NHKスペシャル「不発弾処理 足下に潜む“脅威”」2025-07-01

2025年7月1日 當山日出夫

NHKスペシャル 不発弾処理 足下(もと)に潜む“脅威”

不発弾の処理というのは、こういうふうにしているのかと、とても興味深い内容だった。信管が生きていれば、数十年以上たっても爆発する危険がある。信管がないからといって安全というわけではないが。

NHK沖縄の制作なので、基本的論調として、今も沖縄に残る不発弾の問題は、日本政府の責任である、ということを言いたいのであろうことは理解できる。だが、これをいうためには、ただ沖縄の事例を出してきただけでは難しい。(いや、これにかぎってみれば、世界中で沖縄に限定的なことというなら、簡単かもしれないが。)そこで、出してきたのが、ガダルカナル島のことになる。ここでは、日本軍とアメリカ軍のものがあり、それは、いまでも被害が出ている。

不発弾ということについて考えてみるならば、おそらく、朝鮮半島にはもっとたくさんあってもおかしくはない。朝鮮戦争のときのものが、まったくないはずはない。韓国政府はどう対応しているのか、語ってほしい。無論、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、大量に現在も残っているはずである。昔のドイツ軍の残した不発弾について、今のドイツ政府は責任を負っているということはあるのだろうか。昔のソ連軍のものについて、今のロシア政府はどうなのだろうか。中国ではどうなっているのだろうか。

さらに、現在のこととしては、ウクライナはもちろんのこと、ミャンマーなどでも、多くの不発弾を残していることになるだろう。その責任は、将来は誰がとることになるのか。

不発弾だけではなく、世界中の紛争地でばらまかれた地雷の問題もある。

これらをふまえて、沖縄の不発弾の責任は日本政府にある、ということを、法的、論理的に論じるということについては、どう考えべきなのだろうか。これについては語りえないということならば、その語りえないこと、それ自体を語るべきではないだろうか。それがジャーナリズムというものだと思っている。

それから、もっとも重要なことは、今も残っている不発弾の危険性について、どのように対処すべきなのか、人びとの日常生活、社会においての、注意の喚起であるにちがいない。たとえば、地面から煙の出ているものにはちかづかない、など(黄リン弾の可能性がある)。こういうことを、しかるべく知らせるというのも、ジャーナリズムのつとめであるだろう。

2025年6月23日記

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