『とと姉ちゃん』「常子、新種を発見する」2025-06-15

2025年6月15日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、新種を発見する」

ゲラニウム・カロリアヌムは、私の住んでいるところでも目にすることができる。今、ちょうど花の咲くころである。和名を、アメリカフウロ、という。道ばたの雑草である。

このドラマの植物学の監修は、田中伸幸であるが、『らんまん』の監修もしている専門家の先生である。昭和のころに日本にやってきた外来の植物で、それが、今では広く分布していることになる。

『とと姉ちゃん』をここまで見てきて(最初の放送のときも見ているので、二回目になる)、この週あたりを見ると、森田屋の人びとを、その当時の人々の生活の感覚はこんなだったんだろうな、とかなり共感を持って見ることができている。これは、どうしても、朝は『チョッちゃん』と『あんぱん』を続けて見て、昼ご飯を食べてから『とと姉ちゃん』を見ているということになるので、比べて見ることになる。

たまたま、これらのドラマはどれも、昭和の戦前の日本を舞台にしている。この時代に生きた人は、こんなふうだったんだろうなあ、と思うかどうかとなると、はっきりいって、『あんぱん』は失格である。役者さんの演技はいいと思うし、セットや小道具なども考証して作ったものであるとは思うのだが、ドラマとして語りかけるものがあるかどうかとなると、どうも空回りしてしまっているとしか感じられない。まあ、これは、見る人によって、どう思うかはさまざまではあるが。

『とと姉ちゃん』を見ていると、昔、木場で商売をしていたお弁当屋さんは、こんなふうに生活していたんだろうという気持ちになる。史実をつきつめていけば、いろいろあるかとも思うが、全体として、なるほどという気持ちになる。

日常生活の一つ一つ、仕事の一つ一つを丁寧にあつかう、こういうドラマは見ていて安心するところがある。森田屋の描写のように、人が働いているところ、手の動き、立ち居振る舞い、これをきちんと描くことは、とても大事だが、しかし、難しいことだと思うようになってきた。お弁当屋さんの仕事、材木商の仕事、これをきちんと描くことの意味を、改めて感じる。(『あんぱん』では、石屋やパン屋の仕事が描けていない。)

2025年6月13日記

『チョッちゃん』(2025年6月9日の週)2025-06-15

2025年6月15日 當山日出夫

『チョッちゃん』』 2025年6月9日の週

この週もいろいろとあった。

まず、北海道にいる父親と母親が東京にやって来た。甥の結婚式に出るということだった。しかし、お父さんの俊道は、蝶子に会おうとしない。お母さんのみさは、蝶子と久しぶりに会う。父親の俊道の気持ちとしては、娘の蝶子のことが気がかりでしかたがない、会いたい気持ちはあるのだが、素直に会いに行くということができない。素直でないし、頑固者である。意地っ張りでもある。その俊道の屈折した気持ちを、わずかな台詞と表情、立ち居振る舞い、これで表現しているというのは、とてもドラマの作り方としてうまいと感じる。

岩崎要は、蝶子とみさの前で、ユーモレスクを演奏する。その曲を、俊道は、アパートの外の路上で聞いている。思いおこせば、ユーモレスクは、蝶子に惚れた要が、蝶子の部屋の外で演奏していた曲でもある。この曲を、蝶子とみさ、そして、俊道が、それぞれの思いを胸に秘めながら聞いていることになる。

北海道での幼なじみの頼介が、陸軍の兵士となって、泰輔おじさんの家にやってくる。階級章を見ると一等兵のようだった。時代としては、昭和7年になっている。前年の昭和6年に満州事変があり、この年は満州国の建国の年である。このような時代背景にあって、地方の貧しい農家の出身者が、東京で工場で働くこともできず、陸軍に入隊するということは、自然な流れであっただろう。今の価値観からすると、昭和の軍隊というと、悪の権化のように思いがちであるが、士官、下士官、兵卒、それぞれの置かれた環境や出自によって、それぞれに思うところがあったはずである。

