黒澤明『七人の侍』 ― 2025-09-17
2025年9月17日 當山日出夫
黒澤明 『七人の侍』
かなり以前に放送したものだが、録画してあったのをようやく見た。この映画を見るのは、三回目ぐらいになるだろうか。
学生のころ、今から半世紀ほど前のことだが、東宝が昔の名作映画をまとめてリバイバル上映したことがあった。その中の一つとして見たと憶えている。黒澤明の『生きる』とか、木下恵介の『二十四の瞳』とか、山本薩夫の『白い巨塔』とかも、このときに見たと憶えている。
現在の視点で、『七人の侍』を見ると、これは戦争の映画だなと強く思う。昭和29年の作品である。この時代であれば、観客の全員が、太平洋戦争・大東亜戦争のことを、体験的に記憶している人たちであった。無論、中には、従軍して戦地で戦った経験がある人も多くいたにちがいない。そのような人たちを納得させる描写でなければならなかったはずだし、その目で見ると、まさに戦争における人間とはこういうものだった、ということを描いている。
優秀な指揮官がいて、敵の勢力をさぐり分析する。村の地形を見て、作戦をたてる。そして、その作戦通りに兵士(他の侍たちであり、百姓たち)が行動すれば、勝てる。
敵の数と武器の把握が重要である。野武士たちが、種子島を持っているということが分かると、その数をきちんと把握している。各戦場からの報告は、逐次、伝令によって伝えられ、それをもとに、次の戦術を考える。
また、戦場における兵士の心理ということも、きちんと描いている。兵士は勇猛でなければならず、その士気を鼓舞する必要がある。しかし、緊張しすぎてもいけないので、適当な場面で、宴会をしたり、笑ったりということも必要になる。こういったことは、まさに、この時代(昭和29年)であれば、見る人たちが共感できたことにちがいない。
手柄をたてようとも、抜け駆けはしてはならず、自分の持ち場を守らなければならない、それが、全体の勝利のために必要なことである。これも、実戦の経験があってのことである。
兵士は走り続けられなければならない。負傷した仲間をはこんでさがる場面なども、現実の戦場で体験したことであったにちがいない。
村を守るためには、川の向こうにある家は犠牲になるのはやむをえない。これも、現代の価値観からするならば、本土防衛のための捨て石にされた……ということで非難される行為になるが、しかし、この戦略的判断をうけいれることができたのも、この時代のことだった。
野武士の一人を捕まえることができた。それを、侍たちのリーダーである志村喬は、(現代の概念では)捕虜として正当にあつかうようにもとめる。そこへ、老婆が鍬を持ってでてくる。かたきをうちたいという。まわりの侍や百姓たちは、これを制止しようとしない。この場面、見ていて鬼気迫るものがある。このシーンに、この時代の人は何を思ったのだろうか。戦地で捕虜にした敵兵のことだったかもしれないし、あるいは、捕虜になった経験がある人はその過去の経験を思ったかもしれない。あるいは、戦地で殺すことになった敵にも家族があることを思った人もいただろうか。余計な説明はないだけに、何を思って見たのかと、この時代のことを想像してみることになる。(場合によっては、戦時国際法違反であるかもしれない。)
人が死ぬことに冷淡ともいうべき描き方になっている。仲間の侍が死んでいくのだが、感傷に耽るようなところはまったくない。非常に淡々としている。また、一人死んだ、ということを受け入れている。おそらく、これは、実際の戦場にあって、味方の兵士が倒れていくのを、さんざん見てきて体験してきた、ということをふまえた表現だと思う。そう思うと、現代のドラマのように、人の死をことさらに大げさに描写するようなところがないということは、逆説的に、非常に冷酷に人間の死ということを見ていることになる。戦場の現実が見えることになる。映画の最後に出てくる、土饅頭の墓の映像を見ると、私などは、「戦友」を思う。
最後に、志村喬が、これは負け戦だった、勝ったのは百姓たちだ、という意味のことをつぶやく。これは、戦争に負けはしたが、国民は頑張った、そして、軍人たちもその本分を尽くした……このような価値観が多くあった時代だということを、感じさせる。
もちろん、この映画に描かれた百姓や武士の姿が、かなり問題のあるものであるという批判があることは承知しているつもりだが、しかし、戦後10年もたたないときに作られた映画として見ると、戦争、兵士、軍人、ということのリアルを知っている時代の作品であることが、読み取れる。この意味で、この映画は、高く評価されるべきものだと思う。
なお、『七人の侍』における宮口精二が、私にとって、もっともかっこいい男である。もう一人をあげるとするならば、『眼下の敵』におけるクルト・ユルゲンスである。
2025年8月29日記
黒澤明 『七人の侍』
