『ネットがあれば履歴書はいらない』(2)2010-01-23

2010-01-23 當山日出夫

前日にも記したとおり、この本には重要な指摘が、さりげなく書いてある。

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これは新たな格差社会なのかもしれない。(p.116)

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学生を見ていて、つくづく思うことのひとつ。ケータイしかつかえない、という学生。これは、いったいどのように考えればいいのか。そこまで、ケータイが進化したといえば、肯定的に考えられる。しかし、ケータイの小さいディスプレイを超えたところにある、ひろがりのあるコンテンツにアクセスできない。ケータイの小さいディスプレイの範囲内のなかで充足してしまっている。

とはいえ、ケータイであっても、それを使いこなして、自分自身で情報発信できる人間と、そうでない人間にわかれる時代になっている、とはいえそうである。

といいながら、いま、私の携帯電話(音声通話でしか使用しないので、こう称する方がいいだろう)、充電中。あまりにつかわないので、出かけようと思ったら、電池がきれていた。あわてて、30分ばかり充電してから出発の予定。その間にこれを書いている。

あらたかな格差社会、デジタルデバイド、これが錯綜して進行しているように思えてならない。パソコン、インターネットを縦横に使える人間、ケータイしかつかえない若者、逆に、ケータイがまったくダメだがパソコンならなんとかなるような私のようなタイプ(これは希少であろうが)、様々な種類の、デジタル環境、機器への対応の違いがある。

単純にWEB2.0、その次は何だ……と言ってはいられないように思うのである。

と、ここまで書いたあたりで、そろそろ最低限の充電はできたようなので、出かける用意をすることにしよう。JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の関西地区部会の見学会(大阪のエル・ライブラリー)である。

當山日出夫(とうやまひでお)

エル・ライブラリー見学記2010-01-26

2010-01-26 當山日出夫

先日、2010年1月23日、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の関西地区の見学会が、エル・ライブラリーであった。(記録管理学会と合同)。そこで見たことの一端なりと記しておきたいと思う。

エル・ライブラリー(大阪産業労働資料館)
http://shaunkyo.jp/

見学会の趣旨は、MLA連携にある。学会(JADS)のHPから引用しておくと、

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エル・ライブラリーは労働資料に特化した専門図書館である。この図書館の特徴は、労働問題や労働運動に関する図書や雑誌のほか、労働組合の議事録など、労働運動を研究する際に重要となる文書類(アーカイブズ)や労働運動に関連する文化財までをも集めているところにある。最近、博物館(Museums)、図書館(Libraries)、文書館(Archives)の連携、融合が注目されているが、この図書館はまさにMLA融合型図書館といえ、その意味で非常に興味深い。

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まさに行ってみて、このことは実感できる。労働問題にかんする、図書資料と文書資料(史料)が、渾然とコレクションされている。規模は大きいとはいえないが、この意味においては、きわめて貴重な存在である。そして、「紙」にかぎらず、「モノ」も持っている。たとえば、労働運動の旗やハチマキなど、である。さらには、昔の工場での工具にいたるまで。

だが、それよりも、むしろ見るべきは、(自称)日本で一番ビンボーな図書館をどうやって維持運営しているか、である。現在の大阪府政によって、大幅に予算が削減されている。そのなかで、まさに、涙ぐましいとしか言いようのない経営努力の話しをいろいろ聞くことができた。

だが、その一方で、やはり、本来きちんと保存されるべき貴重な資料(史料)が、風前のともしび状態にあることに危惧も感じる。昔の労働運動のガリ版の文書・ビラなど、ほとんど酸性劣化の寸前の状態である。せいぜい、中性紙の箱に入れておくぐらいしかできていない。

