名品の来歴「幻の刀“膝丸”が語る1000年」 ― 2025-07-22
2025年7月22日 當山日出夫
名品の来歴 「幻の刀“膝丸”が語る1000年」
再放送である。最初は、2021年。
私は、刀剣について、そのよさが分からない。確かに目で見て美しい工芸品であることは分かるのだが、そこに「美」を見いだせるかというと、あまり感じるところがない。東京国立博物館に行くと、刀剣の展示室があるのだが、いつもあまり見ずにとおりすぎてしまう。強いていえば、どれを見ても同じに見えてしまうのである。まあ、見る目がないと言われればそれまでなのであるが。
それよりも、なぜ、平安時代に作られた刀剣が、現在にいたるまで大事にされ、残ってきているのか、この経緯、文化史的な意味ということについては、とても興味がある。
始めは、源頼光(私としては、らいこう、と読みたいのだが)の鬼退治の伝説からである。鬼とか化物とかを、当時の朝廷に服従しないものとしていたのは、さて、どうだろうかと思う。平安時代には、本当に鬼がいたのである。本物の鬼を退治するのに使ったからこそ、膝丸は名刀だったのである。このあたりは、文化史的な想像力の問題ということになるだろうが。
曽我兄弟のことは、はっきりいってよく分からない。『曽我物語』は、古い古典大系に入っているので持っている本ではあるのだが、じっくりと読んでみようという気にならないまま、今にいたっている。とにかく、曽我物語の話しは、ややこしい。だが、これが、近世になって歌舞伎などの題材として人びとに知られるものであったことは、知っていることなのであるが。しばらく前、『鎌倉殿の13人』の関連で、歴史学研究の分野では、『曽我物語』が史料として利用される文献である、ということを知って、おどろいたことがある。
そもそも、何故、刀剣が、ある種の神格化されて伝わってきているのだろうか。江戸時代以降になって、武士が現実に刀で斬り合うということは無くなる。その前に、戦国時代の合戦であっても、刀で斬り合うというよりも、槍をもった足軽や、弓矢、そして、鉄砲の利用ということで、戦のあり方は大きく変化してきた。そのなかで、刀剣のもつ意味も変化してきて、実用品から、武士の象徴というべきものになっていったのだろう、とは思うことになる。
刀剣は神格化されるのだが、鉄砲は神格化されることがない。これは、刀剣を持つものが武士であり(鉄砲は足軽の仕事である)、その精神的なシンボルたりえたのが刀剣であった、ということかとは思っている。非常に観念的な武士道というものが成立することと、刀剣の神格化は、密接な関係があるものと感じている。
近代になって、太平洋戦争の後、GHQの占領政策として、日本の刀剣類が、どのようにあつかわれたかということは、さらに詳しく知りたいところである。刀剣に限らず、日本の古美術、文化財、古典籍、これらの現代にいたる歴史として、重要なポイントであるはずである。
2025年7月19日記
名品の来歴 「幻の刀“膝丸”が語る1000年」
再放送である。最初は、2021年。
私は、刀剣について、そのよさが分からない。確かに目で見て美しい工芸品であることは分かるのだが、そこに「美」を見いだせるかというと、あまり感じるところがない。東京国立博物館に行くと、刀剣の展示室があるのだが、いつもあまり見ずにとおりすぎてしまう。強いていえば、どれを見ても同じに見えてしまうのである。まあ、見る目がないと言われればそれまでなのであるが。
それよりも、なぜ、平安時代に作られた刀剣が、現在にいたるまで大事にされ、残ってきているのか、この経緯、文化史的な意味ということについては、とても興味がある。
始めは、源頼光(私としては、らいこう、と読みたいのだが)の鬼退治の伝説からである。鬼とか化物とかを、当時の朝廷に服従しないものとしていたのは、さて、どうだろうかと思う。平安時代には、本当に鬼がいたのである。本物の鬼を退治するのに使ったからこそ、膝丸は名刀だったのである。このあたりは、文化史的な想像力の問題ということになるだろうが。
曽我兄弟のことは、はっきりいってよく分からない。『曽我物語』は、古い古典大系に入っているので持っている本ではあるのだが、じっくりと読んでみようという気にならないまま、今にいたっている。とにかく、曽我物語の話しは、ややこしい。だが、これが、近世になって歌舞伎などの題材として人びとに知られるものであったことは、知っていることなのであるが。しばらく前、『鎌倉殿の13人』の関連で、歴史学研究の分野では、『曽我物語』が史料として利用される文献である、ということを知って、おどろいたことがある。
