、面会の他は郵便しかないだろう。

また、近年の御時世である。ネット通販の商品の発送にも郵便局はおおきくかかわることになる。我が家にも、郵便でとどく荷物が少なからずある。

ただ、この放送では、お金にかかわることは扱っていなかった。貯金する人、それを引き出す人、それぞれにドラマがあることだろうと思うが、ここは、これは取り扱わない方針であったようだ。

2023年5月27日記

ザ・バックヤード「大阪大学総合学術博物館」2023-06-05

2023年6月5日 當山日出夫

ザ・バックヤード 大阪大学総合学術博物館

大阪大学にはこれまで何度か行っている。たいていは、国語語彙史研究会のことが多い。博物館の前は、とおりすぎていた。

マチカネワニのことは知識としては知っていた。大阪大学のあるところが、待兼山である。発見された場所から名前がつけられた事例になる。

月の石、リュウグウの石、電子顕微鏡、それから、藤原鎌足、いろいろと面白かった。見ていて興味深かったのは、学生が、巻物の実物を見て勉強している姿。これは、やはり実物に触れることによってしか、出来ないことである。大学の博物館ならではの役割である。

五月一日経は、古写経として、そう珍しいものではない。まあ、貴重といえば貴重ではあるが。この五月一日経も、学生は直に見ることが出来るとすれば、これは幸福なことである。

今時、博物学、本草学をやっているというのは貴重である。このような研究が出来るのも、総合大学の博物館ならではのことであろう。(本草学について、文献学的な研究となると、これは非常に特殊な専門分野のことになってしまうが。)

2023年6月3日記

『どうする家康』あれこれ「長篠を救え!」2023-06-06

2023年6月6日 當山日出夫

『どうする家康』第21回「長篠を救え!」

この回で印象に残るのはやはり次の二人だろうか。

第一には、信長。

これまでのドラマの信長とは違った。以前の大河ドラマで多くの信長が登場してきているのだが、その中でも傑出して印象に残る信長像になっている。この回、家康のもとになってきた信長は、迫力があり、あるいは、怖かった。自ら戦国の時代の覇者と思い定めている。(まあ、それも、本能寺の変で潰えることになるのだが。)この信長の前では、家康は、まさに「どうする」という状態でしかない。

第二は、鳥居強右衛門。

今までの戦国大河ドラマでこの人物が登場してきていただろうか。私には記憶がない。(昔のドラマをそう見ていたわけではない。)しかし、戦国時代の徳川の歴史を語るうえでは、重要な役割をはたしたことになる。この強右衛門の描き方が、非常に面白かった。特に、歌、それから、川を泳ぐシーン。なるほど、ドラマとして作るとこのように演出できるのかと思うところがある。

以上の二つが、特に記憶に残るところである。

それから、瀬名。徳川にあって存在感を増している。信長とも対立するようである。これが、その後のことにどのように影響を及ぼすことになるのか、このあたりもこのドラマの見どころになっていくかと思う。

次週は、合戦場面になる。どのように描くことになるのか、楽しみに見ることにしよう。

2023年6月5日記

『編集者の読書論』駒井稔/光文社新書2023-06-06

2023年6月6日 當山日出夫

編集者の読書路

駒井稔.『編集者の読書論-面白い本の見つけ方、教えます-』(光文社新書).光文社.2023
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334046637

面白い本である。現代におけるすぐれた読書論、読書案内になっている。

著者、駒井稔は、元、光文社古典新訳文庫の編集長。その経験、それから、それ以前からの編集者としての経験が土台になっている。

まず興味を引くのは、編集者という仕事についてである。私の感じるところでは、一般には、編集者というと、出版社の社員というような感覚で思われているかもしれない。だが、この本を読むと、書籍編集者、特に文芸書の編集者は、著者と対等に本を作っていく重要な役割であることが分かる。日本はともかく、欧米ではそうであると言っていいのだろう。編集者の仕事や出版ビジネスについて、欧米各国の事例、体験について語ってあるところは貴重である。

それから、その編集者の仕事の延長として、書店、出版社、図書館、といった本にまつわるもろもろについて語られる。これが面白い。出版はビジネスであるという観点が強調されているのだが、これは、私も深く同意するところでもある。ただ、そうはいっても、ビジネスとして儲かればいいというだけのことではない。小規模でも、いい本をきちんと作っているところには、目配りもある。

そして、何よりもブックガイドとして面白い。ある面では、ブックガイドのブックガイドという側面もある。本について述べた本を数多く紹介してある。

紹介してある本のなかには、読んだことのある本もあるし、名前を知らなかった本もある。この本をきっかけにして、いろいろと読んでみたい本がある。特に、『若草物語』とか『小公女』とか、名前とストーリーの概要は知っているつもりでも、きちんと読んだことのないものが多い。これら、これからの読書の範囲に加えてみたいと思う。

ところで、著者の経歴には、慶應義塾大学とあるのだが、あるいは、三田のキャンパスに通っていた時期が、私と重なっているのかもしれない。

別に悪いことだとは思わないが、『福翁自伝』が自伝の傑作として紹介してあるのはいいのだが、現代語訳である。決して『福翁自伝』は、難しいことばで書かれてはいない。(まあ、慶應で学ぶと、福澤諭吉の著作は、遠ざけてしまう感覚があるということは、私としても分かる気がするのだが。)ここは、現代語訳ではなく、現代の校訂本(原文)の『福翁自伝』を紹介しておいてほしかった。

2023年5月19日記