BSスペシャル「捨てられた紙と老人の物語 〜韓国・高齢社会の今〜」 ― 2025-10-20
2025年10月20日 當山日出夫
BSスペシャル 捨てられた紙と老人の物語 〜韓国・高齢社会の今〜
高齢者の福祉の問題は、社会にとって大きな課題であるはずなのだが、このことについて、韓国の政治はどのように考えているのだろうか。高齢者のかなりが貧困ということは、極端な少子化社会をむかえている韓国にとって、深刻な問題にちがいない。日本で、韓国のことが大きくニュースになるのは、たいていは政治家についての問題があったときである。大統領が戒厳令を出したり、それを阻止したり、というようなことがあった場合、トップニュースになる。
こういうとき、日本におけるマスコミなどでは、いわゆる左翼的でリベラル的な人は、韓国の成熟した民主主義ということを言う。(それに対して、日本の民主主義は、劣っているということを主張したいのだろうが。)では、韓国の高齢者の政治的主張は、どうなのだろうか。日本について、シルバー民主主義と揶揄的に語ることがあるのだが、韓国の場合は、どうなのだろうか。
高齢者が、街の中をリヤカーを引いて歩いて、古紙や空き缶などを拾って回る。それを売って、生活のかてにしている。これが、ソウルではごく普通の光景になっている。
映っていたのは、男性が中心であった。リヤカーを引いて古紙や空き缶を集めるような仕事は、女性はしないのだろうか。高齢者の貧困ということなら、別に、男女はあまり関係はないはずである。そうすると、女性の高齢者は、いったいどんな生活をしているのだろうか。
ゴミを捨てる側の人から見ると、こういう老人たちに古紙や空き缶を集めてもらうことが、ゴミを捨てることの一部になっている、ということなのだろう。ゴミを捨てる側と、集める側と、お互いにどう思っているのだろうか。社会の格差とか差別とか、ということは、意識しないのだろうか。
日本なら、普通は資源ゴミとして、自治体のゴミ収集で集めるものであるが、韓国の場合、ゴミ集めの老人たちと、それを買い取る業者(建場)とで、仕事をしていることになる。そもそも、ソウルの街のゴミ収集の分別のルールとは、いったいどうなっているのだろう。
半世紀以上前の日本だったら、ゴミ収集の仕事をする人たちが社会の中にいた。街の中をまわり、ゴミをあつめて、それで生活していた。社会の中では、ほとんど最下層に位置する人たちであったともいっていいだろう。(古い話になるが、「蟻の街のマリア」として知られた北原怜子のことを知っている人は、今では、もう少なくなってしまっているだろう。)
ゴミ収集をする老人たちは、韓国の高度経済成長をささえてきた人たちでもある。そのはたらきがあって、今の韓国の経済と技術がある。(中に出てきた男性が、サウジアラビアに行って働いたと言っていた。日本の関西万博の次は、サウジアラビアの首都のリヤドである。これを争って完全に負けたことになったのが、韓国の釜山である。次の万博の開催地は、韓国の没落と中東産油国のオイルマネー、と見ることもできるだろうか。)
カラオケが好きな男性が歌っていたのは、韓国の庶民の歌なのだろう。日本でいえば、懐メロであり、歌謡曲、演歌、ということになる。そのメロディは、日本の演歌に重なる。いや、日本の大衆的な歌謡曲と韓国の大衆の歌とは、つながっているのだと考えるべきことになる。日本の音楽や芸能関係の仕事をした人のなかには、韓国、朝鮮系の人びとが多くいるということは、周知のことだろう。
一日に朝昼晩とマッコリを飲まずにはいられない。手が震えている。どう見ても、アルコール中毒として、治療の対象となるべき人だと思えるのだが、韓国の社会福祉や医療の制度では、どう対応することになっているのだろうか。犯罪をおかすほどのことではないし、自分で生活できているのだから、自由にということでいいのだろうか。
ベトナムに戦争に行った軍人が出てきていた。恩給があるので、生活には困らないようだ。これも、社会の格差といえるだろうか。そして、かつてのベトナム戦争のとき、韓国はベトナムに軍隊を派遣して戦った歴史がある、ということは、今の日本であまり知られていない歴史なのかとも思う。
リヤカーを引く老人の姿と一緒に映っている自動車を見ると、HYNDAIが多かった。メルセデスもあったし、BMWもあった。こういう自動車とともに、古紙を載せたリヤカー引く老人の姿がある、というのが現代の韓国なのだろうと思うことになる。
昭和13年生まれなら日本語が話せる。(今から30年ほど前のことになるが、台湾から来た人と日本語で話しが通じたという経験がある。)
