木村多江のいまさらですが「源氏物語-紫式部と摂関政治-」2024-05-05

2024年5月5日 當山日出夫

木村多江の、いまさらですが… 源氏物語-紫式部と摂関政治-

特に目新しい内容があったということではないのだが、どんなことをどんなふうに語るのかということに興味があったので録画しておいて見た。摂関政治、一条帝と定子、彰子、それから、紫式部のこと、まあ常識的なことである。

この番組はかなりへそ曲がりな番組である。『光る君へ』で、さだこ、あきこ、と言っているのを、ていし、しょうし、と言っている。まあ、これは読み方が分からないから、どう読んでもいいようなものなのであるが。

目新しかったこととしては、『源氏物語』を当時(平安時代中期)の発音で読んでみるということである。監修は、釘貫亨。これも、今の日本語学の研究としては、妥当な人選だろう。

しかし、テレビを見ながら聞いてみると……ちょっと、どうかなというところがないではない。無論、平安時代の発音(厳密には音価)は分からないことが多い。

『源氏物語』のころ、一〇世紀末から一一世紀の初めごろは、おおきな音韻変化のおこりはじめたころといっていいだろう。一般的な日本語史の知識としては、であるが。

ハ行転呼音、ワ行の音価、このあたりは妥当なところか。だが、サ行音とかはどうだったろうか。

アクセントについては、分からないことが多いとはいえ、平安時代末期の古辞書『類聚名義抄』などから、ある程度の推測はできる。

ところで、昔、学生のときのこと。慶應義塾大学の文学部の国文科で勉強したのだが、そのとき、国語学の講義で金田一春彦先生が来ておられた。その講義の特別ゲストで、関弘子さんが教室に来て、『源氏物語』の復元朗読を生で語ってくださったことがある。その記憶と比べるならば、NHKの番組での朗読は、はるかに現代語に近いイメージである。

関弘子の『源氏物語』は、レコードにもなったかと思う。その当時において、国語学の分野において批判的に見る人もいたのであるが、少なくとも、現代日本語と平安時代の日本語とでは、大きく違うことが理解される。

番組では、『源氏物語』の内容について紫上の死のところで終わりとしていた。しかし、『源氏物語』はその後「宇治十帖」へと続いていく。その作者については、諸説ある。また、『源氏物語』の成立についても、紫上系の物語と、玉鬘系の物語があることは、広く知られていることだろう。だが、このようなところまでは、この番組では踏み込んで解説するということはなかった。

2024年4月30日記

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