そもそも、何故、刀剣が、ある種の神格化されて伝わってきているのだろうか。江戸時代以降になって、武士が現実に刀で斬り合うということは無くなる。その前に、戦国時代の合戦であっても、刀で斬り合うというよりも、槍をもった足軽や、弓矢、そして、鉄砲の利用ということで、戦のあり方は大きく変化してきた。そのなかで、刀剣のもつ意味も変化してきて、実用品から、武士の象徴というべきものになっていったのだろう、とは思うことになる。
刀剣は神格化されるのだが、鉄砲は神格化されることがない。これは、刀剣を持つものが武士であり(鉄砲は足軽の仕事である)、その精神的なシンボルたりえたのが刀剣であった、ということかとは思っている。非常に観念的な武士道というものが成立することと、刀剣の神格化は、密接な関係があるものと感じている。
近代になって、太平洋戦争の後、GHQの占領政策として、日本の刀剣類が、どのようにあつかわれたかということは、さらに詳しく知りたいところである。刀剣に限らず、日本の古美術、文化財、古典籍、これらの現代にいたる歴史として、重要なポイントであるはずである。
2025年7月19日記
所さん!事件ですよ「かしわ飯から米が消えた!?“米騒動”の真相」 ― 2025-07-22
2025年7月22日 當山日出夫
所さん!事件ですよ かしわ飯から米が消えた!?“米騒動”の真相
私は食管法があった時代のことを記憶している世代である。政府の倉庫から出てきた、古いお米(古古米など)は、美味しくないので食べたくない、新米を食べたい、とさんざん言っていたのは、消費者側であった。そして、お米が足りなくなると、緊急輸入ということになり、外国産の美味しくないお米は食べたくない、ということになった。それでも、備蓄米を確保してきた、というのが、お米の歴史の一部である。その他に、流通のあり方の変化もあるが、これは、素人にはとても分からない。
この番組で全体として言っていることは、しごくまともなことであったと思う。
お米の生産コスト、流通コスト、(そこには、備蓄ということもふくむし、精米ということもある)、これらが合理的に調整されて、農家に収入が保証され、また、消費者に適切な価格で販売される……これは、当たり前のことである。ただ、これを、マーケットの論理に任せるのか、あるいは、政府が介入する部分があっていいのか、ということで議論になるとは思うが、これは、その専門家の仕事だと思っている。
棚田で栽培するお米について、その棚田の風景を守るためのコストとして、上乗せする価格になる……これも、至極、妥当な考え方である。その値段を出してでも、棚田の風景を守りたいと思う消費者がいるならば、維持できるだろうし、いなければ、消えていくだけである。さもなければ、税金をかけて維持するするしかないが、それが、多くの納税者の理解を得られるだろうか。
今の日本で、街中のお店でどこに行ってもお米が手に入らない、お米のご飯が食べられなくなった、ということはない。お米がなくて、餓死したというニュースは聞かない(江戸時代の飢饉ときはそうだったかもしれないが)。
番組では言っていなかったことだが、まずみるべきは、日本に住む人びとのエンゲル係数の変化(その社会階層別)であり、さらに、その内訳としてのお米の支出の割合の変化である。この基本的なデータがないところで、何を議論しても無駄だと思うのである。もし、こういう基本的データがなしに、農業政策(お米の生産調整)ということを考えてきたとしたら、日本政府は、はっきりいって無能であったとしかいいようがない。
2025年7月20日記
所さん!事件ですよ かしわ飯から米が消えた!?“米騒動”の真相
私は食管法があった時代のことを記憶している世代である。政府の倉庫から出てきた、古いお米(古古米など)は、美味しくないので食べたくない、新米を食べたい、とさんざん言っていたのは、消費者側であった。そして、お米が足りなくなると、緊急輸入ということになり、外国産の美味しくないお米は食べたくない、ということになった。それでも、備蓄米を確保してきた、というのが、お米の歴史の一部である。その他に、流通のあり方の変化もあるが、これは、素人にはとても分からない。
この番組で全体として言っていることは、しごくまともなことであったと思う。