かなり以前に放送したものだが、録画してあったのをようやく見た。この映画を見るのは、三回目ぐらいになるだろうか。
学生のころ、今から半世紀ほど前のことだが、東宝が昔の名作映画をまとめてリバイバル上映したことがあった。その中の一つとして見たと憶えている。黒澤明の『生きる』とか、木下恵介の『二十四の瞳』とか、山本薩夫の『白い巨塔』とかも、このときに見たと憶えている。
現在の視点で、『七人の侍』を見ると、これは戦争の映画だなと強く思う。昭和29年の作品である。この時代であれば、観客の全員が、太平洋戦争・大東亜戦争のことを、体験的に記憶している人たちであった。無論、中には、従軍して戦地で戦った経験がある人も多くいたにちがいない。そのような人たちを納得させる描写でなければならなかったはずだし、その目で見ると、まさに戦争における人間とはこういうものだった、ということを描いている。
優秀な指揮官がいて、敵の勢力をさぐり分析する。村の地形を見て、作戦をたてる。そして、その作戦通りに兵士(他の侍たちであり、百姓たち)が行動すれば、勝てる。
敵の数と武器の把握が重要である。野武士たちが、種子島を持っているということが分かると、その数をきちんと把握している。各戦場からの報告は、逐次、伝令によって伝えられ、それをもとに、次の戦術を考える。
また、戦場における兵士の心理ということも、きちんと描いている。兵士は勇猛でなければならず、その士気を鼓舞する必要がある。しかし、緊張しすぎてもいけないので、適当な場面で、宴会をしたり、笑ったりということも必要になる。こういったことは、まさに、この時代(昭和29年)であれば、見る人たちが共感できたことにちがいない。
手柄をたてようとも、抜け駆けはしてはならず、自分の持ち場を守らなければならない、それが、全体の勝利のために必要なことである。これも、実戦の経験があってのことである。
兵士は走り続けられなければならない。負傷した仲間をはこんでさがる場面なども、現実の戦場で体験したことであったにちがいない。
村を守るためには、川の向こうにある家は犠牲になるのはやむをえない。これも、現代の価値観からするならば、本土防衛のための捨て石にされた……ということで非難される行為になるが、しかし、この戦略的判断をうけいれることができたのも、この時代のことだった。
野武士の一人を捕まえることができた。それを、侍たちのリーダーである志村喬は、(現代の概念では)捕虜として正当にあつかうようにもとめる。そこへ、老婆が鍬を持ってでてくる。かたきをうちたいという。まわりの侍や百姓たちは、これを制止しようとしない。この場面、見ていて鬼気迫るものがある。このシーンに、この時代の人は何を思ったのだろうか。戦地で捕虜にした敵兵のことだったかもしれないし、あるいは、捕虜になった経験がある人はその過去の経験を思ったかもしれない。あるいは、戦地で殺すことになった敵にも家族があることを思った人もいただろうか。余計な説明はないだけに、何を思って見たのかと、この時代のことを想像してみることになる。(場合によっては、戦時国際法違反であるかもしれない。)
人が死ぬことに冷淡ともいうべき描き方になっている。仲間の侍が死んでいくのだが、感傷に耽るようなところはまったくない。非常に淡々としている。また、一人死んだ、ということを受け入れている。おそらく、これは、実際の戦場にあって、味方の兵士が倒れていくのを、さんざん見てきて体験してきた、ということをふまえた表現だと思う。そう思うと、現代のドラマのように、人の死をことさらに大げさに描写するようなところがないということは、逆説的に、非常に冷酷に人間の死ということを見ていることになる。戦場の現実が見えることになる。映画の最後に出てくる、土饅頭の墓の映像を見ると、私などは、「戦友」を思う。
最後に、志村喬が、これは負け戦だった、勝ったのは百姓たちだ、という意味のことをつぶやく。これは、戦争に負けはしたが、国民は頑張った、そして、軍人たちもその本分を尽くした……このような価値観が多くあった時代だということを、感じさせる。
もちろん、この映画に描かれた百姓や武士の姿が、かなり問題のあるものであるという批判があることは承知しているつもりだが、しかし、戦後10年もたたないときに作られた映画として見ると、戦争、兵士、軍人、ということのリアルを知っている時代の作品であることが、読み取れる。この意味で、この映画は、高く評価されるべきものだと思う。
なお、『七人の侍』における宮口精二が、私にとって、もっともかっこいい男である。もう一人をあげるとするならば、『眼下の敵』におけるクルト・ユルゲンスである。
2025年8月29日記
3か月でマスターするアインシュタイン「「神はサイコロを振らない」って?」 ― 2025-09-17
2025年9月17日 當山日出夫
3か月でマスターするアインシュタイン 「神はサイコロを振らない」って?
