『べらぼう』「三人の女」 ― 2025-07-07
2025年7月7日 當山日出夫
『べらぼう』「三人の女」
この回から、舞台は日本橋の蔦屋の店に移ることになる。
吉原のときは、吉原という場所の説明が現代の視聴者には必要だったかと思うが、日本橋の蔦屋になると、この時代の日本橋の商店の実際がどうであったか、ということが説明してほしいことになる。脚本としては、この部分は、必要最小限にとどめていたという印象である。
浮世絵を売るときの店の様子とか、奉公人の生活とか、このあたりはそうだろうと思うのだが、この店の奉公人というのは、具体的にどんな仕事をしていたのだろうかとは思う。食客というような存在は、蔦重の場合、たしかにあったのだろうとは思うところではあるが。
見ていて気になったことの一つが、「念者」ということばが出てきて、このことについては、特にナレーション(お稲荷さん)で説明がなかったことである。たいていの視聴者なら状況から分かったことだろうと思うのだが、解説があってもよかったかもしれない。
江戸時代以前、男性の性の相手が女性ばかりではなかったことは、歴史の知識として普通のことだろう。むしろ、中世から近代にかけてのヨーロッパ社会の方が、この種の性についてのタブーは厳しく、同性愛は犯罪であり、その反動が現代になってのいろんな運動……少なくとも、近いところでは、ウーマンリブの運動ぐらいがあって、性の解放が言われた時代があって、今にいたっている……このような経緯を思うことになる。(その現代の結果の部分のみを絶対的な尺度として、今の日本社会に杓子定規にあてはめて考えると、これはおかしなことになる、私としてはこのように思う。思想にはそれぞれの文化の歴史があるという認識が必要である。だからといって、今の日本のことを全肯定するというわけではない。)
説明がなかったこととしては、蔦重の母親のことがある。この回から突然の登場であるが、これは、脚本・演出の方針としていいだろう。見ながら私が思ったことを書くとこのようである……その仕事が、自分の店を持たない出張の髪結い、ということである。相手は男性である。この時代、江戸市中には男性の単身者が多く、そこに髪結いの出張の仕事があれば(そしてそれが女性であれば)、それは、ただ髪結いだけではなく、それ以上のサービス(?)があったことは、ごく自然なことである。おそらく、女性の職業としては、最下層の部類であっただろう。このての商売のなかには、髪結いの道具などはただのかざりにすぎなかった場合もあるかもしれない。蔦重の母親は実際に髪結いが出来たようだが。もうかなりの年齢のはずだが、その商売(?)ができたということだろうか。……ここは、視聴者の知識と想像にまかせるということなのか、あるいは、分からなくてもさしつかえないということなのか。私の勝手な思いこみか。
天明の飢饉である。田沼意次は、米屋の株仲間を禁止し、自由に流通させることを命じる。あるいは、幕府の管理する米を市場に放出する。この結果として、マーケットの論理にまかせておけば、または、強引に価格を下げるように市場に政治が介入すれば、米の値段は下がるだろう……という見込みであったことになるのだが、こんなことで、米の価格を幕府がコントロールできるようなら、飢饉などなかったことになってしまう。幕府政治は、ずっと続いていただろう。
江戸時代、米の価格がどのように決まったのかということについては、農業史や経済史などの分野で研究のあるところだと思っている。ただ、米は、食料として食べるしか消費の仕方がないものである。また、基本的に年に一回しか収穫できない。計画的に急に生産を調整できるようなものではない。しかし、天候の影響などで、飢饉となれば、生産量は一気に減少する。そのための救恤米(今でいう備蓄米)は、政治にとって必須であったことになる。
江戸時代は石高制といわれる。これで、もし、現物の米で武士が俸給を貰っていたのなら、米の値上がりは利益になるはずである(きまった量を確実に貰えればであるが)。しかし、実際にはお金で貰っていたのであるならば、米の値上がりは生活を直撃することになる。さて、実際はどうだったのだろう。
江戸時代まで、米は、日本において、どのように栽培され、流通し、消費されてきたのか。その全体像を分かりやすく解説した本があるといいと思っているのだが、見当たらないでいる。日本における、農業と経済と食生活の歴史を総合することになる。
大田南畝が出てきていたのだが、あいかわらず戯作者、狂歌師という面で描いている。しかし、歴史的には、大田南畝はれっきとした幕吏であり、また、この時代きっての教養人であった。このドラマの描き方については、私としては、かなりもの足りないものを感じる。
日本橋で夜になって聞こえてくるのは犬の遠吠えであるが、同じころに、吉原では音曲である。こういう対比の描写はたくみである。
2025年7月6日記
『べらぼう』「三人の女」
この回から、舞台は日本橋の蔦屋の店に移ることになる。
吉原のときは、吉原という場所の説明が現代の視聴者には必要だったかと思うが、日本橋の蔦屋になると、この時代の日本橋の商店の実際がどうであったか、ということが説明してほしいことになる。脚本としては、この部分は、必要最小限にとどめていたという印象である。
浮世絵を売るときの店の様子とか、奉公人の生活とか、このあたりはそうだろうと思うのだが、この店の奉公人というのは、具体的にどんな仕事をしていたのだろうかとは思う。食客というような存在は、蔦重の場合、たしかにあったのだろうとは思うところではあるが。
見ていて気になったことの一つが、「念者」ということばが出てきて、このことについては、特にナレーション(お稲荷さん)で説明がなかったことである。たいていの視聴者なら状況から分かったことだろうと思うのだが、解説があってもよかったかもしれない。
江戸時代以前、男性の性の相手が女性ばかりではなかったことは、歴史の知識として普通のことだろう。むしろ、中世から近代にかけてのヨーロッパ社会の方が、この種の性についてのタブーは厳しく、同性愛は犯罪であり、その反動が現代になってのいろんな運動……少なくとも、近いところでは、ウーマンリブの運動ぐらいがあって、性の解放が言われた時代があって、今にいたっている……このような経緯を思うことになる。(その現代の結果の部分のみを絶対的な尺度として、今の日本社会に杓子定規にあてはめて考えると、これはおかしなことになる、私としてはこのように思う。思想にはそれぞれの文化の歴史があるという認識が必要である。だからといって、今の日本のことを全肯定するというわけではない。)
説明がなかったこととしては、蔦重の母親のことがある。この回から突然の登場であるが、これは、脚本・演出の方針としていいだろう。見ながら私が思ったことを書くとこのようである……その仕事が、自分の店を持たない出張の髪結い、ということである。相手は男性である。この時代、江戸市中には男性の単身者が多く、そこに髪結いの出張の仕事があれば(そしてそれが女性であれば)、それは、ただ髪結いだけではなく、それ以上のサービス(?)があったことは、ごく自然なことである。おそらく、女性の職業としては、最下層の部類であっただろう。このての商売のなかには、髪結いの道具などはただのかざりにすぎなかった場合もあるかもしれない。蔦重の母親は実際に髪結いが出来たようだが。もうかなりの年齢のはずだが、その商売(?)ができたということだろうか。……ここは、視聴者の知識と想像にまかせるということなのか、あるいは、分からなくてもさしつかえないということなのか。私の勝手な思いこみか。
天明の飢饉である。田沼意次は、米屋の株仲間を禁止し、自由に流通させることを命じる。あるいは、幕府の管理する米を市場に放出する。この結果として、マーケットの論理にまかせておけば、または、強引に価格を下げるように市場に政治が介入すれば、米の値段は下がるだろう……という見込みであったことになるのだが、こんなことで、米の価格を幕府がコントロールできるようなら、飢饉などなかったことになってしまう。幕府政治は、ずっと続いていただろう。
