名宝消失「新薬師寺・香薬師像」2025-07-28

2025年7月28日 當山日出夫

名宝消失 新薬師寺・香薬師像

たまたま番組表で目にとまったので録画しておいた。

新薬師寺には若いころに行ったことがある。十二神将塑像が、すばらしい。

たぶん、日本の仏教美術史、近代になってからの文化財の歴史、ということに詳しい人なら知っていることなのだろう。それにしても、なぜ、この仏像が何度も盗難にあうのか。簡単に考えることとしては、その大きさが手頃(?)ということかもしれない。あれぐらいの大きさなら、一人でかついで逃げることができそうである。

佐佐木茂索については、名前を知っているぐらいだが、この人物が、右手を持っていたというのは、いったいどういう理由なのだろうか。

冷めた目で見るならば、であるが、重要文化財とかの指定があっても、形としてそのように指定するだけで、その保管(盗難へのそなえ)として、文化庁が何をしてくれるわけではない(いくぶんの補助は出るぐらいはあるだろうが)。個人の所有のものであれば、売却することもできる。行方不明になっている文化財が多くあることは、まあ、そんなもんだろうという気である。

とはいえ、近代になってからの日本の文化財行政の一端がどんなものであったか、一般に知られることの契機にはなるだろうか、ということはある。

2025年7月22日記

『八重の桜』「長崎からの贈り物」2025-07-28

2025年7月28日 當山日出夫

『八重の桜』「長崎からの贈り物」

このドラマが最初に放送になったとき、京都の文化博物館で、関連の展覧会があったので見に行った。同志社が所蔵している、資料や写真などがあった。なかに、たしか、スペンサー銃もあったように記憶するのだが、はたしてどうだっただろうか。

幕末を舞台にしたドラマとして見ると、『八重の桜』は、かなりよく出来た作品になるのかと思う。会津という視点がいい。松平容保の殿様の、孝明天皇への忠義、それから、徳川の譜代としての御公儀への忠誠心(これは、かならずしも、徳川慶喜に対するものではないようだが)、これらがあって、会津の家臣たちの会津藩士としての忠誠心があり、故郷の会津への思いがある……これらが、あまり混乱することなく、一つにまとまって描かれている。その背景として、幕末から明治にかけて、日本という国家のゆくすえをどうするのか、という問題があるのだが、それは、歴史の結果として見るものは知っていることになる。

これまで見てきて気になっていることがある。会津の八重の家では、夜の室内の照明にランプが使われている。また、鉄砲を撃つ角場でも、照明にランプ(あるいは、ランタン)が使われている。この時代の会津で、実際に、これらが使われていたのだろうか、ということは思う。それに、角場は、火薬をあつかうので、火気厳禁のはずだが、照明にランプを使っていいのだろうか。

幕末の日本に、アメリカの南北戦争が終わっていらなくなった武器が、大量にながれこんできたということは、言われていることだと思うのだが、実際は、どれぐらいの数量が入ってきていたのだろうか。グラバーなどの武器商人は、大もうけしたのかと思う。だから、今も長崎に邸宅が残っている。

字幕表示で見ているのだが、長崎で少女が手にしたいたのは、「ビードロ」と出ていた。同じものでも、『べらぼう』では、「ぽっぴん」となっている。各種の名称があることは確かである。浮世絵のタイトルも、私の記憶しているものとしては、「ビードロ」であったように覚えている。

孝明天皇の崩御の知らせが会津にとどいて、人びとは謹慎するということになっていたが、本当だろうかという気がする。その時点で、会津の殿様は京都守護職であり、武士としては形式的には、身分官位は朝廷から下されるものであるとしても、会津の藩の家臣が、京都の天皇に対して忠誠心があったとは思えないのだが。直接には、会津の藩であり、殿様に対する、忠誠心だっただろう。

幕末になって、尊皇攘夷になるが、尊皇という思想は、江戸時代を通じて、知識人たちにとっては常識的なものであったことは、よく言われている。だが、会津の末端の家臣までもが、崩御に際して、服喪ということは、どうだったのだろうか。

2025年7月27日記

『べらぼう』「佐野世直大明神」2025-07-28

2025年7月28日 當山日出夫

『べらぼう』「佐野世直大明神」

日本橋の耕書堂の家の中のシーンは、とても暗い。江戸時代、ろうそくか行灯の灯りぐらいだった時代には、実際にはもっと暗かったはずだが、なるべくそれに近づけようとしているらしい。これまでの時代劇の室内の場面が、明るすぎたというべきだろう。(これは、映画の時代のフィルムの感度とかもあるだろうし、テレビになってからの撮影機材の性能ということもあるにちがいない。明るい室内ということになれすぎてしまっているので、このドラマで見せている、暗い夜の室内という描写が、ある意味で非常に新鮮に見える。)

元花魁だったふく(源氏名はうつせみ)と新之助が、江戸の蔦重のところにやってくる。江戸時代、飢饉のときに、地方の農村から江戸に多くの人たちがやってきていたといわれていることは知っているのだが、お米を生産する農村でお米が食べられなくて(ひどいところでは餓死者もでた)、お米を生産しない都市の江戸にくればご飯が食べられる……そうだったのかもしれないが、この時代の、お米の生産と流通は、いったいどうなっていたのだろうか。これは、ずっとよく分からないできていることである。

田沼意知が江戸城内で刃傷事件で傷をおって死ぬ。犯人が、佐野世直大明神と世間で言われた。これも、歴史の知識としては知っていることなのだが、実際には、どうだったのだろうか。ドラマとしては、個人的な恨みのはての犯行ということで描いてあったことになる。政治的な意図があったテロではない、ということになる。(政治的な意図があった事件としては、桜田門外の変などが思いうかぶが。)

意知が死んだことと、お米の値段が下がったこととは、因果関係はないように思うが、この時代の人たちにとっては、そうは思えなかったということだろう。

この回でよかったのは、誰袖。意知が殺されてしまって、狂気(ということばがいちばんぴったりくると思うが)を感じさせるようになる。あげくは、呪いの人形に小刀で切りつける。実際に、今にいたるまで、人を呪うということは、行われていることであるし(丑の刻参りのやり方も、現代では、簡単にインターネットで調べることができる)、江戸時代の人にとっては、日常的なことだったかもしれない。呪いの儀式(?)を行うのに、座敷のなかで、周囲に注連縄をめぐらして結界を作ってあるあたり、本格的である。

これまでもそうだったし、これからもそうなのだろうと思うが、このドラマでは、知識人、という存在が出てこない。江戸時代を舞台にしたドラマであっても、幕末を描くとなると、書物を読み、西洋の知識を得て、日本の歴史を憂う……こういう知識人いうべき人物が出てくる。今、再放送している『八重の桜』では、佐久間象山や吉田松陰などが、その典型ということになる。

しかし、『べらぼう』では、書物を読み、時代の流れを見つめるという、知識人というべき人物が出てきていない。江戸時代は、日本の歴史のなかでも、とりわけ知識人が輩出した時代であった。武士であったり、上層の町人や農民であったり、である。こういうことは、常識的なことだと思っている。こういう背景があって、江戸の出版文化があり(商業出版が知識人を作った、「想像の共同体」の基盤の一つになる)、そのうえに江戸の戯作というものがある。大田南畝などは、江戸時代きってのインテリといっていいにちがいない。一般に知られているのは、戯作であり狂歌ではあるが、その背景にある膨大な知の集積を想像してみるべきである。

江戸の知識人を描かないということが、私が、『べらぼう』についていだく不満の一つでもある。

2025年7月27日記