ドキュメント20min.「雨穴とテレビ」2026-05-01

2026年5月1日 當山日出夫

ドキュメント20min.「雨穴とテレビ」

『変な家』などの作品については、名前を知っている程度である。ミステリ関係は、ここ数年、あまり読まなくなった。せいぜい、年末のミステリの各種のベストが発表になってから、海外作品のトップの作品を買って読むぐらいである。昔は、ルース・レンデルの作品など、ずっと読んでいたのだけれど。今だと、アンソニー・ホロビッツは、読んでいる。

たしかに昔のテレビの方が面白かった。破天荒なところ、今の規準ではとても放送できなような、「正しくない」番組も多かった。NHKのドラマでも、大河ドラマとか朝ドラとか、昔の方が面白い。再放送している作品があるので、どうしても見比べてしまうのだが、今の番組はつまらなくなっている。まあ、いろんな方面に配慮して、多くの視聴者に無難な内容になっているか、あるいは、特定の主張にかたよりすぎて、思考の幅がせまいものになっているか、という印象である。

ともかく、面白そうな企画だからやってみよう、というだけでもいいとは思うが、それだと、何か問題を指摘されたときに困るから、ということなのかとも思うことになる。

この「ドキュメント20min.」も、以前は、とても面白い企画があったのだが、このごろは、斬新な発想で、ともかくも作ってみようという感じのものが少なくなってきた。その流れのなかで、この回の企画は、雨穴の起用ということで、斬新さを出したのかとも思えるが、見終わって、まあこんなもんかなあ、というところである。

2026年4月29日記

映像の世紀「8K映像で描く第二次世界大戦 第四回 地獄 1944-1945」2026-05-01

2026年5月1日 當山日出夫

映像の世紀「8K映像で描く第二次世界大戦 第四回 地獄 1944-1945」

HDに録画してあったのを、順番に見ている。ただし、テレビは4Kである。

内容として特に目新しいところがあるということではない。おおむね、広く知られていることばかりといっていいだろうか。

印象に残っているのは、ペリュリュー島の戦闘。太平洋の激戦地として、今では、知られるようになったところである。だが、この島の戦略的価値は、ほとんどなかったというのが、歴史の結果ともいえる。非常に残酷なことだが。この島に日本軍が飛行場を作って、アメリカ軍の行く手を遮ることになる、ということだったら、また違っていたかもしれない。アメリカ軍としても、この地域の、制海権・制空権をとってしまっているので、無理に占領することもなかった。

この回であつかっていたのは、日本とアメリカとのことでいえば、サイパン、テニヤンの陥落の後のことである。日本側からいえば、絶対国防圏を破られてからのことになる。太平洋戦争の歴史としては、ミッドウェーの敗戦、それから、サイパン、テニヤンを失ったことが、大きな転換点になったことになる。戦術(?)としての特攻とか、朝鮮や台湾での徴兵とかも、大東亜戦争の末期になってからのことである。それまでは、志願制だった。

太平洋戦争というと、どうしてもマンハッタン計画のことが大きく取りあげられるのだが、それよりも、B29の開発のことの方が、意味が大きいかもしれない。原爆が作れても、それを、日本まで運んで投下する手段がなければ、意味がない。まさに、B29の開発と、マンハッタン計画とは、総合的に考えられるべきだろう。日本各地での無差別爆撃ということになったのは、B29が使えたからである。

沖縄戦については、いろいろと語るべきことはあるだろうが、私としては、太田実海軍少将のことについては、触れておいてほしかった気がしている。

8月9日を、長崎での原爆投下の日として記憶するとしても、同時に、この日が、ソ連が、日ソ中立条約を破って参戦したときでもあることを、忘れてはならないと思っている。

ヨーロッパ戦線については、今では、ヒトラーが悪い、また、スターリンが悪いということで、だいたい話しをすすめることになっている。ヨーロッパで、連合軍が何をしたか、ソ連軍が何をしたか、いろいろと語るべきこと、あるいは、今でも語りたくないことは、たくさんあるにちがいないと思う。