江戸時代、米の価格がどのように決まったのかということについては、農業史や経済史などの分野で研究のあるところだと思っている。ただ、米は、食料として食べるしか消費の仕方がないものである。また、基本的に年に一回しか収穫できない。計画的に急に生産を調整できるようなものではない。しかし、天候の影響などで、飢饉となれば、生産量は一気に減少する。そのための救恤米(今でいう備蓄米)は、政治にとって必須であったことになる。
江戸時代は石高制といわれる。これで、もし、現物の米で武士が俸給を貰っていたのなら、米の値上がりは利益になるはずである(きまった量を確実に貰えればであるが)。しかし、実際にはお金で貰っていたのであるならば、米の値上がりは生活を直撃することになる。さて、実際はどうだったのだろう。
江戸時代まで、米は、日本において、どのように栽培され、流通し、消費されてきたのか。その全体像を分かりやすく解説した本があるといいと思っているのだが、見当たらないでいる。日本における、農業と経済と食生活の歴史を総合することになる。
大田南畝が出てきていたのだが、あいかわらず戯作者、狂歌師という面で描いている。しかし、歴史的には、大田南畝はれっきとした幕吏であり、また、この時代きっての教養人であった。このドラマの描き方については、私としては、かなりもの足りないものを感じる。
日本橋で夜になって聞こえてくるのは犬の遠吠えであるが、同じころに、吉原では音曲である。こういう対比の描写はたくみである。
2025年7月6日記
『八重の桜』「新しい日々へ」 ― 2025-07-07
2025年7月7日 當山日出夫
『八重の桜』「新しい日々へ」
このドラマの再放送を見て(最初の放送のときも見ているが)思うことの一つは、全体としての品の良さである。
ドラマを見て、品の良さというようなことは、あまり感じることはないのだが、今は放送が中止になっている『チョッちゃん』を見ていて思ったことでもある。『チョッちゃん』は、非常に品が良い。蝶子の夫の要は、今の価値観からすれば暴君でありとても乱暴ではあるが、しかし、ドラマ全体の作り方として、品のある作り方になっている。
『べらぼう』を見ていても品の良さということは感じない。いや、『べらぼう』は、それとは逆の方針、ケレン味のある演出で見せようとしている。これは、吉原とい場所を舞台にしたドラマだから、ケレン味の演出で味付けして見せるというのが、妥当なところだとは思うが。
八重は尚之助と結婚する。その祝言は、(実際はどうだったかは別として)こんなもんだったのかなあ、と思うように作ってある。八重の髪飾りは鼈甲であった。白無垢の花嫁衣装には、派手なかんざしよりも、鼈甲の方が似つかわしいと感じる。
鉄砲を撃つ角場で、尚之助は、八重に対して、私はあなたという女生と結婚したのである、旧来の風習などどうでもいい……という意味のことを言うのだが、これは、いかにも現代的である。この時代に、こんな考え方はなかっただろう。だが、このドラマの中では、ここでこういう台詞があってもおかしくはないと感じる。
会津の殿様、松平容保は、やはり歴史の流れの中では貧乏くじをひいたようである。孝明天皇への忠誠心と、徳川譜代大名としての公儀への忠誠心、これがかろうじてバランスをたもっているということだろうか。これが、日本という国、天皇の絶対性という方向になると、容保の立場がなくなってしまう。
岩倉具視は、どんな人物だったのだろうか。幕末から明治にかけての歴史のなかの重要人物であるのだが、今一つ、イメージが定着していない。日本という国家の将来を憂えた経世家というわけでもなさそうだし、幕末の朝廷で暗躍した策士というわけでもなさそうである。まあ、京都の公家というのは、よく分からない。
2025年7月6日記
『八重の桜』「新しい日々へ」
このドラマの再放送を見て(最初の放送のときも見ているが)思うことの一つは、全体としての品の良さである。
ドラマを見て、品の良さというようなことは、あまり感じることはないのだが、今は放送が中止になっている『チョッちゃん』を見ていて思ったことでもある。『チョッちゃん』は、非常に品が良い。蝶子の夫の要は、今の価値観からすれば暴君でありとても乱暴ではあるが、しかし、ドラマ全体の作り方として、品のある作り方になっている。
『べらぼう』を見ていても品の良さということは感じない。いや、『べらぼう』は、それとは逆の方針、ケレン味のある演出で見せようとしている。これは、吉原とい場所を舞台にしたドラマだから、ケレン味の演出で味付けして見せるというのが、妥当なところだとは思うが。
八重は尚之助と結婚する。その祝言は、(実際はどうだったかは別として)こんなもんだったのかなあ、と思うように作ってある。八重の髪飾りは鼈甲であった。白無垢の花嫁衣装には、派手なかんざしよりも、鼈甲の方が似つかわしいと感じる。
鉄砲を撃つ角場で、尚之助は、八重に対して、私はあなたという女生と結婚したのである、旧来の風習などどうでもいい……という意味のことを言うのだが、これは、いかにも現代的である。この時代に、こんな考え方はなかっただろう。だが、このドラマの中では、ここでこういう台詞があってもおかしくはないと感じる。
会津の殿様、松平容保は、やはり歴史の流れの中では貧乏くじをひいたようである。孝明天皇への忠誠心と、徳川譜代大名としての公儀への忠誠心、これがかろうじてバランスをたもっているということだろうか。これが、日本という国、天皇の絶対性という方向になると、容保の立場がなくなってしまう。
岩倉具視は、どんな人物だったのだろうか。幕末から明治にかけての歴史のなかの重要人物であるのだが、今一つ、イメージが定着していない。日本という国家の将来を憂えた経世家というわけでもなさそうだし、幕末の朝廷で暗躍した策士というわけでもなさそうである。まあ、京都の公家というのは、よく分からない。
2025年7月6日記
新日本風土記「四国 花遍路」 ― 2025-07-07
2025年7月7日 當山日出夫
新日本風土記 「四国 花遍路」
再放送である。最初は、2024年6月24日。
四国の遍路をあつかった番組は、これまでにもたくさんあった。最近は、四国の遍路を肯定的な視点から語るようになってきている。
前にも書いたことだが、私が、四国遍路といってまず思い浮かべるのは、『娘巡礼記』(高村逸枝)である。高村逸枝の『火の国の女の日記』を読んだのは、大学生のときだった。たしか、講談社文庫。それから、いくつか、高村逸枝の本を読んだかと覚えている。そのなかに『娘巡礼記』があった。読んだのは、朝日選書版。その後、岩波文庫版が出ている。
ただ、学問的には、高村逸枝の研究……日本の婚姻史であり、女性の歴史である……については、現在では、批判的に見ることになっていることは、知っている。
高村逸枝が女性史研究にこころざしたとき、自分の部屋の机の上に「古事記伝」を置いて読み始めた……と、何かで読んだのを覚えている。ことの真偽はあるにしても、非常に象徴的なエピソードである。その夫である橋本憲三の詩の最後に、たしかこうあった……(自分たちが死んだ後のこととして)……すべてを土にかえそう。この一言も、強く記憶に残っている。
『娘巡礼記』を読むと、その時代の四国遍路が、まさに世の中の一般社会から疎外された人たちが、旅をすみかとして、乞食として生きている姿が描かれている。もう今の時代だと、乞食……強いていえば、職業としての乞食といってもいいかもしれないが……を、見ることはなくなってしまった。私の子どものころまでは、まだ、社会の片隅にそのような人たちのくらしがあった。
番組の始めの方に出てきた女性(かなりの高齢である)が、子どものころ、白装束のお遍路さんは怖かった、と言っているのは、むかしの心性を伝えているものだろう。遍路墓が残っている。旅の途中で死んでしまわれると、その地域の人が弔って葬式をしなければならないので、その面倒をさけるために、次のエリアまで送り出す、そのために飲食の提供などもする、たぶん、昔はそうだったのだろうと思う。それでも死んでしまった遍路のためには、遍路墓をつくって弔うことになる。
女性が若いとき、まさに花遍路ということで、親から遍路の旅に送り出された。はっきりいえば、口減らし、ということだったのだろうと思う。それが、無事にもどってきたので、ようやく自分の娘として受け入れることになった。こう解釈していいだろうか。
今のような形での四国遍路が整備されたのは近世になってから、高野山の影響においてである、ということだった。そして、それ以前に、巡礼、ということは、それぞれの地域でいろいろと行われてきたことである。こういうことは、民俗学、歴史学、宗教史、というような領域にまたがることになる。