お米の生産コスト、流通コスト、(そこには、備蓄ということもふくむし、精米ということもある)、これらが合理的に調整されて、農家に収入が保証され、また、消費者に適切な価格で販売される……これは、当たり前のことである。ただ、これを、マーケットの論理に任せるのか、あるいは、政府が介入する部分があっていいのか、ということで議論になるとは思うが、これは、その専門家の仕事だと思っている。
棚田で栽培するお米について、その棚田の風景を守るためのコストとして、上乗せする価格になる……これも、至極、妥当な考え方である。その値段を出してでも、棚田の風景を守りたいと思う消費者がいるならば、維持できるだろうし、いなければ、消えていくだけである。さもなければ、税金をかけて維持するするしかないが、それが、多くの納税者の理解を得られるだろうか。
今の日本で、街中のお店でどこに行ってもお米が手に入らない、お米のご飯が食べられなくなった、ということはない。お米がなくて、餓死したというニュースは聞かない(江戸時代の飢饉ときはそうだったかもしれないが)。
番組では言っていなかったことだが、まずみるべきは、日本に住む人びとのエンゲル係数の変化(その社会階層別)であり、さらに、その内訳としてのお米の支出の割合の変化である。この基本的なデータがないところで、何を議論しても無駄だと思うのである。もし、こういう基本的データがなしに、農業政策(お米の生産調整)ということを考えてきたとしたら、日本政府は、はっきりいって無能であったとしかいいようがない。
2025年7月20日記
ブラタモリ「函館・五稜郭▼“幕末の要塞”なぜ星形に?新選組土方歳三の最期」 ― 2025-07-22
2025年7月22日 當山日出夫
ブラタモリ 函館・五稜郭▼“幕末の要塞”なぜ星形に?新選組土方歳三の最期
かなり以前に函館には行ったことがある。箱館山は登った記憶があるのだが、五稜郭は行っただろうか、はっきりと覚えていない。
興味深かったのは、五稜郭の形の軍事的な説明。たしかに星の形の先のところに大砲をおけば、十字砲火ということになる。これは、合理的な形のように思えるのだが、しかし、現代にいたるまで、このような城砦が他にたくさんつくられた、ということはないと思えるので、本当のところはどうなのだろうか。もし、軍事的にそんなに効果的であるならば、第一次世界大戦のときに、いっぱいあってもよかったと思うのだが、はたしてどうなのだろうか。実際には、日露戦争のときの、旅順の要塞のように、ベトンでかためた機関銃陣地が、効果的であったと思える。
さて、日露戦争のとき、ロシア軍の要塞は、砲撃で破壊できたのだっただろうか。28サンチ砲で、それを無力化できたのだったろうか。『坂の上の雲』は、小説は読んでいるし、NHKのドラマも見たのだが、このあたり、どうだったかはっきりしない。
だが、結局、五稜郭は、建設の途中で止めてしまった、という理解でいいのか。正面の防備はしっかりと作ったが、裏側は、とりあえず形だけととのえた、ということらしい。そして、戊辰戦争のとき、五稜郭は軍事施設としては、どれほど役にたったのだろうか。
2025年7月20日記
ブラタモリ 函館・五稜郭▼“幕末の要塞”なぜ星形に?新選組土方歳三の最期
かなり以前に函館には行ったことがある。箱館山は登った記憶があるのだが、五稜郭は行っただろうか、はっきりと覚えていない。
興味深かったのは、五稜郭の形の軍事的な説明。たしかに星の形の先のところに大砲をおけば、十字砲火ということになる。これは、合理的な形のように思えるのだが、しかし、現代にいたるまで、このような城砦が他にたくさんつくられた、ということはないと思えるので、本当のところはどうなのだろうか。もし、軍事的にそんなに効果的であるならば、第一次世界大戦のときに、いっぱいあってもよかったと思うのだが、はたしてどうなのだろうか。実際には、日露戦争のときの、旅順の要塞のように、ベトンでかためた機関銃陣地が、効果的であったと思える。
さて、日露戦争のとき、ロシア軍の要塞は、砲撃で破壊できたのだっただろうか。28サンチ砲で、それを無力化できたのだったろうか。『坂の上の雲』は、小説は読んでいるし、NHKのドラマも見たのだが、このあたり、どうだったかはっきりしない。
だが、結局、五稜郭は、建設の途中で止めてしまった、という理解でいいのか。正面の防備はしっかりと作ったが、裏側は、とりあえず形だけととのえた、ということらしい。そして、戊辰戦争のとき、五稜郭は軍事施設としては、どれほど役にたったのだろうか。
2025年7月20日記
最近のコメント