これは、デジタル化して、つまり、スキャンして、デジタルアーカイブとして残すという方向もあるが、しかし、それ以前に、実物そのものを残す算段を考えなければならない。実物が無くなってデジタルデータだけ残っても、それでも無くなるよりマシではあるかもしれない、だが、本来は、実物そのものを残すことに業務の本来の姿があるべきだろう。せめて、現在の新しい紙にコピーして、それで保存・閲覧という方法もあるかもしれない。しかし、その予算がとれるかどうか。また、保管場所を確保できるかどうか。もう、書庫の満杯に近い状態。

日本で、ここにしかない貴重な労働問題の資料(史料)がある。これを、残し活用する方向に、どうして、行政はむかないのだろうか。ここは率直に、現在の大阪府政、また、大阪市政に対して、問題提起としたい。

労働問題、と狭く考えるよりも、むしろ、近現代の庶民生活誌の資料館という性格も持っている。ひとびとが、どのように暮らしてきたのか、これは、イコール、どのように働いてきたのか、の歴史でもある。その貴重な資料を残す工夫を考えたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

去年と同じ資料だが2010-01-27

2010-01-27 當山日出夫

昨年末に急にパソコンが壊れるというショックからたちなおれないでいる(^_^;)

30日、第4回ワークショップ:文字-言語生活のなかの文字-(文字研究会)である。国立国語研究所で話しをしなければならない。その準備。さて、新しい資料(写真)を、あちらこちらに分散して保存してあるHDから、寄せ集めて新しい話しを組み立てるのは、ちょっと、いや、かなり、つらい。

ここは、もういさぎよく、去年と同じ資料をつかって、切り口を変えてみる、ということにしよう。すこし、新しいのを追加して。

言語生活のなかの文字としての景観文字、非文献資料による文字研究。この方向性さえ明確に打ち出せればいいとしておこうか。文字=書いたもの=文献=活字(でなければ、手書き)、という視点を、新しい資料論として再検討してみる、ということでどうにかなるだろう。

集まる中心的な人たちは、活字印刷のプロであるような人間が多い。であるならば、それに対抗する意味で、活字ではない文字の世界を考えてみる、これでどうにかなるだろう。活字でもない、コンピュータ文字でもない、しかし、生活に密着したところにある文字としての景観文字、この方向でなんとかまとめてみよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

エル・ライブラリー見学記(その2)2010-01-28

2010-01-28
當山日出夫

日本で一番のビンボーであることを自称するエル・ライブラリーであるが、本当にビンボーである。なんとか、行政の方でどうにかならないものかと思う。

が、それと同時に感じたことは、資料を集めていけば、おのずと、MLA連携にいたる……ということである。労働問題関係の資料についていえば、書籍(労働問題の研究書や、会社の社史など)だけではなく、一次資料として各種の文書類が、出てくることになる。そして、労働運動という人間がかかわることであるだけに、かならず、モノがともなう。

つまり、必然的にMLAの各分野にまたがる資料をあつかわざるをえない、ということである。逆に、MLAという分け方が、そもそも、後から人間が分類してわけたものである。オリジナルの資料(文書・モノ、あるいは、書籍)が、はじめから整然とそこに、そのように整理されるべくしてあったわけではない。

ただ、資料の整理の都合上、MLAに分類してきただけであり、もとをたどれば同じところにいきつく。このように考えるべきではなかろうか。

この意味では、エル・ライブラリーとして、「ライブラリー(=図書館)」を名乗ってはいるが、労働問題総合資料館が、やはりふさわしいと感じる。

このエル・ライブラリーにおいてうまく資料を整理する統合的モデルを考えるとすると、おそらくそれは、日本におけるMLA連携モデルの、貴重な先駆的な仕事になるにちがいない。だれか、意欲のある大学院生など、とりくんでみないかな、と思うのであるが、さて、どうであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

言語生活2010-01-29

2010-01-29 當山日出夫

さて、ようやく出かける準備がだいたいできた。明日は、文字研究会(第4回ワークショップ:文字-言語生活のなかの文字-、国立国語研究所)である。当日、朝一番に行ってもまにあうのだが、やはり、一番の発表(と、開会の挨拶もある)ので、前日から行っておくことにする。

