「千年の祭りが絶えるとき」 ― 2024-05-03
2024年5月3日 當山日出夫
ETV特集 千年の祭りが絶えるとき
見ながらいろいろと思うところがあった。今のところの結論のようなものとしては、この祭り(黒石寺の蘇民祭)が無くなってしまうのは、自然の流れであるように思える。
これまで、蘇民祭は、黒石寺という寺の行事として行われてきた。それの将来的な継承が難しくなってきたと判断して、終了を判断した寺の住職の判断は、正しいものだと私は支持したい。
過疎高齢の地域である。人口が減り、小学校もなくなる。行事をささえてきた、寺の檀家で、後継ぎのいる家は少ない。将来的に安定して継承できる状況にはない。
だが、その一方で、なんとかして祭りを残したいという、町の人びとの気持ちも理解できる。
一般化していうならばであるが、町の信仰の共同体に支えられてきた宗教行事なのであるあから、その共同体が維持できなくなれば、ほろんでいくのはしかたないことであると思わざるをえない。
ところで、蘇民祭はテレビのニュースなどで何度か目にしてきてはいるが、蘇民祭がどのように行われるのか、その裏側を含めて全体を紹介した番組になっていたことも確かである。それが、祭りが無くなるということを受けての取材の結果であるというのも、皮肉な感じがしてならない。
2024年5月1日記
ETV特集 千年の祭りが絶えるとき
見ながらいろいろと思うところがあった。今のところの結論のようなものとしては、この祭り(黒石寺の蘇民祭)が無くなってしまうのは、自然の流れであるように思える。
これまで、蘇民祭は、黒石寺という寺の行事として行われてきた。それの将来的な継承が難しくなってきたと判断して、終了を判断した寺の住職の判断は、正しいものだと私は支持したい。
過疎高齢の地域である。人口が減り、小学校もなくなる。行事をささえてきた、寺の檀家で、後継ぎのいる家は少ない。将来的に安定して継承できる状況にはない。
だが、その一方で、なんとかして祭りを残したいという、町の人びとの気持ちも理解できる。
一般化していうならばであるが、町の信仰の共同体に支えられてきた宗教行事なのであるあから、その共同体が維持できなくなれば、ほろんでいくのはしかたないことであると思わざるをえない。
ところで、蘇民祭はテレビのニュースなどで何度か目にしてきてはいるが、蘇民祭がどのように行われるのか、その裏側を含めて全体を紹介した番組になっていたことも確かである。それが、祭りが無くなるということを受けての取材の結果であるというのも、皮肉な感じがしてならない。
2024年5月1日記
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/05/03/9680983/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。