アナザーストーリーズ「香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日」2025-07-05

2025年7月5日 當山日出夫

アナザーストーリーズ 香港の“魔窟” 九龍城砦が消えた日

九龍城……どうでもいいことだが、ATOKで書いていて、「くーろん」から「九龍」を変換する……という名前で覚えている。九龍城砦というのが、本来(?)の言い方ということになるのだろうか。

もうひとつどうでもいいことだが、この番組の中では、「スラム」ということばをそのまま使っていた。最近では、NHKの番組でも、「スラム」を避ける、あるいは、注釈を加える、ということが多くなっているかと思う。この番組を見るような人は、「スラム」で十分に通じるということかとも思うが。

九龍城砦が取り壊しになったのは、香港政庁の判断ということだったが、裏では中国と交渉があったらしい。中国としても、九龍城砦をそのままにして、香港を返還されてもあつかいに困ったにちがいないだろうし、イギリスの統治下にあるときに、しかるべく処分しておいてもらいたかった……ということなのかとも思ったりするが、はたしてどうなのだろうか。おそらく結果的には、もし九龍城砦がそのまま残っていたら、香港の民主化運動と、その弾圧、ということも、少し変わったものになったかもしれない。

九龍城砦が中国領の飛び地、ということは、そうだったのかと思う。だからといって、中国が積極的に口出ししてくるということはなかったようである。結局、イギリスも、香港も、中国も、どこからも自由な場所として生きながらえてきたことになる。

だが、もし災害……巨大な自然災害や火事など……がおこったら、とんでもないことになっていた可能性はある。いずれ、とりこわすことにはなっただろう。(中国に返還されてからだったら、きっともっと強引にやったかもしれないとも思う。)

独立したエリアであったと同時に、そこに住む人びとのなりわいとしては、香港の経済にもかなり影響があったようだ。実際に、どうだったのかということは、さらに詳しく知りたいところでもある。

麻薬、賭博、売春の無法地帯であったということだが、逆に見れば、このエリアのなかにおしこめてあった、と見ることも可能かとも思う。(社会の中には、一部にこういうところもあった方が、いいのかもしれない。無論、その規模とか、一般への影響力にもよるが。)

香港にはどんな人びとが住んできたのか、その歴史はどうであったのか……これを、冷静な視点から語ることができるようになるには、もうすこし時間が必要なのかもしれないと思う。

2025年7月3日記

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