時をかけるテレビ「世界の科学者は予見する 核戦争後の地球」2024-04-12

2024年4月12日 當山日出夫

時をかけるテレビ 世界の科学者は予見する 核戦争後の地球

一九八四年の放送である。この番組を見たという記憶はないのだが、「核の冬」ということばは、そのころ広く使われていたことは憶えている。

こういう番組を見ると、ジレンマを感じるというのが正直なところである。

核兵器の残酷さ、それが使用されたときの恐怖というものを強調すればするほど、それを所有したい、(使うことはないかもしれないが)敵対する相手国に対して恫喝の材料にしたい、このように思う、国家の指導者というのが、存在することになる。

今、現に核開発に突き進んでいる国がある。北朝鮮であり、あるいは、イランも含めていいだろうか。これらの国に対して、核兵器はこれだけ危険だから持つな、と説得力を持って言えるだろうか。むしろ、実際には、これほどの兵器ならば自分たちも持って、敵対する国……アメリカなどということになるが……に対抗したい、そう思うかもしれない。いや、おそらくはそう思うだろう。

究極の理想として核兵器の廃絶という理念を否定するものではないが、それだけではなく、現に存在する核兵器の厳格な管理、コントロールという現実的な施策について、着実な議論が必要であると思っている。(こういう議論は、一部の理想主義者からは嫌われることかもしれないが。)

今から四〇年ほど前に核戦争の脅威があったことになるが(それは今でも消えたわけではないけれど)、新たな問題として地球温暖化問題がある。とも共通することは、未来の人びとに対する責任ということになる。

今生きている人間の未来に対する責任、ということを考えなければならない。それには、今ある人びとの暮らしは、先人たちの努力のたまものであるという基本的な歴史教育が必要である。これは過去を礼讃することではない。過去からつながる営みのうえに今の暮らしがあることを実感できないところに、これから先の未来の人びとのことを思いやる気持ちは生まれないと考えるのである。

2024年4月11日記

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