BS世界のドキュメンタリー「白人だけの町「オラニア」 南アフリカ“少数派”の選択」 ― 2025-07-01
2025年7月1日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「白人だけの町「オラニア」 南アフリカ“少数派”の選択」
2023年、イギリス。
非常にかたよった視点からの番組制作であると感じるが、そこのところを割り引いて考えると、いろいろ面白い。
南アフリカの歴史として、アパルトヘイトのことを知らなければということであるが、これは、南アフリカの歴史としては、説明不足であろう。無論、アパルトヘイトは重要なことにはちがいないが、それ以前のこととして、南アフリカにどのような白人の歴史があるのか、ということも言っておくべきだろう。この歴史の中では、アフリカーンスの人びと……オランダ系プロテスタントということかと理解しているが……が、イギリスなどの他の白人とどういう関係であったのか、ここのところも、言っておかないと全体像が見えないと思う。番組としては、白人の黒人に対する人種差別主義といいたいことは分かるが、白人の内部において、オランダ系の人びとが、どのように南アフリカの歴史のなかで生活してきたのか、それが現在の南アフリカ社会のなかでどうであるのか、ここのところは避けてとおるべきではない。
オラニアの言語が、英語も教えるが、基本はアフリカーンス語であるということは、かなり重要なことである。言語というのは、人間の共同体の基本にかかわる。(できれば、英語も教えたくはないということかもしれないが、実際の生活のうえでそうもいかないということなのかと思うが、どうなのだろうか。)
取材の方法が、非常に挑発的である。これは、かなり悪質だと感じるところがある。BLMのことが話題になったとき、取材する側としては、オラニアの人たちが自分たちの立場を説明するときに、このような事例をふまえて話しをすることになるであろうことぐらいは、十分に事前に予想できたはずである。予想しなかったとするならば、はっきりいって、このような取材をするには無能ということになるが、そうではなく、意図的に過剰に反応してみせて、相手の対応を引き出した、ということだと思うことになる。
教会の取材もそうである。教会は、この地域の人びとの、信仰にとって非常に重要な場所であり、コミュニティの中心であることは、事前にわかっているはずである。ならば、その取材の前に、トラブル(BLMを話題にする)を回避しておくべきだろう。否定的な取材をされることがわかっていて、それも、日曜日の礼拝のとき(終わった後ではあるが)にやってくるというのは、教会としてはかなり警戒することになるのは当然だろう。それを意図的にやっているというのは、番組の作り方として、フェアな立場から番組を作ろうというのではない、ということが分かる。(これはこれで、一つの番組の作り方ではあるが。わざとトラブルが生じるようにして、それを話題にする。)
高校生の演劇のシーンは、どういう意図なのだろうか。高校生が、今の世界の標準からすれば、あきらかに差別的な内容のものを演じている。これが、高校生に分かっていないはずはないだろうと、私などは思う。番組の作り手としては、オラニアでは高校生でも、こんなに差別的な考えを持っているといいたいことになるかと思う。あるいは、オラニアの側としては、これが差別的であることは十分に理解したうえで、それでも、このような考え方に共感する人が、世界には少なからずいるということを知ってのことである、ということかもしれない。
アパルトヘイトについて、重労働を人種に割り当てたことが問題であると言っていたことは、かなり重要である。これは、オラニアの地域において、重労働に従事するのはいったい誰であるのか、という問題につながるからである。とりあえず、今の規模で、独立した地域を保つぐらいならなんとかなるかもしれないが、農本主義的な生活からはなれて、より一層の発展……たとえば、高層ビルを建てるとか、空港を作るとか……になると、労働によるさまざまな格差を生じることになるはずである。重労働を必要としない範囲で、自分たちは農業を基本として生活していくのである、ということならば、これはこれで一つの賢明な判断だと思う。現代の世界の発展に背を向けるようなことだが、あえてそれを選択するだけの価値が、オラニアにはあるということになる。
