ザ・バックヤード「九州大学総合研究博物館」2023-05-01

2023年5月1日 當山日出夫

ザ・バックヤード 九州大学総合研究博物館

これは面白かった。

とにかく、集めること、残すことの意味がよくわかる。集めてみなければわからないこと、残しておいてこそ価値のあることがある。これは、自然科学のみならず、人文学についても言えることだと思うが。

興味深かったのは、人骨のコレクション。まあ、確かに、世の中の一部の動きとして、大学などが所蔵してる人骨コレクションを、元のところに返還せよという動きがある。そのようなニュースに接するたびに思うことなのだが、そもそもなぜ、大学が人骨のコレクションを持っているのか、その理由をきちんと語ることが必要だろうと思う。ただ、コレクションの返還を求めるだけでは、何のためにコレクションしたのか、また、逆に何のためにその返還を求めるのか、分からなくなって不毛な論争に終わるように思えてならない。

たぶん、人文学系の資料、史料もたくさんあるのだろうが、番組では紹介されていなかった。これも、次の機会があったら紹介してもらいたいものである。

それから、大学の家具のコレクションが面白い。これは、九州大学が移転するということがあったからこそ、集めることが可能になったコレクションである。これも、活用して、大学での研究、教育の歴史がどのように行われてきたのか、新たな側面が明らかになっていくことだろう。

2023年4月28日記

『どうする家康』あれこれ「信玄を怒らせるな」2023-05-02

2023年5月2日 當山日出夫

『どうする家康』第16回「信玄を怒らせるな」

テレビが壊れた(映らなくなった)ので、買い換えた。今の時代であるから、4Kの有機ELである。あまり4Kの違いを感じることはなかったのだが、『どうする家康』を見てみて、その違いがあることが分かった。コントラストがくっきりとしている。オープニングの部分が、これまでBSPで見ていたのよりも、よりはっきりと見える。この違いは、始めから4Kで作った映像とそうではないものとの違いなのかもしれないが。まあ、ともあれ、これからは4Kで見ることにしよう。

このドラマをここまで見てきて感じることは、例えば軍議などでも外の景色が映るように演出している。おそらくは、インカメラVFXによるものだと思う。これまでの演出だと、おそらくは室内の場面ということで作ってあったはずのところである。

ところで、この回の見せ場は、一つには、源三郎救出のシーン。服部半蔵と大鼠の活躍であった。大鼠と千代の対決は、ここでは千代の勝ちであったようだが、これからも、この対決はあるだろうか。

服部半蔵は、自らは忍びではないと言っていたはずだが、ここにきて立派に忍びの仕事をしている。史実はどうであったは別にして、服部半蔵らの活躍する回は面白いものになりそうである。

それから、かっこよかったのが武田信玄。歴史の結果として、信玄が上洛することは無いということは分かっているのだが、さて、次回以降、甲斐の武田をドラマではどう描くことになるだろうか。

次回は、三方原になるようだ。楽しみに見ることにしよう。

2023年5月1日記

綿毛2023-05-03

2023年5月3日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日は綿毛である。

春になると空き地にタンポポが咲く。ポツポツと黄色い花が見えたと思ったら、しばらくすると、あたり一面にひろがる。それが、ある日、消えてなくなる。花が綿毛に変わるのである。

毎年、花が綿毛に変わるときを見ようと思っているのだが、いまだに果たせていない。

ところで、綿毛の写真をよく撮る。外に出て地面に綿毛をみかけると、三脚の足を開いて低位置に設定する。マクロレンズで綿毛の接写をする。しかし、これもよく考えてみると、写真ならではの植物の見方かもしれないと思う。綿毛の細かな一つ一つの様子は、肉眼で確認するのは容易ではない。写真に撮って見て、はじめてそれと分かることでもある。(まあ、これも観察するとき、ルーペを持っていればいいようなものかもしれないが。)

ともあれ、写真に撮ることによって再確認できる植物の姿形というものもある。そのように思うことにしている。

綿毛

綿毛

綿毛

綿毛

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年5月2日記

ドキュメント72時間「山口・防府天満宮 人形にさよならを」2023-05-04

2023年5月4日 當山日出夫

ドキュメント72時間 山口・防府天満宮 人形にさよならを

たぶんこの企画は、少し前に放送した、秋葉原のドールの回を意識してのものだろう。人形に魅せられた人びとの物語であった。その人形もいずれ別れの時が来る。

寺社のなかには人形供養ということを行っているところがある。人形は、要らなくなれば、ただのゴミではあるのだが、しかし、ただのゴミにはしたくないのが、人間の気持ちというものなのである。何も大げさに、人形には魂がのりうつっているとまでは考えないにしても、ふと人間の心に通う何かを感じるというところがある。

