芸能きわみ堂「躍動する文化財!能面に命を吹き込む」 ― 2026-06-06
2026年6月6日 當山日出夫
芸能きわみ堂「躍動する文化財!能面に命を吹き込む」
東博能である。
能面、それから、能装束もそうだが、博物館に陳列してあるのを静かに見るというだけではなく、実際にそれを身につけて演ずる姿を見る、鑑賞する、これは、とても意義のあることだし、何よりも、面白い。芸能というのは、こういうものでなければならない。
番組の中で言っていなかったが、博物館の中に作った能舞台は、背景が老松になっていなかった。最後の来殿(雷電)のとき、後ろに見えたのは、松林図屏風(長谷川等伯)であった。もちろん、レプリカにちがいないが。
能面が光の陰翳によって表情が変わることは、たしかにそうなのだが、むかし、これを作った時代の照明としては、自然光か、さもなければ、蝋燭か篝火かということだったろう。現代の、明るさも、色合いも、自由にコントロールできる照明技術のもとで見ても、さて、昔はどうだったのか、という気はしてしまう。
加賀の前田家が、文化や芸術にちからをいれていたことは、そのとおりであり、前田家尊経閣のコレクションは、現代において、最も価値のある古典籍のコレクションの一つになっている。
金沢の街で、職人さんたちが謡を習っているというのは、とても面白い。これも、ちょっと天邪鬼に考えるならば、謡の場合は、道具とかにお金がかからない。これが、茶道だったりすると、道具がたいへんであるし、一度に大勢が稽古するということもできない。謡が芸事として選ばれたのは、それなりに合理的理由があってのことかと思う。
近世の町人の芸事としては、まずは、俳諧であり、茶道であり、謡であり、というあたりになるだろうか。これら、現代では、それぞれに研究する専門の分野が異なってしまっているので、現代から見ると、かえって総合的に見ることが難しくなっていることかもしれない。
能楽は、室町から近世初期の時代であれば、まさにコンテンポラリーな芸能であり、その背景に『源氏物語』や『平家物語』を知っていることは、当然のことであった。それが、現代だと、船弁慶にさきだって、朗読劇という形での解説を加えることになる。だが、これは、芸能というのは、そういうものだと思えば、これもまた一つの工夫である。
金沢には何度か行ったことはある。金箔のソフトクリームは、食べてみたいとは、まったく思わないけれど。
2026年6月4日記
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