BS世界のドキュメンタリー「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」 ― 2025-07-21
2025年7月21日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」
2024年、イギリスの制作。
死生観というのは、歴史や文化によって大きく異なるものなので、一律に、死刑反対とは思わない。それを制度としてもっている国があってもいい。
個人的には、日本においては、死刑の制度はあってもいいと思っている。だが、そのあつかい、特に冤罪の可能性がある場合には、きわめて慎重であるべきである。(ただ、ここで、死刑廃止となると、これまでの判例との整合性という問題があることにはなるのだが。)
これは、アメリカのテキサス州のことである。死刑に決まった囚人に、その執行日があらかじめ知らされ、また、その直前まで、外部の人間と面会したりできる、死刑の執行に、事件の被害者がたちあうことができる……このようなことは、日本の死刑のあり方とくらべて、非常に変わったことに思える。ほとんど公開処刑に近い。フランス革命のときのギロチンとか、アメリカの西部劇のシーンなど思うことになる。
これは、死刑ということ、あるいは、刑事罰ということのもっている、社会的な意味、暗黙知というべきものかもしれないが、これが日本とは大きく異なるということであろう。
死刑につてどうこう思うというよりも、むしろ、歴史や文化の違いによって、死刑というのは、社会のなかで、これほど違っているのか、という驚きの方が大きい。だから、この番組を見て、だから死刑には反対であるとか、やはり死刑は必要であるとか、そのように感じるところはない。(私の場合はということであるが。)
事件については、犯行に使われた拳銃から指紋が検出されているといことは、かなり重要な証拠になるかと思う。
それにしても、無実と思って、その情報発信にポッドキャストが使われるというのは、今のアメリカならではのことなのであろう。また、出てきた人たちの多くが、プロテスタントの信仰を強く持っている、死刑の是非をめぐっては宗教的な対立がない(ように見える)ということも、アメリカのこの地域ならではのことかとも思う。
近代的な刑法の基本にあるのが、被害者の側から復讐する権利をうばうことである、ということを考えてみるべきだろう。その刑が死刑であるかいなかにかかわらず。
2025年7月13日記
BS世界のドキュメンタリー 「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」
2024年、イギリスの制作。
死生観というのは、歴史や文化によって大きく異なるものなので、一律に、死刑反対とは思わない。それを制度としてもっている国があってもいい。
個人的には、日本においては、死刑の制度はあってもいいと思っている。だが、そのあつかい、特に冤罪の可能性がある場合には、きわめて慎重であるべきである。(ただ、ここで、死刑廃止となると、これまでの判例との整合性という問題があることにはなるのだが。)
これは、アメリカのテキサス州のことである。死刑に決まった囚人に、その執行日があらかじめ知らされ、また、その直前まで、外部の人間と面会したりできる、死刑の執行に、事件の被害者がたちあうことができる……このようなことは、日本の死刑のあり方とくらべて、非常に変わったことに思える。ほとんど公開処刑に近い。フランス革命のときのギロチンとか、アメリカの西部劇のシーンなど思うことになる。
これは、死刑ということ、あるいは、刑事罰ということのもっている、社会的な意味、暗黙知というべきものかもしれないが、これが日本とは大きく異なるということであろう。
死刑につてどうこう思うというよりも、むしろ、歴史や文化の違いによって、死刑というのは、社会のなかで、これほど違っているのか、という驚きの方が大きい。だから、この番組を見て、だから死刑には反対であるとか、やはり死刑は必要であるとか、そのように感じるところはない。(私の場合はということであるが。)
事件については、犯行に使われた拳銃から指紋が検出されているといことは、かなり重要な証拠になるかと思う。
それにしても、無実と思って、その情報発信にポッドキャストが使われるというのは、今のアメリカならではのことなのであろう。また、出てきた人たちの多くが、プロテスタントの信仰を強く持っている、死刑の是非をめぐっては宗教的な対立がない(ように見える)ということも、アメリカのこの地域ならではのことかとも思う。
近代的な刑法の基本にあるのが、被害者の側から復讐する権利をうばうことである、ということを考えてみるべきだろう。その刑が死刑であるかいなかにかかわらず。
2025年7月13日記
芸能きわみ堂「日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談」 ― 2025-07-21
2025年7月21日 當山日出夫
芸能きわみ堂 日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談
この番組はあまり見ることはないのだが、たまたま、東海道四谷怪談ということなので録画しておいた。
東海道四谷怪談が仮名手本忠臣蔵に組み込まれたストーリーである、ということは、あまり知られていないことかもしれない。日本文学史の常識的知識であるとは思うのだが。
仮名手本忠臣蔵も全部を通しで上演するとなると、一日かかる。それに、東海道四谷怪談を入れ込んで上演するとなると、二日がかりである。これは、見る方もたいへんだが、演ずる方はもっとたいへんだろう。
その後の演劇史としてはどうなのだろうか。忠臣蔵から離れて独立して上演されるということになったかと思うのだが、その経緯はどうなのだろうか。(近世から近代の演劇史に詳しい人なら知っていることだろうと思うが。)
お化けの出てくる演劇としては、能楽ならいっぱい出てくると思う。お化けというよりも、亡者、亡霊、というべきであり、恐怖を感じるものとしてではないのだが。
日本の演劇史での恐怖の表現と受容……という観点から考えると、おそらく東海道四谷怪談が、画期的なものということになるのかと思う。
日本の文学や演劇の歴史において、怖い、ということはどう表現されてきたのか、あまり考えたことがない。近世になって、妖怪を描いたものが多くあり、中世からつづくものだろうと思ってみるぐらいである。『太平記』を読むと、お化けというか怪異というべきか、出てくるのだが、これを、中世から近世の人びとは、どう感じて読んだのだろうか。『源氏物語』にもののけや生き霊は出てくるが、現代では、あまり、怖い、という感情で読むことはないかもしれない。だが、『今昔物語集』の巻27の怪異の巻は、一人で静かに読むと、怖い思いをする。このことは、岩波の古い体系本の校注で、山田忠雄先生が書いておられることでもある。
現代では、怪談、がブームらしい。怪談を語ることが、現代の芸能として定着しているようだし、YouTubeにもたくさんの怪談がある。おそらく、文学と演劇、それから、話芸にまたがるところで、怪談の歴史ということを考えることになるのだろう。
怖い話というと、私の場合、『遠野物語』になる。これは、前近代的な感性の問題でもあると思っているが、怪談をふくんだ日本の文化史、精神史、民俗史、という大きな構想が必要になってくるかと思う。それよりも、それを、怖い、と感じる人間の感性の歴史といういことかだろうか。
