100分de名著「サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!
愛するとは、お互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることである……これは、学生のときから知っていることばである。今から半世紀ほど前のことになるが、この時代なら、『人間の土地』として堀口大学の訳だっただろう。私は、この本を読むことはなかったが。
第一世界大戦後のヨーロッパということの時代背景を考えてみるならば、世界的な不況のなかで、それぞれの地域において、国益優先の政策がとられたこと、それ自体を批判することは、私は正しいことだとは思わない。これは、その後の歴史の結果を知っているから言えることであって、この時代における人びとの生活の実態や思考を想像してみるならば、そのような時代の風潮であったとしても、いたしかたないことかと思う。といって、歴史上にあったことを、すべてそうなる必然だったのだからしかたがないというのではない。
サン=テグジュペリの語ることが、ただの理想主義にならないのは、その前段として、砂漠での体験があるからである。目の前に困った人がいるとき、助けるのは当然である、という体験的な裏付けがあっての理想である。これは、説得力がある。
自国優先主義ということを、排外主義だとして、否定することは、ある意味では今の時代の流れである。このこと……いわゆるリベラルを自称する人たちの、(自分とは異なる意見について)極右と断定する人たちへの攻撃……は、どうだろうか。今の世界で(あるいは、日本でといってもいいが)おこなわれていることは、非常に排他的な理想主義による、自己陶酔でしかない。
人間とはどういうものなのかという洞察にうらうちされない理想主義は、逆に人間を束縛してしまうものである。その束縛の中で自由を感じるということは、まさに、番組のなかで、サン=テグジュペリが批判的に言っていたことに他ならない。ヒトラーを悪だと言っていることの中に、それこそが正しいことだと、無批判に安住することは、まさしくユダヤ人や共産主義者を排除した思想の裏返しであり、思考法としてつながるものだということに、気づくべきなのである。
人間の内側の思考のあり方について語ることができるのが文学である。政治的にどれが正しいかということとは別である。だが、文学だから語れることを、無理に時代の流れの中でのナチスのことに結びつけようとするのは、(たしかに時代的背景としてそういうことはあったかとは思うが)、文学というものを理解していないと私は感じるところがある。
これは、番組のスタッフの意図としてそうなったのだろう。見ていた印象では、野崎歓はむしろ、社会的政治的メッセージとしてよりも、文学として語りたかったような印象を受けた。
2025年8月30日記
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!
愛するとは、お互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることである……これは、学生のときから知っていることばである。今から半世紀ほど前のことになるが、この時代なら、『人間の土地』として堀口大学の訳だっただろう。私は、この本を読むことはなかったが。
第一世界大戦後のヨーロッパということの時代背景を考えてみるならば、世界的な不況のなかで、それぞれの地域において、国益優先の政策がとられたこと、それ自体を批判することは、私は正しいことだとは思わない。これは、その後の歴史の結果を知っているから言えることであって、この時代における人びとの生活の実態や思考を想像してみるならば、そのような時代の風潮であったとしても、いたしかたないことかと思う。といって、歴史上にあったことを、すべてそうなる必然だったのだからしかたがないというのではない。
サン=テグジュペリの語ることが、ただの理想主義にならないのは、その前段として、砂漠での体験があるからである。目の前に困った人がいるとき、助けるのは当然である、という体験的な裏付けがあっての理想である。これは、説得力がある。
自国優先主義ということを、排外主義だとして、否定することは、ある意味では今の時代の流れである。このこと……いわゆるリベラルを自称する人たちの、(自分とは異なる意見について)極右と断定する人たちへの攻撃……は、どうだろうか。今の世界で(あるいは、日本でといってもいいが)おこなわれていることは、非常に排他的な理想主義による、自己陶酔でしかない。
人間とはどういうものなのかという洞察にうらうちされない理想主義は、逆に人間を束縛してしまうものである。その束縛の中で自由を感じるということは、まさに、番組のなかで、サン=テグジュペリが批判的に言っていたことに他ならない。ヒトラーを悪だと言っていることの中に、それこそが正しいことだと、無批判に安住することは、まさしくユダヤ人や共産主義者を排除した思想の裏返しであり、思考法としてつながるものだということに、気づくべきなのである。
人間の内側の思考のあり方について語ることができるのが文学である。政治的にどれが正しいかということとは別である。だが、文学だから語れることを、無理に時代の流れの中でのナチスのことに結びつけようとするのは、(たしかに時代的背景としてそういうことはあったかとは思うが)、文学というものを理解していないと私は感じるところがある。
