「シリーズ 知られざる島の歴史旅 (1)八丈島 絶海の孤島に流された武士」 ― 2024-07-17
2024年7月17日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ 知られざる島の歴史旅 (1)八丈島 絶海の孤島に流された武士
八丈島は、はっきりいって名前を知っているというだけの島である。流人の島であることは知っていたが、歴史の知識というよりは、時代小説などで憶えたことかと思う。「木枯し紋次郎」のシリーズに「赦免花は散った」というのがある。
宇喜多秀家は名前は知っていたという程度である。八丈島に流罪になったということは知らなかった。近藤富蔵のことは、この番組で知った。近藤重蔵の子どもである。『八丈実記』という本のことは、どこかで見たかと憶えているのだが、実際にどんな本で誰が書いたのかは、知らないでいた。
一八世紀から一九世紀、この時代について、「百科全書」の時代、と言っていたが、そういう見方もできるだろう。たしかに江戸時代、多くの記録や随筆というものが書かれた。一番有名なのは『北越雪譜』だろうか。日本の近世における、雑多な知的好奇心の一つの表れとみることもできるだろう。
この番組は、磯田道史の余談が面白い。京都の伏見の城下町の墓を調べると、成人男性の三分の二が性病にかかっていた。(典拠の論文を探してみようという気には、もうならないでいるので、そんなものかと見ていたのだが。)三密の状態で人が暮らせば、疫病からは逃れられない。それにくらべれば、八丈島はゆったりと生活することができる。まあ、たしかにそのとおりだろう。
他人のモノサシで自分を評価してはいけない。これもそのとおりである。
宇喜多秀家も近藤富蔵も、結局は八丈島で生涯を終えることを選択した。島には、それなりの魅力があったということになるのだろう。
ところで、八丈島は、どのような歴史のある島なのか、江戸時代はどのように統治されていたのか、人びとの生活はどんなだったのか……ということについては、まったく触れることがなかった。そのようなことは自分で調べてくださいということなのかと思うが、少しぐらい解説があってもよかったと思う。
2024年7月16日記
英雄たちの選択 シリーズ 知られざる島の歴史旅 (1)八丈島 絶海の孤島に流された武士
八丈島は、はっきりいって名前を知っているというだけの島である。流人の島であることは知っていたが、歴史の知識というよりは、時代小説などで憶えたことかと思う。「木枯し紋次郎」のシリーズに「赦免花は散った」というのがある。
宇喜多秀家は名前は知っていたという程度である。八丈島に流罪になったということは知らなかった。近藤富蔵のことは、この番組で知った。近藤重蔵の子どもである。『八丈実記』という本のことは、どこかで見たかと憶えているのだが、実際にどんな本で誰が書いたのかは、知らないでいた。
一八世紀から一九世紀、この時代について、「百科全書」の時代、と言っていたが、そういう見方もできるだろう。たしかに江戸時代、多くの記録や随筆というものが書かれた。一番有名なのは『北越雪譜』だろうか。日本の近世における、雑多な知的好奇心の一つの表れとみることもできるだろう。
この番組は、磯田道史の余談が面白い。京都の伏見の城下町の墓を調べると、成人男性の三分の二が性病にかかっていた。(典拠の論文を探してみようという気には、もうならないでいるので、そんなものかと見ていたのだが。)三密の状態で人が暮らせば、疫病からは逃れられない。それにくらべれば、八丈島はゆったりと生活することができる。まあ、たしかにそのとおりだろう。
他人のモノサシで自分を評価してはいけない。これもそのとおりである。
宇喜多秀家も近藤富蔵も、結局は八丈島で生涯を終えることを選択した。島には、それなりの魅力があったということになるのだろう。
ところで、八丈島は、どのような歴史のある島なのか、江戸時代はどのように統治されていたのか、人びとの生活はどんなだったのか……ということについては、まったく触れることがなかった。そのようなことは自分で調べてくださいということなのかと思うが、少しぐらい解説があってもよかったと思う。
2024年7月16日記
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