2025年7月17日記
芸能きわみ堂 日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談
この番組はあまり見ることはないのだが、たまたま、東海道四谷怪談ということなので録画しておいた。
東海道四谷怪談が仮名手本忠臣蔵に組み込まれたストーリーである、ということは、あまり知られていないことかもしれない。日本文学史の常識的知識であるとは思うのだが。
仮名手本忠臣蔵も全部を通しで上演するとなると、一日かかる。それに、東海道四谷怪談を入れ込んで上演するとなると、二日がかりである。これは、見る方もたいへんだが、演ずる方はもっとたいへんだろう。
その後の演劇史としてはどうなのだろうか。忠臣蔵から離れて独立して上演されるということになったかと思うのだが、その経緯はどうなのだろうか。(近世から近代の演劇史に詳しい人なら知っていることだろうと思うが。)
お化けの出てくる演劇としては、能楽ならいっぱい出てくると思う。お化けというよりも、亡者、亡霊、というべきであり、恐怖を感じるものとしてではないのだが。
日本の演劇史での恐怖の表現と受容……という観点から考えると、おそらく東海道四谷怪談が、画期的なものということになるのかと思う。
日本の文学や演劇の歴史において、怖い、ということはどう表現されてきたのか、あまり考えたことがない。近世になって、妖怪を描いたものが多くあり、中世からつづくものだろうと思ってみるぐらいである。『太平記』を読むと、お化けというか怪異というべきか、出てくるのだが、これを、中世から近世の人びとは、どう感じて読んだのだろうか。『源氏物語』にもののけや生き霊は出てくるが、現代では、あまり、怖い、という感情で読むことはないかもしれない。だが、『今昔物語集』の巻27の怪異の巻は、一人で静かに読むと、怖い思いをする。このことは、岩波の古い体系本の校注で、山田忠雄先生が書いておられることでもある。
現代では、怪談、がブームらしい。怪談を語ることが、現代の芸能として定着しているようだし、YouTubeにもたくさんの怪談がある。おそらく、文学と演劇、それから、話芸にまたがるところで、怪談の歴史ということを考えることになるのだろう。
怖い話というと、私の場合、『遠野物語』になる。これは、前近代的な感性の問題でもあると思っているが、怪談をふくんだ日本の文化史、精神史、民俗史、という大きな構想が必要になってくるかと思う。それよりも、それを、怖い、と感じる人間の感性の歴史といういことかだろうか。
2025年7月17日記
『あんぱん』「面白がって生きえ」 ― 2025-07-20
2025年7月20日 當山日出夫
『あんぱん』 「面白がって生きえ」
視聴率はいいようだし、世評も高いようなのだが、私は見ていて今一つ面白くない。
たかがNHKの朝ドラで何をしようが、新聞が、そんなもの記事にするようなことは、昔はなかったのだが、新聞社は、クォリティ・ペーパーとはどうあるべきか、考えるときだろう。
戦中から戦後の時代というと、生活の感覚としてなんとなくその時代のことを覚えている世代と、まったく切り離されてしまって知識として知っているという世代と、別れてしまうことになるだろう。いわば、この時代は、時代劇化しているといってもいい。時代劇が、かならずしも、江戸時代のリアルである必要はなく、そのような設定の特殊な世界のこと、その(架空の)世界を共有することを前提に、ドラマを描けばいいということになる。
だが、この時代の生活の感覚を残している人もいるわけで、ここで生じる齟齬は、もはやどうしようもないのかとも思う。
のぶたち、「月刊くじら」の編集部は全員で東京に行く。高知の地方新聞の雑誌として、高知選出の国会議員のことを取材すること自体は理解できることである。
そうであるとしても、まず、その前に、最初の衆議院議員選挙があり、男女普通選挙であり、のぶたちも選挙権があったこと、どのような選挙があり、誰が当選したのか、そして、それを高知新報でどう報じたのかということがないと、ドラマのストーリーとして説得力がない。いきなり東京に行って議員のことを取材するということは、無理だろう。
少なくとも、議員の地元の事務所に事前に連絡をとっておく必要があると思うのだが、どうなのだろうか。「月刊くじら」はこの時代のカストリ雑誌の突撃取材、暴露記事ではないと思う。どうやら薪鉄子議員は、高知新報に多大の影響力を持っている、地元の名士であるとのことである。ならば、ここは、かならず事前の連絡があってしかるべきところである。
多くの視聴者は気にならないことかもしれないが、私が見ていてどうしても気になったのは、嵩の帽子である。この時代であれば、男性は基本的に外出するときに帽子をかぶるものであった。そして、それをとるのは礼節の一部であった。
街で嵩は八木に再会する。その姿を見つけて、嵩は、八木上等兵、と呼びかける。このとき、嵩は帽子をかぶったままだった。これは、私には、非常に不自然に思える。ここは、まず帽子をとるか、あるいは、軽く帽子に手をやって半分ぐらいとった状態で、かるく会釈をしてから、声をかける、そういう仕草の場面だと思う。
また、薪鉄子と面会しているとき、嵩はのぶの横に座っていたが、帽子はかぶったままだった。室内で、目上の人に会うときであれば、帽子は取らなければならない。
こういう礼節、という言い方が大げさなら、その時代の人びとにとっての自然な振る舞い方、ということを、このドラマはかなり無視して作っていると感じるところがいくつもある。
高知ののぶとメイコの暮らしぶりが分からない。のぶは新聞社で働き、メイコは食堂で働いている。それならば、この家の家事とか、買物とか、どうなっているのだろうか。だれが食事の準備などしているのだろうか。食卓は料理は質素であることは分かるのだが、いったいどれぐらいの食料を買うことができているのか、闇市はどれぐらい行っているのか、まったくリアルでない。いやしくも新聞社の記者としてののぶの目には、この時代の高知の普通の人びとの暮らしがどうであるのか、自分自身の生活をふくめて、何を見てどう感じていたのか、こういう部分がまったく描かれていない。
家の中の場面も、非常にきれいに掃除され、家具や調度もととのっている。しかし、そこで、のぶと次郎が暮らし、今は、メイコと一緒に暮らしているという、生活の感覚がまったく感じられない。この生活感の無さ、というのはどう考えてもおかしいと感じる。
ドラマの制作の方針なのだろうが、東京に行って帰ってきたのぶたちの一行は、身なりがきれいなままである。高知から東京まで、船と鉄道で片道二日以上かけての取材旅行である。船がどこからどこまでとは言っていなかったが、常識的には、高知から大阪までだっただろう。そうすると、船中は雑魚寝である。こういう旅行であった時代であるにもかかわらず、衣服はパリッとしていてシワひとつない。汚れもない。これは、どう考えても、不自然としか感じられない。これは、汚れた衣装は使いたくないという制作の方向だろうと思うことになるが、ドラマとしては、著しく説得力を欠くことになってしまう。