フランスが、第二次世界大戦の戦勝国に名前を連ね、その後、国連安保理の常任理事国になったのは、歴史の流れもあるのだが、ヴィシー政権のことは、フランスの歴史にとって、どのように語られていることなのだろうか。ド・ゴール将軍を英雄視するだけではない、難しい問題があるはずである。

ドイツ軍が去ってから、フランスで、ドイツ軍と仲のよかった女性が酷い目にあったことは、周知のことになっている。私は、いろんな戦争の歴史がある中で、この件は、人間の愚かさを最も象徴的に表すものかという印象を持っている。残虐で悲惨な事例は、数え切れないぐらいあり、人間が時と場合によってはどれほど残酷になるものであるかということを知るにしても、愚かになるとはこういうことなのかという思いで、女性たち、いや、そのまわりの人たちを見ることになる。

何度見ても思うが、その向こうに生きた人間がいるということを分かっていて、火炎放射器の炎を向けるという、その人間の心理というのは、とてつもない闇を感じることになる。戦争とはそういうものだといってしまえば、それまでなのだが。

太平洋戦争、あるいは、大東亜戦争が終わったのが、8月14日、としていた。ポツダム宣言を受諾することを、通知した日である。9月2日のことについて何も言っていないのだが、通例にしたがって8月15日で戦争が終わったとしなかったのは、その意図があってのことなのだろう。

2026年4月28日記

サイエンスZERO「脳で嗅ぐ“嗅覚”!?世界とどう関わるのか?」2026-05-01

2026年5月1日 當山日出夫

サイエンスZERO「脳で嗅ぐ“嗅覚”!?世界とどう関わるのか?」

どうも論点が雑かなという印象がある。

視覚にせよ、聴覚にせよ、最終的には脳がどう反応するかということで考えるのが、現代のサイエンスの流れだと思っているので、嗅覚について、脳のどの部分がどう反応しているのか、ということの研究、ということならば、この方向で、ここまで分かったでよかったかと思う。

問題かなと思うのは、人間の環世界として、嗅覚の範囲は、どのような意味があるのか、ということだろう。これは、他の動物、たとえば犬などに比べると、非常に狭い範囲の匂いしか感じないはずである。このように人間が進化してきたことは、どういうことがあってのことなのだろうか。

人間が匂いとし感じることがなくても、空気中の何かの物質に対して反応をしめす、ということはあることなのだろう。フェロモンであり、涙、であるということになる。(番組の中では、はっきり言うのを避けていたが、女性は、男性の匂いに反応するということは、こういうところに性差があるという認識でいいのかと思うが。)

それを検知してなにがしかの反応がある、行動を変えることがある、ただし、それを匂いとして脳で処理することはない、これはこれで、非常に面白い現象であると、私には思える。いわゆる五感で感じる以外のもの、目には見えないものに、人間は反応することがある、これはそうだろうと思う。これを、最近のサイエンスでは、特に、fMRIの利用によって、脳の反応としてとらえることができるようになってきている、という流れでいいだろうか。

それから、嗅覚や味覚は、その人間の経験に関係することが大きい。これを文化ということから説明してもいいし、経験主義的に説明してもいいかもしれない。考え方によるかと思うが、(文化や経験とは無関係な)純粋な匂い、さらにいえば、純粋に美味しいものやその匂い、ということがありうるのか、という問題になるかもしれない。

2026年4月29日記

ウチのどうぶつえん「うれしいネ!新生活」2026-05-01

2026年5月1日 當山日出夫

ウチのどうぶつえん「うれしいネ!新生活」

ホッキョクグマの赤ちゃんというと、どうしても、とべ動物園のしろくまピースのことを思い出してしまう。これも、あの時代だからそういう育て方が出来たのだろうが、今では、可能な限り、自然に近い状態で育てることになる。時代の価値観の変化であるので、いたしかたないことではあるが。

(今でも、とべ動物園のHPを見ると、ピースのことが分かるようになっている。)

別に、動物園だからといって、ゾウやライオンがいなくてもいいじゃないかと思うのだが、今の人たちはどう思うだろうか。同じスペースを使って、新しく動物を飼育・展示するなら、より小型の生きものになるというのは、時代の流れとしてこうなることかなと思う。