室内にあるカレンダーが映っていたが、8月15日が祝日になって赤い字だった。このあたりは、日本と韓国と、いわゆる「8月15日の神話」を共有していることになる。
貧困高齢層というのは、韓国だけではなく、日本はもちろん、台湾や中国でも今後の大きな問題となるかと思う。ただ隣国のこととしてではなく、近い将来の世界の国々で課題になることと認識しておくべきことであろう。
どうでもいいようなことだが、リヤカーは、もともとは、自転車の後ろにつないで走るから、リヤカーなのであるが、その本来の機能が失われて、歩いて手で引くのが普通になり、それを改良して自転車でひっぱれるようにした……というのは、車輪の再発明のように思える。
2025年10月18日記
BSスペシャル 捨てられた紙と老人の物語 〜韓国・高齢社会の今〜
高齢者の福祉の問題は、社会にとって大きな課題であるはずなのだが、このことについて、韓国の政治はどのように考えているのだろうか。高齢者のかなりが貧困ということは、極端な少子化社会をむかえている韓国にとって、深刻な問題にちがいない。日本で、韓国のことが大きくニュースになるのは、たいていは政治家についての問題があったときである。大統領が戒厳令を出したり、それを阻止したり、というようなことがあった場合、トップニュースになる。
こういうとき、日本におけるマスコミなどでは、いわゆる左翼的でリベラル的な人は、韓国の成熟した民主主義ということを言う。(それに対して、日本の民主主義は、劣っているということを主張したいのだろうが。)では、韓国の高齢者の政治的主張は、どうなのだろうか。日本について、シルバー民主主義と揶揄的に語ることがあるのだが、韓国の場合は、どうなのだろうか。
高齢者が、街の中をリヤカーを引いて歩いて、古紙や空き缶などを拾って回る。それを売って、生活のかてにしている。これが、ソウルではごく普通の光景になっている。
映っていたのは、男性が中心であった。リヤカーを引いて古紙や空き缶を集めるような仕事は、女性はしないのだろうか。高齢者の貧困ということなら、別に、男女はあまり関係はないはずである。そうすると、女性の高齢者は、いったいどんな生活をしているのだろうか。
ゴミを捨てる側の人から見ると、こういう老人たちに古紙や空き缶を集めてもらうことが、ゴミを捨てることの一部になっている、ということなのだろう。ゴミを捨てる側と、集める側と、お互いにどう思っているのだろうか。社会の格差とか差別とか、ということは、意識しないのだろうか。
日本なら、普通は資源ゴミとして、自治体のゴミ収集で集めるものであるが、韓国の場合、ゴミ集めの老人たちと、それを買い取る業者(建場)とで、仕事をしていることになる。そもそも、ソウルの街のゴミ収集の分別のルールとは、いったいどうなっているのだろう。
半世紀以上前の日本だったら、ゴミ収集の仕事をする人たちが社会の中にいた。街の中をまわり、ゴミをあつめて、それで生活していた。社会の中では、ほとんど最下層に位置する人たちであったともいっていいだろう。(古い話になるが、「蟻の街のマリア」として知られた北原怜子のことを知っている人は、今では、もう少なくなってしまっているだろう。)
ゴミ収集をする老人たちは、韓国の高度経済成長をささえてきた人たちでもある。そのはたらきがあって、今の韓国の経済と技術がある。(中に出てきた男性が、サウジアラビアに行って働いたと言っていた。日本の関西万博の次は、サウジアラビアの首都のリヤドである。これを争って完全に負けたことになったのが、韓国の釜山である。次の万博の開催地は、韓国の没落と中東産油国のオイルマネー、と見ることもできるだろうか。)
カラオケが好きな男性が歌っていたのは、韓国の庶民の歌なのだろう。日本でいえば、懐メロであり、歌謡曲、演歌、ということになる。そのメロディは、日本の演歌に重なる。いや、日本の大衆的な歌謡曲と韓国の大衆の歌とは、つながっているのだと考えるべきことになる。日本の音楽や芸能関係の仕事をした人のなかには、韓国、朝鮮系の人びとが多くいるということは、周知のことだろう。
一日に朝昼晩とマッコリを飲まずにはいられない。手が震えている。どう見ても、アルコール中毒として、治療の対象となるべき人だと思えるのだが、韓国の社会福祉や医療の制度では、どう対応することになっているのだろうか。犯罪をおかすほどのことではないし、自分で生活できているのだから、自由にということでいいのだろうか。
ベトナムに戦争に行った軍人が出てきていた。恩給があるので、生活には困らないようだ。これも、社会の格差といえるだろうか。そして、かつてのベトナム戦争のとき、韓国はベトナムに軍隊を派遣して戦った歴史がある、ということは、今の日本であまり知られていない歴史なのかとも思う。
