ねほりんぱほりん「元刑務官」 ― 2025-03-01
2025年3月1日 當山日出夫
ねほりんぱほりん 元刑務官
再放送である。最初は、2022年11月11日。
刑務所というと、パノプティコン、ということばを思ってしまうが、実際には、人間と人間との関係がある、ということになる。これまで、刑務所のなかのことが、報道番組などであつかわれるとき、多くは受刑者の処遇をめぐってということが多い。
刑務所で求められることは、受刑者の更生と、所内の起立を守ること、なるほどそのとおりかと思う。
だが、そもそも刑務所に入ってくるような人たち……犯罪者ということになるが……は、それまでの社会において、疎外された人生をおくってきたような人たちということでもある。知られた言い方をするならば、「ケーキの切れない非行少年たち」というべき人たちも多いことだろう。(番組のなかでは、このような、限界知能以下というような人のことは言っていなかったが。)
刑務官も人間である。何十人もの受刑者を監督しなければならない。また、同時に、工場での仕事もとどこらせることはできない。そこには、やはり、人間と人間とのかかわりということがあると感じることになる。
秩序を守るという観点からは、刑務官が、受刑者に対して、上位の立場であることを徹底しなければならない、というのが実際にあることになる。そして、自身が規律を厳格に守らないといけない。
玉の検査というのは、まあ、そういうことがあるのか、と思う。(いろんな趣味の人間がいるものだとは思うが。)
死刑の執行も刑務官の役割であるが、死刑が実際にどう行われるのかということについては、ほとんど一般には知られることがない。(私個人の意見としては、死刑という制度はあっていいかとも思う。だが、これが、極刑ということではない。終身刑もあっていいだろう。その選択肢は、あってもいいかと思う。また、再審の制度的な整備も重要である。ただ、制度としてあっていいとは思うが、その適用は、最も慎重であるべきと思う。従来の判例とは異なることになっても、どこかで、方針を変える時があってもいいかもしれない。)
刑務所や拘置所のことが報道でとりあげられると、受刑者側の人権ということが主になる。これはこれで、悪いことではない。だが、どうしようもなく悪い人間、極悪人としかいいようのない犯罪者もいるかとも思う。だが、そうであっても、その人権は守られなければならないということも確かである。
社会のなかで、法のルールを守るためには、刑務所が必要であり、そこには、刑務官という仕事が重要である。このことは、広く知られていいことだと思う。
このごろ、息子が部屋をよごして困る……いろいろと言い方はあるものである。刑務所のなかでは禁止ということなんだろうが、ちょっと可哀想な気もする。
余計なこととしては、日本語学として興味深いのは、刑務所で受刑者が刑務官のことを「先生」ということである。「先生」ということばの用法として、こういう場面でも使われることばなのかと、改めて考える。
2025年2月28日記
ねほりんぱほりん 元刑務官
再放送である。最初は、2022年11月11日。
刑務所というと、パノプティコン、ということばを思ってしまうが、実際には、人間と人間との関係がある、ということになる。これまで、刑務所のなかのことが、報道番組などであつかわれるとき、多くは受刑者の処遇をめぐってということが多い。
刑務所で求められることは、受刑者の更生と、所内の起立を守ること、なるほどそのとおりかと思う。
だが、そもそも刑務所に入ってくるような人たち……犯罪者ということになるが……は、それまでの社会において、疎外された人生をおくってきたような人たちということでもある。知られた言い方をするならば、「ケーキの切れない非行少年たち」というべき人たちも多いことだろう。(番組のなかでは、このような、限界知能以下というような人のことは言っていなかったが。)
刑務官も人間である。何十人もの受刑者を監督しなければならない。また、同時に、工場での仕事もとどこらせることはできない。そこには、やはり、人間と人間とのかかわりということがあると感じることになる。
秩序を守るという観点からは、刑務官が、受刑者に対して、上位の立場であることを徹底しなければならない、というのが実際にあることになる。そして、自身が規律を厳格に守らないといけない。
玉の検査というのは、まあ、そういうことがあるのか、と思う。(いろんな趣味の人間がいるものだとは思うが。)
死刑の執行も刑務官の役割であるが、死刑が実際にどう行われるのかということについては、ほとんど一般には知られることがない。(私個人の意見としては、死刑という制度はあっていいかとも思う。だが、これが、極刑ということではない。終身刑もあっていいだろう。その選択肢は、あってもいいかと思う。また、再審の制度的な整備も重要である。ただ、制度としてあっていいとは思うが、その適用は、最も慎重であるべきと思う。従来の判例とは異なることになっても、どこかで、方針を変える時があってもいいかもしれない。)
刑務所や拘置所のことが報道でとりあげられると、受刑者側の人権ということが主になる。これはこれで、悪いことではない。だが、どうしようもなく悪い人間、極悪人としかいいようのない犯罪者もいるかとも思う。だが、そうであっても、その人権は守られなければならないということも確かである。
社会のなかで、法のルールを守るためには、刑務所が必要であり、そこには、刑務官という仕事が重要である。このことは、広く知られていいことだと思う。
このごろ、息子が部屋をよごして困る……いろいろと言い方はあるものである。刑務所のなかでは禁止ということなんだろうが、ちょっと可哀想な気もする。
余計なこととしては、日本語学として興味深いのは、刑務所で受刑者が刑務官のことを「先生」ということである。「先生」ということばの用法として、こういう場面でも使われることばなのかと、改めて考える。
2025年2月28日記
100分de名著「デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立」 ― 2025-03-01
2025年3月1日 當山日出夫
100分de名著 デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立
社会分業論、ということについて論じていくと、最後はやはりこういうところに落ち着かざるをえないかな、という気がする。特に、NHKで作ると、こういうふうになるのかと思う。
近代になって孤立した個人に必要なのは、中間共同体である。これは、いろんなところで、言われ続けてきていることである。しかし、その一方で、現実には、日本社会においても、会社も、学校も、PTAも、町内会も、ことごとく否定され続けてきた。その張本人というべきが、(進歩的というべき)マスコミであり、そのなかに、NHKもふくまれる。だが、そうでありながら、なにか災害が起こったときには、絆といい、あるいは、民主主義にとって必要なのは、コミュニティであり、アソシエーションであり、コモンズであり、ということも、言われ続けてきている。
このあたりを、どう整合性をとって論じるかというのは、はっきりいって難しい。無難な着地点を見つけるとして、依存し合う社会であり、依存が多いほど自立した個人になれる、という逆転的な発想ということになる。
ここまではいいとしても、最後に、熊谷晋一郎のことをもってくるのは、反則ではないかと思う。はっきりいって、この番組の作り方は、ずるいと感じる。(だが、熊谷晋一郎の言っていることは、これはこれとして正しい。)
ここは、戸谷洋志の、『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』(講談社現代新書)のような論点から、考えなおすべきではないかと思う。これは、改めて番組を作って考えることが、妥当かと思う。
2025年2月26日記
100分de名著 デュルケーム“社会分業論” (4)「個人の自律」と「連帯」の両立
社会分業論、ということについて論じていくと、最後はやはりこういうところに落ち着かざるをえないかな、という気がする。特に、NHKで作ると、こういうふうになるのかと思う。
近代になって孤立した個人に必要なのは、中間共同体である。これは、いろんなところで、言われ続けてきていることである。しかし、その一方で、現実には、日本社会においても、会社も、学校も、PTAも、町内会も、ことごとく否定され続けてきた。その張本人というべきが、(進歩的というべき)マスコミであり、そのなかに、NHKもふくまれる。だが、そうでありながら、なにか災害が起こったときには、絆といい、あるいは、民主主義にとって必要なのは、コミュニティであり、アソシエーションであり、コモンズであり、ということも、言われ続けてきている。