見ながら思ったこととしては、これは、「忘れられた日本人」の世界につながるものだな、ということである。近代以前の人びとは、どのようにくらしてきたのか、定住もあり、また、旅もあっただろうが、どのような感覚で生活していたのか、そこにつらなるものがあると感じたことになる。
2025年7月5日記
新日本風土記 「四国 花遍路」
再放送である。最初は、2024年6月24日。
四国の遍路をあつかった番組は、これまでにもたくさんあった。最近は、四国の遍路を肯定的な視点から語るようになってきている。
前にも書いたことだが、私が、四国遍路といってまず思い浮かべるのは、『娘巡礼記』(高村逸枝)である。高村逸枝の『火の国の女の日記』を読んだのは、大学生のときだった。たしか、講談社文庫。それから、いくつか、高村逸枝の本を読んだかと覚えている。そのなかに『娘巡礼記』があった。読んだのは、朝日選書版。その後、岩波文庫版が出ている。
ただ、学問的には、高村逸枝の研究……日本の婚姻史であり、女性の歴史である……については、現在では、批判的に見ることになっていることは、知っている。
高村逸枝が女性史研究にこころざしたとき、自分の部屋の机の上に「古事記伝」を置いて読み始めた……と、何かで読んだのを覚えている。ことの真偽はあるにしても、非常に象徴的なエピソードである。その夫である橋本憲三の詩の最後に、たしかこうあった……(自分たちが死んだ後のこととして)……すべてを土にかえそう。この一言も、強く記憶に残っている。
『娘巡礼記』を読むと、その時代の四国遍路が、まさに世の中の一般社会から疎外された人たちが、旅をすみかとして、乞食として生きている姿が描かれている。もう今の時代だと、乞食……強いていえば、職業としての乞食といってもいいかもしれないが……を、見ることはなくなってしまった。私の子どものころまでは、まだ、社会の片隅にそのような人たちのくらしがあった。
番組の始めの方に出てきた女性(かなりの高齢である)が、子どものころ、白装束のお遍路さんは怖かった、と言っているのは、むかしの心性を伝えているものだろう。遍路墓が残っている。旅の途中で死んでしまわれると、その地域の人が弔って葬式をしなければならないので、その面倒をさけるために、次のエリアまで送り出す、そのために飲食の提供などもする、たぶん、昔はそうだったのだろうと思う。それでも死んでしまった遍路のためには、遍路墓をつくって弔うことになる。
女性が若いとき、まさに花遍路ということで、親から遍路の旅に送り出された。はっきりいえば、口減らし、ということだったのだろうと思う。それが、無事にもどってきたので、ようやく自分の娘として受け入れることになった。こう解釈していいだろうか。
今のような形での四国遍路が整備されたのは近世になってから、高野山の影響においてである、ということだった。そして、それ以前に、巡礼、ということは、それぞれの地域でいろいろと行われてきたことである。こういうことは、民俗学、歴史学、宗教史、というような領域にまたがることになる。
見ながら思ったこととしては、これは、「忘れられた日本人」の世界につながるものだな、ということである。近代以前の人びとは、どのようにくらしてきたのか、定住もあり、また、旅もあっただろうが、どのような感覚で生活していたのか、そこにつらなるものがあると感じたことになる。
2025年7月5日記
『あんぱん』「幸福よ、どこにいる」 ― 2025-07-06
2025年7月6日 當山日出夫
『あんぱん』「幸福よ、どこにいる」
このドラマは、個々の場面を見ると、コストをかけて作ってあるとは思う。新聞社の内部の様子であったり、闇市の様子であったり、頑張ってセットを作っているし、エキストラの人員もケチっていないと思う。
だが、見ていて、この時代を生きた人びとの生活の感覚というものが、どうしても感じられない。
細かなことかもしれないが、気になることがいくつかある。
新聞社で、コーヒーをいれてくれと頼まれたのぶは、社内の達磨ストーブの上にヤカンをおいていた。流れからするならば、コーヒーをいれるためのお湯を沸かすためと考えられるのだが、しかし、達磨ストーブの上にヤカンをおいたからといって、そんなにすぐにお湯が沸くことはない。常にお湯をわかしておくために、ヤカンをおいておくということはあっただろうが。これは、現代の石油ストーブの上にヤカンをおいておくのと同じである。こういう場面を見ると、ドラマを演出した人は、達磨ストーブで実際に暖をとるということの経験がないのかと思う。(私の小学校のときは、教室の暖房は、石炭の達磨ストーブだった。校内の石炭置き場からその日の石炭をはこんできて、朝、火を付けるのは、日直の子どもの役目だった。)
闇市で店をひらいている嵩と健太郎であるが、健太郎は進駐軍からの掘り出し物として万年筆を嵩にわたしていた。これはいいとしても、このときに、漫画を描くようにと言っていた。これから、嵩が漫画を描くシーンがあるのかどうかわからないが、漫画を描くの万年筆はつかわない。つかうのは、鉛筆(下書き用)とペン……いわゆるつけペン、ペン軸の先に金属製のペン先をとりつけて、インクをつけて描くものである、Gペンとか、スプーンペンとか、いろいろ種類がある……であるはずである。これは、現在でも、マンガを描くための用途として売っている。また、筆記具としては、日常的に使うものとして、昭和40年代ぐらいまでごく普通であった。その後、ボールペンの性能(インクの耐久性)がよくなって、ボールペンが主流になっていく。ちなみに、昔のボールペンの文字は、耐久性がなく、書いて数ヶ月もするとにじんで消えてなくなったのであるが、このようなことを、体験的に覚えている人は、今の時代としては少数になってしまったかと思う。ともあれ、万年筆をわたすとき、これで漫画を描け、ということはないはずである。
戦後まもなく地方の新聞社で、(おそらく代用品であったと思うが)コーヒーを職場で飲む習慣があったかどうか、疑問でもある。時代を考えると、コーヒーはネルドリップ方式だったかと思うのだが、これは、そんなに簡単に職場で飲めるというものではない。インスタントコーヒーが日本の社会に普及するのは、戦後かなりたってからである。ペーパーフィルタを使うようになったのは、私の学生のころからだったので、昭和50年ぐらい以降になる。このころ、町の喫茶店では、サイフォン方式が主流だった。ともあれ、このシーンは、普通に「お茶」と言っておけばよかったと思えてならない。
メイコは、東京に行きたいと言って家出する。自分で自立したい、という気持ちがある。これはこれでいいことなのだが、戦後まもなくの高知のさらに田舎の町で、家業が石材店(パン屋もやったことがある)の娘が言うことだろうか。確かメイコは、女学校にも行っていなかったはずである。それが、ラジオののど自慢を聞いただけで、自分も東京に行って輝きたい、などと思うだろうか。私には、このあたりの気持ちがどうにも不自然に思える。このように自立したいという女性がその意志をかなえようとするのは、その後の高度経済成長期を経てのことになるはずである。
メイコのように思う女性がいても、その気持ち自体は、現在の価値観からするならば、肯定的にうけとめることになる。しかし、時代的背景を考えると、いかにも不自然である。ただ、この時代としては、メイコのような境遇であれば、働きに出るということ自体は普通にあったことのはずである。地元でなければ高知、そうでなければ大阪ということだろうか。東京に出て「自立」したいと思うかどうか、ということなのである。
列車の乗ったメイコのシーンはおかしい。戦後のまもなく鉄道がどんな状態であったか、これは、かなり資料や証言が残っているはずだが、平然と座席に座っている、周囲に立っている人はいない……ということはなかっただろう。
また、メイコのような若い(というよりまだ幼い)女性が、一人で東京に行きたいと言ったとき、普通の親なら全力で止めようとしたはずである。いったい道中で、ついた先の東京で、どんなことがあるか分からない。日本の社会が、そんなに安定して、治安が保たれている状態ということではなかった。町には、いっぱい戦争孤児や浮浪者がいたはずである。こういうことは、『虎に翼』を作ったAKのスタッフなら知っていることのはずである。(強いていえば、「防波堤」になった、あるいは、ならされた女性たちがいたことは確かなことではある。)