釜じいが死んだ。この描き方もどうかと思う。このドラマでは、世代間の対立、考え方の違いということを、描かないできている。亡くなったのぶの父親も、嵩のおじさんも、進歩的な考え方のもちぬしであった。せいぜい古い感覚を持っているのが、釜じいと祖母のくらなのだが、けっして封建的な古めかしさは出さない。逆に、非常に進歩的な考え方のもちぬしである。別に、この時代の高知の田舎町で、こんな老人がいてもいいとは思うのだが、ドラマの構成として、古い価値観、考え方を体現する人物がほとんどいない。はたらいて東京に行くというのぶの前に立ちふさがる障壁となるものが、何も存在しない。
強いて考えてみると、AKの前作である『虎に翼』で、寅子の前に壁となった穂高先生の描き方が、脚本としてあまりに下手であったことを配慮してのことかもしれないと思ったりする。同じ、小林薫であっても、『カーネーション』の父親の善作は、古い頑固親父であるが、魅力的なキャラクターであった。こういう人物造形ができないので、もうはじめからあきらめて、釜じいを、いいおじいさんにしてしまったのかもしれない、と思うのだが、考えすぎだろうか。
葬儀の場面で、釜じいの大きな写真の遺影が祭壇にあったが、これは、この時代のことを考えると、絶対にありえないことだろう。遺影となるべき写真があり、それを、大きな印画紙に焼き付けるということは、朝田の家の生活を考えると、不可能と思えてならない。
週の最後で、東海林編集長がのぶに、教師として子どもたちに軍国主義教育をしてきたことの贖罪として、戦災孤児や浮浪児のことを記事にしている、と言われていたが、これまでのこのドラマのことを思ってみると、(なんども書いていることだが)何故のぶが軍国少女になり、教師になり、その後、終戦を経て、それが間違っていると考えるようになったのか、そのプロセスがスカスカなのである。これは、時代の世相とともに、細かに描くところであったはずである。
戦時中に日本国民の戦意高揚をはかったのは、新聞とラジオ(NHK)であり、敗戦後は、手のひらをかえしたように、GHQの指示にしたがったのも新聞とラジオであった、こういうことは、歴史の常識として当たり前のことであるから、強いてかくすことではないと思っている。ここも、GHQのプレスコードのことを気にする高知新報を描かない方針であるので、こうなってしまったということになるのかもしれないが。
東京の闇市では美味しそうなコッペパンがふんだんにある。しかし、高知では材料の小麦粉もない。これはどうなのだろうか、とも感じるところである。
2025年7月18日記
『あんぱん』 「面白がって生きえ」
視聴率はいいようだし、世評も高いようなのだが、私は見ていて今一つ面白くない。
たかがNHKの朝ドラで何をしようが、新聞が、そんなもの記事にするようなことは、昔はなかったのだが、新聞社は、クォリティ・ペーパーとはどうあるべきか、考えるときだろう。
戦中から戦後の時代というと、生活の感覚としてなんとなくその時代のことを覚えている世代と、まったく切り離されてしまって知識として知っているという世代と、別れてしまうことになるだろう。いわば、この時代は、時代劇化しているといってもいい。時代劇が、かならずしも、江戸時代のリアルである必要はなく、そのような設定の特殊な世界のこと、その(架空の)世界を共有することを前提に、ドラマを描けばいいということになる。
だが、この時代の生活の感覚を残している人もいるわけで、ここで生じる齟齬は、もはやどうしようもないのかとも思う。
のぶたち、「月刊くじら」の編集部は全員で東京に行く。高知の地方新聞の雑誌として、高知選出の国会議員のことを取材すること自体は理解できることである。
そうであるとしても、まず、その前に、最初の衆議院議員選挙があり、男女普通選挙であり、のぶたちも選挙権があったこと、どのような選挙があり、誰が当選したのか、そして、それを高知新報でどう報じたのかということがないと、ドラマのストーリーとして説得力がない。いきなり東京に行って議員のことを取材するということは、無理だろう。
少なくとも、議員の地元の事務所に事前に連絡をとっておく必要があると思うのだが、どうなのだろうか。「月刊くじら」はこの時代のカストリ雑誌の突撃取材、暴露記事ではないと思う。どうやら薪鉄子議員は、高知新報に多大の影響力を持っている、地元の名士であるとのことである。ならば、ここは、かならず事前の連絡があってしかるべきところである。
多くの視聴者は気にならないことかもしれないが、私が見ていてどうしても気になったのは、嵩の帽子である。この時代であれば、男性は基本的に外出するときに帽子をかぶるものであった。そして、それをとるのは礼節の一部であった。
街で嵩は八木に再会する。その姿を見つけて、嵩は、八木上等兵、と呼びかける。このとき、嵩は帽子をかぶったままだった。これは、私には、非常に不自然に思える。ここは、まず帽子をとるか、あるいは、軽く帽子に手をやって半分ぐらいとった状態で、かるく会釈をしてから、声をかける、そういう仕草の場面だと思う。
また、薪鉄子と面会しているとき、嵩はのぶの横に座っていたが、帽子はかぶったままだった。室内で、目上の人に会うときであれば、帽子は取らなければならない。
こういう礼節、という言い方が大げさなら、その時代の人びとにとっての自然な振る舞い方、ということを、このドラマはかなり無視して作っていると感じるところがいくつもある。
高知ののぶとメイコの暮らしぶりが分からない。のぶは新聞社で働き、メイコは食堂で働いている。それならば、この家の家事とか、買物とか、どうなっているのだろうか。だれが食事の準備などしているのだろうか。食卓は料理は質素であることは分かるのだが、いったいどれぐらいの食料を買うことができているのか、闇市はどれぐらい行っているのか、まったくリアルでない。いやしくも新聞社の記者としてののぶの目には、この時代の高知の普通の人びとの暮らしがどうであるのか、自分自身の生活をふくめて、何を見てどう感じていたのか、こういう部分がまったく描かれていない。
家の中の場面も、非常にきれいに掃除され、家具や調度もととのっている。しかし、そこで、のぶと次郎が暮らし、今は、メイコと一緒に暮らしているという、生活の感覚がまったく感じられない。この生活感の無さ、というのはどう考えてもおかしいと感じる。
ドラマの制作の方針なのだろうが、東京に行って帰ってきたのぶたちの一行は、身なりがきれいなままである。高知から東京まで、船と鉄道で片道二日以上かけての取材旅行である。船がどこからどこまでとは言っていなかったが、常識的には、高知から大阪までだっただろう。そうすると、船中は雑魚寝である。こういう旅行であった時代であるにもかかわらず、衣服はパリッとしていてシワひとつない。汚れもない。これは、どう考えても、不自然としか感じられない。これは、汚れた衣装は使いたくないという制作の方向だろうと思うことになるが、ドラマとしては、著しく説得力を欠くことになってしまう。
釜じいが死んだ。この描き方もどうかと思う。このドラマでは、世代間の対立、考え方の違いということを、描かないできている。亡くなったのぶの父親も、嵩のおじさんも、進歩的な考え方のもちぬしであった。せいぜい古い感覚を持っているのが、釜じいと祖母のくらなのだが、けっして封建的な古めかしさは出さない。逆に、非常に進歩的な考え方のもちぬしである。別に、この時代の高知の田舎町で、こんな老人がいてもいいとは思うのだが、ドラマの構成として、古い価値観、考え方を体現する人物がほとんどいない。はたらいて東京に行くというのぶの前に立ちふさがる障壁となるものが、何も存在しない。
