「東海道“五十七次”の旅▼第三夜 ついにゴールの大阪へ!」2024-11-05

2024年11月5日 當山日出夫

ブラタモリ 東海道“五十七次”の旅▼第三夜 ついにゴールの大阪へ!

第三回は、枚方から森口、そしてゴールが高麗橋、ということであった。

江戸時代、この道はどれぐらい利用されていたのだろうか。京都と大坂を結ぶものとしては、淀川の水運が知られている。それに対して、陸路でどれぐらい人が歩き、物資が運ばれていたのか、このことについて歴史学の方ではどのように考えられているのだろうか。

枚方のくらわんか舟のことはよく知られている、と思っている。川にそって宿屋があって宴会をしていた、ということであったが、実際には、女性を相手にする商売もさかんだったにはちがいないと思うが、このところは番組ではスルーしていた。まあ、このあたりのことはいたしかたないだろう。

どうでもいいことだが、ひらパーには行ったことがない。我が家から行くとすると、そう遠くはない。自動車でいけば比較的近いところにある。だが、京阪沿線になるので、電車で行くとなるとちょっと面倒である。

歴史的に面白いかなと思うのは、枚方と門真のあたりの近現代かもしれない。

高麗橋が終点ということだったが、当時の大坂の街の様子については触れることがなかった。橋の街である大坂と、淀川水運の関係については、いろいろと面白いことがあるにちがいない。

2024年11月5日記

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