アルパカの膝のために、いろいろと装具を考えるのは、大変だなあと思う。たまたま動物園で飼われるということになったので、いろいろとサポートしてもらえるというのは、動物にとっていいことなのかどうか、ちょっと疑問に思わないでもない。自然界に生きていたなら、こんなことにはならなかっただろう。人のいない動物園の中を散歩するアルパカの姿は、とても愛らしい。

2026年4月28日記

ドキュメント72時間「春はめぐって 気仙沼・酒屋の物語」2026-04-30

2026年4月30日 當山日出夫

ドキュメント72時間「春はめぐって 気仙沼・酒屋の物語」

この番組には、お店がよく出てくる。食堂などの食べ物屋さんの場合、その店の味ということがある。しかし、こういう酒屋さんで売っているもの(お酒)は、商品としては、他の店でも買うことができる。

より安く買う、より高く売る、これは資本主義の基本であるが、これ以外の要因も大きくはたらく。どこで買うか、どの店で買うか、ということである。こういうことは、見方によれば、正当な価格競争がはたらかないことであり、経済の健全な発展(?)には役立たない、とされるかもしれない。

しかし、かならずしも、現代の理念的な資本主義の論理だけで、人間がものを買ったりしているわけではないことは、まさに、この番組で、こういう店が紹介される、ということのなかで証明されることでもあろうか。

駐車場は広いが、となりにあるコンビニ(LAWSON)と共用のようである。ただ、お酒を買うだけのことなら、コンビニでも買える。 

ここから先の分析は、こういうことの専門家の仕事かと思う。

それから、見ていると、このお店の立地は、まっすぐな道路が通っていて、郊外の住宅地という感じのエリアであった。以前は市街地にあったという。この地域は、津波の被害があって、それをうけて地域の再開発で作ったというところかもしれない。何の説明もなかったが、見ていてちょっと気になったところである。

2026年4月28日記

サイエンスZERO「アニメ世界に科学で迫る!どら焼きでロボットは動くのか?」2026-04-30

2026年4月30日 當山日出夫

サイエンスZERO「アニメ世界に科学で迫る!どら焼きでロボットは動くのか?」

バイオハイブリッドロボットとか、発電菌とか、水素の自動車とか、ということが、この回のメインの内容であり、これはこれで面白かったのだが、私としては、これらよりも、冒頭の「ドラロボット」が興味深い。

話し手の言ったことばに対して、「ドラ」としか返答しない。しかし、その言い方……声の大きさやイントネーションなど、いくつかの要素……を、コントロールすることによって、あたかもそこに言語のコミュニケーションが成立しているかのような印象をうけることになっている。。

なんとなく、まだことばを理解しない赤ちゃんに対して話しかけて、赤ちゃんがあたかもことばを理解しているかのように、笑ったりする……こういうことを思ってしまう。

人と人とが、言語によるコミュニケーションが成りたっていると感じる、そのことの本質にかかわることのように思える。

この「ドラ」としか言わないロボットとの「会話」を、その話し手(井上咲楽)にとっても、横で見ているスタジオの出演者にしても、言語のコミュニケーションが成立しているように感じたことは、たしかだろう。

だが、これも、さらに距離をおいて見るならば、「中国語の部屋」であるのかもしれない。ロボットは、ことばを理解していたのではなく、相手のことばに応じて適切と相手が感じるような反応をするように、AIが学習している、ということでいいのだろうか。

もう、ことばとAIのことについては、あまり考えることのない生活を送りたいと思っているのだが、しかし、見ていていろいろと考えてしまった。

2026年4月28日記

美の壺スペシャル「和楽器」2026-04-30

2026年4月30日 當山日出夫

美の壺スペシャル「和楽器」

再放送である。最初は、2023年6月28日。

見ながら思ったことを思いつくままに書いておく。

尾上右近の出演である。いや、この場合は、七代目清元延寿太夫というべきかもしれない。

芸能の番組として見ても、各楽器の演奏のシーンは見事である。だが、見ていて面白かったのは、やはり舞台裏、バックヤードである。

和太鼓を作る過程が興味深い。一つの木材を加工して、中をくりぬいて作る。気になったのは、材料の木材をどこからどうやって調達しているのか、ということである。もう、日本の国内に、大きな木材を簡単にとれるところは少ないのではと思うが、どうなっているのだろうか。

