いけずな京都旅「“読めない”都」 ― 2026-06-04
2026年6月4日 當山日出夫
いけずな京都旅「“読めない”都」
たまたま番組表で見つけたので、録画しておいて見た。
私の興味としては、祇園の表記の漢字。祇園祭りの部分では、「示氏」を使っているのだが、花街の祇園になると、「ネ氏」に変わっている。字幕表示など、見ていると、意図的に使い分けをしている。同じ一つの番組のなかで、変えるのは、やはり意識的なのだろう。
といって、私は、別に「ネ氏」が「正しい」ということを主張したいのではないし、そのように論文を書いたということではないのだが。
嵐電からスタートである。京福電車を、なんで「らんでん」というかあたりから、京都らしいいけずなところである。
出てきた地名の多くは、私は、だいたい読める。読めなかったのは、僧尊坊の「どどんぼう」。これも、ATOKで書いていると、「どどんぼう」から変換してくれる。
地名の読みが漢字に引きずられて変わっていくというのは、あることである。その典型が、「西院」だろうと思うのだが、これについては、あまり触れていなかった。京都の人の読みとしても、「さい」「さいいん」は揺れがある部分だろうと思っている。
車折神社が芸能の神さんである、ということは、知られている。たしか、朝ドラの『オードリー』でも出てきていたかと覚えている。見ていて興味深かったのは、昔の太秦の映画の撮影所の写真の中に使われていた、略字。
蚕ノ社の三角形の鳥居は、いわゆる「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人が同じである)という説の重要な資料になることなのだが、井上章一が出てきていても、この番組で、ここのところにふみこむことはしていなかった。
小野篁の話は、国文学に素養のある人間なら、たいてい知っていることである。(ただ、どの本、作品に出ているのか、すぐには思い出せなくなってしまっているけれど。学生のとき、池田彌三郎先生に、教室で教えてもらったことを覚えている。)
菊乃井の女将さんが、娘さんに、そこの娘であることは隠しておくようにと言っていたというのは、まさに京都ならではの話しかと思う。
漢字ミュージアムでの話しは、こんなもんだろう。(私から見てということになってしまうが。)
祇園の芸舞妓さんの名前の読み方は、特殊な業界での、名乗り訓、ということになる。このあたりのことは、(番組を最後まで見て、名前は出てきていなかったが)笹原さんまかせておきたい分野のことになる。
京都で、普通に読めない地名としては、まず、「椥辻」があるはずだが、これは出てきていなかった。読める、読めない、ということよりも、京都の方言漢字ということになる。なぎつじ、と読む。
京都府に範囲を広げれば、知らないと絶対に読めないのは、「間人」(たいざ)である。「太秦」(うずまさ)と同様に、これは、知らないと読めない。どう理屈を考えても、文字だけを見て、その漢字をそう読む理由が存在しない。
2026年6月2日記
地球タクシー「ケープタウンを走る2026 喜望峰をめざして」 ― 2026-06-04
2026年6月4日 當山日出夫
地球タクシー「ケープタウンを走る2026 喜望峰をめざして」
な~んにも考えずに、なんとなく見ているというのが好きなのだが、それでも、見ながらいろいろと考えることはある。
アパルトヘイトがなくなって30年たつ。それでも、雇用についての平等を定めた法律がある。これは、立場によっては、いきすぎたアファーマティブアクション、ということになる。結果の平等として、どういう状態になればいいのか、このことについて、社会全体の合意を得ることは、かなり難しい。
ことばでは説明していなかったのだが、映っている映像としては、貧困地区と感じるエリアがある。スラムというほどではないのかもしれない。おそらく、ケープタウンの街にも、かなりの貧富の差はあるのだろう。いや、こういうことのない都市は、存在しないといってもいいだろう。人工的に、そのように住民を選別して排除して作った場合を除いては。(韓国のソウルで、スラムを強制的に無くしてしまおうということはあるが、そういうことでもしないかぎり、現代の都市から、なくすということは無理かと思う。日本の場合、顕著な貧民窟というようなところはほとんど無いにしても、住む住民の社会的階層がおおむね分かることはある。)
恵まれない子どもたちに食料を援助する。これは、たしかに美談である。お腹の空いた人たちに、食べさせてあげるということ、これ自体は、いいことである。しかし、気になるのは、いったいどういう素性の子どもたちなのか、ということがある。
部族の対立(あるいは、区別というべきか)は、今でも完全に無くなったということではないらしい。これも、どういう状態であれば、それが解消してみんな仲よくなった状態といえるのか、判断は人によって違ってくるかと思っている。
黒人とか白人とかアジア系とかいったなかに、同じレベルで、ユダヤ人を並べて言っているのは、そういう意識がまだあるというべきなのだろう。ユダヤ人を、いわゆる人種という概念であつかっていいかどうか、難しいかなと思う。
ヒツジの頭の料理は豪快である。それを、横から盗み食いする(?)人がいるというのは、この土地のならわしというべきか。
黒人の人たちの古くからの習俗として、男性のイニシエーションの儀礼がある。男性だけのものということである。これも、見ようによっては、(自称)フェミニストという人たちにとっては、とんでもない許せない旧習ということになるのかもしれない。
テーブルマウンテンの頂上とか、ワイナリーとか、植物園とか、ペンギンとか、いろいろと面白い。
コンゴ共和国と出てきていたが、コンゴについては、いろいろとややこしい。
南アフリカという国については、世界の情勢の中で存在感を増している国の一つ、という認識でいいのだろう。そして、そこには、普通の人びとの生活があるということである。
スーパーで売っている商品のパッケージが、量が多い。これは、流通と生活のスタイルによるのだろう。
映っていた自動車は、トヨタ、スズキ、ルノー、ヒュンダイ、というあたりだった。このあたりが、標準的なところということだろう。
海と山の見える街はやっぱりいい。
2026年5月27日記
偉人の年収 How much? 「日本ウイスキーの父 竹鶴政孝」 ― 2026-06-04
2026年6月4日 當山日出夫
偉人の年収 How much? 「日本ウイスキーの父 竹鶴政孝」
『マッサン』の再放送をお昼に見ている。なるほど、竹鶴政孝は、こういう人だったのかと思うとともに、昔の、このころのドラマは、かなり歴史に忠実に作ってあったのだな、ということを思う。なるべく史実に沿って作るのが、やはりドラマとして本筋である。その枠の中で、面白くするために、いくぶんの改変を加えることがいい。
リタという女性のことは、最初に『マッサン』が放送になったときに、いろいろと言われていたことかと思う。
ところで、今のサントリーが最初に発売した国産ウイスキーが、4円50銭、現在の価格にして、1万8000円ぐらい、という。ずいぶん高いのだが、しかし、今の、サントリーの「山崎」の価格を考えると、美味しいウイスキーの値段としては、こんなものなのか。(だけれども、今では、輸入のスコッチ・ウイスキーの方が、国産よりも安いという時代になっている。)
2026年6月2日記
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