映像の世紀バタフライエフェクト「移民たちのヨーロッパ 寛容と排斥の80年」 ― 2026-03-21
2026年3月21日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト「移民たちのヨーロッパ 寛容と排斥の80年」
番組の意図は分かるつもりだが、寛容ということばの使い方については、異論のあるところだろう。
移民に対して寛容であるというのは、移民である人たちが、西欧(と書いておくが)の文化に同化して、お互いに仲よくなる。あるいは、西欧の人びとも、移民の人たちに対して、その文化や生活のスタイルをみとめて、相互に許容する。さらには将来的には融合していくことになる。
普通は、このように考えるだろう。しかし、もっと別の視点から考えることもできる。
あいつらのことは大嫌いである。一緒にいたくない。だが、公の場所では、しかたがないから我慢することにする。自分のプライベートなエリアには、絶対に入ってきてほしくない。そうであっても、社会からのけ者にしたり、殺してしまったりとか、ということは、やらないでおこう。犯罪をおこしたりしない範囲で、働いてくれればいいし、国の中にいることは認めることにしよう。
このように考える寛容もある。
どちらの寛容ということが、現実的なのだろうか。
寛容ということを考えるのは、自分たちと異なる人たちであると認定するからである。それは、宗教、民族、人種、国籍、など、いろんなことについて判断することになる。一義的に決まっていることではない。そのときどきの、歴史や社会の状況による。
あつかっていたのは、フランス、ドイツ、イギリス、ということであった。問題は、これらの国に限らず、他の国でもある。北欧などでも、大きな問題になっているはずである。
フランスで、スカーフを禁止するというのは、イスラムに対する弾圧という文脈で語られていたが、むしろ、歴史的な大きな流れとしては、政教分離、ということで考えるべきことだろう。
番組の中では言っていなかったが、ドイツでは、学校の教室に十字架をかかげることが、問題になったということもある。また、ドイツにおいて移民が問題になるのは、主に旧東ドイツの地域で、AfDも、旧東ドイツで勢力があるはずである。ドイツにおける、旧東西の問題としても、考えなければならない。ドイツという一つの国のこととして見ると、問題が分からないだろう。
番組の中で使っていなかったことばが、グレートリプレースメント、であるが、しかし、こういうことを本気で考えなければならないと思う。賛否は別にして、急速に、その国の人口構成が変わっていることは確かなことなのである。急激な変化は望ましくはないかと思うが、もし、将来において問題があるとしても、逆戻りはできない。
2026年3月17日記
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