このあたりを、どう整合性をとって論じるかというのは、はっきりいって難しい。無難な着地点を見つけるとして、依存し合う社会であり、依存が多いほど自立した個人になれる、という逆転的な発想ということになる。
ここまではいいとしても、最後に、熊谷晋一郎のことをもってくるのは、反則ではないかと思う。はっきりいって、この番組の作り方は、ずるいと感じる。(だが、熊谷晋一郎の言っていることは、これはこれとして正しい。)
ここは、戸谷洋志の、『生きることは頼ること 「自己責任」から「弱い責任」へ』(講談社現代新書)のような論点から、考えなおすべきではないかと思う。これは、改めて番組を作って考えることが、妥当かと思う。
2025年2月26日記
Asia Insight「“盗まれた子どもたち”をさがして〜東ティモール〜」 ― 2025-03-01
2025年3月1日 當山日出夫
Asia Insight 盗まれた子どもたち”をさがして〜東ティモール〜
東ティモールの独立のときのことは記憶にある。ただ、言語研究の関心として、この国の公用語が何になるか、ということに関心があった。結果としては、ポルトガル語とテトゥン語、ということになった。インドネシア語は公用語にならなかった。
インドネシアに「盗まれた」というのは、番組のタイトルとしては、そうなるのかもしれないが、いろいろと個別には事情があったようだ。学校に行かせてくれるからという理由で、インドネシアに行った、という男性が出てきていたが、これは「盗まれた」というのとは、ちょっと違うかと思う。無論、その後の再会もかなわず、離ればなれにされてしまったということでは、小さい子どもをだまして連れ去ったと言っていいことになるだろう。
ただ、学校に行かせてくれる、という理由でインドネシアに行ったということは、そのころの、東ティモールは、どのような生活だったのだろうか、と思うことにはなる。そして、現在では、どうなのだろうか。
その男性の信仰はカトリックであったようだ。家の中には、マリア像があった。また、東ティモールに帰ってから、地元の教会に行っている。インドネシアと東ティモールの対立のなかに、宗教的な要素はどれぐらいあるのか、不案内なので知らないのだが、気になるところである。
たまたまテレビの画面に映っていたが、乗っていた自動車の窓ガラスに、禁煙マークのように、銃のアイコンに禁止となっていた。おそらくは、銃の持ち込み禁止、まどから銃を撃ってはいけない、というような意味だろうと思うが、しかし、このようなことを禁止事項として、ピクトグラムで表示するというのは、初めて見た。世界には、いろんな地域があるものである。
インドネシアで、バイクタクシーの仕事をして、半日のかせぎが、600円(4ドル)というのは、これは、インドネシアの生活としては、どの程度なのだろうか。家の中の様子としては、かなり裕福な生活のように見えたのだが。
2025年2月27日記
Asia Insight 盗まれた子どもたち”をさがして〜東ティモール〜
東ティモールの独立のときのことは記憶にある。ただ、言語研究の関心として、この国の公用語が何になるか、ということに関心があった。結果としては、ポルトガル語とテトゥン語、ということになった。インドネシア語は公用語にならなかった。
インドネシアに「盗まれた」というのは、番組のタイトルとしては、そうなるのかもしれないが、いろいろと個別には事情があったようだ。学校に行かせてくれるからという理由で、インドネシアに行った、という男性が出てきていたが、これは「盗まれた」というのとは、ちょっと違うかと思う。無論、その後の再会もかなわず、離ればなれにされてしまったということでは、小さい子どもをだまして連れ去ったと言っていいことになるだろう。
ただ、学校に行かせてくれる、という理由でインドネシアに行ったということは、そのころの、東ティモールは、どのような生活だったのだろうか、と思うことにはなる。そして、現在では、どうなのだろうか。
その男性の信仰はカトリックであったようだ。家の中には、マリア像があった。また、東ティモールに帰ってから、地元の教会に行っている。インドネシアと東ティモールの対立のなかに、宗教的な要素はどれぐらいあるのか、不案内なので知らないのだが、気になるところである。
たまたまテレビの画面に映っていたが、乗っていた自動車の窓ガラスに、禁煙マークのように、銃のアイコンに禁止となっていた。おそらくは、銃の持ち込み禁止、まどから銃を撃ってはいけない、というような意味だろうと思うが、しかし、このようなことを禁止事項として、ピクトグラムで表示するというのは、初めて見た。世界には、いろんな地域があるものである。
インドネシアで、バイクタクシーの仕事をして、半日のかせぎが、600円(4ドル)というのは、これは、インドネシアの生活としては、どの程度なのだろうか。家の中の様子としては、かなり裕福な生活のように見えたのだが。
2025年2月27日記
事件の涙「桐島聡 “仮面”の逃亡劇」 ― 2025-03-01
2025年3月1日 當山日出夫
事件の涙 桐島聡 “仮面”の逃亡劇
見て(録画であるが)思うことはいろいろあるが、まず感じたのは、今の時代にあんなボロの木造アパートがあって、住んでいる人がいるのか……という、率直な驚きである。(台所、トイレは共同だろうし、風呂はついていないようである。)
東アジア反日武装戦線、三菱重工爆破事件のことは、記憶している。この時代、連合赤軍事件のことが終わり、世の中が平穏な感じがあった時代、と言っていいかもしれない。しかし、一方で、革命こそ正義である、という感覚が若者の間から、まったくなくなったということではない。私が、大学生になったころ、まだ、キャンパスのなかには、その残滓のようなものはあった。三田のキャンパスでも、ヘルメットをかぶって集団でデモをする(ごく少人数だったが)学生が、まだ残っていた時代でもある。
東アジア反日武装戦線の主張したこと、日本の大企業による、世界のなかの弱者である後進国へ、経済的に殖民地侵略を企てている、今の日本人は、その恩恵で生きている共犯者である……まあ、このような論理になるのだが、このような考え方は、この時代、多くの人にとって、完全に否定することはできなかったことでもあると、今になって思い返すことになる。この感覚は、現代でもまったく消えたということではない。かつての第三世界が、今では、グローバルサウスに言いかえられていることになる。(だからといって、その起こした事件を肯定することではないが。)
今の時代であっても、偽名のまま生活するということは、決して不可能ではないだろう。いわゆる、日雇い労働者、下層の労働者、というべき人たちのなかには、自分の正体を隠して生きて行かざるをえない人も、いくらかはいると思う。また、そのような人であっても、なんとか生きていけるところが、世の中にはある。(私の考えとしては、世の中には、こういうところもあっていいと思っている。あまりにも潔癖にクリーンにしてしまうだけが、人間の生きる世の中のあり方ではない。同時に、そういう状態から抜け出したいと思ったときのための、支援の窓口は用意してあるべきであるが。)
桐島聡の場合、最期まで、仮の名前のままで生きていくことは、出来なかったということになる。あるいは、桐島聡の名前を棄てきれなかったとも、いえるかもしれない。まったくの想像でいえば、全国に指名手配されている「桐島聡」は実は自分なのだ、と自負するところがあったのかもしれない。これも、今となっては、完全に闇の中である。
死ぬ最期に、食べたいものはと聞かれて、アイスが食べたい、ガリガリ君が食べたいと言ったそうなのだが、おそらく、日々の仕事のなかでたまにコンビニなどで買って食べるガリガリ君が御馳走だったのかもしれない……と思うことになる。
人間の生き方として、こういう生き方もあるのか……というのが、感じるところである。
2025年2月25日記
事件の涙 桐島聡 “仮面”の逃亡劇
見て(録画であるが)思うことはいろいろあるが、まず感じたのは、今の時代にあんなボロの木造アパートがあって、住んでいる人がいるのか……という、率直な驚きである。(台所、トイレは共同だろうし、風呂はついていないようである。)
東アジア反日武装戦線、三菱重工爆破事件のことは、記憶している。この時代、連合赤軍事件のことが終わり、世の中が平穏な感じがあった時代、と言っていいかもしれない。しかし、一方で、革命こそ正義である、という感覚が若者の間から、まったくなくなったということではない。私が、大学生になったころ、まだ、キャンパスのなかには、その残滓のようなものはあった。三田のキャンパスでも、ヘルメットをかぶって集団でデモをする(ごく少人数だったが)学生が、まだ残っていた時代でもある。
