100分de名著「ブラム・ストーカー“ドラキュラ” (2)排除される女性たち」 ― 2025-10-18
2025年10月18日 當山日出夫
100分de名著 ブラム・ストーカー“ドラキュラ” (2)排除される女性たち
この回を見て思うことは、かなり無理をして、フェミニズムを語ろうとしているということである。フェミニズムの考え方にたとうがどうしようが、それはそれぞれの自由であるが、文学作品を解説するときに、強いてそれを持ち出すことはないだろうと、感じてしまう。
『ドラキュラ』から、この回のタイトルにある「排除される女性たち」を読みとろうというのは、無理ではないだろうが、しかし、作品を読むということから、かなり離れてしまっている。イギリスのヴィクトリア朝時代の、女性観ということを言いたいのであれば、それにふさわしい場所が他にいくらでもあるだろう。それを、『ドラキュラ』で語ることが、効果的かどうか……そのフェミニズムの考え方を広めることに役立つかどうか……となると、どうだろうか。私には、あまり成功しているとは思えない。
もし、そういう視点で見るならば、そもそも、最初に出てきたドラキュラが男性で、女性をターゲットにするということ自体にある問題点を、もっと深く考えるべきだろう。ただ、女性が、被害者であると同時に加害者にもなっているということだけだった。
「新しい女」を文学史の中で考えることは、意味のあることだとは思うが、これも、『ドラキュラ』をメインの作品として語るのは、どうかと思う。もうすこし範囲をひろげて、欧米の近代文学史を見わたす視点で、どうなのかということがあってもいいはずだが、そこまで視野を広げると、この番組の中ではおさまらないだろう。ただ、「新しい女」ということを言ってみたかっただけのこと、このように思うことになる。
『ドラキュラ』という文学作品の魅力を語る、その文学史的な意味を、西欧の文化や宗教の歴史のなかにさぐる、という、いわば一般的な視点から話しを組み立てた方がよかったのではないか。これは、フェミニズムで文学を読むとどうなるかという、(私の判断としては)あまり成功したとは言えない事例になってしまっているように思えてならない。
文学について語ることは、まさに、その人の思想を語ることである、ということについて、より深く考えてみるべきだろう。これでは、ただフェミニズムが、ただの視点の置き方、単なる解読の道具としてのアイデア、ということになってしまっている。
2025年10月16日記
100分de名著 ブラム・ストーカー“ドラキュラ” (2)排除される女性たち
この回を見て思うことは、かなり無理をして、フェミニズムを語ろうとしているということである。フェミニズムの考え方にたとうがどうしようが、それはそれぞれの自由であるが、文学作品を解説するときに、強いてそれを持ち出すことはないだろうと、感じてしまう。
『ドラキュラ』から、この回のタイトルにある「排除される女性たち」を読みとろうというのは、無理ではないだろうが、しかし、作品を読むということから、かなり離れてしまっている。イギリスのヴィクトリア朝時代の、女性観ということを言いたいのであれば、それにふさわしい場所が他にいくらでもあるだろう。それを、『ドラキュラ』で語ることが、効果的かどうか……そのフェミニズムの考え方を広めることに役立つかどうか……となると、どうだろうか。私には、あまり成功しているとは思えない。
もし、そういう視点で見るならば、そもそも、最初に出てきたドラキュラが男性で、女性をターゲットにするということ自体にある問題点を、もっと深く考えるべきだろう。ただ、女性が、被害者であると同時に加害者にもなっているということだけだった。
「新しい女」を文学史の中で考えることは、意味のあることだとは思うが、これも、『ドラキュラ』をメインの作品として語るのは、どうかと思う。もうすこし範囲をひろげて、欧米の近代文学史を見わたす視点で、どうなのかということがあってもいいはずだが、そこまで視野を広げると、この番組の中ではおさまらないだろう。ただ、「新しい女」ということを言ってみたかっただけのこと、このように思うことになる。
『ドラキュラ』という文学作品の魅力を語る、その文学史的な意味を、西欧の文化や宗教の歴史のなかにさぐる、という、いわば一般的な視点から話しを組み立てた方がよかったのではないか。これは、フェミニズムで文学を読むとどうなるかという、(私の判断としては)あまり成功したとは言えない事例になってしまっているように思えてならない。