推測によることがかなりあった。オラニアにトランプが(この番組の制作の時点では、まだ二度目の大統領ではないが)関与している……これは、ウワサがあるということであったが、ウワサをさも根拠のあることのごとく語ってはいけないだろう。どういう団体などがオラニアに資金援助しているのか、調べれば分からないはずはないと思う。むしろ、そのような団体や組織(いわゆる極右団体であるが)は、そのことを公言している可能性がある。まったく秘密になっているのかどうか、そのところを報じるのが、ジャーナリズムというべきであり、ここのところは、ジャーナリズム失格である。
他の人の迷惑になることでなければ、個人の価値観は最大限尊重されるべきである……こういうのが、リベラリズムの基本にあると思っているが、この意味では、この規模で、この土地に、こういう生活の人びとがいることぐらいは、十分に許容できることだと思う。オラニアは存在してはいけないという言い方の方が、私には、あまりに潔癖主義で、不寛容に思える。このような現代の「新しき村」があってもいいことではないだろうか。それを取材した人がどう個人的な感想をいだこうと、それは自由である。
オラニアの人びとは人種差別主義者かもしれないが……たぶん、強いてカテゴライズすればそうなるだろう……だが、このエリアの中では、人種差別はない、このことも重要なことである。あらかじめ審査が必要ということを差別というのなら、それはそうであるとしても。
オラニアの存在によって、現実に被害をこうむっているという人が、もしいるとするならば、その人びとのことをとりあげるべきだろう。それができていないということは、特に被害はない、ということと理解できる。ただ、オラニアの人びとへの嫌悪感をあらわにするだけでは、かつて、アパルトヘイトの時代に黒人を差別していたのと何が違うというのだろうか。まあ、人間は、自分たちとは違う価値観や生活習慣で生きる人びとに対しては、そう簡単には素直になれない、その行き着く先がアパルトヘイトのような差別政策であるということ、つまり、人間とはそういうものであるということを、逆の立場から言ったことになると理解できようか。強いていえば、差別することになる人間ということを、逆説的に肯定してしまったことになっている。このことに、この番組を作った人は気づいていないようではあるが。
2025年6月26日記
BS世界のドキュメンタリー 「白人だけの町「オラニア」 南アフリカ“少数派”の選択」
2023年、イギリス。
非常にかたよった視点からの番組制作であると感じるが、そこのところを割り引いて考えると、いろいろ面白い。
南アフリカの歴史として、アパルトヘイトのことを知らなければということであるが、これは、南アフリカの歴史としては、説明不足であろう。無論、アパルトヘイトは重要なことにはちがいないが、それ以前のこととして、南アフリカにどのような白人の歴史があるのか、ということも言っておくべきだろう。この歴史の中では、アフリカーンスの人びと……オランダ系プロテスタントということかと理解しているが……が、イギリスなどの他の白人とどういう関係であったのか、ここのところも、言っておかないと全体像が見えないと思う。番組としては、白人の黒人に対する人種差別主義といいたいことは分かるが、白人の内部において、オランダ系の人びとが、どのように南アフリカの歴史のなかで生活してきたのか、それが現在の南アフリカ社会のなかでどうであるのか、ここのところは避けてとおるべきではない。
オラニアの言語が、英語も教えるが、基本はアフリカーンス語であるということは、かなり重要なことである。言語というのは、人間の共同体の基本にかかわる。(できれば、英語も教えたくはないということかもしれないが、実際の生活のうえでそうもいかないということなのかと思うが、どうなのだろうか。)
取材の方法が、非常に挑発的である。これは、かなり悪質だと感じるところがある。BLMのことが話題になったとき、取材する側としては、オラニアの人たちが自分たちの立場を説明するときに、このような事例をふまえて話しをすることになるであろうことぐらいは、十分に事前に予想できたはずである。予想しなかったとするならば、はっきりいって、このような取材をするには無能ということになるが、そうではなく、意図的に過剰に反応してみせて、相手の対応を引き出した、ということだと思うことになる。