面白いのは、集めた人形を、お祓いの後には、希望者が持って帰っていいということ。燃やしてしまうことが多いのかもしれないが、人形の素材もまちまちである。ガラスのケースに入ったものもある。簡単に焼却処分というわけにはいかないところがある。この意味では、お祓いを済ませて、また新たな所有者のもとにというのは、合理的な考えかただと思う。

人形を通じて、さまざまな人びとの人生の一面をかいまみることのできた回だと思う。

2023年4月30日記

『シニア右翼』古谷経衡/中公新書ラクレ2023-05-05

2023年5月5日 當山日出夫

シニア右翼

古谷経衡.『シニア右翼-日本の中高年はなぜ右傾化するのか-』(中公新書ラクレ).中央公論新社.2023
https://www.chuko.co.jp/laclef/2023/03/150790.html

なかなか興味深い指摘の本である。

まず、シニア右翼、ネット右翼なるものの説明である。YouTubeに感化されて、急速に右傾化してしまった中高年がかなり存在する。それは、ネットリテラシーのないままに、インターネット環境が生活のなかに入りこんで、無批判に右翼的な言論に影響されてしまった結果だという。

なるほどそんなものかなと思う。

たしかに、Twitterの私のTLには、右翼的なものが流れてくる。そのほとんどは、RTされたものである。まあ、こんなことを頭から信じているのではなく、半分遊びでやっているのかな、ぐらいな感じで見てはいるのだが、どうやらそうではないようだ。やっている本人は、真面目にやっているらしい。

たまたまであるが、今日(2023年5月3日)、読売新聞のWEB版を見ていたら、安倍元首相の狙撃事件の真犯人は別にいるという陰謀論が流れているらしい。そして、それを信じている人が、(一部なのだろうが)確かに存在しているようだ。これなども、シニア右翼、ネット右翼の一部ということになるのだろう。

読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230503-OYT1T50069/

ネットリテラシーのないままに、WEBの特定の情報に感化されてしまうということは、考えられなくもない。そのような人たちもいるにはいるのだろうと思う。だが、右翼に対して、左翼も同様ではないかとも思えるのだが、どうもそうではないらしい。どうして右翼だけが、YouTubeに影響されてしまうのか、ここのところの説明の説得力に今一つ欠ける気がしてならない。

シニア右翼が登場する背景としての、戦前からの「右翼」の歴史をふりかえり、それがどのような人びとによって担われているのか、このあたりまでは納得できる。正統的な、「右翼」「保守」とは、シニア右翼、ネット右翼とは別である。(この意味では、私は、自分自身は「保守的なリベラル」であると思っている。)

だが、その理由として、戦後民主主義の不徹底にもとめるのはどうだろうか。(だからといって、私は、戦後民主主義が日本で根づいたものとしてあるということはないと思う。それは、いまだに「虚妄」であるのかもしれないのだ。)

面白いのは、シニア右翼は、YouTubeのチャンネル桜を鵜呑みにしていて、『正論』をきちんと読むことはないらしい、ということ。これは、単に馬鹿としかいいようがない。(私も若いときは『正論』を読むことはあった。だが、同時に『朝日ジャーナル』も読んでいた。)ネットリテラシー以前の問題に思えてならない。いつの世にも、馬鹿はいるものである。

まあ、右翼でも左翼でもよいが、きちんと本を読み、歴史に学び、自分で考える。そして、必要ならば、時の政権、社会情勢に対して批判的でもある……この当たり前のことを、心がけるだけのことである。

ただ、世代別のネットリテラシーについては、細かく検証の必要があると思う。ここのところの指摘は重要かもしれない。そして、若い世代にとって、これからのAIがネット言論に影響を及ぼしかねない状況で、どうあるべきなのか、これも(この本では書いていないが)大きな課題と言っていいだろう。

