BS世界のドキュメンタリー「ナチスになったユダヤ人 名前を捨てた“少年”の人生」 ― 2025-06-13
2025年6月13日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスになったユダヤ人 名前を捨てた“少年”の人生」
結局、この男性は何者だったのだろうか、よく分からないというのが、見ての正直な感想である。
ナチスとユダヤ人をめぐっては、その出自をめぐってさまざまな人びとのさまざまな思惑が交錯することになるのだろう。実際に、多くの「人種」「民族」から構成され、それが千年以上におよぶ歴史のなかの治乱興亡で入り乱れているヨーロッパ社会のなかで、自分はこういう出自で、こういう人間なのである……番組のなかで使っていたことばとしては、アイデンティティ……ということについて、日本に生まれ育った感覚ではよく分からないところがある。(こういう意味では、日本を「単一民族国家」、少なくともそういう「幻想」の成立しうる国、ということはできるかもしれない。)
それから、この番組の作り方として、実際の歴史的な資料、現代の関係者の証言、それから、再現映像、これらが、ごちゃごちゃと出てくるので、見ていてかなり混乱するところがある。
ただ、見て思うこととしては、ユダヤ人としてナチスの被害にあった……という立場からの体験談や証言であっても、必ずしもそれが全部正しいということではなく、検証の必要がある、ということぐらいは言っていいことかと思う。
2025年6月12日記
BS世界のドキュメンタリー 「ナチスになったユダヤ人 名前を捨てた“少年”の人生」
結局、この男性は何者だったのだろうか、よく分からないというのが、見ての正直な感想である。
ナチスとユダヤ人をめぐっては、その出自をめぐってさまざまな人びとのさまざまな思惑が交錯することになるのだろう。実際に、多くの「人種」「民族」から構成され、それが千年以上におよぶ歴史のなかの治乱興亡で入り乱れているヨーロッパ社会のなかで、自分はこういう出自で、こういう人間なのである……番組のなかで使っていたことばとしては、アイデンティティ……ということについて、日本に生まれ育った感覚ではよく分からないところがある。(こういう意味では、日本を「単一民族国家」、少なくともそういう「幻想」の成立しうる国、ということはできるかもしれない。)
それから、この番組の作り方として、実際の歴史的な資料、現代の関係者の証言、それから、再現映像、これらが、ごちゃごちゃと出てくるので、見ていてかなり混乱するところがある。
ただ、見て思うこととしては、ユダヤ人としてナチスの被害にあった……という立場からの体験談や証言であっても、必ずしもそれが全部正しいということではなく、検証の必要がある、ということぐらいは言っていいことかと思う。
2025年6月12日記
ドキュメント20min.「多国籍学生寮の72日間」 ― 2025-06-13
2025年6月13日 當山日出夫
ドキュメント20min. 多国籍学生寮の72日間
同じNHKの「ドキュメント72時間」で同じ、立命館アジア太平洋大学の学生寮をあつかっていた。同じところを、こんどは、72日間の取材で作ってみた、ということになる。
「72時間」のときにも書いたことだが、日本のこの大学に留学でやってくる、日本の学生でもこういう大学だからということを分かった上で入学している、この意味で、すでにここに集まる学生たちは、選ばれている。だから、ここでうまくいっているということを言われても、それが、一般に日本の他の地域で、多国籍多文化のコミュニティがうまく運営できるということには、つながるものではない。
いや、逆に、あらかじめこの大学の学生寮がこういうところだと説明があって入学してくる学生であっても、実際に一緒に暮らしてみると、いろいろとトラブルがある……このようなことを、言うこともできるだろう。
トラブルがあるといっても、寮にいるのは一年間だけであるし、大学も四年間である。それで卒業資格を得られるのなら、なんとか我慢するということもできるだろう。少なくとも、大学に入学するための勉強をこれまでやってきた学生なのであるから、そういう我慢もできるだろうし、卒業後のことも考えるだろう。
また、この大学に留学で入学するということで、外国からやってくる場合であれば英語と日本語は、ある程度できるはずである。でなければ、大学の授業についていけない。また、日本の学生であっても、英語はできる(まったくダメではない)ということはあるにちがいない。