東アジア反日武装戦線の主張したこと、日本の大企業による、世界のなかの弱者である後進国へ、経済的に殖民地侵略を企てている、今の日本人は、その恩恵で生きている共犯者である……まあ、このような論理になるのだが、このような考え方は、この時代、多くの人にとって、完全に否定することはできなかったことでもあると、今になって思い返すことになる。この感覚は、現代でもまったく消えたということではない。かつての第三世界が、今では、グローバルサウスに言いかえられていることになる。(だからといって、その起こした事件を肯定することではないが。)
今の時代であっても、偽名のまま生活するということは、決して不可能ではないだろう。いわゆる、日雇い労働者、下層の労働者、というべき人たちのなかには、自分の正体を隠して生きて行かざるをえない人も、いくらかはいると思う。また、そのような人であっても、なんとか生きていけるところが、世の中にはある。(私の考えとしては、世の中には、こういうところもあっていいと思っている。あまりにも潔癖にクリーンにしてしまうだけが、人間の生きる世の中のあり方ではない。同時に、そういう状態から抜け出したいと思ったときのための、支援の窓口は用意してあるべきであるが。)
桐島聡の場合、最期まで、仮の名前のままで生きていくことは、出来なかったということになる。あるいは、桐島聡の名前を棄てきれなかったとも、いえるかもしれない。まったくの想像でいえば、全国に指名手配されている「桐島聡」は実は自分なのだ、と自負するところがあったのかもしれない。これも、今となっては、完全に闇の中である。
死ぬ最期に、食べたいものはと聞かれて、アイスが食べたい、ガリガリ君が食べたいと言ったそうなのだが、おそらく、日々の仕事のなかでたまにコンビニなどで買って食べるガリガリ君が御馳走だったのかもしれない……と思うことになる。
人間の生き方として、こういう生き方もあるのか……というのが、感じるところである。
2025年2月25日記
『カムカムエヴリバディ』「1965ー1976」「1976ー1983」 ― 2025-03-02
2025年3月2日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1965-1976」「1976-1983」
この週で印象に残ったことを書いておく。
ひなたがラジオの英語会話を聞き始める。そのきっかけになったのが、モモケンのサイン会で、映画村でビリーという外国人の少年に会ったからである。なんとかビリーと話しをしたいと、ひなたは思う。友達の一恵が、英語を話すのを見て、英語を習いたくなる。しかし、お金がない。商店街の福引きで、一等の熱海旅行を当ててそれを元手にしようと考えたのだが、結果として充てたのは、古びたラジオだった。(このラジオ、いくらなんでもこの時代としても古すぎると感じるしろものである。大阪のクリーニング屋さんにおいてあったラジオの方が、ずっと新しい感じである。)
ラジオの英語会話を、ひなたは聞き始めるのだが、一週間で挫折してしまう。
ひなたが、店で留守番をしているとき、ビリーがやってきたが、話しをすることができない。ひなたは、英語会話をサボってしまったことを後悔する。
店に、モモケンがやってきて回転焼きを注文する。ちょうどそのとき、るいが産気づいて、モモケンの自動車で病院に行く。るいに弟ができる。
書いてみれば、上記のようなことなのだが、ドラマの流れとして実に自然に、この時代の京都の商店街の生活、小学生の日常、映画村のこと、などが織りこまれていた。このところの脚本の作り方は、二度目に見ることになるのだが、うまいなあと感じるところである。
さりげないことなのだが、商店街で、吉右衛門のお母さんが店先に座っていて、通りがかった老人に挨拶していた。また、鴨川(あるいは、ここは賀茂川と書いた方がいいだろうか、いわゆる鴨川デルタの地点から表記が変わる)から帰ったるいとひなたが、大月の店の前でとおりすがりの女性に、こんにちは、と言っていた。こういう風景は、その当時としては、ごく普通の商店街の光景だったと思うのだが、今では、もうそういうことはないかもしれない。
この時代のテレビとして、「8時だよ!全員集合」があり、「サザエさん」があり、「母をたずねて三千里」があり、「雲のじゅうたん」が朝ドラであった時代である。ちょうど私の子どものころになるが、みんな憶えている。この時代の雰囲気をうまく描いていたと感じるところである。特に、小学生の視点から、時代の流れを見ているところが、たくみなところだと感じる。
ひなたの英語会話のテキストに、るいが「Hinata」と筆記体で書いていた。これは、昔、安子が英語講座のテキストに、「Yasuko」「Rui」と書いていたのを引き継ぐことになる。このシーンで、安子からるいそしてひなたへと、英語の勉強が受け継がれていくことを表していた。
この時代、気楽に町の本屋さんで、NHKの語学番組のテキストが買える時代でもあった。
金曜日の放送で、弟が生まれるところで終わったのだが、終わりの写真のコーナーで、「京都市北区 大月ひなたさん」と出て、ひなたが赤ちゃんを抱いている写真だった。これは、最初の放送のときも思ったが、とてもうまい作り方だと思う。(ただ、天神さんがあるのは、上京区になるので、大月のある商店街は、いったいどこいらへんになるのかと考えることになる。まあ、このあたりのことは、ドラマのフィクションとして見ておけばいいと思うが。)
ドラマのなかで、ひなたの小学校で児童が使っているのは、ランリュック。今でも使っているだろうか。全国的には、京都あたりを中心として限られた地域で使用されるものだと理解しているのだが、今はどうなっているかと思う。もう、京都の街に行くことも、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。
2025年2月28日記
『カムカムエヴリバディ』「1965-1976」「1976-1983」
この週で印象に残ったことを書いておく。
ひなたがラジオの英語会話を聞き始める。そのきっかけになったのが、モモケンのサイン会で、映画村でビリーという外国人の少年に会ったからである。なんとかビリーと話しをしたいと、ひなたは思う。友達の一恵が、英語を話すのを見て、英語を習いたくなる。しかし、お金がない。商店街の福引きで、一等の熱海旅行を当ててそれを元手にしようと考えたのだが、結果として充てたのは、古びたラジオだった。(このラジオ、いくらなんでもこの時代としても古すぎると感じるしろものである。大阪のクリーニング屋さんにおいてあったラジオの方が、ずっと新しい感じである。)
ラジオの英語会話を、ひなたは聞き始めるのだが、一週間で挫折してしまう。
ひなたが、店で留守番をしているとき、ビリーがやってきたが、話しをすることができない。ひなたは、英語会話をサボってしまったことを後悔する。
店に、モモケンがやってきて回転焼きを注文する。ちょうどそのとき、るいが産気づいて、モモケンの自動車で病院に行く。るいに弟ができる。
書いてみれば、上記のようなことなのだが、ドラマの流れとして実に自然に、この時代の京都の商店街の生活、小学生の日常、映画村のこと、などが織りこまれていた。このところの脚本の作り方は、二度目に見ることになるのだが、うまいなあと感じるところである。
さりげないことなのだが、商店街で、吉右衛門のお母さんが店先に座っていて、通りがかった老人に挨拶していた。また、鴨川(あるいは、ここは賀茂川と書いた方がいいだろうか、いわゆる鴨川デルタの地点から表記が変わる)から帰ったるいとひなたが、大月の店の前でとおりすがりの女性に、こんにちは、と言っていた。こういう風景は、その当時としては、ごく普通の商店街の光景だったと思うのだが、今では、もうそういうことはないかもしれない。
この時代のテレビとして、「8時だよ!全員集合」があり、「サザエさん」があり、「母をたずねて三千里」があり、「雲のじゅうたん」が朝ドラであった時代である。ちょうど私の子どものころになるが、みんな憶えている。この時代の雰囲気をうまく描いていたと感じるところである。特に、小学生の視点から、時代の流れを見ているところが、たくみなところだと感じる。
ひなたの英語会話のテキストに、るいが「Hinata」と筆記体で書いていた。これは、昔、安子が英語講座のテキストに、「Yasuko」「Rui」と書いていたのを引き継ぐことになる。このシーンで、安子からるいそしてひなたへと、英語の勉強が受け継がれていくことを表していた。
この時代、気楽に町の本屋さんで、NHKの語学番組のテキストが買える時代でもあった。
