100分de名著「“古今和歌集” (4)女の歌は「強くない」のか?」 ― 2023-12-02
2023年12月2日 當山日出夫
100分de名著 “古今和歌集” (4)女の歌は「強くない」のか?
四回目は女性の歌を取りあげていた。これはこれで一つの方針、見識だと思う。『古今和歌集』というと、どうしても紀貫之を取りあげたくなるかと思うが、そうではなく、六歌仙のなかの小野小町であった。
平安時代、『古今和歌集』が編纂された時代の、王朝貴族の女性とはどんな存在であったか、これは、いろいろと興味深いところがあると思う。が、この番組では、そのような論点には踏み込まず、常識的な見解でとらえていた。いわゆる通い婚の時代である。
『古今和歌集』の歌を読むとき、あくまでもその時代の文脈に即して読むということもできる。文学研究としては、このような読み方をすることが多いだろう。そうではなく、現代の我々が読んで、一〇〇〇年以上の時を経て、なおかつ共感できるものがあるとしたら、それは何なのか、という方向で読んでいた。これは、「100分de名著」という番組の趣旨からすれば、このような方向性になるべきだとは思う。そして、『古今和歌集』は、そのような読み方が出来る作品である。あるいは、逆に『古今和歌集』を読み継いできた歴史が日本文学のなかに流れているから、現代の目でも読むことか可能だとも言えようか。
ところで、無粋なことを書いておくが、小野小町の時代に、十二単(女房装束)はまだ成立していない、というのが常識的な見解かと思っている。もうちょっと時代が下って、『源氏物語』の時代なら、女性の服装として問題はない。だが、ここでは、平安時代の貴族の女性=十二単、ということで作ってあった。
2023年11月28日記
100分de名著 “古今和歌集” (4)女の歌は「強くない」のか?
四回目は女性の歌を取りあげていた。これはこれで一つの方針、見識だと思う。『古今和歌集』というと、どうしても紀貫之を取りあげたくなるかと思うが、そうではなく、六歌仙のなかの小野小町であった。
平安時代、『古今和歌集』が編纂された時代の、王朝貴族の女性とはどんな存在であったか、これは、いろいろと興味深いところがあると思う。が、この番組では、そのような論点には踏み込まず、常識的な見解でとらえていた。いわゆる通い婚の時代である。
『古今和歌集』の歌を読むとき、あくまでもその時代の文脈に即して読むということもできる。文学研究としては、このような読み方をすることが多いだろう。そうではなく、現代の我々が読んで、一〇〇〇年以上の時を経て、なおかつ共感できるものがあるとしたら、それは何なのか、という方向で読んでいた。これは、「100分de名著」という番組の趣旨からすれば、このような方向性になるべきだとは思う。そして、『古今和歌集』は、そのような読み方が出来る作品である。あるいは、逆に『古今和歌集』を読み継いできた歴史が日本文学のなかに流れているから、現代の目でも読むことか可能だとも言えようか。
ところで、無粋なことを書いておくが、小野小町の時代に、十二単(女房装束)はまだ成立していない、というのが常識的な見解かと思っている。もうちょっと時代が下って、『源氏物語』の時代なら、女性の服装として問題はない。だが、ここでは、平安時代の貴族の女性=十二単、ということで作ってあった。
2023年11月28日記
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