「裁判所が少年事件記録を捨てた それは何を奪ったのか」2024-05-03

2024年5月3日 當山日出夫

BSスペシャル 裁判所が少年事件記録を捨てた それは何を奪ったのか

神戸の連続殺人事件の犯人の少年が捕まったとき、東京にいた。何かの学会のあとだったろうか、たしか池袋の居酒屋で馴染みの研究者の先生と一緒に酒を飲んでいた。店のテレビで、このことを報じたのを見たと記憶している。

この事件の裁判記録が廃棄されてしまっていたことも、ニュースで知った。正直言って、このことが報じられるまで、裁判記録とは保存されているものだと思っていた。それが、年限がたてば、保存する必要はない、ということで廃棄されることがあるということは、ある意味で驚きでもあった。

一方、近年の政府による公文書改竄とか、統計データの不正というようなニュースに接してきた感覚からすると、まあ、そういうこともあるのかな、という感じもしたのだが。しかし、裁判所までが事件の記録を廃棄処分にしてしまったということは、釈然としない思いがあった。

少年法の理念として、犯罪を犯した少年の更生が第一であるということは理解できる。だからといって、裁判記録を廃棄してしまっていいということにはならないだろう。裁判については、よく知らないのだが、残るのは判例ということになるのだろうか。では、後世の人びとは、事件や裁判から何を学び教訓とすることが出来るのだろうか。

保存のスペースがないというのなら、デジタル化することも一案である。原本を保存するといっても、紙の耐用年数には限りがあるから、ある意味でデジタル化の方がのぞましい。

少なくとも、更生のさまたげにならないと判断できるならば、保存して活用する方策を探るべきなのだろうと、私は思う。記録を残すということは、未来の人たちにたいする責任なのであるという意識が、社会的に広く共有されることが重要なのであると思っている。

この番組であつかっていたのは、少年事件のことだった。では、その他の一般の裁判の記録はどうなっているのだろうか。これについては触れるところがなかったが、気になることである。

2024年4月22日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/05/03/9680984/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。