これは、番組のスタッフの意図としてそうなったのだろう。見ていた印象では、野崎歓はむしろ、社会的政治的メッセージとしてよりも、文学として語りたかったような印象を受けた。
2025年8月30日記
クラシックTV「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
クラシックTV 「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」
再放送である。最初は、2021年9月9日。
テレビの番組表を見ていて目にとまったので、録画しておいて見た。
今から半世紀ほど前、学生のころ、東京の目黒の下宿で、月曜日の夜おそく(だったと記憶しているが)ラジオの「アスペクト・イン・ジャズ」を聞いていた。FM東京の油井正一の番組である。翌日の朝の大学の授業が眠たかったのを憶えている。ビル・エヴァンスという名前をいつ憶えたのかは忘れてしまったが、おそらく、学生のころにラジオで聴いて憶えたのだろう。
この時代だと、ビル・エヴァンスは、あまり高く評価されることはなかったかと記憶している。これは、いまからふりかえると偏見になることだが、ジャズは黒人の音楽であり、だからこそ、抵抗の音楽として、学生たちに愛好されていた、という側面がある。この意味では、もっとも人気のあったのは、ジョン・コルトレーンだったかもしれない。
都内の各所にジャズ喫茶があり、方や、クラシック音楽を流す名曲喫茶があった。お茶の水のあたりである。予定のプログラムなどが、店内においてあったりした。もう今では、昔話である。
番組の中で、黒人とか白人とかということばを使っていなかったのは、意図的にそうしていたのだろうと、私などは感じることになる。今の若い人たちには、そんなことは関係なく、音楽として聞いていることになるだろうが、かつて、誰が演奏しているか、黒人なのか白人なのか、一言いわなければならないような雰囲気であった時代もあった。こういう時代に、日本人としてジャズにかかわるとはどういうことなのか、議論があった。
ビル・エヴァンスのCDは、かなり持っている。全部、Walkmanにコピー(FLAC)して入れてある。「Walz for Debby」は、時々聞いている。
テクニックとか、音の構成とか、音楽的にはいろいろとあるのだろうが、とにかく、知的で美しい、ということで、私の好みである。ただ、(これは、昔からいわれていたことだが)、人間のこころの奥底の深みを感じさせるというような感じではない。(これは、私の感性の問題でもあるのだろうが。)
2025年8月31日記
クラシックTV 「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」
再放送である。最初は、2021年9月9日。
テレビの番組表を見ていて目にとまったので、録画しておいて見た。
今から半世紀ほど前、学生のころ、東京の目黒の下宿で、月曜日の夜おそく(だったと記憶しているが)ラジオの「アスペクト・イン・ジャズ」を聞いていた。FM東京の油井正一の番組である。翌日の朝の大学の授業が眠たかったのを憶えている。ビル・エヴァンスという名前をいつ憶えたのかは忘れてしまったが、おそらく、学生のころにラジオで聴いて憶えたのだろう。
この時代だと、ビル・エヴァンスは、あまり高く評価されることはなかったかと記憶している。これは、いまからふりかえると偏見になることだが、ジャズは黒人の音楽であり、だからこそ、抵抗の音楽として、学生たちに愛好されていた、という側面がある。この意味では、もっとも人気のあったのは、ジョン・コルトレーンだったかもしれない。
都内の各所にジャズ喫茶があり、方や、クラシック音楽を流す名曲喫茶があった。お茶の水のあたりである。予定のプログラムなどが、店内においてあったりした。もう今では、昔話である。
番組の中で、黒人とか白人とかということばを使っていなかったのは、意図的にそうしていたのだろうと、私などは感じることになる。今の若い人たちには、そんなことは関係なく、音楽として聞いていることになるだろうが、かつて、誰が演奏しているか、黒人なのか白人なのか、一言いわなければならないような雰囲気であった時代もあった。こういう時代に、日本人としてジャズにかかわるとはどういうことなのか、議論があった。
ビル・エヴァンスのCDは、かなり持っている。全部、Walkmanにコピー(FLAC)して入れてある。「Walz for Debby」は、時々聞いている。
テクニックとか、音の構成とか、音楽的にはいろいろとあるのだろうが、とにかく、知的で美しい、ということで、私の好みである。ただ、(これは、昔からいわれていたことだが)、人間のこころの奥底の深みを感じさせるというような感じではない。(これは、私の感性の問題でもあるのだろうが。)
2025年8月31日記
ブラタモリ「東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
ブラタモリ 東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?