リヤカーを引く老人の姿と一緒に映っている自動車を見ると、HYNDAIが多かった。メルセデスもあったし、BMWもあった。こういう自動車とともに、古紙を載せたリヤカー引く老人の姿がある、というのが現代の韓国なのだろうと思うことになる。
昭和13年生まれなら日本語が話せる。(今から30年ほど前のことになるが、台湾から来た人と日本語で話しが通じたという経験がある。)
室内にあるカレンダーが映っていたが、8月15日が祝日になって赤い字だった。このあたりは、日本と韓国と、いわゆる「8月15日の神話」を共有していることになる。
貧困高齢層というのは、韓国だけではなく、日本はもちろん、台湾や中国でも今後の大きな問題となるかと思う。ただ隣国のこととしてではなく、近い将来の世界の国々で課題になることと認識しておくべきことであろう。
どうでもいいようなことだが、リヤカーは、もともとは、自転車の後ろにつないで走るから、リヤカーなのであるが、その本来の機能が失われて、歩いて手で引くのが普通になり、それを改良して自転車でひっぱれるようにした……というのは、車輪の再発明のように思える。
2025年10月18日記
『八重の桜』「鶴ヶ城開城」 ― 2025-10-20
2025年10月20日 當山日出夫
『八重の桜』「鶴ヶ城開城」
江戸時代をつうじて、200年以上、大きな戦争を国内でしてきていない。お城の籠城戦が終わって、降伏するとなったとき、どのようにすべきなのか、ルールがあったのだろうか。これが、戦国時代ならば、明文化されていなくても、その時代の武将たちにとっての暗黙のルールはあっただろうと推測できるが、200年も時間がたってしまうと、忘れられることになっていたとも考えられる。
鶴ヶ城の籠城戦の終わり方については、どれぐらい史料が残っているのだろうか。維新史に詳しい専門家なら知っていることかとも思う。
一般論になるが……戦争を始めるにも作法があるし、終わらせ方にも作法がある。国と国の戦争なら、国際的なルールがあることになる。(これも、正規の戦争(?)ならば、ということではあるのだが。今でも、ロシアとウクライナのことは、ロシアは戦争と言っていないし、イスラエルとパレスチナのことも、戦争とは言えないかもしれない。無論、戦闘は起こっているのだけれど。)
この回を見ていて感じることの一つは、城を明け渡すとなったときに、籠城していた女性たちが、城の内部をきれいに掃除していたことである。見ていて、そういう心情には共感するところがある。こういう心情は、どのようにして形成されてきたものなのだろうか。
近代の戦争として、退却戦を戦うとなると、敵に利用されないために、城を破壊するということが、軍事的には合理的な判断になるかと思う。会津籠城戦は、降伏したら、その後の戦争は一切なしの無条件降伏ということになる。
降伏にあたって城を掃除するという心情が、あるいは、太平洋戦争の終わりまでは、なんとか残っていたと言えるかもしれない。これも、ここの場面においては、まったく逆のケースも多くあっただろうとは思うが、総じて、会津の人びとに共感する気持ちは、現代にもあるかと思う。
思いつくこととしては、忠臣蔵(元禄の赤穂事件)における、城の明け渡しという歴史的、また、文化史的なエピソードがあってのことかとも、思ったりする。
2025年10月19日記
『八重の桜』「鶴ヶ城開城」
江戸時代をつうじて、200年以上、大きな戦争を国内でしてきていない。お城の籠城戦が終わって、降伏するとなったとき、どのようにすべきなのか、ルールがあったのだろうか。これが、戦国時代ならば、明文化されていなくても、その時代の武将たちにとっての暗黙のルールはあっただろうと推測できるが、200年も時間がたってしまうと、忘れられることになっていたとも考えられる。
鶴ヶ城の籠城戦の終わり方については、どれぐらい史料が残っているのだろうか。維新史に詳しい専門家なら知っていることかとも思う。
一般論になるが……戦争を始めるにも作法があるし、終わらせ方にも作法がある。国と国の戦争なら、国際的なルールがあることになる。(これも、正規の戦争(?)ならば、ということではあるのだが。今でも、ロシアとウクライナのことは、ロシアは戦争と言っていないし、イスラエルとパレスチナのことも、戦争とは言えないかもしれない。無論、戦闘は起こっているのだけれど。)
