よみがえる新日本紀行「石だたみの街で〜長崎〜」 ― 2026-06-12
2026年6月12日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行「石だたみの街で〜長崎〜」
再放送である。2019年。オリジナルは、昭和54年(1979年)。
はじまりは、活水学院の女子学生たちが、坂道を登っていく姿からだった。見ていて、スカートが長いなあ、と思った。これが、もうちょっと前の時期だったら、みんなミニスカートだっただろう。(世の中の女性のスカートの長さが、一気に変わってしまったのを目撃した世代ということになる。)
昔の番組の中では、活水学院の教育方針もあって、ジーパンをはいているような女子学生はいないということだった。実際に、そのような女子学生の姿は映っていなかった。だが、これが、現代(2019)の映像になると、逆に、スカートをはいている女子学生の姿の方が、希少なものになっている。時代の変化である。
坂道を花売りのおばさんが天秤棒をかついで歩いて登っていく。その風景の中に、助産所の看板が映っていた。この同じところが、現代になると、この看板が消えている。これも、時代の流れである。
からすみは、私の好きなものの一つなのだが(酒の肴としては最高だと思っている)、いかんせん、高価である。手作業で作るしかないものなのだろうし、値段が高くなるのは、いたしかたないかなと思う。
祖母、母、娘と、三代にわたって、活水学院で学んで、卒業後は、地元で結婚して、家業のからすみ作りをやっている。むかしは、こういう時代だったのだなと思う。
新人のバスガイドさんが、初々しい。
高卒でバス会社に入って、一年の研修があって、それでも、4年ぐらいつとめたら退職する。番組内で言ってはいなかったが、この時代だったら、寿退社(今では、こういうことばは使ってはいけない)であろう。
寮生活でお金はかからないといっても、6万円の月給から、4万円を、実家に送金している。いなかの農業の生活も、たいへんだったのだろう。65歳で、高卒で働いている孫娘がいるというのも、この時代のことである。
「長崎の鐘」は、知っている。番組の中では、永井隆の名前は出てきていなかった。この時代だったら、おそらく番組を見る人の多くは、永井隆のことを知っていた時代だったということでいいだろうか。作曲は、古関裕而である。
私が、この歌を知ったのは、高校生のときである。修学旅行が九州だったが、長崎にも行った。バスガイドさんがバスの中で、この歌を歌ってくれたかと記憶している。
坂道の多い街であるので、昔は、馬を使っていた。これはこの時代としては、合理的な判断だっただろう。現代では、日本中のどこでもそうだが、軽トラックの入っていけないようなところでは、生活の維持はかなり難しくなってきている。(これも、4足歩行、あるいは、6足歩行の、AIロボットが、荷物の運搬に実用的に使えることになるかもしれない。技術的には、ほぼ実用段階にあるといっていいだろう。軍事的にも使えるものだが、日本のような国にあっては、長崎や尾道のような坂の街、また、山間地への物資運搬の実用的な需要があるかと思う。問題は、コストであるが。)
2026年6月10日記
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