NHK特集「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」 ― 2025-05-06
2025年5月6日 當山日出夫
NHK特集 「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」
再放送である。最初は、昭和57年(1982)である。この最初の放送は見た記憶がない。
これは面白かった。この時代(昭和57)、まだ関係者が生きていて、こういう番組を作ることができた。まず、このことを感じる。
日本軍のインテリジェンスとロジスティックスの軽視ということは、さんざん言われてきていることである。それを象徴するような内容だった。
外務省が作った、太平洋戦争当時の諜報機関、「東」機関のこと。アメリカとスペインを舞台にして、諜報活動を行った。原爆の開発の情報も、ガダルカナル島への米軍の攻撃が本格攻勢であったことも、これらにつながる情報を送っていた。(無論、これらの情報は、アメリカ側に傍受され解読されていたことではあったが。)
スペインの須磨公使と三浦一等書記官、かれらがスペインで協力者を得て、連合軍側の情報を入手していた。そのスペインでスパイ活動に従事していた本人が、この時代は存命で、どんなことをやっていたか証言している。(それが、本当かどうかは、検証の必要はあるにちがいないが。)
外務省の得た情報は、しかし、陸軍、海軍と、共有されることがなかった。その結果、ガダルカナル島に戦力の逐次投入というもっとも愚かな戦略をとることになった。
仁科芳雄の名前が出てきていた。日本でも、原爆開発に着手していたことは、いまでは普通に知られていることだと思う。だが、それは、マンハッタン計画のように大規模なものではなく、おそらく成功はしなかっただろうが。(よくオッペンハイマーのことばかりが強調されるように思うのだが、歴史の流れが少し変わっていれば、ドイツが先に作っていたかもしれないし、ソ連が先に作っていたかもしれない。日本でも、戦艦大和の代わりに原爆開発にすすんでいたらどうだったろうか。その可能性は、あまりないとは思うけれど。)
諜報活動は、それぞれのスパイの手に入れる情報としては個々のものであるが、それを集めて総合的に判断することが重要である。これが、軍や政府において、外交や軍事の基本でなければならない。だが、日本で、インテリジェンス専門の部署が、政府や軍で機能したということはなかった。(このあたりのことについては、『坂の上の雲』の原作を読み、NHKのドラマを見ても感じたことである。徹底的に、インテリジェンスとロジスティックスを無視して、近代の戦争を描いたことになる。)
「東」機関が作られたのが、太平洋戦争が始まった翌年になってからだったというのは、これはちょっと出遅れているという印象がある。
おそらく「東」機関の他にも、アメリカやヨーロッパにおいて、日本の政府や軍の関与した諜報活動はあったのかもしれないが、ことの性格上、その全貌があきらかになるかどうか、むずかしいかもしれない。日本側としては、記録の多くを廃棄してしまっただろう。それにかかった費用が、どこからどのように拠出さあれたものなのか、非常に興味あるところだが、もう分からないことだろう。
日本の諜報活動の歴史的研究としては、アメリカが傍受して解読した文書からさぐっていくことになるのだろうか。
2025年5月2日記
NHK特集 「私は日本のスパイだった〜秘密諜報員ベラスコ〜」
再放送である。最初は、昭和57年(1982)である。この最初の放送は見た記憶がない。
これは面白かった。この時代(昭和57)、まだ関係者が生きていて、こういう番組を作ることができた。まず、このことを感じる。
日本軍のインテリジェンスとロジスティックスの軽視ということは、さんざん言われてきていることである。それを象徴するような内容だった。
外務省が作った、太平洋戦争当時の諜報機関、「東」機関のこと。アメリカとスペインを舞台にして、諜報活動を行った。原爆の開発の情報も、ガダルカナル島への米軍の攻撃が本格攻勢であったことも、これらにつながる情報を送っていた。(無論、これらの情報は、アメリカ側に傍受され解読されていたことではあったが。)
スペインの須磨公使と三浦一等書記官、かれらがスペインで協力者を得て、連合軍側の情報を入手していた。そのスペインでスパイ活動に従事していた本人が、この時代は存命で、どんなことをやっていたか証言している。(それが、本当かどうかは、検証の必要はあるにちがいないが。)
外務省の得た情報は、しかし、陸軍、海軍と、共有されることがなかった。その結果、ガダルカナル島に戦力の逐次投入というもっとも愚かな戦略をとることになった。
仁科芳雄の名前が出てきていた。日本でも、原爆開発に着手していたことは、いまでは普通に知られていることだと思う。だが、それは、マンハッタン計画のように大規模なものではなく、おそらく成功はしなかっただろうが。(よくオッペンハイマーのことばかりが強調されるように思うのだが、歴史の流れが少し変わっていれば、ドイツが先に作っていたかもしれないし、ソ連が先に作っていたかもしれない。日本でも、戦艦大和の代わりに原爆開発にすすんでいたらどうだったろうか。その可能性は、あまりないとは思うけれど。)
諜報活動は、それぞれのスパイの手に入れる情報としては個々のものであるが、それを集めて総合的に判断することが重要である。これが、軍や政府において、外交や軍事の基本でなければならない。だが、日本で、インテリジェンス専門の部署が、政府や軍で機能したということはなかった。(このあたりのことについては、『坂の上の雲』の原作を読み、NHKのドラマを見ても感じたことである。徹底的に、インテリジェンスとロジスティックスを無視して、近代の戦争を描いたことになる。)
「東」機関が作られたのが、太平洋戦争が始まった翌年になってからだったというのは、これはちょっと出遅れているという印象がある。
おそらく「東」機関の他にも、アメリカやヨーロッパにおいて、日本の政府や軍の関与した諜報活動はあったのかもしれないが、ことの性格上、その全貌があきらかになるかどうか、むずかしいかもしれない。日本側としては、記録の多くを廃棄してしまっただろう。それにかかった費用が、どこからどのように拠出さあれたものなのか、非常に興味あるところだが、もう分からないことだろう。
日本の諜報活動の歴史的研究としては、アメリカが傍受して解読した文書からさぐっていくことになるのだろうか。
2025年5月2日記
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