この回を見ていて感じることの一つは、城を明け渡すとなったときに、籠城していた女性たちが、城の内部をきれいに掃除していたことである。見ていて、そういう心情には共感するところがある。こういう心情は、どのようにして形成されてきたものなのだろうか。
近代の戦争として、退却戦を戦うとなると、敵に利用されないために、城を破壊するということが、軍事的には合理的な判断になるかと思う。会津籠城戦は、降伏したら、その後の戦争は一切なしの無条件降伏ということになる。
降伏にあたって城を掃除するという心情が、あるいは、太平洋戦争の終わりまでは、なんとか残っていたと言えるかもしれない。これも、ここの場面においては、まったく逆のケースも多くあっただろうとは思うが、総じて、会津の人びとに共感する気持ちは、現代にもあるかと思う。
思いつくこととしては、忠臣蔵(元禄の赤穂事件)における、城の明け渡しという歴史的、また、文化史的なエピソードがあってのことかとも、思ったりする。
2025年10月19日記
『べらぼう』「尽きせぬは欲の泉」 ― 2025-10-20
2025年10月20日 當山日出夫
『べらぼう』「尽きせぬは欲の泉」
歌麿の女性の大首絵の誕生をどう描くか、という視点で見ることになるのだが、それなりに納得できる。まあ、こんなだったのかもしれない。特に、異論があるということではない。
(何度も書いていることなのだが)歴史の結果としては、歌麿の美人画は大ヒットになった。しかし、それが、芸術として評価されるようになったのは、ヨーロッパでのジャポニズムがあって、それの価値観を、明治になって日本に改めて輸入(?)してからのことである。蔦重の時代、たしかに歌麿の美人画はヒットしたことはたしかなのだが、それは、大量の紙くずを作って売ったということでもあった。(極端に言えば、であるが。)
私として興味があるのは、今日ではきわめて高く評価されている浮世絵が、なぜ日本で芸術として評価されて残ることがなかったのか、という受容の歴史の問題である。このドラマで、そこのところまでどう描くことになるのか、と思って見ている。
江戸時代の人びとにとって、個人の個性の表現が芸術である、という発想は無理だったということでいいのだろうか。歌麿の美人画は、現代では、描かれた女性の個性を、絵師の個性的な表現であるとして、理解されていると思っているのだが。
それから、気になることは、黄表紙の再刊のこと。
江戸時代の木版本の場合、同じ板木から、何度も印刷することは、当たり前である。場合によっては、現代にいたるまで、同じ板木を使って印刷することもある。書誌学的な用語でいえば、後印本、後刷り、ということである。また、板本のコピーも多くおこなわれていた。被せ彫り、である。(一冊の書物をばらして、板木に貼り付けて、それを版下にして、そっくりに板木を彫る。よく出来たものだと、ちょっと見ただけでは、区別がつかない。)
現代の江戸時代文学の研究、書誌学的な研究として、黄表紙については、どれぐらいの後印本があったことになるのだろうか。こういうことの研究としては、現在ならば、高精細デジタル画像を使って、コンピュータで画像を解析することができる。一昔前なら、いや、本当は今でもそうだが、日本全国に残っている実物の本をかたっぱしから見ていくしかない。書誌学の勉強、研究は、何よりも、実物の書物を手に取って見ることである。実物を手にして研究することで、紙を知ることができる。どんな紙に、どんな板木で刷ってあるのか、これは実物をじっくりと手にして見ないと分からない。
また、板木の研究ということも、近年になって、急速に研究の進んできた領域になる。黄表紙の板木は、誰がどのようにして持っていて、どのように、使われたのであろうか。
書誌学、板木研究の、最先端の知見からは、今日の回のことはどのように見ることになるのだろうか。
おきた、おひさ、歌麿の浮世絵に描かれた女性として名前が残っている。私が思うことは、美人画が特定の個人をモデルにしたものであって、その固有名詞が必須であった、ということの美術史、文化史的な意味である。モデルの女性の固有名詞など分からなくても、絵画の美術的価値が変わるものではない、という考え方もできるのだが、しかし、実際に世の中で受け入れられるときには、固有名詞を持った人物と認知されることがあった。抽象的な固有名から解放された美人画では、なぜいけなかったのだろうか。
このあたりの問題を考えると、現代でも、アイドルは固有名詞が必要である、ということにもおよぶ。それが、源氏名であっても、名前がある。二次元アイドルであっても、ボーカロイドであっても、名前がある。
一橋治済が出来ていたのだが、葵小僧の一件には、なにやら裏がありそうである。