朝田の家でのど自慢を聞くとき、ラジオが家のなかで畳の上においてあった。これもどうなのだろうかと思う。ラジオ(真空管をつかう)は、家のなかのテーブルか簞笥の上にでもおいてあるのが普通だと思う。家のなかでも、あるいは、野外にでも、好きなところに持って行って聞くことのできる、乾電池式のトランジスタラジオが普及するのは、かなり後のことになる。
高知でののぶとメイコの暮らしも、なんか奇妙である。物資が不足している時代、食料品の買物とかどうしていたのだろうか。のぶは闇市に取材に行っている。つまり、現実の人びとの生活としては、闇市を利用するしかないということを知っている。だが、のぶとメイコの生活には、物資の不足した時代の生活という雰囲気がまったくない。だれが、のぶの生活の買物や家事をしていたのだろうか。せいぜい、食卓の上の料理が少ないだけである。
新しい雑誌「月刊くじら」の広告を質屋が出してくれることになった。戦後まもなくの物資不足の時代に、質屋という商売はいったいどうだったのだろうか。ここは、説明がほしいところである。でなければ、ちらりと映っていた時計屋の方が、まだ説得力があると、私は感じる。なによりも、質屋という商売が、雑誌に広告を出してお客が増えるようなビジネスではないと思うのだが。
それから、質屋という商売は、表通りにどうどうと大きな看板をかかげることはない。すこし目立たないところで、しかも、店の横の路地からこっそりと出入りできるような(その姿を人目に見られないで済むような)、そういう店の作り方をしたと思うのだが、どうなのだろうか。
のぶの新聞社で「月間くじら」を出すのはいいとしても、それまで新聞の編集をしてきた人間が、雑誌を作れるだろうか。新聞の紙面のレイアウトを考えるのと、雑誌は違う。さらに、雑誌だと台割りをまず決めないといけない。それに合わせて原稿(広告をふくめて)を用意することになる。このノウハウがないと編集の仕事は無理である。
また、この時代の雑誌の流通ルートはどうだったのか。少なくとも最近の話題の本である『町の本屋はいかにつぶれてきたの』(飯田一史、平凡社新書)ぐらいは、ふまえたものであるべきだろう。
雑誌を発刊するときは、高知県民のための……、でいいかもしれないが、広告を取るときには、どのような読者がいて、どれぐらいの発行部数……ということでないといけないはずだが、そうなっていない。
働き始めたのぶは同期入社の琴子と、一緒に飲み屋に行く。そこで琴子の話を聞くことになる。これはいいとしても、このシーンで、二人のテーブルの上にきれいな灰皿(とおぼしい)があった。戦後まもなくのカストリ焼酎しかないような飲み屋で、灰皿なんてあるはずがない、というのが私のイメージである。無論、煙草も貴重であったが、灰皿など用意したりすることはなく、吸い殻は地面に捨てて終わりだっただろう。むしろ小道具として用意すべきは、床に落ちている煙草の吸い殻であったはずである。(煙草をすうときは灰皿を用意してというのは、きわめて新しい感覚である。)
以上、気になったことを思いつくままに書いてみた。このようなことは、それぞれはささいなことかもしれない。だが、こういうことがつみ重なってくると、このドラマ全体として、この時代(戦後まもなく高知の地方都市)で生活していた人びとの生活の感覚(混乱もあり、たくましくもあり)というものが、描けていないと感じることになる。生活の感覚が感じとれないところで、登場人物の言動に共感しろといわれても無理である。
のぶは夕刊の発行が無理になって、雑誌の編集の仕事をすることになった。これはいいのだが、GHQの検閲ということをどう描くことになるのだろうか。戦時中は、政府からの言論統制があって、自由に新聞記事を書くことができなかった……これは通説、俗説であって、実際は、新聞社の方で、軍や政府に忖度して(自主規制して)記事を書いていたということが、今日の歴史としての常識的知識である。そして、戦後になれば、GHQが、言論統制を引き継いで、雑誌や新聞を支配していたことは、周知のことである。ただ、その実態がどうであったかについては、研究が広く一般に知られているようにはなっていないかと思う。
今年は、放送100年ということで、NHKはいろんな特集番組を作っているので、戦時中からGHQの時代にかけて、言論統制はどうであったのか、調べて知っていないはずはない。それを、どうドラマの内容に反映させるかは、また考えることになるだろうが。
昭和戦前の新聞やラジオが、軍や政府の圧力に屈した、抵抗できなかった、そして、国民はだまされていた……通俗的な歴史観としては、このようになるのだが、実際はどうだったかということは、現在ではいろいろと調べて明らかになってきていることだと思っている。
これは、のぶは教師の仕事において、軍や政府にだまされて、のぶは子どもたちをだましていたのか……という根本的な問題にもつながる。このドラマは、ここのところにおいて、どうも思慮が浅いという印象を持ってしまうのである。
2025年7月4日記
『あんぱん』「幸福よ、どこにいる」
このドラマは、個々の場面を見ると、コストをかけて作ってあるとは思う。新聞社の内部の様子であったり、闇市の様子であったり、頑張ってセットを作っているし、エキストラの人員もケチっていないと思う。
だが、見ていて、この時代を生きた人びとの生活の感覚というものが、どうしても感じられない。
細かなことかもしれないが、気になることがいくつかある。
新聞社で、コーヒーをいれてくれと頼まれたのぶは、社内の達磨ストーブの上にヤカンをおいていた。流れからするならば、コーヒーをいれるためのお湯を沸かすためと考えられるのだが、しかし、達磨ストーブの上にヤカンをおいたからといって、そんなにすぐにお湯が沸くことはない。常にお湯をわかしておくために、ヤカンをおいておくということはあっただろうが。これは、現代の石油ストーブの上にヤカンをおいておくのと同じである。こういう場面を見ると、ドラマを演出した人は、達磨ストーブで実際に暖をとるということの経験がないのかと思う。(私の小学校のときは、教室の暖房は、石炭の達磨ストーブだった。校内の石炭置き場からその日の石炭をはこんできて、朝、火を付けるのは、日直の子どもの役目だった。)
闇市で店をひらいている嵩と健太郎であるが、健太郎は進駐軍からの掘り出し物として万年筆を嵩にわたしていた。これはいいとしても、このときに、漫画を描くようにと言っていた。これから、嵩が漫画を描くシーンがあるのかどうかわからないが、漫画を描くの万年筆はつかわない。つかうのは、鉛筆(下書き用)とペン……いわゆるつけペン、ペン軸の先に金属製のペン先をとりつけて、インクをつけて描くものである、Gペンとか、スプーンペンとか、いろいろ種類がある……であるはずである。これは、現在でも、マンガを描くための用途として売っている。また、筆記具としては、日常的に使うものとして、昭和40年代ぐらいまでごく普通であった。その後、ボールペンの性能(インクの耐久性)がよくなって、ボールペンが主流になっていく。ちなみに、昔のボールペンの文字は、耐久性がなく、書いて数ヶ月もするとにじんで消えてなくなったのであるが、このようなことを、体験的に覚えている人は、今の時代としては少数になってしまったかと思う。ともあれ、万年筆をわたすとき、これで漫画を描け、ということはないはずである。
戦後まもなく地方の新聞社で、(おそらく代用品であったと思うが)コーヒーを職場で飲む習慣があったかどうか、疑問でもある。時代を考えると、コーヒーはネルドリップ方式だったかと思うのだが、これは、そんなに簡単に職場で飲めるというものではない。インスタントコーヒーが日本の社会に普及するのは、戦後かなりたってからである。ペーパーフィルタを使うようになったのは、私の学生のころからだったので、昭和50年ぐらい以降になる。このころ、町の喫茶店では、サイフォン方式が主流だった。ともあれ、このシーンは、普通に「お茶」と言っておけばよかったと思えてならない。
