英雄たちの選択「“怪談”を発見した男 小泉八雲」2025-10-04

2025年10月4日 當山日出夫

英雄たちの選択 “怪談”を発見した男 小泉八雲

この番組で、文学とか芸術にかかわることをあつかうと、いまいちという印象をもつことが多いのだが、この回は、わりと共感して見るところがあった。

ゲストに池田雅之が登場していたのが、よかったというべきだろうか。NHKで、今週で、小泉八雲の番組は、三つ目である。ようやく、この番組で登場となった。(今週だけで、「木村多江のいまさらですが」「知恵泉」「英雄たちの選択」と小泉八雲である。これは、ちょっと多過ぎという気もするが、作るセクションが、勝手に作ってこうなったのだろう。)

小泉八雲の事跡について語るとき、もっとも重要なことの一つとして、明治に日本にやってきた外国人のなかで、とりわけ小泉八雲が、日本文化に沈潜していったのはなぜか、ということがある。世界の潮流として、ジャポニスム、オリエンタリズムがあった時代ではあるが……これらは、視点をかえると、西欧から見た植民地主義の変奏でもあるのだが……小泉八雲ほど、日本の「伝統的」文化や生活に、のめりこんで礼讃した人物はまずいないだろう。(ここで、「伝統的」と書いたのは、小泉八雲の感じた日本の「伝統」とは何であるのか、批判的に考える必要があると思うからである。もちろん、これは今では失われたものであり、失ってしまったからこそ、現代において価値のあるものとして見ることになることは、確かなのであるが。)

ニューオリンズで博覧会があって、そこに出品されていた日本の物品を見て、日本にこころひかれたということは、たしかにあったのだろう。その前提として、ギリシャ、アイルランドに、出自をもつことで、西欧の中で自分を考えることはあっただろう。これを、今の概念を使っていえば、アイデンティティということで説明することが多い。(アイデンティティということばが、普通に使われるようになったのは、1970年代以降のことで、文化史・思想史としては、新しいことに属する。)

イギリスで貧民窟の生活を体験したということも、西欧文化、近代というものへの、批判的な視点につながるのだろう。

この番組では、小泉八雲の日本での生涯を、松江、熊本、神戸、東京、と順を追って語っていた。歴史的にはそのとおりである。これまで見た小泉八雲関係の番組では、まるで松江でその生涯の仕事をしたかのような印象で番組を構成してあったのは、どうかなと思うところである。

熊本の五高に赴任して、近代化する日本を感じることになったというのは、確かなことだろう。また、神戸も、新しい港街として、近代になって発展した街であった。

東京帝国大学で英文学を講じていたが、それが、大学の意向に反していて、井上哲次郎の名前で、解雇ということになった。これは、結果的には撤回されたが、小泉八雲は、東京帝国大学をやめて、早稲田大学で教えることになった。『怪談』は、このときに刊行された。

興味深いのは、磯田道史が言っていたことだが、東京大学の英文科に求められたことである。英文学を講ずる、創作について語るのではなく、英語教師の養成ということが、目的になった。

これは、近代になってから、日本の人文学の歴史を考えるうえで、重要なことである。国文学が、明治になってからの学問であるということもある。江戸時代からの国学の流れがある。そして、近代になってからの日本の「古典」の成立(強いていえば、再発見)については、いくつかの研究がすでにある。『古事記』の英訳本(チェンバレン訳)を小泉八雲は読んでいたのだが、日本で『古事記』が日本の神話と歴史の書物として古典になるのは、近代の国文学の成立においてである。この意味では、小泉八雲の『古事記』は、きわめて希有な事例ということになるだろう。

同じように、日本史という歴史学の歴史も、日本の近代とともにある。中国学も近代になってからの歴史がある。そして、英文学も、近代になって、何のための研究であり教育であるか、その歴史がある。

ちなみに、小泉八雲と五高と東京帝大で交錯するのが夏目漱石であるが、漱石が、イギリスに留学を命ぜられたのは、英語、のためであった(英文学ではない)ことは、文学史の常識的なことである。だが、漱石は、英文学を学び、『文学論』を書くことになり、小説家となった。

大学では英文学を講じていた。今の日本の大学で、英文科(あるいは英米文学科)で文学を講じることは、可能だろうか。文学を講じるのに、あらかじめシラバスがあって、この講義を受講すると、こういう技能や知識が身につきます……などということが、あらかじめ予測できて分かると思っているのが、現代の文科省の役人ということにはなる。文学というのは、読んでみて、それを講ずることによって、新たな知と感性の地平が見えてくる、そういうものであるはずである。

それにしても、小泉八雲は、御雇外国人として、とんでもない給料を貰っていたらしい。それと比べると、夏目漱石は、東大での給料だけでは生活できなかったことになる。

この番組を見ても分からないことは、小泉八雲の日本文化への手放しの礼讃である。『日本の面影』を読むと、天皇制、教育勅語、御真影、ということを、これが日本人の美徳の極致のように礼讃して書いてある。しかし、こんなものは、明治になってから、文明開化(これは、小泉八雲が最もきらった)とともに、作りあげたものに他ならない。小泉八雲の愛した、江戸時代以前の日本の庶民の生活の感覚では、天皇なんか知ったこっちゃない、というのが普通だった。

松江、熊本、東京と、学校や大学の教師生活をしているのだが、この近代的な教育のシステム自体が、まさに、近代になってから文明開化で、西欧にならって作りあげたものである。

小泉八雲は、江戸時代までの日本がどんなだったか、非常に感覚的に受容したことになる。伝統尊重、保守的、反近代、反西欧、という姿勢は見てとれるのだが、そこで非常にかたよった取捨選択があったことになる。

小泉八雲を語るとき、左派的な見方からは、異文化理解・多文化共生の見本ということで見ることもできるし、一方で、右派的な見方からは、伝統的な日本文化を今につたえる功績のあった外国人、ということになる。どのような立場からでも、とても都合のいい見方ができる。この意味では、現代において、小泉八雲について語ることは、かなり慎重であるべきだと、私は思うことになる。

いろいろとあるのだが、小泉八雲について考えることは、日本の近代とは何か、そこで何を失ってしまったのか、ということにつながるのは確かなことである。

前にも書いたが、小泉八雲の時代は、「失われた日本人」の時代であり、「逝きし世の面影」があった時代でもある。同時に、近代化のなかにあって、『三四郞』の広田先生のように「日本はほろびるね」という視点もあった時代である。いうまでもなく、「坂の上の雲」の時代でもある。

2025年10月3日記

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