強いて考えてみると、AKの前作である『虎に翼』で、寅子の前に壁となった穂高先生の描き方が、脚本としてあまりに下手であったことを配慮してのことかもしれないと思ったりする。同じ、小林薫であっても、『カーネーション』の父親の善作は、古い頑固親父であるが、魅力的なキャラクターであった。こういう人物造形ができないので、もうはじめからあきらめて、釜じいを、いいおじいさんにしてしまったのかもしれない、と思うのだが、考えすぎだろうか。
葬儀の場面で、釜じいの大きな写真の遺影が祭壇にあったが、これは、この時代のことを考えると、絶対にありえないことだろう。遺影となるべき写真があり、それを、大きな印画紙に焼き付けるということは、朝田の家の生活を考えると、不可能と思えてならない。
週の最後で、東海林編集長がのぶに、教師として子どもたちに軍国主義教育をしてきたことの贖罪として、戦災孤児や浮浪児のことを記事にしている、と言われていたが、これまでのこのドラマのことを思ってみると、(なんども書いていることだが)何故のぶが軍国少女になり、教師になり、その後、終戦を経て、それが間違っていると考えるようになったのか、そのプロセスがスカスカなのである。これは、時代の世相とともに、細かに描くところであったはずである。
戦時中に日本国民の戦意高揚をはかったのは、新聞とラジオ(NHK)であり、敗戦後は、手のひらをかえしたように、GHQの指示にしたがったのも新聞とラジオであった、こういうことは、歴史の常識として当たり前のことであるから、強いてかくすことではないと思っている。ここも、GHQのプレスコードのことを気にする高知新報を描かない方針であるので、こうなってしまったということになるのかもしれないが。
東京の闇市では美味しそうなコッペパンがふんだんにある。しかし、高知では材料の小麦粉もない。これはどうなのだろうか、とも感じるところである。
2025年7月18日記
『とと姉ちゃん』「常子、初任給をもらう」 ― 2025-07-20
2025年7月20日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』 「常子、初任給をもらう」
『とと姉ちゃん』は2016年の作品である。これも、現代(2025)で作るとなると、もう少し違った作り方になるかと思う。
このドラマには、これまでのところ、働く女性という存在がいくつか出てきている。
まず、森田屋の仕事は、半分が女性従業員である。一つの家族でやっている商売だから従業員ということではないかもしれないが、現代の視点から見ても、れっきとした森田屋の従業員である。
青柳の女将さん(滝子)も、現代でいえば、女性の経営者、実業家、ということになる。
女学校の東堂先生も、働く女性といっていい。(おそらく、本人にはそういう気持ちはないかとも思うが。)
そして、常子の働く鳥巣商事のタイピストたちである。会社につとめて、タイピストという専門の技能で働いている。
このドラマのなかでは、この会社員の女性が、働く女性ということになっている。これは、現代的な労働観にもとづくものということになる。強いて分類するならば、ホワイトカラーでないと、働く女性ではない、ブルーカラーを排除して考えていることになる。
この視点で見ると、たしかに会社内の男性と女性の待遇、働き方、お互いの意識などは、現代の価値観からすると問題があることになり、ドラマの脚本としては、ここのところに焦点を合わせて描いていることになる。
しかし、森田屋の人びとのような生活が、おそらくは、戦後になって、高度経済成長とともに、専業主婦ということがある程度ひろまるまでは、普通の生き方だったことになる。
ホワイトカラー限定で考える働く女性の歴史というのもあっていいが、その視点では見落としてしまう部分があることを、このドラマは描いていると、再放送を見て思うことである。
2025年7月19日記
『とと姉ちゃん』 「常子、初任給をもらう」
『とと姉ちゃん』は2016年の作品である。これも、現代(2025)で作るとなると、もう少し違った作り方になるかと思う。
このドラマには、これまでのところ、働く女性という存在がいくつか出てきている。
まず、森田屋の仕事は、半分が女性従業員である。一つの家族でやっている商売だから従業員ということではないかもしれないが、現代の視点から見ても、れっきとした森田屋の従業員である。
青柳の女将さん(滝子)も、現代でいえば、女性の経営者、実業家、ということになる。
女学校の東堂先生も、働く女性といっていい。(おそらく、本人にはそういう気持ちはないかとも思うが。)
そして、常子の働く鳥巣商事のタイピストたちである。会社につとめて、タイピストという専門の技能で働いている。
このドラマのなかでは、この会社員の女性が、働く女性ということになっている。これは、現代的な労働観にもとづくものということになる。強いて分類するならば、ホワイトカラーでないと、働く女性ではない、ブルーカラーを排除して考えていることになる。
この視点で見ると、たしかに会社内の男性と女性の待遇、働き方、お互いの意識などは、現代の価値観からすると問題があることになり、ドラマの脚本としては、ここのところに焦点を合わせて描いていることになる。
しかし、森田屋の人びとのような生活が、おそらくは、戦後になって、高度経済成長とともに、専業主婦ということがある程度ひろまるまでは、普通の生き方だったことになる。
ホワイトカラー限定で考える働く女性の歴史というのもあっていいが、その視点では見落としてしまう部分があることを、このドラマは描いていると、再放送を見て思うことである。
2025年7月19日記
よみがえる新日本紀行「鹿のいる公園-奈良-」 ― 2025-07-20
2025年7月20日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「鹿のいる公園-奈良-」
再放送である。2020年。オリジナルは、1975年(昭和50年)。
我が家から奈良公園までは、自動車で30分はかからないのだが、ここ数年のあいだ、行っていない。奈良国立博物館の国宝展も行かなかった。もう人の多いところに出ていくのが、いやになっているのである。行列もしたくない。
近鉄の駅を降りて、奈良公園の方へ歩いて行くと、まわりが外国人観光客ばかり、なかでも中国から来たとおぼしい人たちが大勢いるという状態になったのは、かなり前からである。
ローカルニュースでは、奈良公園の鹿のことは、たびたび取りあげられる。毎年、鹿苑で子鹿が生まれるときは、ニュースになる。鹿の角切り、それから、鹿寄せ、などもニュースになる。
だが、亡くなった鹿の供養の行事があるというのは、ニュースで見たことがない。これは、今でもおこなっているのだろうか。(奈良の鹿は、春日大社の神様のつかい、ということであるから、これは春日大社の行事なのだろうか。神仏習合の昔なら、興福寺で行ってもいいことだが。)
今、問題になっているのは、観光客の捨てるゴミを鹿が食べてしまうことの被害である。プラスチックゴミ問題ということになるが、これはもう全国的な、あるいは、世界的な大きな問題の一つでもある。
それから、保護されている区域以外のエリアでは、今では(今でも)、鹿は農作物をあらす「害獣」ということになる。これにどう対処するかは、かなり難しい問題で、簡単な解決法があるということではなさそうである。