金曜日の放送で、弟が生まれるところで終わったのだが、終わりの写真のコーナーで、「京都市北区 大月ひなたさん」と出て、ひなたが赤ちゃんを抱いている写真だった。これは、最初の放送のときも思ったが、とてもうまい作り方だと思う。(ただ、天神さんがあるのは、上京区になるので、大月のある商店街は、いったいどこいらへんになるのかと考えることになる。まあ、このあたりのことは、ドラマのフィクションとして見ておけばいいと思うが。)
ドラマのなかで、ひなたの小学校で児童が使っているのは、ランリュック。今でも使っているだろうか。全国的には、京都あたりを中心として限られた地域で使用されるものだと理解しているのだが、今はどうなっているかと思う。もう、京都の街に行くことも、ほとんどなくなってしまった生活を送っている。
2025年2月28日記
『カーネーション』「まどわせないで」 ― 2025-03-02
2025年3月2日 當山日出夫
『カーネーション』「まどわせないで」
この週から、糸子が歳をとった。七二歳ということである。岸和田の街の商店街もおおきく変化した。隣の店も変わり、オハラ洋装店の前には、金券屋ができた。道路も舗装された。
オハラ洋装店も、すっかりリニューアルした。前面がガラス戸とショーウィンドウになり、店内もフローリングになっている。奥は、ダイニングキッチンである。二階は、畳の部屋を残し仏壇もあるが、窓はアルミサッシになった。
この週から登場してきているのが、糸子の孫(長女の優子の次女の里香)である。どうやら、東京の優子の決めた学校に通うのがいやでぐれてしまったらしい。しかたがないので、里香は糸子のもとで生活するようになっている。
そんなヤンキーの里香を、糸子は、ただ見ている。自由にさせている。ジャージが着たければ、その姿でいることを、無理にあらためさせようとはしない。人は、何を着るかで、自己表現しているのであり、それは、ある意味で責任をともなうものである……今風に言えば、このような考え方でいたことになる。
着るものは、その人間を現す、また、着るものによって人間は変わるものである。これは、このドラマが始まったときからの、明確なメッセージであったといっていいだろう。幼いときの、糸子と奈津の、家業の違いと着ている着物の違いがあった。それから、糸子が、ミシンの先生に洋裁を習ったとき、まず、洋服を着て街を歩くことから教わっていた。
このような考え方に賛成するかどうかは別にして、ドラマとして、こういうメッセージを一貫して表現してきていることは、確かにことであり、それは見ていてずっと感じることである。
糸子は、時々、店に男性たちを招いて食事をする。このとき、糸子がナレーションとして言っていたことは……男の人は一人で食事をしたらあかん、と言っていた。この台詞の背景には、これまで、小原の家の今で卓袱台をかこんで描かれてきたいろんな人びとの食事のシーンがあってこそである、と感じるところがある。また、あ人はどうしているだろうか、と言っていたが、特に固有名詞は出していなかった。周防さんと想像はつくのだが、しかし、ここはあえて名前を具体的に表現しないことの方が、効果的である。
そして、重要なことは、歳をとった糸子は歳をとったなりに、それにふさわしい店の仕事をしていることである。時代遅れにもならず、しかし、いたずらに時代の最先端をおいかけまわすでもない、地元の人たちと堅実な商売をつづけている。
娘たちは、それぞれに、独立して仕事をしている。しかし、それに糸子が干渉することはない。また、孫娘の里香にも、その生き方を否定はしていない。それぞれの世代に、それぞれの生き方がある、ということであり、特に世代間の対立ということにもっていっていない。こういう視点で描いていることが、このドラマが、評価される理由の一つでもあると思う。
2025年3月1日記
『カーネーション』「まどわせないで」
この週から、糸子が歳をとった。七二歳ということである。岸和田の街の商店街もおおきく変化した。隣の店も変わり、オハラ洋装店の前には、金券屋ができた。道路も舗装された。
オハラ洋装店も、すっかりリニューアルした。前面がガラス戸とショーウィンドウになり、店内もフローリングになっている。奥は、ダイニングキッチンである。二階は、畳の部屋を残し仏壇もあるが、窓はアルミサッシになった。
この週から登場してきているのが、糸子の孫(長女の優子の次女の里香)である。どうやら、東京の優子の決めた学校に通うのがいやでぐれてしまったらしい。しかたがないので、里香は糸子のもとで生活するようになっている。
そんなヤンキーの里香を、糸子は、ただ見ている。自由にさせている。ジャージが着たければ、その姿でいることを、無理にあらためさせようとはしない。人は、何を着るかで、自己表現しているのであり、それは、ある意味で責任をともなうものである……今風に言えば、このような考え方でいたことになる。
着るものは、その人間を現す、また、着るものによって人間は変わるものである。これは、このドラマが始まったときからの、明確なメッセージであったといっていいだろう。幼いときの、糸子と奈津の、家業の違いと着ている着物の違いがあった。それから、糸子が、ミシンの先生に洋裁を習ったとき、まず、洋服を着て街を歩くことから教わっていた。
このような考え方に賛成するかどうかは別にして、ドラマとして、こういうメッセージを一貫して表現してきていることは、確かにことであり、それは見ていてずっと感じることである。
糸子は、時々、店に男性たちを招いて食事をする。このとき、糸子がナレーションとして言っていたことは……男の人は一人で食事をしたらあかん、と言っていた。この台詞の背景には、これまで、小原の家の今で卓袱台をかこんで描かれてきたいろんな人びとの食事のシーンがあってこそである、と感じるところがある。また、あ人はどうしているだろうか、と言っていたが、特に固有名詞は出していなかった。周防さんと想像はつくのだが、しかし、ここはあえて名前を具体的に表現しないことの方が、効果的である。
そして、重要なことは、歳をとった糸子は歳をとったなりに、それにふさわしい店の仕事をしていることである。時代遅れにもならず、しかし、いたずらに時代の最先端をおいかけまわすでもない、地元の人たちと堅実な商売をつづけている。
娘たちは、それぞれに、独立して仕事をしている。しかし、それに糸子が干渉することはない。また、孫娘の里香にも、その生き方を否定はしていない。それぞれの世代に、それぞれの生き方がある、ということであり、特に世代間の対立ということにもっていっていない。こういう視点で描いていることが、このドラマが、評価される理由の一つでもあると思う。
2025年3月1日記
『おむすび』「米田家の呪い」 ― 2025-03-02
2025年3月2日 當山日出夫
『おむすび』「米田家の呪い」
こういう展開になるドラマを、とても面白いと感じるか、逆に、まったくつまらないと感じるか、人それぞれだろうと思う。たしかに、この週だけを見れば、このような内容でもよかったと感じるところもあるのだが、しかし、最初から見てきて感じることとしては、ストーリーが破綻してきていると思わざるをえない。私としては、そのように強く感じる。
このドラマの視聴率は良くないようなのだが、それならば、何をしてもいいだろうと、開き直った作り方をしたのかもしれないが、それが成功したかどうかは、難しいところである。
糸島から、結の祖父母(永吉と佳代)がやってくる。年齢的には、結の子ども(花)がひ孫で小学生になるから、もう九〇を超えていてもいいぐらいだが、そんなそぶりはまったくなく、二人で元気でやってくる。まあ、このあたりは、ドラマだからということで、許容できることかもしれない。
しかし、木曜日までに万博公園に行って太陽の塔を見て、ナレーションで死んで、金曜日が糸島での通夜。このところで、無理矢理、これまでの、伏線……といっていいかどうかわからないが、とにかく、永吉のこれまでのにわかには信用しがたい発言の数々が、それは本当のことだった、ということになる。どう考えても、このはこびは、コントか、コメディでないと無理である。そう思って見るとしても、かなり無理筋の展開だと感じる。
これは要するに、永吉が、聖人の大学進学のための資金を何かに使ってしまったことの真相が、本当はこうだった……岐阜で洪水の被害にあった人のために使ってしまった……ということを、真実味をもたせるために、その他の、永吉がしたかもしれないことが、実は本当のことだった……ということに、無理にでもしたかった、としか感じられない。