2023年5月3日記

NHK「犬神家の一族」(後編)2023-05-06

2023年5月6日 當山日出夫

横溝正史の原作から、このようなドラマの結末をみちびくことも可能なのか、と感慨深く思ってみた。おそらく、これはこれとしてミステリドラマとしては秀逸である。

しかし、そうなると、「スケキヨ」を殺して湖に逆さにしたのは、いったいいつ誰がどのようにして、という気になってしまう。このあたりは、原作から改変した部分となるのだろう。が、録画してあるのをもう一度見なおしてみようとか、原作をもう一回読みなおしてみようとか、という気にはならないでいる。じっくりと読みなおして、見なおしてみれば、さらにいろいろと面白いことがあるにちがいないとは思う。

前編でも書いたが、松子は、「犬神」の名前を与えられなかったと語っていた。だが、戦場で、佐清は「犬神」を名乗っていたらしい。兵士の苗字が、戸籍と異なるはずはないと思う。であるならば、松子も佐清も、「犬神」姓であったということになるが、はたしてこのあたりの整合性はどうなるのだろうか。

たぶん、このドラマは何か賞に値するかと思う。ドラマとしては、非常によく出来ている。

残念なことに、私は、角川の市川崑監督の映画を見ていない。これを見ていれば、映画版とどう違っているのか、さらに面白いところがあるにちがいないと思う。

2023年5月1日記

『らんまん』あれこれ「キツネノカミソリ」2023-05-07

2023年5月7日 當山日出夫

『らんまん』第5週「キツネノカミソリ」

万太郎は、土佐を出て植物学にはげむ決意をかためる。そのきっかけになったのが、自由民権運動である。

この時代の自由民権運動については、いろいろ考えるべきところがあるだろうが、ただ、女性の権利ということが、すでにこの時代に言われていたかどうか、このあたりはちょっと気になるところである。「青鞜」の時代をまたなくても、すでにこの時代から基本的人権として言われていたということでも、これはこれでいいのだろう。少なくとも、ドラマの展開のうえでは、姉の綾の生き方とも関係してくる。

万太郎は、自分の置かれている境遇を理解する。峰屋という裕福な家に生まれたので、自由に勉強ができた。本を買うこともできた。そして、また、自分自身の才能に気づいている。植物を見る目がある。絵を描くことができる。何より重要なことは、それが好きということである。好きであるというのは、重要な才能である。

一方、綾の方は、峰屋とともに生きる決意をかためる。

また、竹雄は、峰屋の奉公人であり、これからも万太郎とともに生きていこうとする。

万太郎は自分の才能のために生きようとする。これはこれでいいのだが、しかし、これは同時に、近代社会になってもなお残る封建的な制度をひきずってのことになる。峰屋という後ろ盾があり、それは姉の綾がうけつぐことになる。東京に出る万太郎には、竹雄という奉公人がついてくる。このあたり、明治の文明開化の新しい時代と、まだ残る封建的な遺制との矛盾ということにはなるのだが、ドラマの展開の上では、そう無理があるとは感じない。

むしろ、封建的な制度が残るなかで、自らの新しい生き方を選んだ、万太郎と綾と竹雄のそれぞれの決断に共感するような作りになっている。これは、これでドラマとして、この時代の描き方になるのだろう。

さて、土佐が終わって、次週から東京編になる。東京で、万太郎はどのように生きていくことになるのか。楽しみに見ることにしよう。

2023年5月6日記

NHK「蔵」2023-05-08

2023年5月8日 當山日出夫

NHK「蔵」

三回の放送。それぞれ録画しておいて翌日にゆっくりと見た。

原作は読んでいる。何年か前になるが、宮尾登美子の作品の主なものを読みかえしてみたくなって、『櫂』からはじめてかなり読んだことがある。今手に入るもの全部を読んだということではないが。

宮尾登美子は好きな作家である。その描く世界は、一昔前の古風な社会、制度、人間のことが多い。その理不尽ともいえる(今日の目から見ればであるが)の中で、それでも一途に生きている人間の姿を描いている。

『蔵』もそういった作品の一つである。

NHKのドラマを見て思うことは、いつくかある。

まず思うことは、原作の小説よりも格段に台詞が分かりやすいことである。原作の小説は、越後方言を忠実に文字にしている。そのせいもあって、文字としてわかっても、ことばとしてわかりにくいところがかなりある。しかも、この小説は、会話文が非常に多い。読むと、分かりにくいながらも越後方言のことばのリズムにひたって読んでいくことになる。このあたりは、やはり宮尾登美子の作家としての腕である。