ついでに、というわけではないが、今晩は、学生のときの恩師と会う予定になっている。

発表のレジュメ類は、昨日までに国語研の方に送信しておいたので、プリントしてくれるはず。ノートパソコン(レッツノート)は、無事に動くことを確認。

別に、パワポのデータのはいったUSBメモリだけでもいいようなものである。といっても、自分のを持っていくのが慣れているので楽。それに、使用のフォントを、ヒラギノを使っているので(レッツノートだけれど)、そのまま他のパソコンにというわけにはいかない。フォントを埋め込むのも可能であるが、とてもデータが大きくなる。

ところで、言語生活、といっても最近の若い人には、もうわからないだろうなあ、とは思う。私の学生のときまでは、雑誌『言語生活』は現役であった。最終号ももっている。

独立行政法人になり、いまは、さらに、大学共同利用機関法人になった、国立国語研究所で、あえて、むかしの「言語生活」という言葉を持ち出してきてみる。これも、ささやかな、一種の意思表示である。

當山日出夫(とうやまひでお)

今日は、文字研究会2010-01-30

2010-01-30 當山日出夫

それにしても、昨日は、さんざんな日であった。今日の文字研究会にそなえて、前日から東京に。午後7時に原宿の約束で、まちあわせ。学生のときの恩師と、ひさしぶりである。

その予定であったのだが……名古屋をすぎたあたりで、アナウンス。新横浜あたりで、火災、架線がきれてしまって、復旧作業中……架線は復旧したが、車両の安全点検中……と、いうことで、最終的には、3時間以上、おくれてしまった。

もう今頃は、すでに東京についているはずなのに、という時間になっても、まだ、とまった新幹線の中。結局のところ、3時間以上おくれて到着。宿にチェックインして荷物をあづけてから、と思っていたがそんな余裕はない。ここは、割り切るしかない。品川でおりて、すぐに、山手線で原宿まで。

普段は、携帯電話はほとんどつかわない人間であるが、このときだけは、もっていて助かった。(ただ、普段は、ドライブモードにしてあって、解除するのを忘れていたので、ちょっと行き違いがあったけど。)

このようなわけで、今日の文字研究会(於国立国語研究所)の前に、すでに、エネルギーを使い果たしてしまったような状態。でもまあ、いいか、どうにかなるだろう……と思うことにする。

さて、そろそろ用意をして、外に出て、軽く朝食(はやめの軽い昼食)ということにして、出発しようか。今晩は懇親会なので、報告は、明日以降に。

當山日出夫(とうやまひでお)

文字研究会無事におわった2010-01-31

2010-01-31 當山日出夫

文字研究会(2010年1月30日、国立国語研究所)、無事に終了して、なんとか我が家にかえったところ。東京にいくとに買ってしまった『ベルリン飛行指令』(佐々木譲、新潮文庫)を読んでいる。それと、『ルポ貧困大国アメリカII』(堤未果、岩波新書)。

ともあれ、ひとしごと終わってやれやれ。

次に発表するとすると、
2月20日に、「障碍」の表記についてのシンポジウム
さてその次、3月の恒例の、京大人文研の「東洋学へのコンピュータ利用」である。今回は、締め切りがはやい。どうしようか。でもまあ、せっかくだから、がんばってみるか。DVD版『内村鑑三全集』の製品版の話しも、しておかなければならない。去年は、その試作版の話しだったから。

とにかく、次回の文字研究会は、改定常用漢字表のことで、実行するぞ、と宣言してしまったので、ひくわけにはいかない。実際には、担当のひとにやってもらうことになるのだが、一応、会の代表として、全体を見ておかないと。

それから、その次のテーマは何がいいか。昨今の流れをみると、電子出版と文字、というようなのが思い浮かぶ。どうなるかわからないが。

今晩は、ゆっくりとすることにしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)