別に、ドラマとしては、永吉がホラ吹きであってもかまわないと思うし、始まったころの糸島編での描写を思い出すと、ホラ話であった方が、より自然に思える。そのようなホラ吹きの祖父(永吉)ではあったが、家族のことを思う気持ちは強かった、その一方で、困った人をほうっておけない人であった、ということで、何の矛盾もない。人間には、こういう一見すると矛盾するような面があるものである。
大学行きの資金を使い込んだことは確かだったかもしれないが、それが、人助けのためだったとしたら、これも、別に岐阜の洪水である必然性はない。それ以外の誰かでも、同じように話しのつじつまを合わせることは可能である。場合によっては、ひみこのために使った金でもよかった。どんな事情かはしらないが、そのことを、ずっと秘密にしなければならないような、深刻な状況があったとしても、ひみこなら何とか話しを作ることができたかもしれない。ホラ吹きの爺さんだが、一つだけ、人に言えない隠し事がある、ということでも十分にドラマになる。
永吉が言った台詞で、これはまずいと感じるところがある。永吉が、聖人に対して、大学に行けなかったが、今の自分に満足しているか、それなら十分である……と言っていたが、これは、絶対に言ってはいけない台詞だろう。今の自分に満足であるならば、過去にあったことは、チャラにしてもよい……このような理屈がまかりとおるなら、世の中、なんでもありになってしまう。
少なくとも、子どもの教育費を使い込んでしまうということが、ゆるされることになるなら、今の時代の子どもの教育をめぐる問題のかなりは、ほとんど無かったことになってしまうことになる。極端にいえば、これは、社会正義に反する考え方である。朝ドラのなかで、メインの登場人物に言わせてよい台詞ではない。
永吉が結に言っていた……困った人は助けなければならない、そのかわり、自分が困ったときは助けを求めてよい。たしかに、これはそのとおりのことなのだが、このような相互扶助の組織、社会の中間的な共同体、これが崩壊してきているのが、現代の日本である。その一方で、何か災害があったときには、思い出したように、絆、ということが言われたりする。
だが、これまでのこのドラマのなかで、社会の中間的共同体の意味や変遷ということを描いてきたかというとそうでもない。昔の糸島の農村風景は、あるいはそうであったかもしれない。また、神戸の震災のときの、お互いの助け合いも、そう言えるかもしれない。しかし、震災のときの、相互扶助ということを、このドラマでは、困ったときは助けを求めてもよいのだ、というメッセージとして描いてきたとは思えない。助けを求められたら、それにこたえるようにするのが、社会の構成員のメンバーの義務であると、言っていたわけでもない。
歴史的に振り返ってみても、困ったら助けを求めてもいいのだ、という視点から語られるようになったのは、かなり新しいことだと思うところである。今から三〇年前、神戸の震災のころはまだそのような発想が社会の中に認知されていなかった。やっとボランティアとして、困った人がいるなら助けなければならない、という意識が広まるきっかけになったということだと、私は記憶している。
社会的な相互扶助の精神が、一方では、中間共同体の破壊ということで忘れられつつ、かたや、それでもそのような発想の必用性が言われる、この矛盾した歴史がある。この矛盾した、社会の価値観の変遷というのが、このドラマには、まったく感じられない。
神戸の商店街の人びとの描写にも、地域密着型の相互扶助の精神の必要という面は、まったく描かれていない。
朝ドラにこのような錯綜した価値観の変遷を描くのは無理ということなのかもしれないが、しかし、神戸の震災を描く、ということでスタートしたのなら、現代にいたるまでに、震災をきっかけにして、人びとの社会のなかでの助け合いの気持ちが、どのように変化してきたのか、ということは、当然ながら視野に入ってきているべきことになる。その歴史のなかに、東日本大震災のこともある。
困ったら助けを求めていいのだ、というメッセージを描くことは、非常に重要なことだと私は思う。日本の社会では、ながく、人には迷惑をかけてはいけない、ということが強調されてきた。だが、助けを求めることは、人に迷惑をかけることではない。人にたよってもいいのである。これは、今の時代としては、より強く強調して語るべきことになっている。
しかし、このドラマでは、困ったときは助けを求めるのではなく、ギャル精神で乗りきればなんとかなる、という方向で話しが進んできている。靴屋の渡辺の描き方が、まさにそうであった。
娘を震災で亡くして、アルコール依存症になって仕事も出来ない。そのような渡辺が、なんとかしてほしいと助けを求める……その微妙なサインに気づいて、聖人や商店街の誰かが、精神科のクリニックに一緒にいって、復帰へのあゆみを始めることができる。ようやく手を動かして靴を作る仕事ができるようになる……たとえば、このような展開であってもよかったはずである。
困ったときは助けを求めていいのだ、という大事なメッセージが、永吉のホラ話のなかにかすんでしまったというのが、残念なことであると感じることになる。
それから、結の病院の仕事であるが、管理栄養士としての本来の仕事としては、患者がこれがどうしても食べたいというリクエストがあったとき……この週では味噌汁……それが、患者にとって食べてもいいものなのかどうかを、専門家として判断することであろうと思う。何が食べたいか聞き取って、料理を作る、これは、看護師だったり、病院の調理担当の職員の仕事だろう。
また、このようなことは、病院の職員としての仕事であって、決して人助けではない。ここに、米田家の呪いを持ち込む必然性は、どこにもない。
2025年3月1日記
『おむすび』「米田家の呪い」
こういう展開になるドラマを、とても面白いと感じるか、逆に、まったくつまらないと感じるか、人それぞれだろうと思う。たしかに、この週だけを見れば、このような内容でもよかったと感じるところもあるのだが、しかし、最初から見てきて感じることとしては、ストーリーが破綻してきていると思わざるをえない。私としては、そのように強く感じる。
このドラマの視聴率は良くないようなのだが、それならば、何をしてもいいだろうと、開き直った作り方をしたのかもしれないが、それが成功したかどうかは、難しいところである。
糸島から、結の祖父母(永吉と佳代)がやってくる。年齢的には、結の子ども(花)がひ孫で小学生になるから、もう九〇を超えていてもいいぐらいだが、そんなそぶりはまったくなく、二人で元気でやってくる。まあ、このあたりは、ドラマだからということで、許容できることかもしれない。
しかし、木曜日までに万博公園に行って太陽の塔を見て、ナレーションで死んで、金曜日が糸島での通夜。このところで、無理矢理、これまでの、伏線……といっていいかどうかわからないが、とにかく、永吉のこれまでのにわかには信用しがたい発言の数々が、それは本当のことだった、ということになる。どう考えても、このはこびは、コントか、コメディでないと無理である。そう思って見るとしても、かなり無理筋の展開だと感じる。
これは要するに、永吉が、聖人の大学進学のための資金を何かに使ってしまったことの真相が、本当はこうだった……岐阜で洪水の被害にあった人のために使ってしまった……ということを、真実味をもたせるために、その他の、永吉がしたかもしれないことが、実は本当のことだった……ということに、無理にでもしたかった、としか感じられない。
別に、ドラマとしては、永吉がホラ吹きであってもかまわないと思うし、始まったころの糸島編での描写を思い出すと、ホラ話であった方が、より自然に思える。そのようなホラ吹きの祖父(永吉)ではあったが、家族のことを思う気持ちは強かった、その一方で、困った人をほうっておけない人であった、ということで、何の矛盾もない。人間には、こういう一見すると矛盾するような面があるものである。
大学行きの資金を使い込んだことは確かだったかもしれないが、それが、人助けのためだったとしたら、これも、別に岐阜の洪水である必然性はない。それ以外の誰かでも、同じように話しのつじつまを合わせることは可能である。場合によっては、ひみこのために使った金でもよかった。どんな事情かはしらないが、そのことを、ずっと秘密にしなければならないような、深刻な状況があったとしても、ひみこなら何とか話しを作ることができたかもしれない。ホラ吹きの爺さんだが、一つだけ、人に言えない隠し事がある、ということでも十分にドラマになる。
永吉が言った台詞で、これはまずいと感じるところがある。永吉が、聖人に対して、大学に行けなかったが、今の自分に満足しているか、それなら十分である……と言っていたが、これは、絶対に言ってはいけない台詞だろう。今の自分に満足であるならば、過去にあったことは、チャラにしてもよい……このような理屈がまかりとおるなら、世の中、なんでもありになってしまう。