「よみがえる新日本紀行」を見ると、この半世紀ぐらいの間に大きく変化してした日本の暮らしや人びとの意識ということを、どうしても思うのだが、この回については、昔と変わらない姿を残していると感じることになる。
2025年7月16日記
よみがえる新日本紀行 「鹿のいる公園-奈良-」
再放送である。2020年。オリジナルは、1975年(昭和50年)。
我が家から奈良公園までは、自動車で30分はかからないのだが、ここ数年のあいだ、行っていない。奈良国立博物館の国宝展も行かなかった。もう人の多いところに出ていくのが、いやになっているのである。行列もしたくない。
近鉄の駅を降りて、奈良公園の方へ歩いて行くと、まわりが外国人観光客ばかり、なかでも中国から来たとおぼしい人たちが大勢いるという状態になったのは、かなり前からである。
ローカルニュースでは、奈良公園の鹿のことは、たびたび取りあげられる。毎年、鹿苑で子鹿が生まれるときは、ニュースになる。鹿の角切り、それから、鹿寄せ、などもニュースになる。
だが、亡くなった鹿の供養の行事があるというのは、ニュースで見たことがない。これは、今でもおこなっているのだろうか。(奈良の鹿は、春日大社の神様のつかい、ということであるから、これは春日大社の行事なのだろうか。神仏習合の昔なら、興福寺で行ってもいいことだが。)
今、問題になっているのは、観光客の捨てるゴミを鹿が食べてしまうことの被害である。プラスチックゴミ問題ということになるが、これはもう全国的な、あるいは、世界的な大きな問題の一つでもある。
それから、保護されている区域以外のエリアでは、今では(今でも)、鹿は農作物をあらす「害獣」ということになる。これにどう対処するかは、かなり難しい問題で、簡単な解決法があるということではなさそうである。
「よみがえる新日本紀行」を見ると、この半世紀ぐらいの間に大きく変化してした日本の暮らしや人びとの意識ということを、どうしても思うのだが、この回については、昔と変わらない姿を残していると感じることになる。
2025年7月16日記
100分de名著「フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (2)科学の手前にある豊かな世界」 ― 2025-07-19
2025年7月19日 當山日出夫
100分de名著 フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (2)科学の手前にある豊かな世界
この回を見て思うこととしては、しごく当たり前のことを語っているということになる。
人間の人間たるゆえんをどこにもとめるかとなったとき、現代の科学としては、DNAにもとめるか、脳にもとめるか、ということになる。そして、それらは、究極的には物理的な法則で動いている、機能しているものである、ということになる。その物理的な法則は、この宇宙が生まれたときにさかのぼることのできる、普遍的な法則にしたがっていることになる。これは、現代の人間の常識的な知識というべきだろう。
だが、そうであるとして、そのDNAや、脳の働きや、宇宙の起源などを、考えている自分自身の意識は、どうなのかということになる。いったいこれを考えている人間は何者なのであるか、という問いかけになる。こういうことをふまえて、人間にとっての自由意志とは何か、考えることになる。
人間が、この世界から姿を消したとしても、宇宙の物理的な法則は変わらないはずである。
では、美、というものはどうだろうか。人間の外側に存在しているもので、それが人間が感知していると考えるか、あるいは、それらはすべて人間の脳のはたらきとして説明することになるのか。これは、古来より、美というものをめぐって、考えられてきたことであるはずだと思っている。
さらに、意味、というものはどうだろうか。ことばの意味とは、人間の外側に存在するものなのだろうか、あるいは、人間の言語をつかった種々の活動のなかに生じているものなのだろうか。人間が消滅すると、ことばの意味、といういことも消滅すると考えるべきだろうか。
このようなことを考えると、原点にたちかえって、素朴な人間の日常の感覚ということが重要な意味を持っている、ということになる。生活世界ということは、現代において、AIと人間ということを考えるときに、基本となることだと思う。もし、シンギュラリティが可能だとして、意識を持つAIが生まれたら、そのAIにとって、宇宙の根本法則とはどういう意味をもつものとして、とらえられることになるのだろうか。知識として、物理の法則を知っているということではなく、それを知っている自分自身をどう認識するか、ということである。
2025年7月18日記
100分de名著 フッサール“ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学” (2)科学の手前にある豊かな世界
この回を見て思うこととしては、しごく当たり前のことを語っているということになる。
人間の人間たるゆえんをどこにもとめるかとなったとき、現代の科学としては、DNAにもとめるか、脳にもとめるか、ということになる。そして、それらは、究極的には物理的な法則で動いている、機能しているものである、ということになる。その物理的な法則は、この宇宙が生まれたときにさかのぼることのできる、普遍的な法則にしたがっていることになる。これは、現代の人間の常識的な知識というべきだろう。
だが、そうであるとして、そのDNAや、脳の働きや、宇宙の起源などを、考えている自分自身の意識は、どうなのかということになる。いったいこれを考えている人間は何者なのであるか、という問いかけになる。こういうことをふまえて、人間にとっての自由意志とは何か、考えることになる。
人間が、この世界から姿を消したとしても、宇宙の物理的な法則は変わらないはずである。
では、美、というものはどうだろうか。人間の外側に存在しているもので、それが人間が感知していると考えるか、あるいは、それらはすべて人間の脳のはたらきとして説明することになるのか。これは、古来より、美というものをめぐって、考えられてきたことであるはずだと思っている。
さらに、意味、というものはどうだろうか。ことばの意味とは、人間の外側に存在するものなのだろうか、あるいは、人間の言語をつかった種々の活動のなかに生じているものなのだろうか。人間が消滅すると、ことばの意味、といういことも消滅すると考えるべきだろうか。
このようなことを考えると、原点にたちかえって、素朴な人間の日常の感覚ということが重要な意味を持っている、ということになる。生活世界ということは、現代において、AIと人間ということを考えるときに、基本となることだと思う。もし、シンギュラリティが可能だとして、意識を持つAIが生まれたら、そのAIにとって、宇宙の根本法則とはどういう意味をもつものとして、とらえられることになるのだろうか。知識として、物理の法則を知っているということではなく、それを知っている自分自身をどう認識するか、ということである。
2025年7月18日記
サイエンスZERO「奄美大島“マングース根絶” 外来種にどう向き合う!?」 ― 2025-07-19
2025年7月19日 當山日出夫
サイエンスZERO 奄美大島“マングース根絶” 外来種にどう向き合う!?
