『光る君へ』「目覚め」2024-09-09

2024年9月9日 當山日出夫

『光る君へ』「目覚め」

まひろ(藤式部)は、『源氏物語』を書き継いでいる。ドラマのなかでは、まだ「源氏物語」という固有名で呼ばれるものではなく、ただの物語ということのようだが。

見ていると、おそらく、まひろは現行の『源氏物語』の順番で書いていった、という設定らしい。前回までに書いたのが「桐壺」だったようだ。そして、彰子が、男たちの気持ちが分からないという意味のことを言っていたのは、「雨夜の品定め」だろうか。となると「帚木」になる。「帚木」は現在でも読んでよく分からない巻なのだが、その時代にあって彰子が読んで分かったのだろうか。それと確認してみたわけではなく、記憶だけで思ってみることなのだが、宮中などで貴族たちが読んでいたのは、「空蝉」とおぼしい。これを女の膝枕で読むというのは、なんとも艶めかしい。

まひろが、道長から贈られた檜扇の絵……少年と少女と鳥……の図柄を見て思いついたのは、あきらかに「若紫」である。雀の子を犬君がにがしつる、と出てきた。

となると、いわゆる源氏物語三段階成立説……古くは武田宗俊がとなえ、近年になって大野晋が再度提示した……ではないということになる。私としては、この説はきわめて魅力的な学説に思えるのだけれど。「帚木」の巻は明らかに異質であるし、そこから始まる玉鬘系統の物語群は、これでまとまった内容になっているし、若紫系統の物語とも違ったものになっている。

このあたりのことは、ドラマの制作の都合で、選んだことなのだろうと思う。玉鬘系の物語が後から書かれたとすると、その必要性があった……受領層の女たちの物語を読みたい……という設定が必要になる。

曲水の宴のシーンは、あんなものだったのかなと思う。最後の紀行では、毛越寺の例が映っていたが、京都の城南宮でもやっているはずである。

ここで雨が降って、道長たちがぬれるというのは、以前にあった打毬の後のシーンをうけてのものだろう。このとき、若い男性貴族たちの、あられもない内輪話をまひろは耳にすることになったはずである。

彰子、それから一条帝が、がまひろのところに来たとき、まひろは立て膝で廊下に座った。私は、この演出が、その当時のこととしては自然であると思って見ている。(正座が普通の座り方になるのは、一般の住宅に畳の部屋がひろまってからのことだと思っているのだが、詳しく調べた研究はあるだろうか。)

御嶽精進(みたけそうじ)は、若いときに『源氏物語』を読んで憶えたことばであると記憶する。

興福寺がこの時代どんなであったか、平安時代の後期の寺社勢力については、歴史学の方面からいろいろと研究のあるところだと思う。それはともかくとして、ドラマのなかでの興福寺の僧侶たちはかっこよかった。だが、検非違使の力で追い払うことができたのだろうか。

2024年9月8日記