『虎に翼』「女は三界に家なし?」2024-04-21

2024年4月21日 當山日出夫

『虎に翼』第3週「女は三界に家なし?」

このドラマの作り方は、これまでの朝ドラとは違っている。従来の朝ドラでは描かなかったような人間の気持ちを描いている。これは、非常に好意的に受けとめられている。

強いていうならば、であるが、このドラマはPCである。それでありながら、エンターテイメントとしてのドラマの面白さを保っている。実に見事な作り方と言わざるをえない。このあたりの方針は、社会のなかでの、いわゆるリベラルな人たちの関心をひきつけたいという、NHKの思惑もあるのだろうと思う。

この週を見て思ったことなど、思うことなど書いてみる。

ドラマの最初の回だったと思うが、寅子の部屋の本棚が映っていた。なかに『放浪記』があった。林芙美子の代表作である。当時のベストセラーであった。この作品によって林芙美子は世に知られることになった。寅子は、『放浪記』を読む女学生として登場したことになる。

『放浪記』は、社会の最底辺に近いところの女性の話である。もうこれ以上墜ちるところはない。これ以上墜ちるとしたら、カフェーの女給になるか、それよりもさらに下の娼婦にでもなるか、という境遇の日々を綴っている。そのような生活のなかにあって、林芙美子は文学への気持ちを持ち続けてきたのだが。

これまで、朝ドラには、カフェーが登場してきている。近年では、『エール』に出てきたし、また、『おちょやん』にも出てきている。しかし、昭和のはじめごろのカフェーは、今でいう性風俗業であったと考えるべきで、これまで描き方がすこし上品すぎたと思っている。この意味では、『虎に翼』で出てきているカフェーは、かなり実態に近いものとして描かれているといっていいだろう。

明律大学の女子部であるが、当時の学校の制度としては、どのような位置づけなのだろうか。男性ならば、旧制の中学を経て高等学校(旧制)、そして大学ということになる。大学の法学部に入る前の段階の教育ということなら、旧制高校、あるいは、予科ということになろうか。

寅子は女学校の卒業だから、予科に進学できる資格があるといえるだろう。しかし、よねの場合どうだろうか。その生いたちから考えると、たぶん小学校もろくに行かせてもらえていないと推測される。そこから、猛勉強したとして、しかもカフェーのボーイの仕事をしながら、勉強できただろうか。これは、かなり無理があると思わざるをない設定である。このあたりは、ドラマとしての作り方ということになろうか。

花江が女中と勘違いされて落ち込むシーンがあった。これもちょっと不自然な気がしたところである。猪爪家ぐらいだったら、女中を使っていてもおかしくはないと思うがどうだろう。また、着ているものなどから、女中かそうでないかは、見たときに区別がつくと思える。

お嫁に来た人の気持ちは寅子にはわからない、と花江は言っていた。それはそうなのだろうが、しかし、この当時はこのような生き方が圧倒的多数であった時代である。それを、法律を学んで弁護士になろうとしている寅子、この時代では例外的存在である、と比較して考えるという発想自体が、ちょっと無理があるように感じる。

ただ、これも、今日の価値観からするなら、女性の選択の自由ということで、対等にあつかって考えることになる。これはこれで正しいことになるのだが、時代設定から考えると、ここも少し無理があるように感じる。

これまで見てきたところでは、このドラマの登場人物はみな恵まれている。ただ、よねだけが例外的に苦労していることにになる。

男爵令嬢の涼子は、自分が努力したことを認めてもらえないと言っていた。これも正しい。しかし、努力できる環境にあった、華族という身分であった、ということも考えるべきかもしれない。世の中には、努力さえできない境遇の人びとが多くいた、それも特に女性に限ったことではなく、そういう時代であった。(この意味では、よねの姉がもっともみじめということになるかもしれない。これも、今日では、社会の格差ということで、あらためて考えなければならない問題になっている。)

昭和のはじめごろである。世界大恐慌のあおりで、日本も不景気のどん底にあった。身を売る女性が多くいた時代である。そういえば、昔の学校の教科書には、貧しい村の人が子ども売ることについて、役所が相談にのっていたとあったと憶えているのだが、はたしてこのような時代のことは、どれほど知られていることなのだろうか。今ではあまり読まれなくなってしまったかとも思うが、宮尾登美子の高知を舞台に自分の父のことを描いた小説がある。女衒である。小説のなかでは、芸妓娼妓紹介業ということになっていたと思うが。このような時代背景を思ってみると、『虎に翼』の描こうとしているドラマは、今日的な価値観を前面に出してきている。これが悪いということではなく、このような視点からドラマを作るような時代に今はなってきている、ということである。

この意味では、一九七〇~八〇年ごろの京都の映画の世界を描く『オードリー』とも、一九九〇年代の東京と沖縄を描く『ちゅらさん』とも、人間の生き方についての基本的価値観をドラマでどう描くかということが、大きく変わってきていると、私は思うのである。

2024年4月20日記

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