メイコは、東京に行きたいと言って家出する。自分で自立したい、という気持ちがある。これはこれでいいことなのだが、戦後まもなくの高知のさらに田舎の町で、家業が石材店(パン屋もやったことがある)の娘が言うことだろうか。確かメイコは、女学校にも行っていなかったはずである。それが、ラジオののど自慢を聞いただけで、自分も東京に行って輝きたい、などと思うだろうか。私には、このあたりの気持ちがどうにも不自然に思える。このように自立したいという女性がその意志をかなえようとするのは、その後の高度経済成長期を経てのことになるはずである。
メイコのように思う女性がいても、その気持ち自体は、現在の価値観からするならば、肯定的にうけとめることになる。しかし、時代的背景を考えると、いかにも不自然である。ただ、この時代としては、メイコのような境遇であれば、働きに出るということ自体は普通にあったことのはずである。地元でなければ高知、そうでなければ大阪ということだろうか。東京に出て「自立」したいと思うかどうか、ということなのである。
列車の乗ったメイコのシーンはおかしい。戦後のまもなく鉄道がどんな状態であったか、これは、かなり資料や証言が残っているはずだが、平然と座席に座っている、周囲に立っている人はいない……ということはなかっただろう。
また、メイコのような若い(というよりまだ幼い)女性が、一人で東京に行きたいと言ったとき、普通の親なら全力で止めようとしたはずである。いったい道中で、ついた先の東京で、どんなことがあるか分からない。日本の社会が、そんなに安定して、治安が保たれている状態ということではなかった。町には、いっぱい戦争孤児や浮浪者がいたはずである。こういうことは、『虎に翼』を作ったAKのスタッフなら知っていることのはずである。(強いていえば、「防波堤」になった、あるいは、ならされた女性たちがいたことは確かなことではある。)
朝田の家でのど自慢を聞くとき、ラジオが家のなかで畳の上においてあった。これもどうなのだろうかと思う。ラジオ(真空管をつかう)は、家のなかのテーブルか簞笥の上にでもおいてあるのが普通だと思う。家のなかでも、あるいは、野外にでも、好きなところに持って行って聞くことのできる、乾電池式のトランジスタラジオが普及するのは、かなり後のことになる。
高知でののぶとメイコの暮らしも、なんか奇妙である。物資が不足している時代、食料品の買物とかどうしていたのだろうか。のぶは闇市に取材に行っている。つまり、現実の人びとの生活としては、闇市を利用するしかないということを知っている。だが、のぶとメイコの生活には、物資の不足した時代の生活という雰囲気がまったくない。だれが、のぶの生活の買物や家事をしていたのだろうか。せいぜい、食卓の上の料理が少ないだけである。
新しい雑誌「月刊くじら」の広告を質屋が出してくれることになった。戦後まもなくの物資不足の時代に、質屋という商売はいったいどうだったのだろうか。ここは、説明がほしいところである。でなければ、ちらりと映っていた時計屋の方が、まだ説得力があると、私は感じる。なによりも、質屋という商売が、雑誌に広告を出してお客が増えるようなビジネスではないと思うのだが。
それから、質屋という商売は、表通りにどうどうと大きな看板をかかげることはない。すこし目立たないところで、しかも、店の横の路地からこっそりと出入りできるような(その姿を人目に見られないで済むような)、そういう店の作り方をしたと思うのだが、どうなのだろうか。
のぶの新聞社で「月間くじら」を出すのはいいとしても、それまで新聞の編集をしてきた人間が、雑誌を作れるだろうか。新聞の紙面のレイアウトを考えるのと、雑誌は違う。さらに、雑誌だと台割りをまず決めないといけない。それに合わせて原稿(広告をふくめて)を用意することになる。このノウハウがないと編集の仕事は無理である。
また、この時代の雑誌の流通ルートはどうだったのか。少なくとも最近の話題の本である『町の本屋はいかにつぶれてきたの』(飯田一史、平凡社新書)ぐらいは、ふまえたものであるべきだろう。
雑誌を発刊するときは、高知県民のための……、でいいかもしれないが、広告を取るときには、どのような読者がいて、どれぐらいの発行部数……ということでないといけないはずだが、そうなっていない。
働き始めたのぶは同期入社の琴子と、一緒に飲み屋に行く。そこで琴子の話を聞くことになる。これはいいとしても、このシーンで、二人のテーブルの上にきれいな灰皿(とおぼしい)があった。戦後まもなくのカストリ焼酎しかないような飲み屋で、灰皿なんてあるはずがない、というのが私のイメージである。無論、煙草も貴重であったが、灰皿など用意したりすることはなく、吸い殻は地面に捨てて終わりだっただろう。むしろ小道具として用意すべきは、床に落ちている煙草の吸い殻であったはずである。(煙草をすうときは灰皿を用意してというのは、きわめて新しい感覚である。)
以上、気になったことを思いつくままに書いてみた。このようなことは、それぞれはささいなことかもしれない。だが、こういうことがつみ重なってくると、このドラマ全体として、この時代(戦後まもなく高知の地方都市)で生活していた人びとの生活の感覚(混乱もあり、たくましくもあり)というものが、描けていないと感じることになる。生活の感覚が感じとれないところで、登場人物の言動に共感しろといわれても無理である。
のぶは夕刊の発行が無理になって、雑誌の編集の仕事をすることになった。これはいいのだが、GHQの検閲ということをどう描くことになるのだろうか。戦時中は、政府からの言論統制があって、自由に新聞記事を書くことができなかった……これは通説、俗説であって、実際は、新聞社の方で、軍や政府に忖度して(自主規制して)記事を書いていたということが、今日の歴史としての常識的知識である。そして、戦後になれば、GHQが、言論統制を引き継いで、雑誌や新聞を支配していたことは、周知のことである。ただ、その実態がどうであったかについては、研究が広く一般に知られているようにはなっていないかと思う。
今年は、放送100年ということで、NHKはいろんな特集番組を作っているので、戦時中からGHQの時代にかけて、言論統制はどうであったのか、調べて知っていないはずはない。それを、どうドラマの内容に反映させるかは、また考えることになるだろうが。
昭和戦前の新聞やラジオが、軍や政府の圧力に屈した、抵抗できなかった、そして、国民はだまされていた……通俗的な歴史観としては、このようになるのだが、実際はどうだったかということは、現在ではいろいろと調べて明らかになってきていることだと思っている。
これは、のぶは教師の仕事において、軍や政府にだまされて、のぶは子どもたちをだましていたのか……という根本的な問題にもつながる。このドラマは、ここのところにおいて、どうも思慮が浅いという印象を持ってしまうのである。
2025年7月4日記
『とと姉ちゃん』「常子、ビジネスに挑戦する」「常子、職業婦人になる」 ― 2025-07-06
2025年7月6日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、ビジネスに挑戦する」「常子、職業婦人になる」
この週で描いていたのは、歯磨きのこと。鉄郎おじさんがやってきて、歯磨きで商売しないかということになる。歯槽膿漏になる女性が多いということを知って(この時代、そういうことはあっただろうが)、歯磨きを作って売ることを常子は思いつく。そして、小橋家はもとより、森田屋のみんなをまきこんで、ビジネスを展開することができると思ったのだが、うまくいかなかった。
小橋の家の姉妹三人が仲よく協力してというのは、浜松にいたときに、ハトをつかまえて売ろうとして失敗したとき以来になる。このときは、ハトといっても、ドバトとキジバトの違いだった。
歯磨きの製法を、帝大生の星野が教えてくれるので、それにしたがって作る。
この時代、歯磨きを勝手に作って売ってよかったのどうか、ちょっと気になるところではあるが、ドラマとしては面白く作ってあると感じる。小橋家の人たち、森田屋の人たち、それぞれに個性があって、なんとか歯磨きビジネス(?)を成功させようとする。
歯磨きの作り方とか、売り方とか、気にはなるのだが、ドラマ全体の進行としては、この時代の深川の雰囲気、女学校の雰囲気、というものを背景に、情感をこめて描いていたと感じるところである。少なくとも、そんなに不自然な感じはしない。
