「有罪、とAIは告げた」2026-06-05

2026年6月5日 當山日出夫

有罪、とAIは告げた

AIについて、現代のバベルの塔だと、ローマ教皇(レオ14世)が語ったと伝えられている。AIをめぐって、いろんな角度から、いろんな方法で語ることができるのだが、ドラマで見せるというのも、一つの方法である。

法曹の世界のことはまったく無知なのであるが、すでに、法律や判例などのデータベースは現場で活用されているはずである。AI開発の側から見るならば、それに加えて、各種の法律関係の論文や著書などを読みこませることができるか、それが、著作権の観点からクリアできるかどうか、ということかもしれない。

もし、閉じた世界……法曹の世界だけのことであれば……利用者限定で、法律関係の著作や論文まで学習させることは、そう困難なことではないだろう。その利用の利益や便宜を得るのが、法曹の関係者……裁判官や弁護士や検事や、あるいは、法務省の関係者など、自分自身ということなら、こばむ理由はない。

ところで、判例を学習するとして、裁判官ごとに違いを出せる、ということは、どうだろうか。これは、とりもなおさず、裁判官の思考をなぞるということになる。この延長には、もし、他の裁判官なら、違った判決になるだろうし、それを出力することもできる。

裁判官によって判決が異なってもかまわないし、現在では、それを認めることになっている。(最高裁の判決だと、異なる少数意見がどうであったかも重要なことになる。)

これを、不公平とみるか……担当する裁判官によって判決が違ってくるのは、不平等であると、感じることも可能である。

しかし、さらに重要なことは、AIが人間(裁判官)の思考をなぞれるということ、それ自体かと思う。つまり、ここにあるのは、人間の考え方は、変わるものではない、ということを前提にしているからである。何かのきっかけがあって、人間の考えることは変わってもいいし、変わるものである。こういうことは、今のAIをめぐる議論の中で、あまり語られないところかと思える。(たとえば、現代で話題になっているアメリカのキリスト教福音派における、宗教的回心を経験するなど、AIに予知できて学習することができるだろうか。)

AIとの対話は、質問者の意図する方向に沿ったものになることは、指摘されている問題点である。AIの利用で、誤った人生の方向を選ぶことにも、つながりかねない。しかしながら、そうではなく、完全に中立、あるいは、良い方向とは何であるのか、これについての合意は難しい。いや、不可能だろう。

法曹関係だけで閉じたAIであるはずのものが、一般の人びとにオープンになったらどうなるか……かなりディストピアであるとしか思えないのだが、はたしてどうだろうか。

それから、最も重要な視点は、刑事裁判であれば、被告からはどう考えることになるのか、ということになるが、ここまでふみこんで考えるのは、かなり難しいかと思う。裁判にAIが使われることを、希望するか、しないか、するとしても、どのような利用ならいいのか、AIの発達とともに議論しなければならないことだが、今はまだその論点の整理も難しいということかとも思う。

それから、裁判員の判断にどう影響するのかということも、非常に重要なことなのだが、ここのところの議論はまだまだということだろうか。極論すれば、AIは、裁判員に代わることが可能だろうか。

2026年5月27日記

よみがえる新日本紀行「砂丘農民〜鳥取海岸〜」2026-06-05

2026年6月5日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行「砂丘農民〜鳥取海岸〜」

再放送である。2019年。オリジナルは、昭和44年(1969年)。

鳥取砂丘と、その周辺の農業の話しになる。

昭和44年のころ、もうかる農家が新しい家を建てる。家の中は、この時代の最新のスタイルである。フローリングのリビングキッチンがあって、応接セットがあって、アップライトピアノがあって、ステレオがあって……このころの、あこがれの生活である。

番組の中で、8桁の収入と言っていた。1000万単位の収入があったということになるが、このころのお金を、今の時代にすれば、少なくとも10倍にはなるはずである。

らっきょうの栽培が機械化できた。これは、番組制作の少し前からだったようだが、砂丘という悪条件を逆手にとって、機械化をすすめたら、うまくいった。ただ、それでも、最後の、らっきょうの食べる部分をカットする作業だけは、手作業として残ったらしい。(これも、現代だったが、AIロボットでなんとかなる時代かなと思うが。)

奥さんの実家の山の中の農家の様子が映っていたが、水田耕作をしている。その生活は貧しい。

また、漁民の生活も貧しい。古い木造船が、朽ち果てている。

現代だと、中山間部の米作農家というのは、さらに厳しくなっているかもしれない。漁業の方は、どうだろうか。

鳥取大学が、砂丘の研究で、おそらく世界でもトップクラスの研究をしている機関だと思っているが、これからの気候変動の世界にあって、その研究の意味は大きいものになっていくだろう。(こういうところへの研究費は、減らしてはいけないと思う。)

2026年6月3日記

ドキュメント72時間「東京・丸の内 ふらり噴水公園へ」2026-06-05

2026年6月5日 當山日出夫

ドキュメント72時間「東京・丸の内 ふらり噴水公園へ」

都会の中にこういうところがあっていいと思う。

この回を見て、小さい子どもとか、中学高校生とか、多く映していたように思う。いまどき、東京のオフィス街の中を、子どもを連れてあるくかなあ、という気もするのだが、そういう人もいるのだろう。

水のあるところに人が引きよせられるという気持ちは、納得するものがある。川縁であったり、池の畔であったり、水を見ていると、気持ちが落ち着くということは、たしかにある。噴水があって、時間をおいて、その形が変わるというのは、見ていたい気分になる。

日比谷公園とか、上野公園とか、噴水があるが(今は、どうなっているだろうか)、都市の中に噴水というのは、似合っている。

昔だったら、昼間、こんなところにいるのは、仕事をさぼった営業の人とかという印象だったが、今は、どうなのだろうか。(現代では、外回りの営業であっても、スマートフォンで常時連絡が取れるし、また、位置情報も分かる時代になっている。これが、いいことなのかどうか、ということはあるにしても。)

2026年6月2日記

クラシックTV「ブラームスを味わう」2026-06-05

2026年6月5日 當山日出夫

クラシックTV「ブラームスを味わう」

再放送である。最初は、2025年6月5日。

この番組のいいところと私が思っているのは……芸術とは、所詮、分かる人にしか分からない、ということを根底に持っていることである。この回は、そういうことを強く出して作ってあった。

ブラームスの音楽を聴いて、何を感じるか、それはその人それぞれでいいでしょう、まあ、これは、ある意味では勝手な解釈でもいいということにはなるが、しかし、何を感じるかということは、簡単に他の人がとやかくいうこではないし、できるものではない、それが芸術である、ということでもある。

芸術関係(芸能をふくめて)の番組を作ると、美しい、あるいは、楽しい、面白い、ということを感じるかどうか、でしかない。それを、とやかく解説するのは、ヤボというものである。

この意味では、この回のゲストが、六角精児というのは、うまい。(「呑み鉄本線」は時々見ている。)

ただ、私の感じることとしては、ブラームスのような音楽というのは、近代ということを、やはり感じさせる。音楽、芸術一般といってもいいが、なにがしかの共同体を基盤とするものから、個人的なものへと、変わっていくという流れはある。ブラームスには、その移り変わりを感じる。誰かと一緒に聞くという部分もあるのだろうが、純然と一人の個人で聞く、という部分も感じる。ピアノの小品などは、特にそうである。

2026年6月2日記