量子力学の一般的な入門書、啓蒙書というのは、かなり刊行されていることは知っているのだが、あまり手にとって読んでみようと思ったことはない。世界の究極のなりたちがどうなっているのか、ということには興味関心があるとしても、それは、自分自身とは別のところにある何かとして存在しているものであって、自分がそれを見た(観測した)ことで、それが変わってしまう……ということが、どうにも直感的に分かりにくい。まったく拒否するということではないけれど。
番組のなかでは省略していたことだが、量子力学の実験とか観測とかは、どのようになっているのだろうか。その観測の道具や機械の歴史ということがあり、それに、ともなって理論の成立ということがあるはずだが、このあたりのことは、とてもこの番組では伝えきれないということなのだろう。
宇宙はいつどのように成立し、それはどこまでひろがり、最終的にはどうなるのか、この世の中のものは究極的に何で出来ているのか……こういう素朴な問いかけと、現代のサイエンスとは、どこかで深くかかわっていくはずのものである。おそらく、これからの若い人たち、子どもたちは、新たな世界観のもとで生きることになるのだろうとは、思うことになる。
2025年9月16日記
3か月でマスターするアインシュタイン 「神はサイコロを振らない」って?
量子力学の一般的な入門書、啓蒙書というのは、かなり刊行されていることは知っているのだが、あまり手にとって読んでみようと思ったことはない。世界の究極のなりたちがどうなっているのか、ということには興味関心があるとしても、それは、自分自身とは別のところにある何かとして存在しているものであって、自分がそれを見た(観測した)ことで、それが変わってしまう……ということが、どうにも直感的に分かりにくい。まったく拒否するということではないけれど。
番組のなかでは省略していたことだが、量子力学の実験とか観測とかは、どのようになっているのだろうか。その観測の道具や機械の歴史ということがあり、それに、ともなって理論の成立ということがあるはずだが、このあたりのことは、とてもこの番組では伝えきれないということなのだろう。
宇宙はいつどのように成立し、それはどこまでひろがり、最終的にはどうなるのか、この世の中のものは究極的に何で出来ているのか……こういう素朴な問いかけと、現代のサイエンスとは、どこかで深くかかわっていくはずのものである。おそらく、これからの若い人たち、子どもたちは、新たな世界観のもとで生きることになるのだろうとは、思うことになる。
2025年9月16日記
新日本風土記「松江」 ― 2025-09-17
2025年9月17日 當山日出夫
新日本風土記 松江
再放送である。最初は、2022年10月7日。
この時期に、松江の回を再放送したのは、どう考えても『ばけばけ』の宣伝のためであろうが、けっこう面白かった。
最後のシーン、石畳の道を下駄で歩く音……この音の魅力を伝えたいがため、という印象をもつ。
ただ、石畳を作る石の加工技術とか、下駄の普及ということを考えるならば、そんなに古くまでさかのぼるものではないだろうと思う。しかし、日本の日常生活のなかから、下駄の音というようなことを聴かなくなって久しいような気もする。こういう日常的な変化というのは、どのように人びとに意識されるものであり、また、記録に残るものなのだろうか。
(足音といえば、昔、京都市立美術館が床が板張りだったことを憶えている。空いた展覧会のときなど、自分が歩く靴の足音だけが聞こえたものだった。おそらく、今の新しい美術館などの作りは、足音がしないように作るということになっているだろう。)
頭屋として、神社に毎晩おまいりをする。この数年の間、精進潔斎の日常をおくらなければならない。テレビに映っていたのは、食事が別で(別火なのだろう)、ニワトリとタマゴを食べてはいけない、ということだった。おそらく、これ以外にも、いくつかの日常生活の決まり事はあると思うが、しかし、厳しいことのようだが、その中で生活してきて、それを次の世代にうけついでいこうということは、今の時代としては価値のあることに思える。
