NHKスペシャル「未完のバトン・最終回 “最期”の希望 長寿社会の果てに」2025-10-04

2025年10月4日 當山日出夫

NHKスペシャル 未完のバトン・最終回 “最期”の希望 長寿社会の果てに

見ながら思ったことを、思いつくままに書いておく。

安楽死を認めるかどうかということをふくめて、こういう種類の問い……人間の死生観にかかわり、歴史と文化の問題でもある……に、正解があって、人間は理性的に考えることによって、最終的には、その正解に到達しうるものである、また、その正解は、人類に共通する普遍的なものである、ということがあるとすると、これは、あまりに傲慢な思想というべきではないだろうか。

また、これは、医学ということだけの問題ではない。だが、少なくとも今の日本だと、こういう問題を、医学の問題に限定的に考えすぎてはいないか。法律の問題であることは無論のこと、その根底にある、社会としてのもろもろの文化や歴史があってのことである。また、個人によって、価値観は異なる。

個人によって価値観が異なり、また、医師によっても価値観が異なる。この問題について、主観的ではない客観的な正しさの基準というものがあるはずだと設定して考えることは、はたして妥当だろうか。主観的な判断だから揺れうごくことがある。しかし、それは、まちがっているということでは、必ずしもない。そのときの判断に、運命をまかせるということでは、なぜいけないのだろうか。

その当事者、まず病気の本人であり、担当の医師であり、また、その周囲の人びと(家族など)が、納得するポイントがあれば、それでいいのかもしれないし、それが、社会全体として許容できるものであれば、それはその時点の判断として尊重されていいだろう。

時代が変われば、また、考え方も変わってくる……昔の人びとの死生観が、今の人間に理解できないところがあるとしても、それはしかたがないことだし、また、現代の死生観が、遠い未来の人間から見れば、理解できないものであったとしても、それはそういうものである。

このような問題を考えるとき、普遍的な唯一絶対の正しさがあるのであって、それ以外は絶対に認められない、と硬直した発想になることが、一番の問題だろう。

番組の中では使っていなかったことばが、多様性、である。価値観の多様性というならば、それには、死生観の多様性もふくむべきことになる。日本に日本の、欧米には欧米の(細かく見れば、カトリックなりの、プロテスタントなりの)、イスラムにはまたそれなりの、その他の文化には、それぞれの、多様な死生観があっていいし、こういうことこそ、価値観の多様性ということで、まず認められなければならないことのはずである。

自分らしくある、希望をもって……ということが、どうも、あまり深く考えずに一人歩きしている。人間というものは、そんなに自由にものを考えることができるものではない。人間の自由意志とは何かという問題でもある。また、希望がなければ生きていてはいけないのか、では、希望とはなんであるのか、あまり考えることなく、使っているようである。

人間の尊厳と、自由意志と、社会の秩序、これらを総合して考えるべきことだろう。

番組の中で、神とか、宗教とか、文化とか、こういうことにまったくふれていなかったのは、意図的にそう作ったからだと思うが、この先の議論は、このようなことについて、徹底的に深く考えざるをえなくなるはずである。

QOLが尊重されるべきだということにはなるのだが、では、何が価値のあることなのか、その本人以外が判断することが出来るのか。その判断は、個人の生いたちから始まって、文化や歴史の中で形成されてきた価値観ということになるとすれば、はたして、人間に普遍的なものとして想定しうるものなのだろうか。

仮に、死を選ぶ権利が人間にはあるとするとして、その判断力がすべての人に等しくそなわっていると考えるべきだろうか。(強いていえばということになるが)精神的に問題のある人であっても、同じように尊重されるべきということになるのだろうか。生きる権利は、すべての人に同じようにということは考えやすいことだが、死ぬ権利がすべての人に同じように、と考えることは可能だろうか。もし、これが等しくないとするならば、それは、新たな差別を生むことになるだろう。

自分のことは自分で決める、自己決定の尊重ということはたしかなのだが、しかし、その結果は自分でおわなければならない。いわゆる自己責任論になる。これはこれで、かなり負担でもある。人間が生きていくなかで、また、最期のときぐらいは、神様のサイコロに身を任せるということがあってもいいのかとも思う。もともと、その人が人間として生まれてきたこと自体が、神様のサイコロで決まったことのようなものかもしれないのである。