教会の取材もそうである。教会は、この地域の人びとの、信仰にとって非常に重要な場所であり、コミュニティの中心であることは、事前にわかっているはずである。ならば、その取材の前に、トラブル(BLMを話題にする)を回避しておくべきだろう。否定的な取材をされることがわかっていて、それも、日曜日の礼拝のとき(終わった後ではあるが)にやってくるというのは、教会としてはかなり警戒することになるのは当然だろう。それを意図的にやっているというのは、番組の作り方として、フェアな立場から番組を作ろうというのではない、ということが分かる。(これはこれで、一つの番組の作り方ではあるが。わざとトラブルが生じるようにして、それを話題にする。)
高校生の演劇のシーンは、どういう意図なのだろうか。高校生が、今の世界の標準からすれば、あきらかに差別的な内容のものを演じている。これが、高校生に分かっていないはずはないだろうと、私などは思う。番組の作り手としては、オラニアでは高校生でも、こんなに差別的な考えを持っているといいたいことになるかと思う。あるいは、オラニアの側としては、これが差別的であることは十分に理解したうえで、それでも、このような考え方に共感する人が、世界には少なからずいるということを知ってのことである、ということかもしれない。
アパルトヘイトについて、重労働を人種に割り当てたことが問題であると言っていたことは、かなり重要である。これは、オラニアの地域において、重労働に従事するのはいったい誰であるのか、という問題につながるからである。とりあえず、今の規模で、独立した地域を保つぐらいならなんとかなるかもしれないが、農本主義的な生活からはなれて、より一層の発展……たとえば、高層ビルを建てるとか、空港を作るとか……になると、労働によるさまざまな格差を生じることになるはずである。重労働を必要としない範囲で、自分たちは農業を基本として生活していくのである、ということならば、これはこれで一つの賢明な判断だと思う。現代の世界の発展に背を向けるようなことだが、あえてそれを選択するだけの価値が、オラニアにはあるということになる。
推測によることがかなりあった。オラニアにトランプが(この番組の制作の時点では、まだ二度目の大統領ではないが)関与している……これは、ウワサがあるということであったが、ウワサをさも根拠のあることのごとく語ってはいけないだろう。どういう団体などがオラニアに資金援助しているのか、調べれば分からないはずはないと思う。むしろ、そのような団体や組織(いわゆる極右団体であるが)は、そのことを公言している可能性がある。まったく秘密になっているのかどうか、そのところを報じるのが、ジャーナリズムというべきであり、ここのところは、ジャーナリズム失格である。
他の人の迷惑になることでなければ、個人の価値観は最大限尊重されるべきである……こういうのが、リベラリズムの基本にあると思っているが、この意味では、この規模で、この土地に、こういう生活の人びとがいることぐらいは、十分に許容できることだと思う。オラニアは存在してはいけないという言い方の方が、私には、あまりに潔癖主義で、不寛容に思える。このような現代の「新しき村」があってもいいことではないだろうか。それを取材した人がどう個人的な感想をいだこうと、それは自由である。
オラニアの人びとは人種差別主義者かもしれないが……たぶん、強いてカテゴライズすればそうなるだろう……だが、このエリアの中では、人種差別はない、このことも重要なことである。あらかじめ審査が必要ということを差別というのなら、それはそうであるとしても。
オラニアの存在によって、現実に被害をこうむっているという人が、もしいるとするならば、その人びとのことをとりあげるべきだろう。それができていないということは、特に被害はない、ということと理解できる。ただ、オラニアの人びとへの嫌悪感をあらわにするだけでは、かつて、アパルトヘイトの時代に黒人を差別していたのと何が違うというのだろうか。まあ、人間は、自分たちとは違う価値観や生活習慣で生きる人びとに対しては、そう簡単には素直になれない、その行き着く先がアパルトヘイトのような差別政策であるということ、つまり、人間とはそういうものであるということを、逆の立場から言ったことになると理解できようか。強いていえば、差別することになる人間ということを、逆説的に肯定してしまったことになっている。このことに、この番組を作った人は気づいていないようではあるが。
2025年6月26日記
NHKスペシャル「不発弾処理 足下に潜む“脅威”」 ― 2025-07-01
2025年7月1日 當山日出夫
NHKスペシャル 不発弾処理 足下(もと)に潜む“脅威”