今時の若者であるから、日本のアニメや音楽に興味関心がある、ということがあるにちがいない。日本が嫌い(反日的とまではいわないが)で、この大学に来ることはないと思う。
このようなことを考えると、(露骨な言い方になるが)出稼ぎ目的で、賃金のいいところとして日本にやってくる、外国人労働者というべき人びとやその家族、これと一緒に論じることはできないと、私は思う。(だからといって、そのような人たちが全部悪いということをいいたいのではない。全体のなかに、どんな人たちがいるのかということである。中には、日本の社会になじめない人も一部にいることは否定できないということである。)
さて、どうなのだろうか……外国人の労働力は必要であるが、この番組に出てきたような、ルールを守り、話し合いで説明をすれば納得してくれるようならいいのだが、もし、そうではなく、自分の主張や価値観にかたくな人だったらどうだろうか、このように思うことになるかもしれない。
番組の中で出てきていたことでいえば、「Gohan-kai」とあった。一緒にご飯を食べましょうということである。また、新学年のイベントでも、みんながあつまって一緒に食事をすることにこだわっていた。このような、食事をともにすることによって、共同体の意識を確認する、このような儀礼的効果というのは、世界的に普遍的にいえることなのだろうか。(ひょっとすると、日本的な思い込みが入っているのかもしれないと思うのだが、はたしてどうだろうか。)
気になったこととしては、野外でご飯を食べるのはいいとしても、お皿などを直接地面におくというのは、あまり感心しない。このように感じるのは、私の年齢のせいか、それとも、文化的な問題なのだろうか。
2025年6月10日記
ドキュメント20min. 多国籍学生寮の72日間
同じNHKの「ドキュメント72時間」で同じ、立命館アジア太平洋大学の学生寮をあつかっていた。同じところを、こんどは、72日間の取材で作ってみた、ということになる。
「72時間」のときにも書いたことだが、日本のこの大学に留学でやってくる、日本の学生でもこういう大学だからということを分かった上で入学している、この意味で、すでにここに集まる学生たちは、選ばれている。だから、ここでうまくいっているということを言われても、それが、一般に日本の他の地域で、多国籍多文化のコミュニティがうまく運営できるということには、つながるものではない。
いや、逆に、あらかじめこの大学の学生寮がこういうところだと説明があって入学してくる学生であっても、実際に一緒に暮らしてみると、いろいろとトラブルがある……このようなことを、言うこともできるだろう。
トラブルがあるといっても、寮にいるのは一年間だけであるし、大学も四年間である。それで卒業資格を得られるのなら、なんとか我慢するということもできるだろう。少なくとも、大学に入学するための勉強をこれまでやってきた学生なのであるから、そういう我慢もできるだろうし、卒業後のことも考えるだろう。
また、この大学に留学で入学するということで、外国からやってくる場合であれば英語と日本語は、ある程度できるはずである。でなければ、大学の授業についていけない。また、日本の学生であっても、英語はできる(まったくダメではない)ということはあるにちがいない。
今時の若者であるから、日本のアニメや音楽に興味関心がある、ということがあるにちがいない。日本が嫌い(反日的とまではいわないが)で、この大学に来ることはないと思う。
このようなことを考えると、(露骨な言い方になるが)出稼ぎ目的で、賃金のいいところとして日本にやってくる、外国人労働者というべき人びとやその家族、これと一緒に論じることはできないと、私は思う。(だからといって、そのような人たちが全部悪いということをいいたいのではない。全体のなかに、どんな人たちがいるのかということである。中には、日本の社会になじめない人も一部にいることは否定できないということである。)
さて、どうなのだろうか……外国人の労働力は必要であるが、この番組に出てきたような、ルールを守り、話し合いで説明をすれば納得してくれるようならいいのだが、もし、そうではなく、自分の主張や価値観にかたくな人だったらどうだろうか、このように思うことになるかもしれない。
番組の中で出てきていたことでいえば、「Gohan-kai」とあった。一緒にご飯を食べましょうということである。また、新学年のイベントでも、みんながあつまって一緒に食事をすることにこだわっていた。このような、食事をともにすることによって、共同体の意識を確認する、このような儀礼的効果というのは、世界的に普遍的にいえることなのだろうか。(ひょっとすると、日本的な思い込みが入っているのかもしれないと思うのだが、はたしてどうだろうか。)