その他、いろいろとあるが、これぐらいにしておきたい。

2025年9月30日記

芸能きわみ堂「映画「国宝」で注目! 歌舞伎「曽根崎心中」の世界」2025-10-04

2025年10月4日 當山日出夫

芸能きわみ堂 映画「国宝」で注目! 歌舞伎「曽根崎心中」の世界

映画は見ていない。ここ10年以上、いや、20年以上になるだろうか、映画館というところに行ったことがない。なんだか人がたくさんいるところに行くのが、面倒なのである。原作の小説は読んでおこうかと思っている。今読んでいる『普天を我が手に』(第二巻、奥田英朗、Kindle版)を読み終わったら、次に読んでおきたい。

『曽根崎心中』というと、若いとき、東京の国立劇場の小劇場で、簔助と玉男の公演を見たのを憶えている。こういう経験は、もう今の人にはできないことである。

番組を見ていて、坂田藤十郎(二代目中村扇雀)のお初の舞台も、見事だと思うが……特に足を使った演出……近松門左衛門のオリジナルから、どのようにして歌舞伎に作ってあったのか、このあたりことについて、解説があってもよかったかと思う。日本の文学史と、芸能(人形浄瑠璃と歌舞伎)の、交わるところに位置する作品であると思う。

心中の道行きの美、ということは、日本の芸能と文学の中でどう考えるべきことだろうか。(しかし、天邪鬼に考えてみるならば、なんで心中ということになるのか、このあたりの心理の流れは、興味深いことでもある。)

芸事の世界というのは、ただひたすら見て、そして、体で覚えるということだと思っているのだが、吉沢亮の役者としての天分というべきか、黒子として歌舞伎の裏側を見ることで、体得したものがあるらしい。その後の直接の指導ももちろんであるが。

『曽根崎心中』は映画も作られているが(ATG)、たしか見ていないと思う。『心中天網島』(篠田正浩監督)は見たのを記憶しているが。

2025年9月29日記

英雄たちの選択「“怪談”を発見した男 小泉八雲」2025-10-04

2025年10月4日 當山日出夫

英雄たちの選択 “怪談”を発見した男 小泉八雲

この番組で、文学とか芸術にかかわることをあつかうと、いまいちという印象をもつことが多いのだが、この回は、わりと共感して見るところがあった。

ゲストに池田雅之が登場していたのが、よかったというべきだろうか。NHKで、今週で、小泉八雲の番組は、三つ目である。ようやく、この番組で登場となった。(今週だけで、「木村多江のいまさらですが」「知恵泉」「英雄たちの選択」と小泉八雲である。これは、ちょっと多過ぎという気もするが、作るセクションが、勝手に作ってこうなったのだろう。)

小泉八雲の事跡について語るとき、もっとも重要なことの一つとして、明治に日本にやってきた外国人のなかで、とりわけ小泉八雲が、日本文化に沈潜していったのはなぜか、ということがある。世界の潮流として、ジャポニスム、オリエンタリズムがあった時代ではあるが……これらは、視点をかえると、西欧から見た植民地主義の変奏でもあるのだが……小泉八雲ほど、日本の「伝統的」文化や生活に、のめりこんで礼讃した人物はまずいないだろう。(ここで、「伝統的」と書いたのは、小泉八雲の感じた日本の「伝統」とは何であるのか、批判的に考える必要があると思うからである。もちろん、これは今では失われたものであり、失ってしまったからこそ、現代において価値のあるものとして見ることになることは、確かなのであるが。)

ニューオリンズで博覧会があって、そこに出品されていた日本の物品を見て、日本にこころひかれたということは、たしかにあったのだろう。その前提として、ギリシャ、アイルランドに、出自をもつことで、西欧の中で自分を考えることはあっただろう。これを、今の概念を使っていえば、アイデンティティということで説明することが多い。(アイデンティティということばが、普通に使われるようになったのは、1970年代以降のことで、文化史・思想史としては、新しいことに属する。)

イギリスで貧民窟の生活を体験したということも、西欧文化、近代というものへの、批判的な視点につながるのだろう。

この番組では、小泉八雲の日本での生涯を、松江、熊本、神戸、東京、と順を追って語っていた。歴史的にはそのとおりである。これまで見た小泉八雲関係の番組では、まるで松江でその生涯の仕事をしたかのような印象で番組を構成してあったのは、どうかなと思うところである。