奄美大島のマングース根絶というニュースは、見た記憶があるのだが、あまり深く考えることもなく、そういうことになったのかと思っていた。しかし、この番組を見ると、いろいろ面白い。
内容の順序とは逆になるが、マングースがいなくなったということをどう証明するか、ということがとても興味深い。ただ、やみくもに罠をしかけて、それにかからなくなったというだけではない。もし、マングースがいて繁殖していれば、罠にかかる確率を計算する。そして、罠にかかっていないので、マングースがいない、ということがいえる。そのためには、マングースのホームレンジサイズ、その行動範囲ということになるのだろうが、これを確認しなければならない。だが、そのためには、マングースがいないと確かめられない。帰納的に考えようにも、その材料となるものが減ってしまっていては、どうしようもないことになる。そこで、まだマングースがいる沖縄で、マングースの糞の採取とDNA解析による個体識別で、ホームレンジサイズを推定する。このように考えると、マングースを根絶した宣言できることの背景が、非常に科学的根拠にもとづいていることが理解できる。
それにしても、20年にわたってマングースバスターズの仕事を継続してきたというのは、なかなかすごいことである。
報奨金で捕獲をうながそうとすると、効率的に捕まえられる場所に罠をしかけることになるので、根絶ということにはいたらない。(番組の中では言っていなかったが、最悪の場合、マングースを飼育して増やしてそれをお金にしようともくろむやからがでてきてもおかしくはない。)
供養碑があるのは、日本ならではのことだと思う。しかし、これを作るのに環境省の予算は使っていないという。これぐらい、国の予算で作ってもいいようなものであるし、博物館などで目につく場所にあってもいいようには思う。だが、やはり、こういうものは、ひっそりとあるべきかもしれないが。
2025年7月15日記
サイエンスZERO 奄美大島“マングース根絶” 外来種にどう向き合う!?
奄美大島のマングース根絶というニュースは、見た記憶があるのだが、あまり深く考えることもなく、そういうことになったのかと思っていた。しかし、この番組を見ると、いろいろ面白い。
内容の順序とは逆になるが、マングースがいなくなったということをどう証明するか、ということがとても興味深い。ただ、やみくもに罠をしかけて、それにかからなくなったというだけではない。もし、マングースがいて繁殖していれば、罠にかかる確率を計算する。そして、罠にかかっていないので、マングースがいない、ということがいえる。そのためには、マングースのホームレンジサイズ、その行動範囲ということになるのだろうが、これを確認しなければならない。だが、そのためには、マングースがいないと確かめられない。帰納的に考えようにも、その材料となるものが減ってしまっていては、どうしようもないことになる。そこで、まだマングースがいる沖縄で、マングースの糞の採取とDNA解析による個体識別で、ホームレンジサイズを推定する。このように考えると、マングースを根絶した宣言できることの背景が、非常に科学的根拠にもとづいていることが理解できる。
それにしても、20年にわたってマングースバスターズの仕事を継続してきたというのは、なかなかすごいことである。
報奨金で捕獲をうながそうとすると、効率的に捕まえられる場所に罠をしかけることになるので、根絶ということにはいたらない。(番組の中では言っていなかったが、最悪の場合、マングースを飼育して増やしてそれをお金にしようともくろむやからがでてきてもおかしくはない。)
供養碑があるのは、日本ならではのことだと思う。しかし、これを作るのに環境省の予算は使っていないという。これぐらい、国の予算で作ってもいいようなものであるし、博物館などで目につく場所にあってもいいようには思う。だが、やはり、こういうものは、ひっそりとあるべきかもしれないが。
2025年7月15日記
知恵泉「岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人」 ― 2025-07-19
2025年7月19日 當山日出夫
知恵泉 岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人
この人物のことは知らなかった。しかし、地方の観光のことについては、とても有名な人なのだろう。
宮崎には行ったことがある。定番の観光コースになる。高千穂に行った。このころは、まだJR(だったと思う)が走っていた。
宮崎が新婚旅行の人気の行き先だったということは、私ぐらいの年代なら覚えていることである。だが、なぜ、そのようになったかということについては、あまり考えたことがなかった。たしかに、世の中でそういうブームが起こるということは、それを発案した人間がいるということになる。(そもそも、新婚旅行ということが恒例化したのは、どういう経緯かということになる。そこには旅行業者や、鉄道などの、おもわくがあってのことにちがいないとは思うが。)
Wikipediaを見ると、岩切章太郎は、一高から東大に入っているが、同期に岸信介などがいたことになる。番組のなかでは言っていなかったが、一高・東大の人脈をかなり活用していたことだろう。
見るべきものがないのなら、風景を作ってしまう……こういう発想は、なかなか出てこない。宮崎の南国のイメージは作られたものということになるが、しかし、戦略としては成功したことになる。といって、このような方式が、他の地域で通用するかどうかは、難しいかもしれないが。
とはいっても、現在の日本の観光地というのは、どこであってもなにがしか近代になってから作ってきたものであることは、たしかなことである。京都もそうだろうし、伊勢などもそうである。
観光バスというのに、ひさしく乗っていない。バスガイドさんという仕事は今でもあるあるのだろうが、はたして今はどういう職場になっているだろうか。もう今では、バスに乗って旅行に行こうという気にはならないでいる。
朝ドラの『たまゆら』はタイトルは覚えている。見たという記憶はない。この時代は、文字通りの「連続テレビ小説」であった。川端康成の『たまゆら』は、講談社文芸文庫版がある。あいにくKindle版がない。
2025年7月17日記
知恵泉 岩切章太郎 南国宮崎・新婚旅行ブーム仕掛け人
この人物のことは知らなかった。しかし、地方の観光のことについては、とても有名な人なのだろう。
宮崎には行ったことがある。定番の観光コースになる。高千穂に行った。このころは、まだJR(だったと思う)が走っていた。
宮崎が新婚旅行の人気の行き先だったということは、私ぐらいの年代なら覚えていることである。だが、なぜ、そのようになったかということについては、あまり考えたことがなかった。たしかに、世の中でそういうブームが起こるということは、それを発案した人間がいるということになる。(そもそも、新婚旅行ということが恒例化したのは、どういう経緯かということになる。そこには旅行業者や、鉄道などの、おもわくがあってのことにちがいないとは思うが。)
Wikipediaを見ると、岩切章太郎は、一高から東大に入っているが、同期に岸信介などがいたことになる。番組のなかでは言っていなかったが、一高・東大の人脈をかなり活用していたことだろう。