文学について語ることは、まさに、その人の思想を語ることである、ということについて、より深く考えてみるべきだろう。これでは、ただフェミニズムが、ただの視点の置き方、単なる解読の道具としてのアイデア、ということになってしまっている。
2025年10月16日記
所さん!事件ですよ「文化財はつらいよ!? ニッポンの宝の危機」 ― 2025-10-18
2025年10月18日 當山日出夫
所さん!事件ですよ 文化財はつらいよ!? ニッポンの宝の危機
文化財(国宝とか重要文化財など)であっても、売買できることは、文化財についての知識が、ある程度ある人にとっては当たり前のことであるが、あまり、一般には知られていないことなのかとも思う。また、重要な文化財については、その保存や散逸をふせぐためもあって、文化庁で買うということも、よくあることである。(この予算は、減ってきているらしいが。)
お寺の文化財の建物をオークションに出して、それを、中国系の資本が買ってしまう、ということは、今の時代なら、もうありうることなのだろう。実際には、すでに多くあるのかもしれないが、あまり問題になっていないだけなのかもしれない。(問題は、それが、宗教法人という特殊な法人の所有のものであり、さらには、その宗教法人自体が、場合によっては、売買の対象になってしまっているということもある。)
地方の村落に、古くから伝えられてきた文化財を、どう保全していくか、ということは大きな課題である。
博物館の収蔵庫が一杯であるという問題は、関係者には周知のことである。奈良の民俗博物館が、近年、話題になった事例であるが、県知事は、3Dスキャンのデータを残して、実物は廃棄してかまわないという、きわめて「合理的」な考えを出している(もちろん、こんなアイデアを出すのは、維新の知事である。)
実物を残すことの本当の意義は、専門家にしか分からないことかとも思うのだが、常識的に考えても、実物が残っていくことの意味は、ちょっと考えれば分かりそうなものである。
水にぬれた古文書などを、凍結乾燥させる、つまり、フリーズドライの方法を使うということは、文化財の保存修復の技術として、近年になって本格的に使われ始めたことだと思っている。
2025年10月13日記
所さん!事件ですよ 文化財はつらいよ!? ニッポンの宝の危機
文化財(国宝とか重要文化財など)であっても、売買できることは、文化財についての知識が、ある程度ある人にとっては当たり前のことであるが、あまり、一般には知られていないことなのかとも思う。また、重要な文化財については、その保存や散逸をふせぐためもあって、文化庁で買うということも、よくあることである。(この予算は、減ってきているらしいが。)
お寺の文化財の建物をオークションに出して、それを、中国系の資本が買ってしまう、ということは、今の時代なら、もうありうることなのだろう。実際には、すでに多くあるのかもしれないが、あまり問題になっていないだけなのかもしれない。(問題は、それが、宗教法人という特殊な法人の所有のものであり、さらには、その宗教法人自体が、場合によっては、売買の対象になってしまっているということもある。)
地方の村落に、古くから伝えられてきた文化財を、どう保全していくか、ということは大きな課題である。
博物館の収蔵庫が一杯であるという問題は、関係者には周知のことである。奈良の民俗博物館が、近年、話題になった事例であるが、県知事は、3Dスキャンのデータを残して、実物は廃棄してかまわないという、きわめて「合理的」な考えを出している(もちろん、こんなアイデアを出すのは、維新の知事である。)
実物を残すことの本当の意義は、専門家にしか分からないことかとも思うのだが、常識的に考えても、実物が残っていくことの意味は、ちょっと考えれば分かりそうなものである。
水にぬれた古文書などを、凍結乾燥させる、つまり、フリーズドライの方法を使うということは、文化財の保存修復の技術として、近年になって本格的に使われ始めたことだと思っている。
2025年10月13日記
よみがえる新日本紀行「塔のみえる坂道〜京都〜」 ― 2025-10-18