太鼓の中に、細かな切れ込みを、ノミでいれていく。音の反響を考えてのことになるが、経験的にこういうものを作ってきたことの蓄積である。

革を張る。動物の革になるが、これも動物からとれる大きさには限界があるだろうし、また、木材の大きさ・太さも限界があるだろうから、現実的に作れる太鼓の大きさというのは、おのずから制限があることになる。現代だと、いったいどれぐらいの大きさのものまで作ることができるのだろうか。

能管や篠笛、それから、尺八。日本の伝統的管楽器になる。見ていて面白かったのは、尺八を作るところ。山にいって竹を根元から切ってきて、いや掘ってきてといった方がいいだろうか、加熱して油抜きする。それを数年以上ねかせておく。加工するときは、当然ながら穴をドリルであけるわけだが、この穴を開ける位置は、どうやって判断しているのだろう。

竹の太さとか材質とか、節の位置などには、音に影響するはずだが、こういうことを考慮して穴を開けていると思うが、はたして、狙い通りの音を出せるのだろうか。たぶん、いろんな試行錯誤があってのことかと思う。いや、それよりも、尺八は、長さや太さがまちまちということは、出る音も違うということになるはずだが、こういう楽器をつかって、一定の音楽を演奏するというのは、どういうことなのだろうか。

ピアノのように、誰がたたいても同じ鍵盤は、同じ音を出す(無論、そのたたきかたで微妙に違うのであるが)ということはないだろう。それで、音楽を作曲し、また、伝えていくというのは、その演奏法と楽器の作り方と教授法と、ワンセットになって、今に伝わっていると考えていいだろうか。

上方落語の裏方は面白かった。めったにこういう場面が、テレビで映ることはない。上方落語が、囃子と一緒になっていることは、そのとおりなのだが、その打合せのやりとりが面白い。演ずる落語家によって、三味線なども変えていかなければならないし、こういうスタッフの仕事があってこそ、芸が伝承されていくというべきだろう。

能楽の小鼓の鼓胴を作る話。今だったら、3Dデータとして精密な計測ができるし、形のうえで、昔のものとそっくりのものを作るのは、そう困難なことではないだろう。それでも音が違うとすれば、おそらくは、素材の木材である。室町時代から江戸時代のころの気候は、現代とは違っていた。これは、気候の歴史的研究から明らかになっている。したがって、素材の木材の質も違っていることになる。(おそらく多くの人が思うであろうことは、ストラディバリウスのバイオリンが現代で真似ができないのは、その時代の気候で育った木材の違いによるのだろうということかと思う。)

学生のころ、東京の国立劇場の、雅楽とか民俗芸能の公演は、かなりいったものである。国文学を勉強していると(私の場合、国語学で文字のことを専門にするようになったが)、どうしても昔の芸能や音楽ということに興味がある。『源氏物語』など読むと、やたらと音楽や楽器のことが出てくる。いったいどんな音楽を演奏していたのか、気になったものである。特に、箏・琴と琵琶である。

雅楽の演奏など見ていると、箏や琵琶の演奏が、現代で普通にイメージするものとは、まったくことなる。(正直にいうと、平安時代の貴族は、こういう音を聴いて感動していたのか、ということに、むしろ感動してしまうぐらいである。)少なくとも、現代の私たちが、西洋の音楽に慣れ親しんだ耳で聴くと、かなり異質なものを感じることは確かである。

では、現代の箏や琵琶の演奏が、いつごろから、こういう様式になってきたのか、ということは、また別の問題かとも思うが。同じ楽器を使い続けてきているからといって、同じ音楽が残っているとは限らない……ということもあるだろう。(だからこそ、伝統的な和楽器をつかって現代的な音楽を演奏するということにつながる。)

