「エドガー・アラン・ポー 恐怖と幻想の案内人」2024-09-20

2024年9月20日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 「エドガー・アラン・ポー 恐怖と幻想の案内人」

たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいた。二〇二二年の放送の再放送である。ただ、今のNHKの番組のHPでは確認できなかった。

ポーの作品を読んだのは、中学生のころだったと憶えている。探偵小説が好きだったので、ホームズやルパンなどを読んだ延長で、自然とポーの作品も読んだ。創元推理文庫で、ポーの小説集が出たのは買った。今でも書庫のどこかにあるはずである。

この番組では、ミステリの創始者という面は触れていなかった。『モルグ街の殺人』や『黄金虫』『盗まれた手紙』などは、今でも通用する。特に、『盗まれた手紙』のトリックは、現在でも、これを超えるものはないと言っていいぐらい秀逸である。

他には、『黒猫』『アッシャー家の崩壊』などが、記憶に残っているところだろうか。

番組のなかで説明がなかったことだが、世界の文学史の流れのなかで、短編小説というのが、広く市民権を得て読まれるようになったという背景が、どうしても重要なことかと思う。このようなことは、昔、中学や高校のころは何とも思わずに読んでいたのだが、メディアと文学史については、いろんな研究があることを、その後、折りにふれて知るようになった。ドイルの作品も、そのような短編小説を読む人びとの成立ということが、背景にあってのことである。英国における読書史という観点からも考えるのが、今の普通の考え方だろう。

人間の心理の奥深いところまで描きだしたのがポーの作品といっていいだろう。

さて、ポーの作品など、久しぶりに読み返してみたくなった。見てみると、新しい翻訳で、いくつか文庫本で出ている。

2024年9月18日記

『坂の上の雲』「(2)少年の国(後編)」2024-09-20

2024年9月20日 當山日出夫

坂の上の雲 (2)少年の国(後編)

録画しておいたのをようやく見た。見ながら思ったことを思いつくまま書いてみる。

このドラマもそうだが、原作の司馬遼太郎の『坂の上の雲』ではほとんど女性が登場していない。ドラマの場合、秋山真之、秋山好古、正岡子規の家族以外で、女性が出てきただろうか。以前に見たときのことを思いだしてみるのだが、どうだったろうか。たぶん、現在、もし同じようにドラマを作るとなると、もっと多くの女性を登場させることになるだろう。それだけ、ここ十年あまりの間に大きく時代が変わったということでもある。

このドラマはコストをかけていることがよくわかる。鉄道馬車のシーンなど、本当に線路を敷設して、鉄道馬車を走らせている。

真之が、雪のなかを裸足で学校に行くシーン。『ある明治人の記録』(柴五郎)を思い出す。柴五郎の場合は、貧しくて履き物が無かったのであるが。

このドラマが、今の時代に問いかけるものはなんだろうかと考えてみる。その一つは、教育の機会均等、ということかと思う。近年になって教育格差の問題が強く言われるようになってきた。まあ、昔から言われていたことではある。私の若いころに言われたこととしては、東京の大学オーケストラで一番いい音を出すのは東京大学である、と言われた。(子どものころから、音楽などの習い事も、勉強も、それにコストをかけるような家庭の子どもが多いということである。)

本人の才能と努力で、学者にも政治家にも軍人にもなれる(ここに軍人が入っていること自体が、いかにもこのドラマらしいが)という意味のことを、前回の冒頭、最初に言っていた。これは、現代の概念でいえば、教育の機会均等ということになる。

無論、実際には、生まれた階層も重要である。好古、真之の兄弟は、貧しいとはいえ、士分であった。しかし、理念としての教育の機会均等、才能のあるものを選んで教育の機会をあたえる、これは確かにあったというべきだろう。それが、明治の国家を作った……と、司馬遼太郎も、このドラマも、語りかけることになる。

松山藩の家臣という意識が残っていた時代である。常磐会というのは、(調べていないが)松山藩の旧藩主と家臣による組織なのだろう。その給費生ということは、有為な人材を、松山のために育成しようということになる。あるいは、日本の近代のためにということになるのかもしれないが。

原作にも、このドラマにも出てきていないことだと思うが、例えば、岩崎家などが有為な若者に学資の援助をしていたことは、知られていることだと思う。(私の記憶では、岩崎家から援助を受けたということを、秘密にするということが条件だったはずだが。)

明治という時代は、まだまだ封建的な遺制が残っていたには違いないが、一方で、人材を育てるということにコストをかける価値があると認識されていた時代でもあったというべきだろう。このあたりの感覚が、おそらく、今の時代にうったえかけるところかもしれない。

司馬遼太郎の明治国家、近代の日本についての考え方について、批判的にとらえることは確かに意味がある。そのまま、信用するということはないだろう。この場合、その言っていることをどう考えるかというということもあるが、なぜ、司馬遼太郎がそう考えることになったのか、その理由を司馬遼太郎自身が、きちんと語っていることである。それは、昭和戦前の日本の軍部にある。あるいは、司馬遼太郎の戦争体験にある。

思想には歴史がある。なぜ、そのような考え方、歴史観が生まれてきたのか、歴史の経緯がある。だからこそ、批判もできる。その歴史をふまえての批判であるならば、司馬遼太郎も納得するにちがいない……と、私は考えている。

私は、司馬遼太郎の作品は好きな方であるが、その歴史観を完全に肯定しているわけではない。だが、少なくとも司馬遼太郎が、なぜ、そのような考え方で歴史を考えるようになったのか、その背景や理由は理解しておきたいと思う。

好古が言っていた……男子は一生に一事をなせばよい。この科白も、今の時代なら、女性蔑視と受け取られかねない。しかし、言わんとするところは、理解しなければならないだろう。そのようなことを言う人物がいたというのが明治という時代であった、と多くの人びとに認識される時代があった、それが司馬遼太郎の時代であった……ちょっとややこしいが、こう考えてみることになる。

2024年9月19日記