私の年代(1955、昭和30年生)だと、70年安保のときの、安田講堂のことは憶えている。このときのことに、学生に共感するかどうかというのは、年齢や立場によって微妙に異なることになる。私としては、まったく否定はしないけれども、その行動については、かなり批判的に見るとこもある、というぐらいだろうか。
しばらくの間、東京大学では、学会とか研究会がまったく開催できない、という時期があった。とにかく、人が集まる、ということを極力排除していた時期があった。
しかし、時がながれて、東京大学で国語学会(現在の日本語学会)があったとき、安田講堂が講演会の会場だった。時代の流れを感じたものである。
安田講堂が、東京大学の正門からまっすぐのところにあるのは計算して造ったことになるが、キャンパス内のイチョウ並木……これは、秋になるときれいに色づく……は、いつごろ整備されたものなのだろうか。おそらく、キャンパス内の植物については、その種類や樹齢などは、網羅的に調査がされているとは思うのだが、イチョウの木が、今のような大きさに育つには、かなりの年月がかかる。今のイチョウの木は、いつごろ、どのように植えられたものなのだろうか。樹木のある景観というのは、数十年先のことを見通さないと設計できないものである。(東京におけるその典型が、明治神宮ということになるだろうが。)
史料編纂所の仕事は、東京大学のなかでも、時間の流れが異なっている。非常に長い時間の中で仕事をしている。
影写の技術というのは、とても興味深い。このような場面が、テレビに映るのは、はじめてといってもいいかもしれない。
古文書もそうだが、実物を手にとってじっくりと観察することによって分かってくることがある。古典籍(写本、板本)もそうだし、美術品であったり、あるいは、自然科学の標本であったり、考古学の遺跡であったり……学術的な資料(史料)というのは、そういうものである。
デジタル・アーカイブということで、古文書も画像データとして収集する公開するということに、世の中の流れが向かっている。これは、そのとおりだと思うが、しかし、たぶん、私ぐらいの世代が、デジタル技術の以前と以後のことを、両方知っているところに位置するのかと思う。今のデジタル画像についていえば、(技術的な細かな議論ははぶくが)、まだまだ課題が数多くあることは確かである。
史料編纂所の仕事で「大日本古文書」がある。この一揃いを、数十年前になるが、ある中世史の研究者の遺族の方から、もらい受けたことがある。その他の書籍(歴史学の専門書)は、神保町の有名な古本屋が引き受けてくれたが、「大日本古文書」はいらないと言われた。理由は、史料編纂所のデータベースで利用できるようになっているので、古本としても価値がない、ということだったらしい。
たしかに、史料編纂所の古文書や古記録のデータベースは便利だし、これがないと、歴史学研究はできないようになっている。同時に、もはや、紙の本の「大日本古文書」でさえも、手に取って読むということが、必要とされない時代になってきてしまっている。
時代の流れといえばそれまでなのだが、史料・資料の実物を残し、それにもとづいて考えるということは、忘れてはならない。また、史料の翻刻(その結果としての「大日本古文書」)ということの意味、強いていえば、もとの文書の情報をどう残すかをふくめたデータのフォーマットの変換、これが、デジタルの文字列だけになってしまうことの意味、こういうことを総合的に考えること、あるいは、教育することが、必要になってきているのだと思うことになる。
東京大学総合研究博物館には、いろんなものがある。番組のなかで出てきていた、昔、集めて沙漠のオアシスの水のサンプル。もう今では無くなってしまったところもあるだろうし、また、これは、いわゆる人新世になる以前に採取したものということでも価値があることになるだろう。
資料をしかるべく残すことの価値が、広く認識されることが必要である。
2025年8月31日記
ブラタモリ 東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?