熊本の五高に赴任して、近代化する日本を感じることになったというのは、確かなことだろう。また、神戸も、新しい港街として、近代になって発展した街であった。

東京帝国大学で英文学を講じていたが、それが、大学の意向に反していて、井上哲次郎の名前で、解雇ということになった。これは、結果的には撤回されたが、小泉八雲は、東京帝国大学をやめて、早稲田大学で教えることになった。『怪談』は、このときに刊行された。

興味深いのは、磯田道史が言っていたことだが、東京大学の英文科に求められたことである。英文学を講ずる、創作について語るのではなく、英語教師の養成ということが、目的になった。

これは、近代になってから、日本の人文学の歴史を考えるうえで、重要なことである。国文学が、明治になってからの学問であるということもある。江戸時代からの国学の流れがある。そして、近代になってからの日本の「古典」の成立(強いていえば、再発見)については、いくつかの研究がすでにある。『古事記』の英訳本(チェンバレン訳)を小泉八雲は読んでいたのだが、日本で『古事記』が日本の神話と歴史の書物として古典になるのは、近代の国文学の成立においてである。この意味では、小泉八雲の『古事記』は、きわめて希有な事例ということになるだろう。

同じように、日本史という歴史学の歴史も、日本の近代とともにある。中国学も近代になってからの歴史がある。そして、英文学も、近代になって、何のための研究であり教育であるか、その歴史がある。

ちなみに、小泉八雲と五高と東京帝大で交錯するのが夏目漱石であるが、漱石が、イギリスに留学を命ぜられたのは、英語、のためであった(英文学ではない)ことは、文学史の常識的なことである。だが、漱石は、英文学を学び、『文学論』を書くことになり、小説家となった。

大学では英文学を講じていた。今の日本の大学で、英文科(あるいは英米文学科)で文学を講じることは、可能だろうか。文学を講じるのに、あらかじめシラバスがあって、この講義を受講すると、こういう技能や知識が身につきます……などということが、あらかじめ予測できて分かると思っているのが、現代の文科省の役人ということにはなる。文学というのは、読んでみて、それを講ずることによって、新たな知と感性の地平が見えてくる、そういうものであるはずである。

それにしても、小泉八雲は、御雇外国人として、とんでもない給料を貰っていたらしい。それと比べると、夏目漱石は、東大での給料だけでは生活できなかったことになる。

この番組を見ても分からないことは、小泉八雲の日本文化への手放しの礼讃である。『日本の面影』を読むと、天皇制、教育勅語、御真影、ということを、これが日本人の美徳の極致のように礼讃して書いてある。しかし、こんなものは、明治になってから、文明開化(これは、小泉八雲が最もきらった)とともに、作りあげたものに他ならない。小泉八雲の愛した、江戸時代以前の日本の庶民の生活の感覚では、天皇なんか知ったこっちゃない、というのが普通だった。

松江、熊本、東京と、学校や大学の教師生活をしているのだが、この近代的な教育のシステム自体が、まさに、近代になってから文明開化で、西欧にならって作りあげたものである。

小泉八雲は、江戸時代までの日本がどんなだったか、非常に感覚的に受容したことになる。伝統尊重、保守的、反近代、反西欧、という姿勢は見てとれるのだが、そこで非常にかたよった取捨選択があったことになる。

小泉八雲を語るとき、左派的な見方からは、異文化理解・多文化共生の見本ということで見ることもできるし、一方で、右派的な見方からは、伝統的な日本文化を今につたえる功績のあった外国人、ということになる。どのような立場からでも、とても都合のいい見方ができる。この意味では、現代において、小泉八雲について語ることは、かなり慎重であるべきだと、私は思うことになる。

いろいろとあるのだが、小泉八雲について考えることは、日本の近代とは何か、そこで何を失ってしまったのか、ということにつながるのは確かなことである。

前にも書いたが、小泉八雲の時代は、「失われた日本人」の時代であり、「逝きし世の面影」があった時代でもある。同時に、近代化のなかにあって、『三四郞』の広田先生のように「日本はほろびるね」という視点もあった時代である。いうまでもなく、「坂の上の雲」の時代でもある。

2025年10月3日記