しかし、ドラマは、耳で聴いてわかるようにアレンジしてある。原作の小説の中の台詞よりも格段に分かりやすい。「はなしことば」とは本来耳で聴いてわかるものなのである。(しかし、まあ、実際には字幕で文字が出るようにして見ているので、そのこともあるかとは思うが。)

それから、たまたまであると思うのだが、朝ドラの『らんまん』が土佐の蔵元の話になっている。蔵元とはどういうもので、そこに季節になると、杜氏と蔵人がやってきて働く。酒が出来ると、故郷に帰っていく。また、次のシーズンになるとやってくる。このあたりのシステムとか、あるいは、実際の酒造りのプロセスとか、朝ドラでも描いてはいるのだが、この『蔵』を見ると、このあたりの事情が非常によくわかる。(場所は、土佐と越後で違っているのだが、酒造りの基本は同じであると思う。少なくともドラマでは、そのように描いている。)

ところで、そんなにはっきりと原作の小説を記憶しているということはないのだが、最後のところは作り変えてある。確か、小説では、主人公の烈が亡くなるところまで描いてあったように記憶している。原作は、決してハッピーエンドにはなっていなかったはずである。

また、細かには憶えていないけれども、人間関係についてもいくぶん改編してあるようにも思える。はたしてどうなのか。ここで原作の小説を取り出してきて、再度読みなおして確認しようという気はおこらないのだが。原作の小説では、さらに不可解な人間関係の深みのようなものが描かれていたと思う。さて、どうだったろうか。

概して宮尾登美子の小説、そして、その映像化には、ある種のけれんみがある。このドラマは、押さえてはあるのだが、ところどころにけれんみが感じられる。

特に、音楽がいい。深草アキの音楽がよかった。

2023年5月6日記

『どうする家康』あれこれ「三方ヶ原合戦」2023-05-09

2023年5月9日 當山日出夫

『どうする家康』第17回「三方ヶ原合戦」

三方ヶ原の合戦である。

歴史的に有名な合戦の一つと言っていいであろう。その結果については分かっている。結果の分かっていることを、どう描いて見せるかが歴史ドラマの作り方の面白さであろう。その「真相」については、次回の放送でということのようだ。

ともあれ、いつから戦国時代ドラマで戦をすることを肯定的に描くようになったのだろうか。昔の……自分が子供のころに見た記憶で言えばであるが、戦というものは、否定的に捕らえられていたと思う。まあ、時代として、戦争の記憶の残っていた時代であったということもあるのだろうが。

しかし、近年のドラマを見ていると、戦を肯定し、それに勝つことをよしとしている。『どうする家康』についてもそうである。家康はもとより、信長にしても、信玄にしても、戦に勝つことを目的にしている。勝つために戦をしている。弱い主君は罪悪であるとも言っている。

まあ、このあたりは、時代の流れの変化と言ってしまえばそれまでであるが。(しかし、誰か大河ドラマにおける戦争観について研究があるだろうか。)

それからこのドラマでは、瀬名、築山殿が、非常に良く描かれている。家康が帰っていくことのできる場所としてあり、そこには瀬名が待っていてくれる。史実はどうであるかは別にして、このような瀬名の描き方は、このドラマにあっては、一時の安心感を与えてくれる。

それにしても、『どうする家康』における武田信玄はかっこいい。これほどかっこいい信玄は、これまでになかったかもしれない。

さて、とりあえず三方ヶ原の合戦は、信玄の作戦勝ちということで終わっていた。では、主人公の家康は戦でどうなったのか。このあたりの「真相」は次回のお楽しみである。

2023年5月8日記

小手毬2023-05-10

2023年5月10日 當山日出夫

水曜日は写真の日。今日は小手毬である。

家の駐車場のすみに咲いている。藤の花が終わったころに咲きはじめる。たぶん、小手毬であっているのだろうと思って見ている。この種の花は、園芸種が多いはずなので、そのうちのどれかだろうと思う。十年以上前のことになる。家の敷地を一部工事したときに、その後に植木屋さんが植えていったものである。そのとき、何の木を植えたのか、名前を聞きそびれて今にいたっている。

小さい花がまとまって、まあるくなる。それが、いくつもつらなる。

ちょうどこの花の咲くころになると、足下はハルジオンがいっぱい咲いている。池のほとりには、紫蘭の花が咲いている。箱根空木はまだ咲かない。初夏の花の季節になってきている。

小手毬

小手毬

小手毬

小手毬

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD

2023年5月9日記