少なくとも、子どもの教育費を使い込んでしまうということが、ゆるされることになるなら、今の時代の子どもの教育をめぐる問題のかなりは、ほとんど無かったことになってしまうことになる。極端にいえば、これは、社会正義に反する考え方である。朝ドラのなかで、メインの登場人物に言わせてよい台詞ではない。
永吉が結に言っていた……困った人は助けなければならない、そのかわり、自分が困ったときは助けを求めてよい。たしかに、これはそのとおりのことなのだが、このような相互扶助の組織、社会の中間的な共同体、これが崩壊してきているのが、現代の日本である。その一方で、何か災害があったときには、思い出したように、絆、ということが言われたりする。
だが、これまでのこのドラマのなかで、社会の中間的共同体の意味や変遷ということを描いてきたかというとそうでもない。昔の糸島の農村風景は、あるいはそうであったかもしれない。また、神戸の震災のときの、お互いの助け合いも、そう言えるかもしれない。しかし、震災のときの、相互扶助ということを、このドラマでは、困ったときは助けを求めてもよいのだ、というメッセージとして描いてきたとは思えない。助けを求められたら、それにこたえるようにするのが、社会の構成員のメンバーの義務であると、言っていたわけでもない。
歴史的に振り返ってみても、困ったら助けを求めてもいいのだ、という視点から語られるようになったのは、かなり新しいことだと思うところである。今から三〇年前、神戸の震災のころはまだそのような発想が社会の中に認知されていなかった。やっとボランティアとして、困った人がいるなら助けなければならない、という意識が広まるきっかけになったということだと、私は記憶している。
社会的な相互扶助の精神が、一方では、中間共同体の破壊ということで忘れられつつ、かたや、それでもそのような発想の必用性が言われる、この矛盾した歴史がある。この矛盾した、社会の価値観の変遷というのが、このドラマには、まったく感じられない。
神戸の商店街の人びとの描写にも、地域密着型の相互扶助の精神の必要という面は、まったく描かれていない。
朝ドラにこのような錯綜した価値観の変遷を描くのは無理ということなのかもしれないが、しかし、神戸の震災を描く、ということでスタートしたのなら、現代にいたるまでに、震災をきっかけにして、人びとの社会のなかでの助け合いの気持ちが、どのように変化してきたのか、ということは、当然ながら視野に入ってきているべきことになる。その歴史のなかに、東日本大震災のこともある。
困ったら助けを求めていいのだ、というメッセージを描くことは、非常に重要なことだと私は思う。日本の社会では、ながく、人には迷惑をかけてはいけない、ということが強調されてきた。だが、助けを求めることは、人に迷惑をかけることではない。人にたよってもいいのである。これは、今の時代としては、より強く強調して語るべきことになっている。
しかし、このドラマでは、困ったときは助けを求めるのではなく、ギャル精神で乗りきればなんとかなる、という方向で話しが進んできている。靴屋の渡辺の描き方が、まさにそうであった。
娘を震災で亡くして、アルコール依存症になって仕事も出来ない。そのような渡辺が、なんとかしてほしいと助けを求める……その微妙なサインに気づいて、聖人や商店街の誰かが、精神科のクリニックに一緒にいって、復帰へのあゆみを始めることができる。ようやく手を動かして靴を作る仕事ができるようになる……たとえば、このような展開であってもよかったはずである。
困ったときは助けを求めていいのだ、という大事なメッセージが、永吉のホラ話のなかにかすんでしまったというのが、残念なことであると感じることになる。
それから、結の病院の仕事であるが、管理栄養士としての本来の仕事としては、患者がこれがどうしても食べたいというリクエストがあったとき……この週では味噌汁……それが、患者にとって食べてもいいものなのかどうかを、専門家として判断することであろうと思う。何が食べたいか聞き取って、料理を作る、これは、看護師だったり、病院の調理担当の職員の仕事だろう。
また、このようなことは、病院の職員としての仕事であって、決して人助けではない。ここに、米田家の呪いを持ち込む必然性は、どこにもない。
2025年3月1日記
よみがえる新日本紀行「天橋立」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 天橋立
私は、生まれは、京都府の日本海に面したところなので(育ちは宇治市であるが)、天橋立、宮津というと、馴染みのある地域である。天橋立には、何度か行っている。
天橋立が、時代によって、その長さが変化してきたというのは、初めて知った。古来より名所として知られている。
小式部内侍の
大江山 いくの道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立
は『百人一首』に入っている。さて、この平安時代の天橋立は、どんな長さだったのだろうか。現在から想像するイメージとは違っているかもしれない。
観光地の記念写真の歴史としても面白い。カメラが普及して、観光地で記念写真を撮るようになった歴史……これについては、研究のある分野だろうと思うが、天橋立にも、それなりの興味深い歴史がある。
戦前は、舞鶴が軍港だったので、あたりの風景を入れて写真を撮ることが出来ず、憲兵が見張りをしていた。場合によっては、三人で写真を撮るのを避けるために一緒に写ってくれることもあった。(三人で写真を撮ると縁起が悪い、というのは、今ではもう忘れられてしまったことだろう。私はかろうじて記憶している。日本で写真を普通の人びとが撮るようになってから生まれた迷信になるのだろうが、この歴史的経緯も面白いことがあるにちがいない。)
番組が放送された昭和56年のころだと、団体旅行のお客さんを相手に記念写真を撮って、すぐに現像してプリントして、販売する。移動は、リフトとモーターボートであった。ただ、こういうスピード重視のプリントでは、十分な水洗がされていないだろうから、印画紙の写真が長くもたなかったと想像されるが、はたしてどうだったろうか。使っていたのはマミヤ、ブローニー版のカメラであった。
これも、今では、デジタルカメラでとって、すぐにデータを送信してプリントアウトして、販売することができる。お客さんを誘うのに、そんなに外国語に堪能である必要はない。短いフレーズで事足りる。(番組には出てきていなかったが、自動翻訳の利用もできるだろう。)
プリントアウトの他に、写真のデータも欲しいと言ったら、もらえるのだろうか。ちょっと気になったことである。(著作権と肖像権のかかわることにはちがいないが。)
スマホをほとんど人が持つようになっても、それでも、観光地の記念写真がビジネスとして成りたっているというのも、面白いことだと思う。
内海の阿蘇海では、魚が捕れなくなっている。いろんな理由があるのだろう。漁師の人数も減ってきているなかで、若いが頑張っている漁師がいる。地元に密着した仕事として、なんとかやっていけるといいがと思う。
天橋立は、地元の人にとっては生活道路である、ということは重要なことかもしれない。
漁港に近いところでは、魚の行商ということが行われていたのだが、これは今ではどうなっているだろうか。(魚の行商というと、『おしん』を思い出す。)
2025年2月24日記
よみがえる新日本紀行 天橋立
私は、生まれは、京都府の日本海に面したところなので(育ちは宇治市であるが)、天橋立、宮津というと、馴染みのある地域である。天橋立には、何度か行っている。
天橋立が、時代によって、その長さが変化してきたというのは、初めて知った。古来より名所として知られている。
小式部内侍の
大江山 いくの道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立
は『百人一首』に入っている。さて、この平安時代の天橋立は、どんな長さだったのだろうか。現在から想像するイメージとは違っているかもしれない。
観光地の記念写真の歴史としても面白い。カメラが普及して、観光地で記念写真を撮るようになった歴史……これについては、研究のある分野だろうと思うが、天橋立にも、それなりの興味深い歴史がある。
戦前は、舞鶴が軍港だったので、あたりの風景を入れて写真を撮ることが出来ず、憲兵が見張りをしていた。場合によっては、三人で写真を撮るのを避けるために一緒に写ってくれることもあった。(三人で写真を撮ると縁起が悪い、というのは、今ではもう忘れられてしまったことだろう。私はかろうじて記憶している。日本で写真を普通の人びとが撮るようになってから生まれた迷信になるのだろうが、この歴史的経緯も面白いことがあるにちがいない。)