そうはいっても、雅楽の教授は、基本は、口伝、口伝え。唱歌(しょうが)ということで、『源氏物語』などで覚えることばである。雅楽の演奏よりも、こういう伝授のシーンの方が、むしろ興味深い。そして、このような伝授の形式を保って、おそらくは1000年以上の歴史をたどることができる。

東儀秀樹が出てきていた。かなり以前、ある女子大学の行事で、その公演(演奏ということではなく、スピーチ)を聴いたことを思い出す。

和琴が6弦というのは、そうかと思って見ていた。箏・琴は、その弦の数が、歴史をたどるときには、問題となるところである。すががき、ということでは、メロディを奏でるということにはならないはずだが、そういうことは、笛とか、笙とか篳篥とかの役割だったということでいいのだろうか。

2026年4月28日記

BSスペシャル「鈍色のダイヤモンド」2026-04-29

2026年4月29日 當山日出夫

BSスペシャル「鈍色のダイヤモンド」

人工ダイヤモンドというと、まず、思いうかぶのが、アメリカのトランプ大統領との交渉で、日本がアメリカに多額の投資をすることになって、その具体的提案の最初に人工ダイヤモンドのことがあったことである。これは、宝石としての用途ではなく、新しい半導体産業、その素材、ということであった。

この番組でとりあげていたのは、宝石としてのダイヤモンド。

ダイヤモンドの原石の加工・研磨が、インドのさほど大きくはない街で、世界中の仕事のほとんどをやっているということは、知らなかった。ダイヤモンドというと、アフリカなどのダイヤモンド鉱山で働く、下層労働者の姿を思い浮かべる。また、それに君臨する、ダイヤモンド商人たちであったり、取引の中心としてはベルギーなどを思い浮かべるのだが……もうこういうイメージは古いということなのだろう。

ダイヤモンドの原石を採掘する労働者も底辺の労働者になるかとも思うのだが、このことについては、一切ふれていなかった。加工・研磨の仕事は、インドの街でやっている。その賃金は、おどろくほど安い。ダイヤモンド一つをカットして形をととのえて、数十円にもならない。

ロシアのウクライナ侵攻からこのかた、ロシア産のダイヤモンドが、(おそらくは表向きはということなのだろうが)市場に流通しなくなった。(きっと、中国などの裏のルートはあるにちがいないとは思うけれど。)そして、人工ダイヤモンドが安価に作れるようになったので、ダイヤモンドの市場価格は、急激に下落した。こういうことは、知らなかった。宝石などとは縁のない生活である。まあ、金価格が上昇しているということは、ニュースになっていたことであるが。

人工ダイヤモンドでも、天然ダイヤモンドでも、人間の目では区別できない。であるならば、宝飾品としての価値は、安くてもいいし、それなりの価格で取引されることになる。

こういうことは、ラパポートのダイヤモンド・レポートとして、ダイヤモンド市場に君臨してきたユダヤ人商人(こういう言い方は、偏見かなと思うけれど)にとっては、気にくわない。本物だからこその価値を力説することになるが、しかし、現実に宝石店では、若者が安い人工ダイヤモンドを買っている。

人工ダイヤモンドの登場で、市場価格が下がり、その加工・研磨の賃金も下がる。だが、ダイヤモンドの価格(末端価格というべきだろうが)を考えると、インドの職人さんたちの給料や待遇は、もっといいものであってもかまわないと思える。しかし、安くできるものは、とことん安くで、というのが、資本主義の論理である以上、インドの職人さんたちの生活が、苦しくなるのは、しかたないことなのかとも思ってしまう。

ダイヤモンドをブリリアントカットに加工するのに、現代だったら、AIロボットを使ってもいいかと思うが、これも、そういうものを開発するよりも、インドの職人さんの手作業に頼った方が安い、ということになるのだろうか。

たかが炭素のかたまりだといってしまえばそれまでなのだが、ダイヤモンドをめぐっては、いろんな歴史があったことであり、また、現代でも、地球規模の動きがある。宝石としての人工ダイヤモンドは、ひろまっていくだろう。そして、半導体素材としての人工ダイヤモンドは、経済安全保障とからんで重要な産業になるかと思う。