見るべきものがないのなら、風景を作ってしまう……こういう発想は、なかなか出てこない。宮崎の南国のイメージは作られたものということになるが、しかし、戦略としては成功したことになる。といって、このような方式が、他の地域で通用するかどうかは、難しいかもしれないが。
とはいっても、現在の日本の観光地というのは、どこであってもなにがしか近代になってから作ってきたものであることは、たしかなことである。京都もそうだろうし、伊勢などもそうである。
観光バスというのに、ひさしく乗っていない。バスガイドさんという仕事は今でもあるあるのだろうが、はたして今はどういう職場になっているだろうか。もう今では、バスに乗って旅行に行こうという気にはならないでいる。
朝ドラの『たまゆら』はタイトルは覚えている。見たという記憶はない。この時代は、文字通りの「連続テレビ小説」であった。川端康成の『たまゆら』は、講談社文芸文庫版がある。あいにくKindle版がない。
2025年7月17日記
英雄たちの選択「シリーズ 知られざる島の歴史旅 種子島 〜戦国を変えたイノベーション〜」 ― 2025-07-18
2025年7月18日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ 知られざる島の歴史旅 種子島 〜戦国を変えたイノベーション〜
鉄砲の伝来については、日本史の教科書に載っている以上の知識を、さほどもちあわせているわけではない。
鉄砲については、次のようなことがポイントになるだろうか。
なぜ、このタイミングだったのか。これは、歴史を振り返れば、まさに絶妙のタイミングであったということになる。鉄砲が日本の軍事を変えたことになるが、それに成功したのが、やはり信長ということになるのだろう。鉄砲がなければ、日本の戦国時代はその後どうなっていただろうか。
なぜ、種子島だったのだろうか。ポルトガル人が鉄砲をもたらしたのだが、その船は、中国(明)のジャンク船であった。視点を変えれば、明の商人のビジネスの一部として、日本に鉄砲をもたらした、ということになる。このとき、種子島を意図的に選んだのだろうか。他の九州のどこか(あるいは琉球)に行くということはなかったのだろうか。
たまたま種子島だったせいで、そこには、鉄砲鍛冶がいて、鉄(砂鉄)たくさんあり、木炭は無論のこと硫黄も調達でき、さらには、硝石を作る技術も持っていた。結果的には、すぐにコピーを作ることに成功したことになる。
先端技術を目にして、すぐにそのリバースエンジニアリングが出来たというのは、やはりこの時代の、種子島のみならず日本の技術力はすごいものがあった、ということになるだろう。
鉄砲の作り方と、火薬(黒色火薬)の作り方は、瞬く間に日本中……あくまでも、この時代の日本ということになるが……にひろまった。この伝搬の速度、そして、それを使った新しい戦闘の方法を編み出したということは、日本史のなかでも画期的な出来事ということになるだろう。その結果、天下統一、徳川による平和な時代があった。(ただ、鉄砲の技術については、幕末になるまで基本的に進歩しなかったことになるが。)
軍事的には、革命的な武器ということになる。(番組では言っていなかったが)鉄砲をあつかうのは、武士ではなく、足軽であり、いわゆるサムライの戦いの時代が終わったということにもなるだろう。(なぜ、日本の武士たちは、自ら鉄砲を撃とうとしなかったのだろうか。また、鉄砲を持った部隊の遊撃戦とか散兵線が可能になることは、日本の軍事史でどういう意味があったことになるのだろうか。)強いて考えれば、だからこそ、武士道というのが、非常に観念的なものとして発達したことにもなるかと思う。
世界の歴史のなかでの鉄砲の技術と軍事、こういう視点で見ると、日本の歴史もまた違った見え方になるはずである。(幕末になって、アメリカ南北戦争で不要になった銃が日本にもたらされたこともふくめて。)さらには、日本の近代の軍隊と銃の歴史ということにもつながるだろう。
先込め式の火縄銃であり、有効射的距離が数十メートルぐらいであること、連射速度は弓に劣るだろうが、破壊力はまさる……こういう鉄砲については、信長が考えたように、鉄砲隊を組織して集団戦法ということになるのが、軍事的に合理的な判断になるにちがいない。
強力な武器を手にしたとき、人間はどうふるまうべきか……これは、とても難しい問題である。20世紀までは、武器は基本的に国家がコントロールするものであった。(カラシニコフのように、世界中にばらまかれたものもあるけれど。)コンピュータやネットワーク、さらには、AIの登場という時代になってくると、これは、もはや国家(旧来の国民国家)の枠ではコントロールできない。
ところで、どうでもいいことかと思うが、番組の中に映っていた、種子島家の史料を見ると、書いてある文字が唐様のスタイルであった。これは、史料の成立、書写の経緯、あるいは、種子島という島の文化、これらと関係のあることなのだろうか。
気になったこととしては、これは私がずっと気になっていることなのだが……古代の貝塚から釣り針が見つかるのは、何故なのだろうか。貝塚というのはゴミ捨て場だと認識している。といういことは、ここで見つかった釣り針はゴミだったということでいいのだろうか。おそらく、古代において、釣り針は貴重品であったはずであり、そう粗末にあつかってはいなかったと想像する。例えば、神話にでてくる海幸彦山幸彦の話しなど。なぜ、貝塚から釣り針が見つかるのか、その理由を、考古学者や歴史学者はどう考えているのだろうか。
種子島で鉄製の釣り針が見つかる。これは、鉄が使えた、砂鉄が豊富にあったということもあるだろうが、逆に、釣り針の材料になるような大型の獣がいなかったので、その骨が無かったからかもしれないが、さてどうなのだろう。貝殻などから作ることもできたのかもしれないと思うが、考古学的に見て釣り針の歴史はどう描くことができるのだろうか。
鉄の釣り針が、さびてボロボロにならずに残っていた理由は何なのだろうか。海水にさらされれば、普通の鉄の釣り針ならば、すぐにさびてしまうと思うのだが、見つかった釣り針は、どこでどのような状態で残っていたものなのだろうか。
2025年7月11日記
英雄たちの選択 シリーズ 知られざる島の歴史旅 種子島 〜戦国を変えたイノベーション〜
鉄砲の伝来については、日本史の教科書に載っている以上の知識を、さほどもちあわせているわけではない。
鉄砲については、次のようなことがポイントになるだろうか。
なぜ、このタイミングだったのか。これは、歴史を振り返れば、まさに絶妙のタイミングであったということになる。鉄砲が日本の軍事を変えたことになるが、それに成功したのが、やはり信長ということになるのだろう。鉄砲がなければ、日本の戦国時代はその後どうなっていただろうか。
なぜ、種子島だったのだろうか。ポルトガル人が鉄砲をもたらしたのだが、その船は、中国(明)のジャンク船であった。視点を変えれば、明の商人のビジネスの一部として、日本に鉄砲をもたらした、ということになる。このとき、種子島を意図的に選んだのだろうか。他の九州のどこか(あるいは琉球)に行くということはなかったのだろうか。
たまたま種子島だったせいで、そこには、鉄砲鍛冶がいて、鉄(砂鉄)たくさんあり、木炭は無論のこと硫黄も調達でき、さらには、硝石を作る技術も持っていた。結果的には、すぐにコピーを作ることに成功したことになる。