番組が放送された昭和56年のころだと、団体旅行のお客さんを相手に記念写真を撮って、すぐに現像してプリントして、販売する。移動は、リフトとモーターボートであった。ただ、こういうスピード重視のプリントでは、十分な水洗がされていないだろうから、印画紙の写真が長くもたなかったと想像されるが、はたしてどうだったろうか。使っていたのはマミヤ、ブローニー版のカメラであった。
これも、今では、デジタルカメラでとって、すぐにデータを送信してプリントアウトして、販売することができる。お客さんを誘うのに、そんなに外国語に堪能である必要はない。短いフレーズで事足りる。(番組には出てきていなかったが、自動翻訳の利用もできるだろう。)
プリントアウトの他に、写真のデータも欲しいと言ったら、もらえるのだろうか。ちょっと気になったことである。(著作権と肖像権のかかわることにはちがいないが。)
スマホをほとんど人が持つようになっても、それでも、観光地の記念写真がビジネスとして成りたっているというのも、面白いことだと思う。
内海の阿蘇海では、魚が捕れなくなっている。いろんな理由があるのだろう。漁師の人数も減ってきているなかで、若いが頑張っている漁師がいる。地元に密着した仕事として、なんとかやっていけるといいがと思う。
天橋立は、地元の人にとっては生活道路である、ということは重要なことかもしれない。
漁港に近いところでは、魚の行商ということが行われていたのだが、これは今ではどうなっているだろうか。(魚の行商というと、『おしん』を思い出す。)
2025年2月24日記
フロンティア「地磁気と生命 40億年の物語」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
フロンティア 地磁気と生命 40億年の物語
普通の世界史の知識(私の知っている)では、羅針盤の発明が文明に大きな進歩をもたらした、ということになっている。羅針盤があって、世界規模の大航海が可能になった。だが、これも、考えてみれば、この時代に、たまたま北極と南極に、磁北と磁南あった、ということになる。別にどこにあっても、よかったかもしれないが(安定してさえいれば)、北と南の寒いところであり、北は北極星の指し示す方角でもあった。偶然にそうなったことになるのかと思うが、人類の文明の進歩には、非常に役立ったということになりそうである。(このようなことは、番組の中では言っていなかったが。)
磁極の逆転というよりも、これは、そんなに安定したものではなく、揺れているのが通常の状態である、と言った方がいいように思えるのだが、専門家はどう考えるのだろうか。
地場を感知する能力が、生物に備わっているということは、おそらく常識的な科学の知識だろうと思っている。サケとか渡り鳥とかについて、説明のときに出てくる。
この能力を古代の生命の発生のごく初期の段階で起こったこととするならば、それは何のためだったのか。あるいは、この能力があったがために、どう生存に役立ったのか。このあたりのことについては、深海のチムニーの研究から推測はできるが、仮説ということだろう。
多くの生物に磁力を感知する能力がある。人間の脳においても、磁力を感知している。だが、人間は、それを意識することはない。これも、ひょっとすると、どこかで作用しているのかもしれないが、これは今後の研究ということだろう。
磁力と植物のことが出てきていなかったが、これはどうなのか気になるところである。古代の細菌に、磁性細菌があるなら、植物においても何かしら磁力を感知することがあってもいいように思える。これも、研究はあるが、番組のなかでは取りあげなかったということだろうか。
地球の磁場の揺れ動きと、気候変動が、関連するものである、というのは興味深い。これは、もう定説と言っていいのだろうか。あるいは、この因果関係の説明は仮説というべきことなのだろうか。(この番組は、あまり仮説ということばをつかいたがらないようだが、科学にとって仮説を示すことは、むしろ重要なことである。)
古気候学、磁場の変動、これらから、ネアンデルタール人の絶滅を説明するのは、ちょっと無理があるかなという気もするのだが、一つの要因として考えてみるには、価値のあることかもしれない。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅については、ホモ・サピエンスとの生き残り合戦をふくめて、多様な要因があってのことだろうと思うが。
2025年2月27日記
フロンティア 地磁気と生命 40億年の物語
普通の世界史の知識(私の知っている)では、羅針盤の発明が文明に大きな進歩をもたらした、ということになっている。羅針盤があって、世界規模の大航海が可能になった。だが、これも、考えてみれば、この時代に、たまたま北極と南極に、磁北と磁南あった、ということになる。別にどこにあっても、よかったかもしれないが(安定してさえいれば)、北と南の寒いところであり、北は北極星の指し示す方角でもあった。偶然にそうなったことになるのかと思うが、人類の文明の進歩には、非常に役立ったということになりそうである。(このようなことは、番組の中では言っていなかったが。)
磁極の逆転というよりも、これは、そんなに安定したものではなく、揺れているのが通常の状態である、と言った方がいいように思えるのだが、専門家はどう考えるのだろうか。
地場を感知する能力が、生物に備わっているということは、おそらく常識的な科学の知識だろうと思っている。サケとか渡り鳥とかについて、説明のときに出てくる。
この能力を古代の生命の発生のごく初期の段階で起こったこととするならば、それは何のためだったのか。あるいは、この能力があったがために、どう生存に役立ったのか。このあたりのことについては、深海のチムニーの研究から推測はできるが、仮説ということだろう。
多くの生物に磁力を感知する能力がある。人間の脳においても、磁力を感知している。だが、人間は、それを意識することはない。これも、ひょっとすると、どこかで作用しているのかもしれないが、これは今後の研究ということだろう。
磁力と植物のことが出てきていなかったが、これはどうなのか気になるところである。古代の細菌に、磁性細菌があるなら、植物においても何かしら磁力を感知することがあってもいいように思える。これも、研究はあるが、番組のなかでは取りあげなかったということだろうか。
地球の磁場の揺れ動きと、気候変動が、関連するものである、というのは興味深い。これは、もう定説と言っていいのだろうか。あるいは、この因果関係の説明は仮説というべきことなのだろうか。(この番組は、あまり仮説ということばをつかいたがらないようだが、科学にとって仮説を示すことは、むしろ重要なことである。)
古気候学、磁場の変動、これらから、ネアンデルタール人の絶滅を説明するのは、ちょっと無理があるかなという気もするのだが、一つの要因として考えてみるには、価値のあることかもしれない。おそらく、ネアンデルタール人の絶滅については、ホモ・サピエンスとの生き残り合戦をふくめて、多様な要因があってのことだろうと思うが。
2025年2月27日記
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」 ― 2025-03-03
2025年3月3日 當山日出夫
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」
蔦重が瀬川に渡した本のタイトルは、「天の網島」とあったように見えたのだが……とすると、『心中天網島』を思うことになる。(言うまでもなく近松門左衛門の浄瑠璃である。映画化もされている。ATGである。今は、もうこの名前も憶えている人は少ないかもしれない。篠田正浩監督で、岩下志麻が出ている。)
この回は、吉原のことがメインだった。主な筋としては、瀬川の身請けのこと、それから、うつせみの逃亡とその失敗。
ところで、浄瑠璃本が吉原で読まれたであろうか。ちょっと気になる。
鳥山検校は、瀬川を千両で身請けしたいという。悪い話しではないはずなのだが、瀬川は、断る。蔦重の思いにこたえるためである。だが、そう簡単に断れる話しでもない。花魁といっても、女郎である。簡単に自由になれるわけではない。
このあたりのこと、瀬川の思い、蔦重の気持ち、これらを描きつつ、一方で、鳥山検校を、そんなに悪者に描くでもなく(このドラマでは、とてもいい人として描かれている)、悪人の役割を担わされるのは、楼主ということになる。こういう設定のドラマになるのは、妥当なところかと思う。だが、その楼主(松葉屋)も、極悪人というわけでもない。それなりに、女郎としての生き方を考えている。
