新日本風土記「水辺の京都」2025-07-09

2025年7月9日 當山日出夫

新日本風土記 「水辺の京都」

再放送である。最初は、2023年6月20日。

京都の町を舞台に番組を作ると、古くからの伝統ということを強調することになるが、この番組の場合は、それとはちょっとちがった角度からの京都である。地下水と疎水。

京都が地下水の豊かな都市であることは、古くから言われていることだと思う。これを京都の魅力としてとらえることもできるが、そもそもなぜここに平安京が作られたのか、ということを考えることにもなる。人が住むには、水が必須である。飲料水であり、農業用水である。近代になれば、工業用水も必要になる。

京都の水というと、鴨川(賀茂川)をまず思い浮かべる。あるいは、高瀬川もあるし、郊外には桂川や宇治川もある。

京都の地下水がそのまま飲料に使えるということは、これはきちんと水質検査をした結果ということになるはずだが、驚異的なことかもしれない。日本中で、地面を掘れば井戸ができて、その水を飲むことができる……このような地域が、他にどれぐらいあるだろうか。飲料水と日本の歴史という視点で見ると、いろいろと面白いことが見えてくるはずである。

ちなみに、江戸の町で、下町の方は海岸を埋め立てたところが多いので、簡単に井戸を掘って飲料水を得るということはできなかったはずである。神田上水、玉川上水ということを抜きにして、江戸の町の歴史は語れない。また、近代になってからの水道の普及の歴史もある。(最近出た本で、川本三郎の『荷風と昭和』を読んでいるのだが、『濹東綺譚』のなかで主人公の男性が、娼婦の家で、井戸水か水道水か確認しているシーンについて説明がある。)

地下水の豊富な京都で、どのように水道が普及していったのか、ということが、逆に近代になってからの京都の歴史としては意味があるかと思う。

疎水は、近代の京都を代表するものである。近年になって観光名所になってきている。この工事のことは、いろんなエピソードがあるはずである。疎水が近代の京都にどうかかわってきたか、これはとても面白いテーマである。少なくとも、今の、岡崎あたりの景観は、疎水なしにはなりたたない。

町の豆腐屋さんという存在は、もう絶滅危惧である。ラッパを鳴らして売り歩こうにも、昔からの家がなくなってマンションになってしまうと、商売にならない。たしかに、町の豆腐屋さんの豆腐はおいしい。(私が、半世紀前に、東京で住むようになってまず感じた食の違いは、豆腐が美味しくないことだった。)ところで、ラッパを鳴らして豆腐を売り歩くというスタイルは、いったいいつごろから生まれたものなのだろうか。

2025年7月7日記

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