先端技術を目にして、すぐにそのリバースエンジニアリングが出来たというのは、やはりこの時代の、種子島のみならず日本の技術力はすごいものがあった、ということになるだろう。
鉄砲の作り方と、火薬(黒色火薬)の作り方は、瞬く間に日本中……あくまでも、この時代の日本ということになるが……にひろまった。この伝搬の速度、そして、それを使った新しい戦闘の方法を編み出したということは、日本史のなかでも画期的な出来事ということになるだろう。その結果、天下統一、徳川による平和な時代があった。(ただ、鉄砲の技術については、幕末になるまで基本的に進歩しなかったことになるが。)
軍事的には、革命的な武器ということになる。(番組では言っていなかったが)鉄砲をあつかうのは、武士ではなく、足軽であり、いわゆるサムライの戦いの時代が終わったということにもなるだろう。(なぜ、日本の武士たちは、自ら鉄砲を撃とうとしなかったのだろうか。また、鉄砲を持った部隊の遊撃戦とか散兵線が可能になることは、日本の軍事史でどういう意味があったことになるのだろうか。)強いて考えれば、だからこそ、武士道というのが、非常に観念的なものとして発達したことにもなるかと思う。
世界の歴史のなかでの鉄砲の技術と軍事、こういう視点で見ると、日本の歴史もまた違った見え方になるはずである。(幕末になって、アメリカ南北戦争で不要になった銃が日本にもたらされたこともふくめて。)さらには、日本の近代の軍隊と銃の歴史ということにもつながるだろう。
先込め式の火縄銃であり、有効射的距離が数十メートルぐらいであること、連射速度は弓に劣るだろうが、破壊力はまさる……こういう鉄砲については、信長が考えたように、鉄砲隊を組織して集団戦法ということになるのが、軍事的に合理的な判断になるにちがいない。
強力な武器を手にしたとき、人間はどうふるまうべきか……これは、とても難しい問題である。20世紀までは、武器は基本的に国家がコントロールするものであった。(カラシニコフのように、世界中にばらまかれたものもあるけれど。)コンピュータやネットワーク、さらには、AIの登場という時代になってくると、これは、もはや国家(旧来の国民国家)の枠ではコントロールできない。
ところで、どうでもいいことかと思うが、番組の中に映っていた、種子島家の史料を見ると、書いてある文字が唐様のスタイルであった。これは、史料の成立、書写の経緯、あるいは、種子島という島の文化、これらと関係のあることなのだろうか。
気になったこととしては、これは私がずっと気になっていることなのだが……古代の貝塚から釣り針が見つかるのは、何故なのだろうか。貝塚というのはゴミ捨て場だと認識している。といういことは、ここで見つかった釣り針はゴミだったということでいいのだろうか。おそらく、古代において、釣り針は貴重品であったはずであり、そう粗末にあつかってはいなかったと想像する。例えば、神話にでてくる海幸彦山幸彦の話しなど。なぜ、貝塚から釣り針が見つかるのか、その理由を、考古学者や歴史学者はどう考えているのだろうか。
種子島で鉄製の釣り針が見つかる。これは、鉄が使えた、砂鉄が豊富にあったということもあるだろうが、逆に、釣り針の材料になるような大型の獣がいなかったので、その骨が無かったからかもしれないが、さてどうなのだろう。貝殻などから作ることもできたのかもしれないと思うが、考古学的に見て釣り針の歴史はどう描くことができるのだろうか。
鉄の釣り針が、さびてボロボロにならずに残っていた理由は何なのだろうか。海水にさらされれば、普通の鉄の釣り針ならば、すぐにさびてしまうと思うのだが、見つかった釣り針は、どこでどのような状態で残っていたものなのだろうか。
2025年7月11日記
ザ・バックヤード「東京農業大学」 ― 2025-07-18
2025年7月18日 當山日出夫
ザ・バックヤード 東京農業大学
東京農業大学は、名前は知っているのだが、正直言って、これまであまり関心をもってこなかった大学である。
この回を見て思ったことは、遺伝子レベルの話題がまったく出てこなかったということがある。現代の農学という分野は、生命科学であり、地球環境についての科学である、という側面があると思っているのだが、こういうところについては、言及することがなかった。
ペピーノという果物のことは初めて知った。この名前で検索してみると、園芸として栽培することもあるようだ。
面白かったのは、甘みの強いペピーノを栽培するのに、根元のワッシャーをとおすだけ、ということがある。普通だったら、遺伝子を解析して、甘みの強い品種を考えることになるのだろうが、そんなことをしなくても可能である。この方法は、他の野菜や果物の栽培にも応用が可能なのだろうか。
味の薄い果物は病気に強い、というのは、そういうものかとも思う。
酸化マグネシウムで、桃の病気が防げるというのは、面白い。このことが分かるために、全国の桃の栽培について、土壌などを調査してきたことになるとのことだったが、この地道な研究は価値のあることだと思う。おそらく、このこと以外にも、いろんなことが分かってきているだろうと思う。
カットフルーツなど、保存のために最適な空気の成分(酸素や二酸化炭素の割合)があることは、想像がつくことではあるが、実際にそれがどのようなものになるのかということは、実験を積み重ねていくしかない。こういうことが継続的にできる研究の環境がこれからも保たれていくことが、何よりも重要と思っている。
2025年7月10日記
ザ・バックヤード 東京農業大学
東京農業大学は、名前は知っているのだが、正直言って、これまであまり関心をもってこなかった大学である。
この回を見て思ったことは、遺伝子レベルの話題がまったく出てこなかったということがある。現代の農学という分野は、生命科学であり、地球環境についての科学である、という側面があると思っているのだが、こういうところについては、言及することがなかった。
ペピーノという果物のことは初めて知った。この名前で検索してみると、園芸として栽培することもあるようだ。
面白かったのは、甘みの強いペピーノを栽培するのに、根元のワッシャーをとおすだけ、ということがある。普通だったら、遺伝子を解析して、甘みの強い品種を考えることになるのだろうが、そんなことをしなくても可能である。この方法は、他の野菜や果物の栽培にも応用が可能なのだろうか。
味の薄い果物は病気に強い、というのは、そういうものかとも思う。
酸化マグネシウムで、桃の病気が防げるというのは、面白い。このことが分かるために、全国の桃の栽培について、土壌などを調査してきたことになるとのことだったが、この地道な研究は価値のあることだと思う。おそらく、このこと以外にも、いろんなことが分かってきているだろうと思う。
カットフルーツなど、保存のために最適な空気の成分(酸素や二酸化炭素の割合)があることは、想像がつくことではあるが、実際にそれがどのようなものになるのかということは、実験を積み重ねていくしかない。こういうことが継続的にできる研究の環境がこれからも保たれていくことが、何よりも重要と思っている。
2025年7月10日記
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