江戸時代の金貸し、というか、あこぎな高利貸しの話は、ドラマなどでよく描かれる。烏金(からすがね)とか、十一(といち)、とか、私もことばとしては知っている。昔の金貸しは、そうとう悪どいことをしたのかとも思う。だからといって、鳥山検校が、悪人だったということではない。
だが、蔦重の江戸市中の金貸し……そのなかには、検校もふくまれることになるが……が、ひどい商売をしていることは、言っていた。ここで、ヒルのことがたとえに出てきていたが、今の時代、生きたヒルなどは日常生活のなかで目にすることは、まずないだろう。特に都会生活ではそうである。
うつせみは新之介と逃亡をはかるが、見つかってしまい、折檻をうけることになる。実際には、こういう女郎は、その後、どうなったのだろうか。調べれば、考証した文章などあるにちがいないが。だが、すくなくとも、元通りのつとめということはなかっただろう。
『べらぼう』の最初の回のとき、死んだ女郎たちの投げ込み寺のことがあつかわれていたが(着るものを剥ぎ取られて、裸で死体が地面にころがされていた)、最悪の場合は、こんなふうだったかもしれないが、その後、このドラマの中では、死んだ女郎というのは出てきていないはずである。(先代の瀬川は死んだということだったが。)
吉原を抜け出せたとしても、その後、どこでどうやって暮らしていくかということになると、かなり厳しいものがあったにはちがいない。だが、社会の最底辺の生活を覚悟するなら、それはそれなりになんとかなったのかもしれない。(日本の社会のなかから、貧民窟というものが姿を消したのは、わりと最近のことである。)
吉原を舞台にしたドラマということで、今のところ進行しているので、そのなかで働く女郎たちの仕事や生活の厳しさを描くことはあっても、そんなに酷いものとしてばかりということはない。テレビの映像的には、かなり凝った映像で非常に美しく描写している。そうでもしないと、吉原=地獄、ということになってしまう。吉原を、そう肯定するでもなく、完全に悪所として否定するでもなく、そのなかに生きる人びと……蔦重も瀬川もうつせみも、また、妓楼の主たちもふくまれる……について、それでも普通の人と同じような、人間としての喜怒哀楽の感情を持って生きてきていた、という視点で描くことになるのだろう。これはこれで、一つの立場だと思う。
瀬川の吉原での普段の姿なのだが、ちょっと衣紋を抜きすぎかなという気がしないでもないのだが、専門の知識のある人はどう見ているのだろうか。たしかに、画面では色っぽくはあるのだけれど。
花魁道中は、瀬川になってからがやはりいい。貫禄がある。うつせみが三百両。瀬川が千両、さらに千四百両。これは、花魁であっても格の違いか。
幸せ、という概念が吉原の女郎にあっただろうか、これは見ながら思ったことである。たしかに人間として生きていくなかで、幸福感というのは大事な要素なのだが、この時代の吉原の人たちにとって、幸せになりたい、という現代のわれわれの感じるような気持ちが、そのままあったとも考えにくい。この時代は、そのおかれた状況、社会的な階層とか地位とか立場とか、そのなかで、充足した生き方はあったにちがいないが、一般的に人間としての幸せというような概念が、はたしてあったかどうか、さて、どうだろうか。
瀬川は蔦重に見られたことに気づいた、ということでいいのだろう。これもまた女郎の仕事である、と割りきることのできない部分であったかもしれない。
松葉屋のいねの言っていたことは、あこぎといえばいえなくなくもないが、しかし、この時代の吉原にあっては、(現代的な評価をすれば)良心的な考え方であったということになるのかもしれない。
2025年3月2日記
『べらぼう』「玉菊燈籠恋の地獄」
蔦重が瀬川に渡した本のタイトルは、「天の網島」とあったように見えたのだが……とすると、『心中天網島』を思うことになる。(言うまでもなく近松門左衛門の浄瑠璃である。映画化もされている。ATGである。今は、もうこの名前も憶えている人は少ないかもしれない。篠田正浩監督で、岩下志麻が出ている。)
この回は、吉原のことがメインだった。主な筋としては、瀬川の身請けのこと、それから、うつせみの逃亡とその失敗。
ところで、浄瑠璃本が吉原で読まれたであろうか。ちょっと気になる。
鳥山検校は、瀬川を千両で身請けしたいという。悪い話しではないはずなのだが、瀬川は、断る。蔦重の思いにこたえるためである。だが、そう簡単に断れる話しでもない。花魁といっても、女郎である。簡単に自由になれるわけではない。
このあたりのこと、瀬川の思い、蔦重の気持ち、これらを描きつつ、一方で、鳥山検校を、そんなに悪者に描くでもなく(このドラマでは、とてもいい人として描かれている)、悪人の役割を担わされるのは、楼主ということになる。こういう設定のドラマになるのは、妥当なところかと思う。だが、その楼主(松葉屋)も、極悪人というわけでもない。それなりに、女郎としての生き方を考えている。
江戸時代の金貸し、というか、あこぎな高利貸しの話は、ドラマなどでよく描かれる。烏金(からすがね)とか、十一(といち)、とか、私もことばとしては知っている。昔の金貸しは、そうとう悪どいことをしたのかとも思う。だからといって、鳥山検校が、悪人だったということではない。
だが、蔦重の江戸市中の金貸し……そのなかには、検校もふくまれることになるが……が、ひどい商売をしていることは、言っていた。ここで、ヒルのことがたとえに出てきていたが、今の時代、生きたヒルなどは日常生活のなかで目にすることは、まずないだろう。特に都会生活ではそうである。
うつせみは新之介と逃亡をはかるが、見つかってしまい、折檻をうけることになる。実際には、こういう女郎は、その後、どうなったのだろうか。調べれば、考証した文章などあるにちがいないが。だが、すくなくとも、元通りのつとめということはなかっただろう。
『べらぼう』の最初の回のとき、死んだ女郎たちの投げ込み寺のことがあつかわれていたが(着るものを剥ぎ取られて、裸で死体が地面にころがされていた)、最悪の場合は、こんなふうだったかもしれないが、その後、このドラマの中では、死んだ女郎というのは出てきていないはずである。(先代の瀬川は死んだということだったが。)
吉原を抜け出せたとしても、その後、どこでどうやって暮らしていくかということになると、かなり厳しいものがあったにはちがいない。だが、社会の最底辺の生活を覚悟するなら、それはそれなりになんとかなったのかもしれない。(日本の社会のなかから、貧民窟というものが姿を消したのは、わりと最近のことである。)
吉原を舞台にしたドラマということで、今のところ進行しているので、そのなかで働く女郎たちの仕事や生活の厳しさを描くことはあっても、そんなに酷いものとしてばかりということはない。テレビの映像的には、かなり凝った映像で非常に美しく描写している。そうでもしないと、吉原=地獄、ということになってしまう。吉原を、そう肯定するでもなく、完全に悪所として否定するでもなく、そのなかに生きる人びと……蔦重も瀬川もうつせみも、また、妓楼の主たちもふくまれる……について、それでも普通の人と同じような、人間としての喜怒哀楽の感情を持って生きてきていた、という視点で描くことになるのだろう。これはこれで、一つの立場だと思う。
瀬川の吉原での普段の姿なのだが、ちょっと衣紋を抜きすぎかなという気がしないでもないのだが、専門の知識のある人はどう見ているのだろうか。たしかに、画面では色っぽくはあるのだけれど。
花魁道中は、瀬川になってからがやはりいい。貫禄がある。うつせみが三百両。瀬川が千両、さらに千四百両。これは、花魁であっても格の違いか。
幸せ、という概念が吉原の女郎にあっただろうか、これは見ながら思ったことである。たしかに人間として生きていくなかで、幸福感というのは大事な要素なのだが、この時代の吉原の人たちにとって、幸せになりたい、という現代のわれわれの感じるような気持ちが、そのままあったとも考えにくい。この時代は、そのおかれた状況、社会的な階層とか地位とか立場とか、そのなかで、充足した生き方はあったにちがいないが、一般的に人間としての幸せというような概念が、はたしてあったかどうか、さて、どうだろうか。
瀬川は蔦重に見られたことに気づいた、ということでいいのだろう。これもまた女郎の仕事である、と割りきることのできない部分であったかもしれない。
松葉屋のいねの言っていたことは、あこぎといえばいえなくなくもないが、しかし、この時代の吉原にあっては、(現代的な評価をすれば)良心的な考え方であったということになるのかもしれない。
2025年3月2日記
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