気になったこととしては、野外でご飯を食べるのはいいとしても、お皿などを直接地面におくというのは、あまり感心しない。このように感じるのは、私の年齢のせいか、それとも、文化的な問題なのだろうか。
2025年6月10日記
神田伯山のこれがわが社の黒歴史「ノジマ 慟哭!失意のエンペラー」 ― 2025-06-13
2025年6月13日 當山日出夫
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 ノジマ 慟哭!失意のエンペラー
私が、今、この文章を書くのに使っているのは、VAIOであるが、VAIOをノジマが買ったというニュースを見たとき、いったいノジマって何の会社だろうと思ったのが正直なところである。(今のVAIOの前は、レッツノートを二台使っていて、その前はVAIOだったが、これは、無論SONYのときのことになる。このころ、デスクトップマシンもVAIOを使っていた。WindowsXPからVistaのころになる。)
社長がオーディオをお客さんに売るとき、何をお聞きですか、ジャズですか、と言って出てきていたのが、ビル・エヴァンスである。まあ、この時代の雰囲気としてはそうだろうなあ、と思う。あるいは、ジョン・コルトレーンでもいいのだが。(このような話しは、今の若い人にはわからないだろうけれど。)
その時代、家電を買うのに、月賦という時代だったことになる。もう今では月賦ということばも死語、あるいは、日本語学としては老人語ということになるかもしれない。
見終わって思うことは、やはり、会社はいったい誰のためにあるのか、という素朴な疑問である。具体的にいえば、東芝は誰のための会社なのか、フジテレビは誰のための会社なのか、USスチールは誰のための会社なのか、ということになる。
会社は誰のためにあるのか、それは、その会社の株を買って投資している資本家の利益のためである……いつのまにか、日本においても、こういう価値観が一般的になってきている。たぶん、これが、グローバルスタンダード、世界標準、ということなのだと思うが、しかし、日本においては必ずしもそうではなかった。なかには利益追求を第一とする考え方もあっただろうが、多くの日本の人びとは、もうちょっと違った感覚でとらえていた。これを、たとえば、「文明としてのイエ社会」というような概念で説明した時代もあったが、現在では過去のことになってしまっている。
2025年6月10日記
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 ノジマ 慟哭!失意のエンペラー
私が、今、この文章を書くのに使っているのは、VAIOであるが、VAIOをノジマが買ったというニュースを見たとき、いったいノジマって何の会社だろうと思ったのが正直なところである。(今のVAIOの前は、レッツノートを二台使っていて、その前はVAIOだったが、これは、無論SONYのときのことになる。このころ、デスクトップマシンもVAIOを使っていた。WindowsXPからVistaのころになる。)
社長がオーディオをお客さんに売るとき、何をお聞きですか、ジャズですか、と言って出てきていたのが、ビル・エヴァンスである。まあ、この時代の雰囲気としてはそうだろうなあ、と思う。あるいは、ジョン・コルトレーンでもいいのだが。(このような話しは、今の若い人にはわからないだろうけれど。)
その時代、家電を買うのに、月賦という時代だったことになる。もう今では月賦ということばも死語、あるいは、日本語学としては老人語ということになるかもしれない。
見終わって思うことは、やはり、会社はいったい誰のためにあるのか、という素朴な疑問である。具体的にいえば、東芝は誰のための会社なのか、フジテレビは誰のための会社なのか、USスチールは誰のための会社なのか、ということになる。
会社は誰のためにあるのか、それは、その会社の株を買って投資している資本家の利益のためである……いつのまにか、日本においても、こういう価値観が一般的になってきている。たぶん、これが、グローバルスタンダード、世界標準、ということなのだと思うが、しかし、日本においては必ずしもそうではなかった。なかには利益追求を第一とする考え方もあっただろうが、多くの日本の人びとは、もうちょっと違った感覚でとらえていた。これを、たとえば、「文明としてのイエ社会」というような概念で説明した時代もあったが、現在では過去のことになってしまっている。
2025年6月10日記
最近のコメント