完全なる問題作「キャッチャー・イン・ザ・ライ」2024-05-08

2024年5月8日 當山日出夫

完全なる問題作 キャッチャー・イン・ザ・ライ

録画してHDに残っていたのだが、ようやく見た。これは面白かった。

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、村上春樹の訳で読んだ。かつては、『ライ麦畑でつかまえて』のタイトルで知られていた。若いときからこの作品のことは知ってはいたが、手にすることはなかった。すこし前に、村上春樹の作品、翻訳などを全部読んでみようと思いたって、そのなかで読むことになった。(小説はほとんど読んだのだが、翻訳はまだ読んでいないものがある。)

村上春樹訳を読んで、作者が翻訳することは許可したが、解説を付けることは許さなかったという旨のこととが書いてあって、サリンジャーがそのときまで存命であったことを知った。

ジョン・レノンが殺害されたときのことは記憶にある。学生のときだった。また、レーガン米国大統領が襲われたときのことも憶えている。しかし、そのとき、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が、大きく話題になったということは記憶にない。その当時は、あまり関心がなかったせいかもしれない。

この作品が、アメリカで「若者」という世代が誕生した時代に読まれたということは、興味深い。日本でもそうなのだが、「若者」という社会の階層、集団が形成されるのは、どういう時代のどういう成り行きによってなのか、考えてみるべきだろうか。この意味では、かつての日本の安保闘争なども、考えなおしてみる必要があるだろう。

サリンジャーは、ノルマンディー上陸作戦に従軍している。ヨーロッパ戦線で戦った。そのときの体験が、その人生に影をおとしている。そして、その後の帰還兵(第二次世界大戦、ベトナム戦争)の帰還兵たちの、こころに通じるものがあることになる。

若者の文学、帰還兵の文学……まあ、たしかにこのように説明されると、分かったような気にはなる。

しかし、この作品の魅力はこれにつきるものではない。文学としての普遍性を獲得している。それは何であるのだろうか。私が読んだ印象として感じるのは、語りの巧妙さもあるのだが、その背後にあるどこかしらメタな視点の存在を感じたのを憶えている。

それにしても、アメリカで、この作品が禁書あつかいを解かれたのが、二〇〇六年であるというのも驚く。いや、そもそも、アメリカで禁書ということが行われていること自体、ある意味で面白い。アメリカという国も、どこかおかしなところのある国ではあると思う。

見終わってから、調べてみるとアメリカでの禁書運動は普通におこなわれていることらしい。

たとえば、

NHK国際報道2024
【キャスターが選ぶ2023年この1本①】アメリカ 『禁書』めぐる“文化戦争”
https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/blog/bl/pNjPgEOXyv/bp/p42g2W0JKq/

朝日新聞 Globe
「禁書」が広がるアメリカ 狙い撃ちされる性描写、辞書や百科事典まで撤去した例も
https://globe.asahi.com/article/15251197

番組では、村上春樹訳を朗読につかっていた。この作品を読み返してみたいと思う。

2024年5月3日

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