宍道湖の淡水化計画が止まったのは、見た記憶はあるのだが、その意義については、あまり考えることはなかった。(今から考えると、公共工事の自然環境への妥当性ということになるだろう。)
美保関が北前船の寄港地で栄えたというのは、そのとおりだと思うが、今では往時の繁栄はなくなってしまった、ということになるだろうか。日本海側の言い方として、少し前まで、裏日本、という言い方をしていた。私の子どものころまでは、普通につかっていた。(これに反旗をひるがえしたのが、田中角栄だったことになるだろうか。)
小泉八雲が見たのは明治の日本だったが、その頃でも、文明開化からとりのこされた(?)松江の街は、非常に魅力的に見えたということでいいだろうか。「忘れられた日本人」の生きていた時代であり、「逝きし世の面影」の残っていた時代でもあるだろう。(イザベラ・バードなどとの比較は、面白いことだと思うが。)
自分が生まれる前からあったものを、自分が死んだ後までつづけていく。見えないものの存在を感じることができる。こういうのが、文化というものであろう。
2025年9月15日記
新日本風土記 松江
再放送である。最初は、2022年10月7日。
この時期に、松江の回を再放送したのは、どう考えても『ばけばけ』の宣伝のためであろうが、けっこう面白かった。
最後のシーン、石畳の道を下駄で歩く音……この音の魅力を伝えたいがため、という印象をもつ。
ただ、石畳を作る石の加工技術とか、下駄の普及ということを考えるならば、そんなに古くまでさかのぼるものではないだろうと思う。しかし、日本の日常生活のなかから、下駄の音というようなことを聴かなくなって久しいような気もする。こういう日常的な変化というのは、どのように人びとに意識されるものであり、また、記録に残るものなのだろうか。
(足音といえば、昔、京都市立美術館が床が板張りだったことを憶えている。空いた展覧会のときなど、自分が歩く靴の足音だけが聞こえたものだった。おそらく、今の新しい美術館などの作りは、足音がしないように作るということになっているだろう。)
頭屋として、神社に毎晩おまいりをする。この数年の間、精進潔斎の日常をおくらなければならない。テレビに映っていたのは、食事が別で(別火なのだろう)、ニワトリとタマゴを食べてはいけない、ということだった。おそらく、これ以外にも、いくつかの日常生活の決まり事はあると思うが、しかし、厳しいことのようだが、その中で生活してきて、それを次の世代にうけついでいこうということは、今の時代としては価値のあることに思える。
宍道湖の淡水化計画が止まったのは、見た記憶はあるのだが、その意義については、あまり考えることはなかった。(今から考えると、公共工事の自然環境への妥当性ということになるだろう。)
美保関が北前船の寄港地で栄えたというのは、そのとおりだと思うが、今では往時の繁栄はなくなってしまった、ということになるだろうか。日本海側の言い方として、少し前まで、裏日本、という言い方をしていた。私の子どものころまでは、普通につかっていた。(これに反旗をひるがえしたのが、田中角栄だったことになるだろうか。)
小泉八雲が見たのは明治の日本だったが、その頃でも、文明開化からとりのこされた(?)松江の街は、非常に魅力的に見えたということでいいだろうか。「忘れられた日本人」の生きていた時代であり、「逝きし世の面影」の残っていた時代でもあるだろう。(イザベラ・バードなどとの比較は、面白いことだと思うが。)
自分が生まれる前からあったものを、自分が死んだ後までつづけていく。見えないものの存在を感じることができる。こういうのが、文化というものであろう。
2025年9月15日記
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