よみがえる新日本紀行「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「南部潜水夫〜岩手県種市町〜」

再放送である。最初は、2021年12月12日。オリジナルは、昭和49年(1974)。

南部もぐり、というと、どうしても『あまちゃん』を思い出すことになる。最初の放送のときに見て、再放送のときも見ているので、三回ぐらいは見ているだろうか。

あわびを捕るのが、冬場が旬ということは知らなかった。これも地域によって違いがあるらしい。私があわびで思い浮かべるのは、伊勢志摩ということになるので、こちらは夏場が旬である。志摩観光ホテルのあわびのステーキは、昔昔、食べたことがある。

冬の海に裸一貫で素潜りで、あわびを捕るのは、今はどうなっているのだろうか。非常に過酷な男性の仕事である。(『あまちゃん』だと、女性の海女の漁は、夏場でウニを捕っていた。冬は仕事をしなかった。)

種市高校のHPを見ると、校歌もあるが、南部ダイバーの曲もある。海洋開発科と普通科の高校である。

南部もぐりが、全国の港湾施設の工事など、日本の各種のインフラの整備にはたしたやくわりというのは、あまり知られていないだけで、多大なものがあるのだろう。

潜水服を装着して、パイプで船の上から空気を送り込む方式は、いつごろからはじまって、どういう技術的な進歩があったことなのか、このあたりのことも興味がある。ケーブルが通じているので、音声通話(?)ができる。これは、そうだろう。(ただ、『あまちゃん』では、このことは出てきていなかった。これは、演出の都合だったのかと思うことになる。)

現在の高校の様子が映っていたのを見ると、女生徒もかなりいるようである。たぶん、かつては男性の仕事だったと思うのだが、これも時代とととも変わっていくのかと思う。

2025年7月2日記

サイエンスZERO「人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

サイエンスZERO 人類の未来を変える“吸収力” 小さなコケのミラクルパワー

再放送である。最初は、2024年9月8日。

コケについては、現在では、一般にファンが多い。植物のなかでも原始的な部類に属するもので、たくさん種類があって、世界中に分布しているというぐらいの知識である。

尾瀬の自然環境がコケによって守られている、あるいは、コケによって形成されたものである、ということは、そうなのかと思う。それよりも、尾瀬の湿原の地下が泥炭が分厚くたまっている、ということの方が、私には興味深かった。コケや泥炭によって、世界中では大量の炭素がため込まれていることになる。

乾いたコケに水をふきかけて復活する(?)のも興味深いことだったが、それを見ている井上咲楽の話していることば、オノマトペだらけで、私としては、こちらのことばの方が面白かった。こういうのを見て、やはり、日本語としては、オノマトペで表現することになる。

コケが金などを効率的に吸着させることができるので、これの応用開発は、とても面白い。

ゲノムが全部解読されているので、宇宙において、植物の生育を研究するためのサンプルとして使えるというのは、コケの栽培の簡便さとあいまって、これから研究が進んでいく分野になるのだろう。

2025年7月2日記

アナザーストーリーズ「香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日

九龍城……どうでもいいことだが、ATOKで書いていて、「くーろん」から「九龍」を変換する……という名前で覚えている。九龍城砦というのが、本来(?)の言い方ということになるのだろうか。

もうひとつどうでもいいことだが、この番組の中では、「スラム」ということばをそのまま使っていた。最近では、NHKの番組でも、「スラム」を避ける、あるいは、注釈を加える、ということが多くなっているかと思う。この番組を見るような人は、「スラム」で十分に通じるということかとも思うが。

九龍城砦が取り壊しになったのは、香港政庁の判断ということだったが、裏では中国と交渉があったらしい。中国としても、九龍城砦をそのままにして、香港を返還されてもあつかいに困ったにちがいないだろうし、イギリスの統治下にあるときに、しかるべく処分しておいてもらいたかった……ということなのかとも思ったりするが、はたしてどうなのだろうか。おそらく結果的には、もし九龍城砦がそのまま残っていたら、香港の民主化運動と、その弾圧、ということも、少し変わったものになったかもしれない。

九龍城砦が中国領の飛び地、ということは、そうだったのかと思う。だからといって、中国が積極的に口出ししてくるということはなかったようである。結局、イギリスも、香港も、中国も、どこからも自由な場所として生きながらえてきたことになる。

だが、もし災害……巨大な自然災害や火事など……がおこったら、とんでもないことになっていた可能性はある。いずれ、とりこわすことにはなっただろう。(中国に返還されてからだったら、きっともっと強引にやったかもしれないとも思う。)

独立したエリアであったと同時に、そこに住む人びとのなりわいとしては、香港の経済にもかなり影響があったようだ。実際に、どうだったのかということは、さらに詳しく知りたいところでもある。

麻薬、賭博、売春の無法地帯であったということだが、逆に見れば、このエリアのなかにおしこめてあった、と見ることも可能かとも思う。(社会の中には、一部にこういうところもあった方が、いいのかもしれない。無論、その規模とか、一般への影響力にもよるが。)

香港にはどんな人びとが住んできたのか、その歴史はどうであったのか……これを、冷静な視点から語ることができるようになるには、もうすこし時間が必要なのかもしれないと思う。

2025年7月3日記