ドキュメント20min.「神山恭昭 わし“すき間”で生きとります」 ― 2025-09-27

2025年9月27日 當山日出夫

ドキュメント20min. 神山恭昭 わし“すき間”で生きとります

神山恭昭、という人については知らなかったのだが、何冊か本を出していて、一部の人にとっては、かなり有名な存在であるらしい。

まあ、こういう人間の生き方もあっていいかな、と思って見ていたことになる。今の時代、生きていることの意味とか、人生の希望とか、あるいは、社会のなかでの居場所とか、あれこれとうるさすぎる。どのように生きていこうと、それはその人の人生であり、別に、悪いことをしようとしているのではないのだから、いいじゃないか、と思う。こういうことでいいのだと思う。

たまたま、ものを作る、ということがあって、それを評価する人があって、今のような活動になっている。NHKの番組にも出てくる。ということなのだが、世の中には、特に人に知られぬままに、それなりに人生をすごしている人が多いだろう。

仕事はほどほどに、気分をゆたかに、という生き方もあっていい。

2025年9月25日記

サイエンスZERO「他者との遭遇!?“ソーシャルブレインズ”研究最前線」 ― 2025-09-27

2025年9月27日 當山日出夫

サイエンスZERO 他者との遭遇!?“ソーシャルブレインズ”研究最前線

これは、面白かった。

共感、嫉妬、など人間の感情は、人間だけのものではなく、動物にもある。それは、動物の脳と行動を研究することから、明らかになりつつある。

これは、まあ、当たり前のこと。あるいは、直感的、経験的には、なんとなく分かっていることではあるのだが、サイエンスの方法論で明らかにしようとすると、かなり難しい。この回で出てきた、脳内内視鏡をつかって、脳の中のニューロンの活動を観察することが、簡単にできるようになったことで、脳の機能と、感情(といっていいだろうか)の関連性が、分かってきた。

少し触れてあるだけだったが、マウスの行動を、モーションキャプチャでとらえて、それをAIで深層学習させて、パターンを見つける……こういうことが、研究としてできるようになってきているということも、興味深い。これが、動物の個体識別ができるようになれば、野生で群れでいる動物について、その行動について、新しい観点から分析ができるだろう。いや、もうこういうこころみは、なされているだろうと思う。

人間の感情が脳の機能として説明できるとしても、しかし、人間には(人間にかぎらず動物でもそうだろうと思うが)それを、コントロールする、あるいは、それをどう表現するか、ということがある。強いていえば、それが、人間の社会性であり、文化であるということになる。文化が異なれば、感情の持ち方や、その表現の仕方が異なるということは、経験的には分かっていることである。こういうことを、人間のこととしてどう考えるかということは、これからの大きな課題ということになるだろう。

2025年9月26日記

映像の世紀バタフライエフェクト「9.11 ラストボイス」 ― 2025-09-27

2025年9月27日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 9.11 ラストボイス

2001年9月11日……日本では夜の時間であったが、たまたまNHKをつけていたので、WTCに突入した二機目の映像を、中継のリアルタイムで見たことになる。その後、9.11のテロのことは、いろいろと番組でとりあげられるのが、その瞬間が放送されることは、あまりなかったと憶えている。映しても、ビルに当たる直前でストップしてることが多かった。

この放送では、一機目と二機目、両方とも、WTCに突入するときの映像を写していた。これは、めずらしいかもしれない。

視点の置き方としては、基本的にアメリカの側、テロの被害者の立場であり、また、事件のときに救助にあたった人びとのことであった。これは、こういう作り方になるだろうとは思うが、(あえて言うならばであるが)立場が異なれば、この番組でテロリストとして語られた人たちは、場合によっては、いまだに英雄視されることになるはずである。私としては、歴史の流れのなかで立場が異なっていたら、はたして、この事件のことをどう見ることになるだろうか、ということは思うことにしておきたい。少なくとも、日本は、この事件の直接の当事者、被害者ではないので、少しは余裕を持って見ることができる。

9.11のテロ事件については、膨大な記録があり、また、その後の調査結果があるはずだが、それらの中から、当日の音声記録ということに焦点をあてて、何があったのか、その時、人びとはどう行動したのか、ということでまとめるというのは、一つの方法であると思う。

可能な限り、困難な状況における人間の善意ということを描こうとしていることは分かるつもりなのだが、しかし、それでも、やはりどこかに憎悪の連鎖ということから自由にはなれない、今日の世界のことを考えることになる。

それにしても、事件のときの、一般の人たちの音声記録がよく残っていたと、思う。これが現在だったら、スマーフォンによる膨大な映像記録が残ることになる。

最後の犬の話しは、興味深いことではあるが、なんだか余計だなと感じる。

2025年9月24日記