2025年10月18日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「塔のみえる坂道〜京都〜」
再放送である。2021年。オリジナルは、1975(昭和50)年。
昭和30年(1955)生まれで、京都の宇治市で育った私としては、憶えている京都の街であり、昔の京都の街はよかったなあ……と、感慨深く見ることになる。これは、かなり、もう老人になってしまったことによるノスタルジーも、かなりあってのことにはちがいないと思うが。
店の前の道に打水をする。板場さんは、三年間は包丁を持たせてもらえない。一昔前までの、京都の職人の世界はこんなだった。何も名を売ろうという意識で仕事をしているのではない。いい仕事をしたいからしている。
それが、今はどうだろうか……レストランのガイドブックに載ることが、ステイタスになってしまっている。(そんなことは意に介さないという昔気質の人もまだいるだろうと思うし、いてほしいとも思う。)
京阪電車が、鴨川のほとりを地上を走っていた。京都の街の市電が映っていた。私の記憶だと、高校生のころ、昭和40年代の終わり、京都の市電の料金は、25円だった。
料亭の板場さんたちは、みな、下駄をはいて仕事をしていた。これは、今は、どうなっているのだろうかと思う。
二年坂のあたりは、人が生活できるところだった。お豆腐屋さんがあった。入れ物を持っていかなくても、紙にくるんでくれた。(まだ、このころだったら、街中を歩いて商売するお豆腐屋さんもあった。)
道ばたで、包丁研ぎの仕事をする老人。昔は、こんな仕事もあったなあ、と思って見ていたことになる。その横を、着飾った子どもと女性がとおりすぎていく。七五三のお参りみたいな感じだった。
新しい部分は、2021年、COVID-19パンデミックの真っ最中で、観光客はいない。こんな時期もあったことになる。だからこそ、京都の街の、地蔵盆の光景を映すことができたのだろう。今だったら、インバウンド観光客でいっぱいで、さて、地蔵盆も無事にできるのだろうかと、心配になる。
昔の京都はいい街だった。老人のくりごとかもしれないが、つくづくそう思うことになる。
2025年10月15日記
よみがえる新日本紀行 「塔のみえる坂道〜京都〜」
再放送である。2021年。オリジナルは、1975(昭和50)年。
昭和30年(1955)生まれで、京都の宇治市で育った私としては、憶えている京都の街であり、昔の京都の街はよかったなあ……と、感慨深く見ることになる。これは、かなり、もう老人になってしまったことによるノスタルジーも、かなりあってのことにはちがいないと思うが。
店の前の道に打水をする。板場さんは、三年間は包丁を持たせてもらえない。一昔前までの、京都の職人の世界はこんなだった。何も名を売ろうという意識で仕事をしているのではない。いい仕事をしたいからしている。
それが、今はどうだろうか……レストランのガイドブックに載ることが、ステイタスになってしまっている。(そんなことは意に介さないという昔気質の人もまだいるだろうと思うし、いてほしいとも思う。)
京阪電車が、鴨川のほとりを地上を走っていた。京都の街の市電が映っていた。私の記憶だと、高校生のころ、昭和40年代の終わり、京都の市電の料金は、25円だった。
料亭の板場さんたちは、みな、下駄をはいて仕事をしていた。これは、今は、どうなっているのだろうかと思う。
二年坂のあたりは、人が生活できるところだった。お豆腐屋さんがあった。入れ物を持っていかなくても、紙にくるんでくれた。(まだ、このころだったら、街中を歩いて商売するお豆腐屋さんもあった。)
道ばたで、包丁研ぎの仕事をする老人。昔は、こんな仕事もあったなあ、と思って見ていたことになる。その横を、着飾った子どもと女性がとおりすぎていく。七五三のお参りみたいな感じだった。
新しい部分は、2021年、COVID-19パンデミックの真っ最中で、観光客はいない。こんな時期もあったことになる。だからこそ、京都の街の、地蔵盆の光景を映すことができたのだろう。今だったら、インバウンド観光客でいっぱいで、さて、地蔵盆も無事にできるのだろうかと、心配になる。
昔の京都はいい街だった。老人のくりごとかもしれないが、つくづくそう思うことになる。
2025年10月15日記
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