『ひまわり』「第八章 子はかすがいじゃないの?」(7月21日~8月1日) ― 2026-08-02

2026年8月2日 當山日出夫

『ひまわり』「第八章 子はかすがいじゃないの?」(7月21日~8月1日)

のぞみと瑞穂が話しをしている場面を見ると、のぞみが、まったくガキであることがよくわかる。

このドラマで、ここはよく考えて作ってあるなと感じるのは、のぞみが、自分の家族こと(特に父親と母親のこと)を、法曹の仕事の場面では、絶対に出さないことである。これは、朝に、『風、薫る』を見ていて、直美が、ことあるごとに、遊女が産んだ子どもで捨てられた、これを自分にとっての重要なアイデンティティ(私は、このことばをつかうのは、あまり好きではないのだが)として、口にしていることと、対照的に見てということもある。

のぞみが、瑞穂に対して、実は私のお父さんは家を捨てて出て行ってしまったの、と言いださないか、ハラハラしながら見ているのだが。

特に法律にかかわるドラマとしては、従うべきは法律と良心だけである、というのが本筋である。弁護士としては、依頼人の利益のために、ということも加わるはずである。だが、タテマエとしては、社会正義の実現のために、ということがあり、そこに、弁護士の個人の家庭の事情とか生いたちがどうかというようなことは、関係があってはならない。(ただ、個人の良心とか、社会正義の感覚とかは、社会構築的なものであるという面を、完全には否定できないとは思うが。)

瑞穂ちゃんの事件であるが、これも、今の時代のドラマだったら、もっと単純な設定の事件にするかと思う。このドラマの時代もそうだし、今も、そうなのだが、
社会的に困った立場におかれた男性に対しては、あまり社会からの支援の手がとどきにくい、ということがある。妻に逃げられて、子どもと取りのこされて困っています、助けてくださいといって、手をさしのべる援助団体が、今の時代にどれぐらいあるだろうか。(女性については、あるいは、女性限定であれば、たくさんあるはずだが。)

弁護士とは、人の不幸を飯の種にしている職業である……ということは、たしかにそうだと思うのだが、だからこそ、弁護士に出来る仕事の価値を見つけていくドラマになっていると思う。

土曜日、赤松の事務所で、瑞穂が回想して言っていた……母は、不倫して帰ってきた日には、父の大好きな焼き肉になっていた……さりげない科白なのだが、この夫婦の関係とか、それを冷静に見ていた瑞穂の目とか、まあ、人間とはこういうものなのだよな、と感じるところである。こういうことを、15分のエンタテイメントの中にきっちりと描きこんである。

2026年8月1日記

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