不発弾の処理というのは、こういうふうにしているのかと、とても興味深い内容だった。信管が生きていれば、数十年以上たっても爆発する危険がある。信管がないからといって安全というわけではないが。
NHK沖縄の制作なので、基本的論調として、今も沖縄に残る不発弾の問題は、日本政府の責任である、ということを言いたいのであろうことは理解できる。だが、これをいうためには、ただ沖縄の事例を出してきただけでは難しい。(いや、これにかぎってみれば、世界中で沖縄に限定的なことというなら、簡単かもしれないが。)そこで、出してきたのが、ガダルカナル島のことになる。ここでは、日本軍とアメリカ軍のものがあり、それは、いまでも被害が出ている。
不発弾ということについて考えてみるならば、おそらく、朝鮮半島にはもっとたくさんあってもおかしくはない。朝鮮戦争のときのものが、まったくないはずはない。韓国政府はどう対応しているのか、語ってほしい。無論、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、大量に現在も残っているはずである。昔のドイツ軍の残した不発弾について、今のドイツ政府は責任を負っているということはあるのだろうか。昔のソ連軍のものについて、今のロシア政府はどうなのだろうか。中国ではどうなっているのだろうか。
さらに、現在のこととしては、ウクライナはもちろんのこと、ミャンマーなどでも、多くの不発弾を残していることになるだろう。その責任は、将来は誰がとることになるのか。
不発弾だけではなく、世界中の紛争地でばらまかれた地雷の問題もある。
これらをふまえて、沖縄の不発弾の責任は日本政府にある、ということを、法的、論理的に論じるということについては、どう考えべきなのだろうか。これについては語りえないということならば、その語りえないこと、それ自体を語るべきではないだろうか。それがジャーナリズムというものだと思っている。
それから、もっとも重要なことは、今も残っている不発弾の危険性について、どのように対処すべきなのか、人びとの日常生活、社会においての、注意の喚起であるにちがいない。たとえば、地面から煙の出ているものにはちかづかない、など(黄リン弾の可能性がある)。こういうことを、しかるべく知らせるというのも、ジャーナリズムのつとめであるだろう。
2025年6月23日記
NHKスペシャル 不発弾処理 足下(もと)に潜む“脅威”
不発弾の処理というのは、こういうふうにしているのかと、とても興味深い内容だった。信管が生きていれば、数十年以上たっても爆発する危険がある。信管がないからといって安全というわけではないが。
NHK沖縄の制作なので、基本的論調として、今も沖縄に残る不発弾の問題は、日本政府の責任である、ということを言いたいのであろうことは理解できる。だが、これをいうためには、ただ沖縄の事例を出してきただけでは難しい。(いや、これにかぎってみれば、世界中で沖縄に限定的なことというなら、簡単かもしれないが。)そこで、出してきたのが、ガダルカナル島のことになる。ここでは、日本軍とアメリカ軍のものがあり、それは、いまでも被害が出ている。
不発弾ということについて考えてみるならば、おそらく、朝鮮半島にはもっとたくさんあってもおかしくはない。朝鮮戦争のときのものが、まったくないはずはない。韓国政府はどう対応しているのか、語ってほしい。無論、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、大量に現在も残っているはずである。昔のドイツ軍の残した不発弾について、今のドイツ政府は責任を負っているということはあるのだろうか。昔のソ連軍のものについて、今のロシア政府はどうなのだろうか。中国ではどうなっているのだろうか。
さらに、現在のこととしては、ウクライナはもちろんのこと、ミャンマーなどでも、多くの不発弾を残していることになるだろう。その責任は、将来は誰がとることになるのか。
不発弾だけではなく、世界中の紛争地でばらまかれた地雷の問題もある。
これらをふまえて、沖縄の不発弾の責任は日本政府にある、ということを、法的、論理的に論じるということについては、どう考えべきなのだろうか。これについては語りえないということならば、その語りえないこと、それ自体を語るべきではないだろうか。それがジャーナリズムというものだと思っている。