泰輔おじさんが、頼介の住所をそのままにしておいたので、軍隊に入ることができた。こういうことの時代の背景の説明は、適切であり、ドラマのなかに溶け込んでいる。

このドラマの作られた時代、1980年代は、昭和の軍隊をかなりリアルに覚えていた時代でもある。それを体験的に知っている人びとが多く存命であり、また、ほとんど視聴者の父母の世代のことでもあった。こういう経験的な記憶が生きていた時代だからこそ、このドラマの頼介のような選択があった(それしかなかった)ことを、肯定的に見る眼差しがあったことになる。

どうでもいいようなことだが、富子おばさんと連平の無駄話のような会話とか、蝶子と富子おばさんが、おはぎを食べながら日常的な会話をするとか、このようなシーンは、現代の朝ドラではあまり見なくなったことかと思う。(強いていえば、現代では、演技がなんとなく大げさで、台詞による説明が過剰である。)

蝶子が妊娠していることが分かって、要は、バイオリンを取り出してきて、ブラームスの子守唄を演奏する。お腹のなかの赤ちゃんに、父親の演奏するバイオリンを聞かせたいという。こういうエピソードは、なんとなくいいなと思って見ている。

2025年6月14日記

『あんぱん』「軍隊は大きらい、だけど」2025-06-15

2025年6月15日 當山日出夫

『あんぱん』「軍隊は大きらい、だけど」

あいかわらずこのドラマの世評は高いようなのだが、私としては、いまひとつ見ていて共感するところがない。その理由など思うままに書いてみる。

その前に、批判したいことは多くあるのだが、褒めておきたいところもある。それは、ライスカレーのことである。

嵩は東京で友達の健太郎と別れる前の日に、健太郎の作ったカレーを作って食べていた。これは、嵩のように東京で下宿生活をする学生であっても、自分で作って食べられる料理であり、それだけこの時代において一般に普及していたということになる。

そのカレーが、軍隊でも食事に出てくる。入隊したばかりの嵩は、軍隊になじめず落ち込んでしまい食べられない。しかし、そのカレーを、同じように入隊した幼なじみのコン太(だったと思う)が、軍隊のカレーは美味しいと言って嵩の分まで食べていた。

このコン太は、嵩が小学生のとき、弁当を横取りしていた悪ガキである。

この時代、地方の農村は貧しかった。たぶん、コン太はカレーなど食べたことが無かったのかもしれない。場合によると、白米のご飯も珍しいものだっただろう。そのコン太にとって、軍隊で提供されたカレーは、ものすごい御馳走に思えたとしても無理はない。

そう思って思い返してみると、小学生のときの、弁当の横取りのシーンは、コン太の家は貧しくて弁当を作ってもらえなかったと考えてもいい。(家が貧乏で弁当を小学校に持っていけないということについては、このドラマの脚本の中園ミホが『花子とアン』で主人公の幼いころのエピソードとして描いていたことである。)

家が貧しくて、軍隊に入って初めてまともに衣食の提供される生活になった、という話しは多く残っている。しかし、この軍隊は、嵩のような生活をしてきた人間にとっては、非常につらく地獄のように耐えがたいものでもあった。それほど、この時代の地方の農村部は貧しく、都市部の中流階級以上とは、生活の落差があったことになる。

この貧しい農村をどうにかしなければならない、経済的にも不況を克服したい……このようなことを考えて、日本の中国大陸への進出(それは、中国からすれば帝国主義的侵略であるが)となり、一部の青年将校たちによる事件(二・二六事件など)となった、この大きな流れは歴史のしめすところである。

このようなことは、見ていてなんとなく感じるところではあるが、多くの視聴者はどう思って見ただろうか。ここは、もうすこし丁寧に、時代背景や、その当時の地方の農村の生活などをふくめて描いてあると、分かりやすくなったところである。嵩やのぶたちが、浜辺でギターを弾いて歌をうたう牧歌的なシーンなどの代わりに、困窮する農村の生活を描くことはできなかったのだろうか。今の時代のドラマとしては、絶対的貧困にあった当時の人々のことを描くことは、難しいという判断なのだろうか。

その一方で、軍隊のことをどう描くかとなると、非常にステレオタイプの描き方になっている。今の時代としては、これぐらいステレオタイプの描き方でないと、陸軍の内務班のことは、視聴者に伝わらなくなってきているといえばそれまでであるのだが。

