『八重の桜』「将軍の首」2025-05-19

2025年5月19日 當山日出夫

『八重の桜』「将軍の首」

ドラマなどで、天皇が登場することはあまりないだろうと思っている。ざっくばらんにいえば、おそれおおい、ということもあるだろうし、また、変な描き方をして、天皇至上主義者(そういうような人がいるとして)から、クレームがきてもこまる。

これまで、天皇を印象的に描いたドラマというと、どうしてもこの『八重の桜』の孝明天皇が思いうかぶ。それから、『坂の上の雲』の明治天皇がある。

江戸時代までの天皇というのは、京都の公家社会にささえられて生きてきたはずで、非常に女性的な(最近では、このような表現を使うこと自体がとがめられかねないけれど)性格のものであった。それが、明治時代になって、近代的な君主として、天皇が男性的で武断的なイメージに変わってきた、ということがある。まあ、これは、明治になってからの政府の方針としてそうなったということになるだろうが。

『八重の桜』の孝明天皇は、はっきりいって、非常にたよりない、弱々しい存在である。そして、孤独である。公家たちは、西国の雄藩と組んで、権謀術数にあけくれている。信頼できる臣下はいない。そこに現れて京の都の治安を立て直してくれたのが、会津の松平容保であった……ということになる。(史実として、どうだっただろうかということはあるけれど、ドラマとしては、この筋書きはよくできている。)

容保からすると、その忠誠心の向かうさきが、ゆらぐことになりかねない。徳川の譜代として、徳川幕府を支える、将軍に忠誠を誓う。その一方で、京で孝明天皇に臣下として、忠義をはたさなければならない。普通なら、ここで、まっぷたつに別れてしまうところなのだが、そこを、もともとが公武合体論者であったという設定で、うまく調和して破綻がないように作ってある。このあたりの脚本は、たくみだと思う。

しかし、会津の家臣たちは、藩主の容保に対して(だけ)忠誠心をもっている。このあたりの行き違いが、戊辰戦争、会津戦争ということにつながっていく。

2025年5月18日記

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