それから、もっとも重要なことは、今も残っている不発弾の危険性について、どのように対処すべきなのか、人びとの日常生活、社会においての、注意の喚起であるにちがいない。たとえば、地面から煙の出ているものにはちかづかない、など(黄リン弾の可能性がある)。こういうことを、しかるべく知らせるというのも、ジャーナリズムのつとめであるだろう。
2025年6月23日記
ブラタモリ「青山通りバスツアー▼渋谷発!東京の一等地・赤坂〜表参道を行く」 ― 2025-07-01
2025年7月1日 當山日出夫
ブラタモリ 青山通りバスツアー▼渋谷発!東京の一等地・赤坂〜表参道を行く
BKでは、土曜日に特別の放送だったので、押し出されて、少しおくれての放送だった。それを録画しておいて、後で見た。
青山通りが、ステキな通りになったのは何故か、これは、東京の町の発達史とかかわることになるはずである。昔は、大名屋敷などがあり、渋谷は江戸の町の外だった。それが、明治時代になって、郊外の住宅地が生まれてきて、明治神宮とか、代々木練兵場とかができ、渋谷が郊外につながるターミナルとして開発されていくという歴史を語ることになるだろう。
青山におおきな墓地があるということは、つまりは、昔はな~んにもない空き地が広がっている不便な場所だったということでもあるのだろう。私としては、青山通りのことよりも、青山霊園の歴史的経緯の方が興味がある。むしろ、このことをメインに番組を作った方が、面白いものになりそうである。東京の都市としての発展と墓地の歴史という視点は、興味深いかと思う。
原宿の同潤会アパートは、私が、学生だったころにはまだあった。セントラルアパートもあった。ただ、あんまり、関心はなかったが。そのころでも、原宿あたりは、昔からの住宅地であるという面影を残していた、ということの方が意味があるかもしれない。
地形として見るならば、いわゆる山の手の側になる台地の高くて平らな部分をとおっているのが今の青山通りということになる。しかし、それから、少しはずれると、高低差のある道になり、そこは、山の手のはずれの部分ということでいいのかと思う。
まっすぐに、幅の広い道路を作れたということは、その昔は、なんにもなかったところだった、ということなのであろう。
番組で言ってはいなかったが、青山学院は、かつては郊外に作った学校、ということになる。同じようなことは、早稲田にも、学習院にも、立教に、いえるはずである。いまでこそ、都心の大学になってしまっているけれど。
2025年6月29日記
ブラタモリ 青山通りバスツアー▼渋谷発!東京の一等地・赤坂〜表参道を行く
BKでは、土曜日に特別の放送だったので、押し出されて、少しおくれての放送だった。それを録画しておいて、後で見た。
青山通りが、ステキな通りになったのは何故か、これは、東京の町の発達史とかかわることになるはずである。昔は、大名屋敷などがあり、渋谷は江戸の町の外だった。それが、明治時代になって、郊外の住宅地が生まれてきて、明治神宮とか、代々木練兵場とかができ、渋谷が郊外につながるターミナルとして開発されていくという歴史を語ることになるだろう。
青山におおきな墓地があるということは、つまりは、昔はな~んにもない空き地が広がっている不便な場所だったということでもあるのだろう。私としては、青山通りのことよりも、青山霊園の歴史的経緯の方が興味がある。むしろ、このことをメインに番組を作った方が、面白いものになりそうである。東京の都市としての発展と墓地の歴史という視点は、興味深いかと思う。
原宿の同潤会アパートは、私が、学生だったころにはまだあった。セントラルアパートもあった。ただ、あんまり、関心はなかったが。そのころでも、原宿あたりは、昔からの住宅地であるという面影を残していた、ということの方が意味があるかもしれない。
地形として見るならば、いわゆる山の手の側になる台地の高くて平らな部分をとおっているのが今の青山通りということになる。しかし、それから、少しはずれると、高低差のある道になり、そこは、山の手のはずれの部分ということでいいのかと思う。
まっすぐに、幅の広い道路を作れたということは、その昔は、なんにもなかったところだった、ということなのであろう。
番組で言ってはいなかったが、青山学院は、かつては郊外に作った学校、ということになる。同じようなことは、早稲田にも、学習院にも、立教に、いえるはずである。いまでこそ、都心の大学になってしまっているけれど。
2025年6月29日記
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