ところで、インドで、人工ダイヤモンドを作る工場で、新工場を建設と言っていたが、映っている映像を見ると、建設のための足場が木材で組んである。最近、香港で、高層ビルの建築に、竹の足場を組むことが問題視されることになった事故があったが、竹や木材をつかう、こういう技術は、アジアの各地に残っていること思っていいのだろうか。

2026年4月24日記

ハートネットTV「産声の裏側で 内密出産4年の現場から」2026-04-29

2026年4月29日 當山日出夫

ハートネットTV「産声の裏側で 内密出産4年の現場から」

慈恵病院は、カトリックの病院なので、妊娠の中絶手術はやっていない。と、以前に、この病院のHPを見たら、すぐ分かるところに表示してあったと記憶しているのだが、確認してみると、今は、(すぐには)見当たらない。方針が変わったのか、どうなのだろうか。

このような施設(内密出産ができる)は、社会としてもっとあっていい。ただ、出産がかならず病院でなければならないということはないとも思うので、必要に応じて病院との連携ということになる。

やや諦念的な感じでいうことになるが、人の世の中には、いつの時代でも、望まれずに生まれてくる、あるいは、生まれてきても無事に生育できる環境ではない、ということは、少なからず存在する。それが、どのような形で、社会の中で認識され、人びとがうけいれるのか、ということは、時代によって、また、地域や、社会の階層によって、さまざまだっただろう。今の時代には、今の時代にふさわしい制度や施設があり、人びとの意識が、それになじんでいくということになるだろうか。

病院の仕事は、産科の医療というよりも、ほとんどが、そのような境遇にある女性への法的・経済的援助であったり、カウンセリングであったり、ということになる。この意味では、むしろ、法的な問題をふくめての専門家が対応にあたり、行政や医師と連携してという方向もあるのかとも思う。

出自を知る権利、ということは、近年になってから言われ始めたことである。このような方向は、流れをとめることはできないのだろうと思う。だが、このように考えるようになったことが、世の中の人びとの全体としての幸せの向上につながっているかどうか、これは疑問に思わないでもない。別に、出自がどうであれ、その人は、その人なのである。

黒澤明の『羅生門』のラストの場面は、いろいろと評価はあるかと思う。だが、この映画が作られた時代、1950年(昭和25年)、このころだったら、路傍に子どもが捨てられているということは、日本の社会の中で、普通にあったことであり、また、そういう子どもであっても、(そのような出自であっても、ということになるだろうか)、普通に社会の中で生きていくことがあたりまえであった、そんな時代だったかともいえよう。見方によっては、今から考えれば、非常に乱暴な時代だったともいえるが。だが、現代社会よりも、ある意味ではもっと人間味のある社会だったかと思う。(これには反論もあるだろう。)

女性に対して、女性らしくあれ、母親は母親らしくあれ、ということは、私は、あってよいと思っている。とりあえず、なんらかの規範意識は社会全体としては必要である。また、一般に人が社会の中で生きていくためにも必要である。しかし、かならずそうでなければならないわけでもないし、その価値観からはずれた生き方を選ぶ、あるいは、そうなってしまわざるをえない、いろいろな生き方が許容される方がいいだろうし、社会の制度や、人びとの意識としても、そうであった方がいいと、思うのである。

2026年4月28日記

3か月でマスターする数学「(4)ミステリーはお好き?「数学的思考法」」2026-04-29

2026年4月29日 當山日出夫

3か月でマスターする数学「(4)ミステリーはお好き?「数学的思考法」」

「数学的思考法」ということで作ってある回だったが、見ていると、手を動かして考えることの効用、といった方がいいかもしれない。

握手問題などは、その好例である。具体的に、紙や黒板の上に6つの点を書いて、それをどう結ぶか、ということになる。ただ、線を結んでいくときに、論理的にこうなるはずだ、ということを、きちんと考えなければならない。しかし、ただ、頭の中でイメージすればいい、ということではない。

手を動かす、具体的に概念に形をあたえる、こういうことは、分野をとわず学問にとって意味のあることである。

2026年4月27日記