だが、いくつか気になることはある。

嵩は馬の世話を命じられるのだが、はたしてこういうことがあっただろうか。当時、陸軍において、軍馬は非常に貴重なものである。その世話には、専門の訓練を経た兵隊があたるはずである。まったく知識のない新兵が回されてきて馬の体をブラッシングするなど、ありえないと思うのだが。

(私は、大学は、慶應義塾大学文学の国文科で勉強した。そのとき、池田彌三郎先生がおられて、軍隊時代のことなど、受業の雑談で話しをされることがあった。池田先生は、軍隊で軍馬のかかりであった。その体験談など聞いたのを覚えている。)

嵩は幹部候補生の試験を受けて、伍長になる。これはいいとしても、嵩は部下をなぐらない。これは、ドラマとしては、そういう人物造形なのだからそうなっているのだろうとは思う。

しかし、軍隊が生きのこるためには、規律が重要である。規律を初年兵に教えるのは、伍長などの役目である。ただ、武器(この時代であれば三八式歩兵銃)の扱い方を知っていればいいというものではない。上官の命令にしたがうと同時に、なかまどうしでは協力しなければならない。この軍の規律と共同体意識を教え込まなければ、それは、兵隊にたいしては、むざむざと戦死しろというようなものである。(だからといって、内務班の理不尽なルールやビンタを正当化するということではないけれど。)

しかし、戦いにやぶれ極限状況においこまれれば、その限りではない。これは、水木しげるや、大岡昇平などが、描いたことでもある。

嵩たちの部隊が、戦地に派遣されることになり、出発の前夜に兵隊たちが酒宴をする。そのことについて、八木上等兵(なぞの人物であり、まだその正体はあきらかではない)が、酒を飲んで馬鹿騒ぎしなければならない兵士の心情について語っていた。私に言わせればこれはまったく余計である。そのような兵士の心情を、台詞で説明するのではなく、そのような状況にある人間とはそう思うものである、ということを、脚本と芝居と演出で見せるのが、ドラマの作り方の本筋であろう。人間の気持ちを台詞で説明してしまうのは、まったく作り方が下手としかいいようがない。

大陸に送られた嵩たちの部隊は、小休止のときに銃声を耳にして、敵に遭遇したのかと身構える。銃撃の寸前のところで、実は日本軍であったと分かる。これは、どうだろうか。戦地にいる軍隊が、不審ななにかを見つけたとしても、敵か味方か確認もしないで発砲するなどありえないと思うのだが。もし、味方であって犠牲が出たりしたら大変である。逆に、敵であったとき、その敵の勢力(人数や装備)を確認ないで銃撃するなど、さらに危険である。まずは、冷静な状況判断が求められる場面であるにちがいない。このとき、軍としての式命令系統は整っている。(これが、ジャングルをさまよう敗残兵ということなら、話しはちがうかもしれないが。)この場合、まずすべきは、誰が銃を撃ったのかの確認のはずである。もし、出会った味方の日本軍でないとしたら、本当に敵が近くにいることになる。それこそ、本物の敵軍に対処しなければならなくなる。この部分の描き方は粗雑としかいいようがない。

嵩は、弟の千尋と会う。この出会いのシーンで、私は、違和感を感じた。このとき、嵩と千尋は、同じ手の角度で敬礼していた。敬礼のとき、陸軍と海軍で手の角度が違うということぐらい、常識だと思っていたのだが、どうやらこのドラマの制作スタッフは、知らなかったらしい。ここで、ちがった敬礼であってこそ、陸軍伍長である兄と、海軍少尉である弟の、久しぶりの対面ということを、演出できたのにと思う。(さらにいえば、兄と弟、伍長(陸軍)と少尉(海軍)、どちらから先に敬礼するか、また、おろすかということもからめると面白い演出ができる場面である。)

嵩と千尋とのことについては、いろいろと言いたいことはあるが、あまり書かないでおく。ただ、書いておきたいこととしては、吉田満が亡くなったとき、1979年(昭和54年)であるが、ああこれは一つの時代の終わりだな、と感じたものであった。このような思いを理解できる人でないと、嵩と千尋の会話に共感できない気持ちは、わかってもらえないと思う。

このドラマはそれなりに考証はしていることは分かるのだが、この時代の兵士や学生のリアルな心情を描ききれていないと思わざるをえない。少なくとも、私は共感するところがほとんどない。

2025年6月13日記