それにしても、松平定信は、このドラマでは損な役回りであると思うことになる。
歌麿と栃木とのことで、江戸時代の文芸と地方の豪商、豪農ということが出てきていたのだが、こういうことをいうならば、まずは俳諧だろうと思うし、その他、いろんな学問や文学といった類いのことがあるはずである。それを、歌麿と狂歌ということだけにしてしまうのは、ちょっとどうかなと思うところである。
2025年10月19日記
『べらぼう』「尽きせぬは欲の泉」
歌麿の女性の大首絵の誕生をどう描くか、という視点で見ることになるのだが、それなりに納得できる。まあ、こんなだったのかもしれない。特に、異論があるということではない。
(何度も書いていることなのだが)歴史の結果としては、歌麿の美人画は大ヒットになった。しかし、それが、芸術として評価されるようになったのは、ヨーロッパでのジャポニズムがあって、それの価値観を、明治になって日本に改めて輸入(?)してからのことである。蔦重の時代、たしかに歌麿の美人画はヒットしたことはたしかなのだが、それは、大量の紙くずを作って売ったということでもあった。(極端に言えば、であるが。)
私として興味があるのは、今日ではきわめて高く評価されている浮世絵が、なぜ日本で芸術として評価されて残ることがなかったのか、という受容の歴史の問題である。このドラマで、そこのところまでどう描くことになるのか、と思って見ている。
江戸時代の人びとにとって、個人の個性の表現が芸術である、という発想は無理だったということでいいのだろうか。歌麿の美人画は、現代では、描かれた女性の個性を、絵師の個性的な表現であるとして、理解されていると思っているのだが。
それから、気になることは、黄表紙の再刊のこと。
江戸時代の木版本の場合、同じ板木から、何度も印刷することは、当たり前である。場合によっては、現代にいたるまで、同じ板木を使って印刷することもある。書誌学的な用語でいえば、後印本、後刷り、ということである。また、板本のコピーも多くおこなわれていた。被せ彫り、である。(一冊の書物をばらして、板木に貼り付けて、それを版下にして、そっくりに板木を彫る。よく出来たものだと、ちょっと見ただけでは、区別がつかない。)
現代の江戸時代文学の研究、書誌学的な研究として、黄表紙については、どれぐらいの後印本があったことになるのだろうか。こういうことの研究としては、現在ならば、高精細デジタル画像を使って、コンピュータで画像を解析することができる。一昔前なら、いや、本当は今でもそうだが、日本全国に残っている実物の本をかたっぱしから見ていくしかない。書誌学の勉強、研究は、何よりも、実物の書物を手に取って見ることである。実物を手にして研究することで、紙を知ることができる。どんな紙に、どんな板木で刷ってあるのか、これは実物をじっくりと手にして見ないと分からない。
また、板木の研究ということも、近年になって、急速に研究の進んできた領域になる。黄表紙の板木は、誰がどのようにして持っていて、どのように、使われたのであろうか。
書誌学、板木研究の、最先端の知見からは、今日の回のことはどのように見ることになるのだろうか。
おきた、おひさ、歌麿の浮世絵に描かれた女性として名前が残っている。私が思うことは、美人画が特定の個人をモデルにしたものであって、その固有名詞が必須であった、ということの美術史、文化史的な意味である。モデルの女性の固有名詞など分からなくても、絵画の美術的価値が変わるものではない、という考え方もできるのだが、しかし、実際に世の中で受け入れられるときには、固有名詞を持った人物と認知されることがあった。抽象的な固有名から解放された美人画では、なぜいけなかったのだろうか。
このあたりの問題を考えると、現代でも、アイドルは固有名詞が必要である、ということにもおよぶ。それが、源氏名であっても、名前がある。二次元アイドルであっても、ボーカロイドであっても、名前がある。
一橋治済が出来ていたのだが、葵小僧の一件には、なにやら裏がありそうである。
それにしても、松平定信は、このドラマでは損な役回りであると思うことになる。
歌麿と栃木とのことで、江戸時代の文芸と地方の豪商、豪農ということが出てきていたのだが、こういうことをいうならば、まずは俳諧だろうと思うし、その他、いろんな学問や文学といった類いのことがあるはずである。それを、歌麿と狂歌ということだけにしてしまうのは、ちょっとどうかなと思うところである。
2025年10月19日記
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