私の年代(1955、昭和30年生)だと、70年安保のときの、安田講堂のことは憶えている。このときのことに、学生に共感するかどうかというのは、年齢や立場によって微妙に異なることになる。私としては、まったく否定はしないけれども、その行動については、かなり批判的に見るとこもある、というぐらいだろうか。
しばらくの間、東京大学では、学会とか研究会がまったく開催できない、という時期があった。とにかく、人が集まる、ということを極力排除していた時期があった。
しかし、時がながれて、東京大学で国語学会(現在の日本語学会)があったとき、安田講堂が講演会の会場だった。時代の流れを感じたものである。
安田講堂が、東京大学の正門からまっすぐのところにあるのは計算して造ったことになるが、キャンパス内のイチョウ並木……これは、秋になるときれいに色づく……は、いつごろ整備されたものなのだろうか。おそらく、キャンパス内の植物については、その種類や樹齢などは、網羅的に調査がされているとは思うのだが、イチョウの木が、今のような大きさに育つには、かなりの年月がかかる。今のイチョウの木は、いつごろ、どのように植えられたものなのだろうか。樹木のある景観というのは、数十年先のことを見通さないと設計できないものである。(東京におけるその典型が、明治神宮ということになるだろうが。)
史料編纂所の仕事は、東京大学のなかでも、時間の流れが異なっている。非常に長い時間の中で仕事をしている。
影写の技術というのは、とても興味深い。このような場面が、テレビに映るのは、はじめてといってもいいかもしれない。
古文書もそうだが、実物を手にとってじっくりと観察することによって分かってくることがある。古典籍(写本、板本)もそうだし、美術品であったり、あるいは、自然科学の標本であったり、考古学の遺跡であったり……学術的な資料(史料)というのは、そういうものである。
デジタル・アーカイブということで、古文書も画像データとして収集する公開するということに、世の中の流れが向かっている。これは、そのとおりだと思うが、しかし、たぶん、私ぐらいの世代が、デジタル技術の以前と以後のことを、両方知っているところに位置するのかと思う。今のデジタル画像についていえば、(技術的な細かな議論ははぶくが)、まだまだ課題が数多くあることは確かである。
史料編纂所の仕事で「大日本古文書」がある。この一揃いを、数十年前になるが、ある中世史の研究者の遺族の方から、もらい受けたことがある。その他の書籍(歴史学の専門書)は、神保町の有名な古本屋が引き受けてくれたが、「大日本古文書」はいらないと言われた。理由は、史料編纂所のデータベースで利用できるようになっているので、古本としても価値がない、ということだったらしい。
たしかに、史料編纂所の古文書や古記録のデータベースは便利だし、これがないと、歴史学研究はできないようになっている。同時に、もはや、紙の本の「大日本古文書」でさえも、手に取って読むということが、必要とされない時代になってきてしまっている。
時代の流れといえばそれまでなのだが、史料・資料の実物を残し、それにもとづいて考えるということは、忘れてはならない。また、史料の翻刻(その結果としての「大日本古文書」)ということの意味、強いていえば、もとの文書の情報をどう残すかをふくめたデータのフォーマットの変換、これが、デジタルの文字列だけになってしまうことの意味、こういうことを総合的に考えること、あるいは、教育することが、必要になってきているのだと思うことになる。
東京大学総合研究博物館には、いろんなものがある。番組のなかで出てきていた、昔、集めて沙漠のオアシスの水のサンプル。もう今では無くなってしまったところもあるだろうし、また、これは、いわゆる人新世になる以前に採取したものということでも価値があることになるだろう。
資料をしかるべく残すことの価値が、広く認識されることが必要である。
2025年8月31日記
最近のコメント