鞠子の進学希望は、この時代にあっては、かなりの高望みだろう。そもそも高等女学校に進学する女性自体がすくなかったはずである。これには、地域差もあるが。しかし、それ以上の学校というと、東京ならば、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)か、いくつかあった私立の女子大学(名前は、女子大学であっても、制度上は専門学校である)ぐらいになるだろうか。
森田屋にやくざがやってくるのだが、そのときの森田屋の面々の対応がコミカルで面白い。青柳の女将さんは、さすがの貫禄である。
2025年7月5日記
『とと姉ちゃん』「常子、ビジネスに挑戦する」「常子、職業婦人になる」
この週で描いていたのは、歯磨きのこと。鉄郎おじさんがやってきて、歯磨きで商売しないかということになる。歯槽膿漏になる女性が多いということを知って(この時代、そういうことはあっただろうが)、歯磨きを作って売ることを常子は思いつく。そして、小橋家はもとより、森田屋のみんなをまきこんで、ビジネスを展開することができると思ったのだが、うまくいかなかった。
小橋の家の姉妹三人が仲よく協力してというのは、浜松にいたときに、ハトをつかまえて売ろうとして失敗したとき以来になる。このときは、ハトといっても、ドバトとキジバトの違いだった。
歯磨きの製法を、帝大生の星野が教えてくれるので、それにしたがって作る。
この時代、歯磨きを勝手に作って売ってよかったのどうか、ちょっと気になるところではあるが、ドラマとしては面白く作ってあると感じる。小橋家の人たち、森田屋の人たち、それぞれに個性があって、なんとか歯磨きビジネス(?)を成功させようとする。
歯磨きの作り方とか、売り方とか、気にはなるのだが、ドラマ全体の進行としては、この時代の深川の雰囲気、女学校の雰囲気、というものを背景に、情感をこめて描いていたと感じるところである。少なくとも、そんなに不自然な感じはしない。
鞠子の進学希望は、この時代にあっては、かなりの高望みだろう。そもそも高等女学校に進学する女性自体がすくなかったはずである。これには、地域差もあるが。しかし、それ以上の学校というと、東京ならば、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)か、いくつかあった私立の女子大学(名前は、女子大学であっても、制度上は専門学校である)ぐらいになるだろうか。
森田屋にやくざがやってくるのだが、そのときの森田屋の面々の対応がコミカルで面白い。青柳の女将さんは、さすがの貫禄である。
2025年7月5日記
3か月でマスターするアインシュタイン「第1回 初めまして!アインシュタイン」 ― 2025-07-06
2025年7月6日 當山日出夫
3か月でマスターするアインシュタイン 第1回 初めまして!アインシュタイン
このシリーズは見ることにした。
正直に言って、さっぱり分からないことだらけであるのだが、ともあれ、物理学者、というより、サイエンスとは、どういうものの考え方のうえになりたっているのか、ということが、少しでも分かればいいかなと思っている。
時間の進み方が一様ではないということは、このこと自体は知識として一般に知られていることだと思っているのだが、どうしてそうなるのか、ということになると、はっきりいって分からない。まあ、移動の速度や、重力の影響によって、時間の進み方が異なる、ということは、そうなんだろうなあ、と思う。
だが、時間というものが可変的なものである、これは、絶対的な時間ということを考えうる、あるいは、できない、ということなのだろうか。スタジオで黒板に書いて示していた時間の早さの変化(遅れたり、速くなったり)は、普通に地球上に存在している場合と比較してということになる。だが、その地球も、宇宙のなかでは移動するものである。自転し、公転し、また、太陽系も異動している。この地球表面上の時間を、絶対的な尺度とすることはできないことになる。では、何を基準に宇宙の時間を考えればいいのだろうか。
科学のなかでも、生物の進化論などを考える場合には、地球上ではどの生物であっても、同じ時間の流れのなかにあるということが、前提であるように思える。違うのは、環境とそれに対する適応の仕方だと理解している。この場合は、生物の生きる場所によっては、時間の流れはことなるが、無視してさしつかえないぐらいのわずかな違いでしかない、という理解でいいのだろうか。
エレベーターの落下の思考実験は、実際には、無重力状態を実験的に作り出すためにおこなわれていることであるが、では、なぜそうなるのか……となると、よくわからない。これも、昔のエレベーターの感覚で、下りるときに宙に浮いたような体感ががある……というのも、もう今ではなくなってしまった。エレベーターの性能の向上のせいである。
アインシュタインが弾いたピアノは、奈良ホテルにある。近年、抜本的な修復作業があって、かなりの部品を新しくしたので、昔のままの音色ではなくなってしまった、ということは、ニュースで見たことである。実際にその音を聞いたことはないのだけれど。
黒板とチョーク、というのはとてもすばらしい。今の時代、大学の教室などでも黒板は少なくなりつつある。ホワイトボードが増えてきている。でも、やっぱり黒板とチョークがいいなあ、と思う。
2025年7月4日記
3か月でマスターするアインシュタイン 第1回 初めまして!アインシュタイン
このシリーズは見ることにした。
正直に言って、さっぱり分からないことだらけであるのだが、ともあれ、物理学者、というより、サイエンスとは、どういうものの考え方のうえになりたっているのか、ということが、少しでも分かればいいかなと思っている。
時間の進み方が一様ではないということは、このこと自体は知識として一般に知られていることだと思っているのだが、どうしてそうなるのか、ということになると、はっきりいって分からない。まあ、移動の速度や、重力の影響によって、時間の進み方が異なる、ということは、そうなんだろうなあ、と思う。
だが、時間というものが可変的なものである、これは、絶対的な時間ということを考えうる、あるいは、できない、ということなのだろうか。スタジオで黒板に書いて示していた時間の早さの変化(遅れたり、速くなったり)は、普通に地球上に存在している場合と比較してということになる。だが、その地球も、宇宙のなかでは移動するものである。自転し、公転し、また、太陽系も異動している。この地球表面上の時間を、絶対的な尺度とすることはできないことになる。では、何を基準に宇宙の時間を考えればいいのだろうか。
科学のなかでも、生物の進化論などを考える場合には、地球上ではどの生物であっても、同じ時間の流れのなかにあるということが、前提であるように思える。違うのは、環境とそれに対する適応の仕方だと理解している。この場合は、生物の生きる場所によっては、時間の流れはことなるが、無視してさしつかえないぐらいのわずかな違いでしかない、という理解でいいのだろうか。
エレベーターの落下の思考実験は、実際には、無重力状態を実験的に作り出すためにおこなわれていることであるが、では、なぜそうなるのか……となると、よくわからない。これも、昔のエレベーターの感覚で、下りるときに宙に浮いたような体感ががある……というのも、もう今ではなくなってしまった。エレベーターの性能の向上のせいである。
アインシュタインが弾いたピアノは、奈良ホテルにある。近年、抜本的な修復作業があって、かなりの部品を新しくしたので、昔のままの音色ではなくなってしまった、ということは、ニュースで見たことである。実際にその音を聞いたことはないのだけれど。
黒板とチョーク、というのはとてもすばらしい。今の時代、大学の教室などでも黒板は少なくなりつつある。ホワイトボードが増えてきている。でも、やっぱり黒板とチョークがいいなあ、と思う。
2025年7月4日記
アナザーストーリーズ「香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日」 ― 2025-07-05
2025年7月5日 當山日出夫
アナザーストーリーズ 香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日
