『虎に翼』「第2週「女三人寄ればかしましい?」2024-04-14

2024年4月14日 當山日出夫

『虎に翼』第2週「女三人寄ればかしましい?」

この週で描かれていたことは、既存の概念をうちやぶって新しい道をきりひらこうとした女性たち、その先駆的な活動……というようにとらえることが可能だろう。世評としても、ドラマのなかで出てきた裁判の判決について、きわめて肯定的にとらえるものが多い。だが、これは、そのように世の中の視聴者が反応することを見越した上での脚本であり演出であるとは思うが。

たしかにこの時代、女性の権利は制限されたものであった。

だが、女性に対して男性が優遇されていたかというと、かならずしもそうばかりとはいえない。男性の普通選挙が制度として決まったのは、一九二五年(大正一四年)である。このドラマは、昭和七年のことになっているはずだから、その数年前まで、男性でも選挙権のない人びとが多数を占めていた。

それよりも気になるのは、旧・民法をあまりに否定的に見ていることである。明治になって民法が制定されたが、それは明治二九年~三一年のことになる。明治になってしばらくして、ようやく憲法が作られ、各種の法律と制度が整備されていったことになる。それらは、その当時の世界の法や制度と照らして、はたしてどんなものであったのか、このことを歴史的に考えてみる視点も重要だろう。

現在の価値観からすれば、旧弊であると言えるかもしれないが、それを、江戸時代の名残の多くのこっている時代に、なんとか近代的な法制度を作っていった先人たちの努力と工夫について、思いをめぐらせる必要もあると私は思う。(たぶん、このような視点は、このドラマでは出てこないかと思うが。)

近代になって、突然に近代市民社会が成立したということではない。江戸時代から、日本に住む人びとは、いったいどんな暮らしをしてきたのか、例えば婚姻制度についても、実際はどのようであったのか、歴史人口学とか民俗学などの知見が重要になってくるにちがいない。強いていえば、民法の規定にそう書いてあるからといって、普通の日本人(この場合、法の規定のもとにあるので日本人といっていいと思うが)が、現実にどのように結婚し、生活し、あるいは、離婚していたのか、これはまた別の問題があるはずである。法律にそのようにあるから、その当時の人びとがそのような生活をしていたと考えるのは、ちょっと短絡的である。

法廷に正解はない、と言っていた。だが、その一方で、法の安定性ということも重要である。裁判の傍聴席に誰がいるかということで、判決が異なるようなことはあってはならいだろう。そして、何よりも、日本国民が等しく法のもとにあるという意識が、近代になってから、どのように形成されてきたのかという観点も需要であろう。

ところで、このドラマでうまいと思うのが、教室で座る席。よねは、一番前に座っていた。長年、教師稼業をしてきたから(もうリタイアすることにしたが)感じることかもしれないが、おおむね教室の一番前の席に座る学生というのは、何かあつかいにくいところがある。だいたいできる学生は、寅子の座るような位置に座ることが多い。

水之江瀧子という名前を久しぶりに目にした。私の世代であれば、なんとか憶えているかと思う。

寅子の同級生仲間もいろいろと事情をかかえているようである。次週、どうなるか楽しみに見ることにしよう。

2024年4月13日記

フロンティア「旧約聖書 滅亡の街の真実」2024-04-14

2024年4月14日 當山日出夫

フロンティア 旧約聖書 滅亡の街の真実

シュリーマンの『古代への情熱』を思い出す。

まだ、仮説の段階というべきなのだが、しかし、面白い。文献資料、史料から様々な自然現象を読みとることができる。地震や天体の現象など。そのなかに隕石の衝突も可能性として考えられることになる。

エンジニアをやっていて、それがスカウトされて発掘の調査団に加わる、という経緯も興味深い。この発掘の調査団は、いったいどういう組織になっているのだろうか。

考古学という研究分野は、学際的な研究領域であることが重要かもしれない。人文学、歴史学、人類学の一部であったかと思うのだが、近年では、さまざまな科学的な調査が行われるようになってきている。人骨からのDNA調査などはその代表かもしれない。

旧約聖書に書かれたような隕石衝突が、将来ふたたび起こるかもしれない。現にシベリアでは、数十年前に起こっている。

文献史学と、考古学と、科学的研究の融合した研究領域は、これからも進んでいくことだろうと思う。

2024年4月8日記