九龍城……どうでもいいことだが、ATOKで書いていて、「くーろん」から「九龍」を変換する……という名前で覚えている。九龍城砦というのが、本来(?)の言い方ということになるのだろうか。
もうひとつどうでもいいことだが、この番組の中では、「スラム」ということばをそのまま使っていた。最近では、NHKの番組でも、「スラム」を避ける、あるいは、注釈を加える、ということが多くなっているかと思う。この番組を見るような人は、「スラム」で十分に通じるということかとも思うが。
九龍城砦が取り壊しになったのは、香港政庁の判断ということだったが、裏では中国と交渉があったらしい。中国としても、九龍城砦をそのままにして、香港を返還されてもあつかいに困ったにちがいないだろうし、イギリスの統治下にあるときに、しかるべく処分しておいてもらいたかった……ということなのかとも思ったりするが、はたしてどうなのだろうか。おそらく結果的には、もし九龍城砦がそのまま残っていたら、香港の民主化運動と、その弾圧、ということも、少し変わったものになったかもしれない。
九龍城砦が中国領の飛び地、ということは、そうだったのかと思う。だからといって、中国が積極的に口出ししてくるということはなかったようである。結局、イギリスも、香港も、中国も、どこからも自由な場所として生きながらえてきたことになる。
だが、もし災害……巨大な自然災害や火事など……がおこったら、とんでもないことになっていた可能性はある。いずれ、とりこわすことにはなっただろう。(中国に返還されてからだったら、きっともっと強引にやったかもしれないとも思う。)
独立したエリアであったと同時に、そこに住む人びとのなりわいとしては、香港の経済にもかなり影響があったようだ。実際に、どうだったのかということは、さらに詳しく知りたいところでもある。
麻薬、賭博、売春の無法地帯であったということだが、逆に見れば、このエリアのなかにおしこめてあった、と見ることも可能かとも思う。(社会の中には、一部にこういうところもあった方が、いいのかもしれない。無論、その規模とか、一般への影響力にもよるが。)
香港にはどんな人びとが住んできたのか、その歴史はどうであったのか……これを、冷静な視点から語ることができるようになるには、もうすこし時間が必要なのかもしれないと思う。
2025年7月3日記
アナザーストーリーズ 香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日
九龍城……どうでもいいことだが、ATOKで書いていて、「くーろん」から「九龍」を変換する……という名前で覚えている。九龍城砦というのが、本来(?)の言い方ということになるのだろうか。
もうひとつどうでもいいことだが、この番組の中では、「スラム」ということばをそのまま使っていた。最近では、NHKの番組でも、「スラム」を避ける、あるいは、注釈を加える、ということが多くなっているかと思う。この番組を見るような人は、「スラム」で十分に通じるということかとも思うが。
九龍城砦が取り壊しになったのは、香港政庁の判断ということだったが、裏では中国と交渉があったらしい。中国としても、九龍城砦をそのままにして、香港を返還されてもあつかいに困ったにちがいないだろうし、イギリスの統治下にあるときに、しかるべく処分しておいてもらいたかった……ということなのかとも思ったりするが、はたしてどうなのだろうか。おそらく結果的には、もし九龍城砦がそのまま残っていたら、香港の民主化運動と、その弾圧、ということも、少し変わったものになったかもしれない。
九龍城砦が中国領の飛び地、ということは、そうだったのかと思う。だからといって、中国が積極的に口出ししてくるということはなかったようである。結局、イギリスも、香港も、中国も、どこからも自由な場所として生きながらえてきたことになる。
だが、もし災害……巨大な自然災害や火事など……がおこったら、とんでもないことになっていた可能性はある。いずれ、とりこわすことにはなっただろう。(中国に返還されてからだったら、きっともっと強引にやったかもしれないとも思う。)
独立したエリアであったと同時に、そこに住む人びとのなりわいとしては、香港の経済にもかなり影響があったようだ。実際に、どうだったのかということは、さらに詳しく知りたいところでもある。
麻薬、賭博、売春の無法地帯であったということだが、逆に見れば、このエリアのなかにおしこめてあった、と見ることも可能かとも思う。(社会の中には、一部にこういうところもあった方が、いいのかもしれない。無論、その規模とか、一般への影響力にもよるが。)
香港にはどんな人びとが住んできたのか、その歴史はどうであったのか……これを、冷静な視点から語ることができるようになるには、もうすこし時間が必要なのかもしれないと思う。
2025年7月3日記
サイエンスZERO「人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー」 ― 2025-07-05
2025年7月5日 當山日出夫
サイエンスZERO 人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー
再放送である。最初は、2024年9月8日。
コケについては、現在では、一般にファンが多い。植物のなかでも原始的な部類に属するもので、たくさん種類があって、世界中に分布しているというぐらいの知識である。
尾瀬の自然環境がコケによって守られている、あるいは、コケによって形成されたものである、ということは、そうなのかと思う。それよりも、尾瀬の湿原の地下が泥炭が分厚くたまっている、ということの方が、私には興味深かった。コケや泥炭によって、世界中では大量の炭素がため込まれていることになる。
乾いたコケに水をふきかけて復活する(?)のも興味深いことだったが、それを見ている井上咲楽の話していることば、オノマトペだらけで、私としては、こちらのことばの方が面白かった。こういうのを見て、やはり、日本語としては、オノマトペで表現することになる。
コケが金などを効率的に吸着させることができるので、これの応用開発は、とても面白い。
ゲノムが全部解読されているので、宇宙において、植物の生育を研究するためのサンプルとして使えるというのは、コケの栽培の簡便さとあいまって、これから研究が進んでいく分野になるのだろう。
2025年7月2日記
サイエンスZERO 人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー
再放送である。最初は、2024年9月8日。
コケについては、現在では、一般にファンが多い。植物のなかでも原始的な部類に属するもので、たくさん種類があって、世界中に分布しているというぐらいの知識である。
尾瀬の自然環境がコケによって守られている、あるいは、コケによって形成されたものである、ということは、そうなのかと思う。それよりも、尾瀬の湿原の地下が泥炭が分厚くたまっている、ということの方が、私には興味深かった。コケや泥炭によって、世界中では大量の炭素がため込まれていることになる。
乾いたコケに水をふきかけて復活する(?)のも興味深いことだったが、それを見ている井上咲楽の話していることば、オノマトペだらけで、私としては、こちらのことばの方が面白かった。こういうのを見て、やはり、日本語としては、オノマトペで表現することになる。
コケが金などを効率的に吸着させることができるので、これの応用開発は、とても面白い。
ゲノムが全部解読されているので、宇宙において、植物の生育を研究するためのサンプルとして使えるというのは、コケの栽培の簡便さとあいまって、これから研究が進んでいく分野になるのだろう。
2025年7月2日記
よみがえる新日本紀行「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」 ― 2025-07-05
2025年7月5日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」
再放送である。最初は、2021年12月12日。オリジナルは、昭和49年(1974)。
南部もぐり、というと、どうしても『あまちゃん』を思い出すことになる。最初の放送のときに見て、再放送のときも見ているので、三回ぐらいは見ているだろうか。
あわびを捕るのが、冬場が旬ということは知らなかった。これも地域によって違いがあるらしい。私があわびで思い浮かべるのは、伊勢志摩ということになるので、こちらは夏場が旬である。志摩観光ホテルのあわびのステーキは、昔昔、食べたことがある。
冬の海に裸一貫で素潜りで、あわびを捕るのは、今はどうなっているのだろうか。非常に過酷な男性の仕事である。(『あまちゃん』だと、女性の海女の漁は、夏場でウニを捕っていた。冬は仕事をしなかった。)
種市高校のHPを見ると、校歌もあるが、南部ダイバーの曲もある。海洋開発科と普通科の高校である。
南部もぐりが、全国の港湾施設の工事など、日本の各種のインフラの整備にはたしたやくわりというのは、あまり知られていないだけで、多大なものがあるのだろう。
潜水服を装着して、パイプで船の上から空気を送り込む方式は、いつごろからはじまって、どういう技術的な進歩があったことなのか、このあたりのことも興味がある。ケーブルが通じているので、音声通話(?)ができる。これは、そうだろう。(ただ、『あまちゃん』では、このことは出てきていなかった。これは、演出の都合だったのかと思うことになる。)
現在の高校の様子が映っていたのを見ると、女生徒もかなりいるようである。たぶん、かつては男性の仕事だったと思うのだが、これも時代とととも変わっていくのかと思う。
2025年7月2日記
よみがえる新日本紀行 「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」
再放送である。最初は、2021年12月12日。オリジナルは、昭和49年(1974)。
南部もぐり、というと、どうしても『あまちゃん』を思い出すことになる。最初の放送のときに見て、再放送のときも見ているので、三回ぐらいは見ているだろうか。
あわびを捕るのが、冬場が旬ということは知らなかった。これも地域によって違いがあるらしい。私があわびで思い浮かべるのは、伊勢志摩ということになるので、こちらは夏場が旬である。志摩観光ホテルのあわびのステーキは、昔昔、食べたことがある。
冬の海に裸一貫で素潜りで、あわびを捕るのは、今はどうなっているのだろうか。非常に過酷な男性の仕事である。(『あまちゃん』だと、女性の海女の漁は、夏場でウニを捕っていた。冬は仕事をしなかった。)
種市高校のHPを見ると、校歌もあるが、南部ダイバーの曲もある。海洋開発科と普通科の高校である。
南部もぐりが、全国の港湾施設の工事など、日本の各種のインフラの整備にはたしたやくわりというのは、あまり知られていないだけで、多大なものがあるのだろう。
潜水服を装着して、パイプで船の上から空気を送り込む方式は、いつごろからはじまって、どういう技術的な進歩があったことなのか、このあたりのことも興味がある。ケーブルが通じているので、音声通話(?)ができる。これは、そうだろう。(ただ、『あまちゃん』では、このことは出てきていなかった。これは、演出の都合だったのかと思うことになる。)
現在の高校の様子が映っていたのを見ると、女生徒もかなりいるようである。たぶん、かつては男性の仕事だったと思うのだが、これも時代とととも変わっていくのかと思う。
2025年7月2日記
NHKスペシャル「“モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏」 ― 2025-07-04
2025年7月4日 當山日出夫
NHKスペシャル “モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏
会社は誰のもので、何のためにあるのか、いろいろと見方はある。その一つが、株主の利益となるため、ということもある。株の配当であったり、株価が上昇した時点での売却であったり、ということが具体的なことになるだろうが。
ただ、フジテレビの問題については、これはあまり報道などで触れられることはないが重要なこととして、報道機関としてどういう報道をするか、そこに株主が影響力を行使することの是非、ということは絶対に必要だろう。あるいは、当たり前すぎることで、誰も言わないことなのかもしれないが。
フジテレビは、傾向としては、いわゆる保守的な立場の報道機関ということになる。そのせいか、フジテレビでおこった不祥事については、いわゆるリベラルの側から非常に強く攻撃することになる。それはそれでいいとしても、最終的に報道機関としてどうあるべきなのか、という視点は持っておくべきだと、私は思っている。(自分たちとは異なる立場の報道をするようなテレビ局は、つぶれてもかまわない、いや、つぶすべきだ、と考えるようなら、これこそ、非常に危険というべきだろう。ネット上にはこのような意見があふれているが。)
医薬品事業などは儲からないかもしれないが、それだけの理由で、その事業を止めてしまうという判断はどうなのかなと思う。そこに必要なのは、そこで生み出される製品を、どのような人たちが必要としているのか、ということである。もし、社会的に必要なものであるなら、その事業を継続するために、会社全体としてどうあるべきか、儲かる部門でさらに利益を出すようにすべきか、という方向で、議論されるべきかと、私は思う。
利益といって、10年先のことは考えることはなくて、短期的に、四半期ごとの利益を見ていく……だが、私は、10年でも短いと思う。医薬品に限らず新しい製品の研究開発に10年で結果が出ることは、期待しない方がいい。もっと長く、具体的には子どもの世代、孫の世代に、どうなるだろうか、というぐらいの時間軸で考えることも、必要かと思う。
会社は誰のために存在しているのか、という考え方のなかに、人間の未来への責任という視点があってもいいと、私は思うのである。
2025年7月1日記
NHKスペシャル “モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏
会社は誰のもので、何のためにあるのか、いろいろと見方はある。その一つが、株主の利益となるため、ということもある。株の配当であったり、株価が上昇した時点での売却であったり、ということが具体的なことになるだろうが。
ただ、フジテレビの問題については、これはあまり報道などで触れられることはないが重要なこととして、報道機関としてどういう報道をするか、そこに株主が影響力を行使することの是非、ということは絶対に必要だろう。あるいは、当たり前すぎることで、誰も言わないことなのかもしれないが。
フジテレビは、傾向としては、いわゆる保守的な立場の報道機関ということになる。そのせいか、フジテレビでおこった不祥事については、いわゆるリベラルの側から非常に強く攻撃することになる。それはそれでいいとしても、最終的に報道機関としてどうあるべきなのか、という視点は持っておくべきだと、私は思っている。(自分たちとは異なる立場の報道をするようなテレビ局は、つぶれてもかまわない、いや、つぶすべきだ、と考えるようなら、これこそ、非常に危険というべきだろう。ネット上にはこのような意見があふれているが。)
医薬品事業などは儲からないかもしれないが、それだけの理由で、その事業を止めてしまうという判断はどうなのかなと思う。そこに必要なのは、そこで生み出される製品を、どのような人たちが必要としているのか、ということである。もし、社会的に必要なものであるなら、その事業を継続するために、会社全体としてどうあるべきか、儲かる部門でさらに利益を出すようにすべきか、という方向で、議論されるべきかと、私は思う。
利益といって、10年先のことは考えることはなくて、短期的に、四半期ごとの利益を見ていく……だが、私は、10年でも短いと思う。医薬品に限らず新しい製品の研究開発に10年で結果が出ることは、期待しない方がいい。もっと長く、具体的には子どもの世代、孫の世代に、どうなるだろうか、というぐらいの時間軸で考えることも、必要かと思う。
会社は誰のために存在しているのか、という考え方のなかに、人間の未来への責任という視点があってもいいと、私は思うのである。
2025年7月1日記
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